第6話 学園のマドンナと待ち合わせ
朝日が昇りつつある薄暗い空、気温は五月という事を考えると普通で、長袖姿で少し肌寒さを感じるくらいだ。
ときおり、ジョギングをするお年寄りが走るほか、街の住人はそれほど活動をしていないのか、人通りがほとんどない駅前で俺は人を待っていた。
あの日、試験勉強をしていた俺だったのだが、ばったり遭遇した渡辺さんに「釣りに連れて行って欲しい」と頼まれた。
彼女が釣りに興味があるそぶりは何度かあった。
最初の釣りの時も楽しそうにしていたし、俺が揚げた魚のフライにも興味を剥けていたからだ。
何度も俺が釣りについて話していたので、もう一度くらい体験したいと考えるようになったのだろう。
「……あまり眠れなかった」
長丁場の釣りは割と体力勝負な部分がある。ましてや今回は県をまたいでの遠征なので普段より楽しみにしている。
「だというのに……」
今回は釣りの他に気にしなければならないことがあるせいか、いまいち意識を没頭させることができないでいる。
一応言っておくと、これまでで女の子と一緒に出掛けたことがないわけではない。転校していくまでは幼馴染みもいたし、互いの家にも寝泊まりしていたくらいだ。
だが、それが学園のマドンナともなると話は別だ。
あれほど綺麗な女の子に正面から無防備な笑顔を向けられ、親し気に話し掛けられることを考えると妙に落ち着かなくなるのだ。
これまでの経験から、渡辺さんが話題を振ってくれ、俺がそれに応えることになるのだろうが、いつまでも彼女のコミュニケーション能力に依存するわけにはいかない。
自分からも話題を振ったりして楽しませるべきだろう。
だけど、好きなことについては無限に語れるが、その他に関しては話題は学校の授業についてしか思い浮かばないダメ人間である。
彼女が一体何が好きなのかも知らないので、どう話を振るか明け方まで考えてしまった。
「ふわぁ……」
思わず欠伸がでて涙を拭いていると、
「お待たせしました!」
渡辺さんが走ってくる。釣りをしやすい格好ということで、ジーンズにシャツと帽子。一見するとボーイッシュな格好なのだが、スタイルの良い彼女が着るととても似合っていて俺は思わず返事をすることなく見惚れてしまった。
「相川君?」
渡辺さんは俺に近付くと不思議そうな目で下から覗き込んでくる。クリっとした曇り一つない瞳に、俺は黙り込んでしまった理由を告げられなかった。
「大丈夫だよ。まだ電車来てないし」
始発ということもあり、待ち合わせ時間を早めに設定していたので問題ない。
俺は彼女の装備の確認をする。
釣りをするということで動きやすい格好、荷物はあまり貴重な物を持ってこないようにと言っておいた。
渡辺さんが持っているのは、肩から掛けるバッグとバスケットだった。
財布やスマホなどの小物はバッグにいれているのだろうが、バスケットはなんなのだろう?
俺がじっと気になってそれを見ていると、彼女はバスケットを背中へと隠してしまう。
「えへへへへ、まだ内緒ですよ」
そして少し頬を赤くして柔らかい笑みを浮かべてきた。
「うん、特に問題はなさそうだし電車に乗ろうか」
クーラーボックスを右肩にのせ、リュックを担ぐ。
今日も釣りに必要な装備はすべて俺が用意している。二人分なので普段よりかさばっていた。
「はい、今日は宜しくお願いしますね」
彼女は俺の後ろにつくと声を掛けてきた。
こうして、高校に入学して以来。俺は初めて女の子と遊びに出掛けることになるのだった。
「今日行くのって隣の県なんですよね?」
電車に乗ってしまえばあとは自動的に目的地まで運んでくれる。
俺たちは荷物を置くと隣あって座る。
早速、彼女から今日行く場所についての質問が飛んできた。
「うん、渡辺さんは行ったことある?」
「子供の頃に旅行で一度だけ。でも車での移動だったからあまり記憶になくて……」
始発ということもあってか車両内はガラガラで、俺たちと同じ目的の釣り道具を持つ人間が数名いる。
だが、マナーとしてなのか彼女は俺と話すときに身体を寄せ、出来る限り小さな声で喋るようにしていた。
その距離間の近さに若干気まずいものを感じていると、
「それにしても、電車で遠出するのは初めてです。釣りって凄いですよね!」
窓から見える景色を見ながら彼女は楽しそうにしていた。
「釣りは時期と場所によって全然釣れる魚が違うからさ。いろんな魚を釣ってみたいと思うと、どうしたって遠くまで行かないといけないんだ」
普段は近場で済ませるのだが、時々こうして遠征することがある。その際はやはり今の渡辺さんみたく電車の景色であったり、釣り場の雰囲気だったりを楽しむ。
俺は、彼女が退屈していないということにほっとした。
釣りに関する話しや学校のちょっとした話、この前の中間テストの感触や答え合わせなどなど、電車に揺られる一時間半が気が付けばあっという間に経っており、俺たちは目的の駅まで到着していた。
「うわぁ……朝日が眩しいです」
到着時間が日の出から少し経った時刻ということもあってか、海面が太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
海辺で見る日の出というのは、最高のロケーションで、釣り人にとっては最高にテンションが上がる状態だ。
俺は彼女を案内すると、施設の受付で支払いを済ませ中へと入って行った。
「あっ、お金、支払います」
「大丈夫、回数券を使ったから」
ここは割と有名な海釣り施設で、トイレが綺麗で売店もあるので比較的女性も安心して釣りをすることができる場所だ。
自分一人の時はもっと荒れた漁港とかでも良いのだが、せっかくなので、渡辺さんには楽しい思い出を積み重ねて欲しいと思っている。
電車での移動ということもあってか、開場直後に入ることができず、堤防の先端は既に常連にとられてしまっていた。
「早速だけど、これ腰につけてくれ」
「こちらはなんでしょう?」
「それは腰に捲くタイプのライフジャケットだよ。こういった管理されている釣り施設では、最低限身を護るための物を身に着けるのが絶対条件になってるんだ」
施設によっては貸してくれるところもあるのだが、今日のところは俺の予備を使ってもらうことにしよう。
彼女がライフジャケットを身に着けている間にも、俺はテキパキと竿を組み立て仕掛けを用意していく。
実は釣りというのは、