第7話 学園のマドンナは差し入れたい

「なかなか釣れませんね……」


 隣ではリールを動かし竿をしゃくりあげている渡辺さんがいる。


「やっぱり、前回とおなじ釣り方にした方がいいんじゃないか?」


 その動きはぎこちなく、腕が大事なこの釣り方に対し技量が足りていなかった。

 俺も一定の動きで竿を動かし魚に誘いを入れている。普段地元でやっている待ちの釣りも楽しいが、こうして自分から動かす釣りも好きだ。


「私は相川君と同じ釣りがしたいです」


 渡辺さんには小魚がメインの簡単な釣りをしてもらうつもりだったのだが、いざ釣りをしようとするタイミングで仕掛けが違うことを指摘されたのだ。


 俺が現在しているのは、小魚を模したルアーというものを糸の先に結び、それを遠投して海中を動かし、生きているかのように見せることで大物を狙う釣り方だ。

 この釣り方は、釣りたい魚をイメージし、食いつきたくなるようにルアーを動かす必要があるので、慣れていないとどうしてよいかわからなくなるのだ。


「あっ、ごめん。アタリが出た」


 リールを回し、ルアーを上下させている最中に手先に「ガツン」と感触が伝わってくる。これこそが魚がルアーに食いついた瞬間で、一番テンションが上がる時だ。


「結構強い引きだな、頼むからこのままでいろよ……?」


 食いついたからといって油断はできない。大物の引きは油断すると糸を切られてしまい逃げられるからだ。適度に糸を緩め、いなしながら、徐々に魚が疲れるのを待ちこちらに引き寄せていく。


「渡辺さん、タモ取ってくれない?」


「あっ、はい!」


 海上で魚影が跳ねているのが見える。なかなかの大物なので、このまま引き上げるのは難しい。そういう時はタモという網に魚を誘導し引き上げるのだ。


「凄い、これは何て魚ですか?」


「これは、イナダだな」


「イナダ?」


「ブリの子どもだよ。出世魚で、大きさによって呼び方が変わるんだ」


 手元にあるスケールで測ると頭から尻尾までで45センチ。まずまずのサイズと言ったところだろう。


「兄ちゃん、釣れたのか?」


「あら、美味しそうな魚ね。ブリかしら?」


 周囲の釣り人も集まってくる。釣り場ではよくある光景だ。

 ルアーの種類や仕掛けなどについて、一通りの質問に答えている間、渡辺さんは一人でルアーを投げて釣りを続けていた。


「ごめん、一人にしてしまって」


「いえ、平気ですよ」


 俺が謝ると、渡辺さんは気にしていないとばかりに笑みをみせた。俺は彼女の態度にほっとすると、やらなければならないことを思い出す。


「それじゃ、早速締めるからちょっと待ってて」


 青物と呼ばれるイナダなどの魚は新鮮さを保つため、釣ったら締めてやる必要がある。この処理一つで持ち帰ってから料理をした時に味に差がでるので絶対にやらなくてはならない。


 問題は、生きた魚のエラと尾に刃物を突き立て、血を抜く必要があるので、育ちのよい渡辺さんには刺激が強すぎるという。

 なので、少し離れた場所にある洗い場で締めようかと思っていたのだが……。


「ここでされても別に平気ですよ?」


 そのことを説明すると、彼女はきょとんとした表情でそう答えた。


「私だって子どもじゃありませんから。自分の口に入るものが、他の生き物の犠牲の上にできているとちゃんと知っています。見届けるのが大事だと思いますので」


 中学の時、初めて友人を釣りに連れて行った時も同じようなことがあったのだが、釣った魚を締めたり食べる話をしていると「お前って結構残酷なんだな?」と引いた様子で言われてしまった。


 自分たちが普段口にしている肉のことを棚に上げた友人の言葉を、当時の俺は引きずり、しばらく釣りをしなかったこともある。

 ところが、渡辺さんは、釣った魚の命にも真剣に向き合う姿勢を見せてくれている。


「どうかしましたか?」


「いや、面白いなと思って」


 育ちの良いお嬢様というのは彼女のプロフィールで間違いない。渡辺さんの実家は会社を経営しているらしく、彼女は社長令嬢らしいのだから。


「なんですか、それ。相川君からかってません?」


 思わず出てしまった本音に、彼女は頬を膨らませると、ムッとした表情を浮かべる。

 学園で見かける渡辺さんのどの表情とも違っていて、俺だけしか見たことがない彼女の素顔を垣間見て優越感がうまれた。


「からかってないって。それより、後悔するなよな?」


 楽しくなってきて思わずこちらも素の自分を返してしまう。

 俺は刃渡りが短いナイフを出すと、イナダのエラの部分に突き立てた。


「ひゃああっ!」


 イナダがビクンビクンと動く姿をみて、渡辺さんが悲鳴を上げる。やはり刺激が強かったようだ。


「だから言ったのに。あんまり無理をしない方がいいぞ」


「ううう、相川君いじわるです」


 涙目になり、俺を睨みつけてくる渡辺さん。もっといろんな表情を見て見たくなり悪戯心が芽生えた。


 尻尾にもナイフで傷をつけ、海水に沈める。血を抜きはじめた直後は魚の体温が上がるので、こうして海水に沈め時間が経ったところで氷水が入ったクーラーボックスにしまうのだ。


「よし、次を釣るとしようか」


 処理が終わり振り返ると、俺は渡辺さんに続きをしようと誘うのだった。





「うーん、結局二匹までか……」


 釣りをすること数時間。結局釣れたのはイナダが二匹だけで、朝の釣れる時間が過ぎてしまった。

 周囲では早々に引き上げていく釣り人の姿もあり、俺も竿をおろすと一息突いた。


 集中力が切れ、喉の渇きと空腹を急に意識しはじめると……。


「相川君、御飯どうするつもりですか?」


「そこの売店でカップ麺とかお菓子を適当に買って食べるか?」


 そこまで種類が多いわけではないが、それなりに揃っているので空腹を満たすことはできるだろう。

 ところが、彼女は少し恥ずかしそうな様子を見せると……。


「私、サンドイッチとか作ってきたんです。良かったら食べませんか?」


 そう言って、バスケットを指差した。

 学園のマドンナの手作りサンドイッチという強力なカードの出現に、俺は驚き、言葉を失う。


「や、やっぱり、いらないですよね?」


 渡辺さんはそう言うと、悲しそうな目を向けてきた。


「い、いや。俺なんかが食べてもいいのかなと思って……」


 このことを知れば、学園の男子生徒全員から憎悪の目を向けられるだろう。


「いいんです。相川君に食べて欲しくて作ったんですから」


「今、何て?」


 とても大胆な発言が聞こえた気がする。難聴ではない俺は彼女の言葉を一時一句違わず聞き取った。


「ち、違います! 釣りに連れてきてくれた御礼というか……変な意味じゃないですからね!」


「ああ、勿論勘違いはしてないから」


 危うく勘違いするところだった。そうだよな、彼女は気配りができる女性だということを失念していた。

 頼んで釣りに参加した以上、そのような行動をとっても不思議ではない。


「……どうぞ」


 売店で飲み物だけ買ってベンチに腰を下ろす。休憩所は空調が効いており快適だ。

 バスケットを開けるとサンドイッチがラップにくるまれていた。中には保冷材も入っており、時間が経っても美味しく食べられる工夫がされている。


「じゃあ、もらうね」


 俺はその中から一つ取って食べてみる。タマゴサンドで、塩と胡椒が舌を刺激し、マヨネーズの味わいがそれをやわらげる。釣りで汗を掻いていた分、非常に美味しく感じた。


「どう……ですか?」


「うん、美味しいよ」


 心配そうな様子を見せる渡辺さんに、俺は味の感想を告げる。

 集合時間が始発前だということを考えると、彼女は余程早起きをしてこれを作ってくれたに違いない。


 起きるのも大変だっただろうに……。そうした思いやりの分、ことさら美味しく感じた。


「良かったです。私も食べますね」


 幸せそうな顔をしてサンドイッチに手を伸ばす渡辺さん。しばらく自分が作ったサンドイッチを堪能していたのだが……。


「これを食べたら切り替えて釣りをしますよ。私だって相川君みたいに釣りたいですから」


 意識はこの後の釣りに向いているようだ。意外と負けず嫌いな様子に思わず笑みが浮かんだ。


「そうだ、このサンドイッチのお金払わないと……」


 中の具材は結構な物で、タマゴサンドの他にローストビーフやツナ、エビのすり身など明らかに高級食材が使われている。

 いくら実家が裕福だからと言って、甘えるわけにはいかない。


「いいですよ。私だってここの施設利用料払ってもらってますし」


 ここの施設の利用料はたかが知れている。


「そんなわけにはいかないって」


 俺が断固たる態度で彼女に支払いをしようとしていると……。


「あっ、だったら今度、相川君が作った料理でお返ししてください」


 彼女は「それであいこです」と悪戯な笑顔を俺に向けてくる。

 俺はサンドイッチを頬張りながら「学園のマドンナの手料理と釣り合う料理ってあるのか?」と、何を作ればよいのか頭を悩ませるのだった。

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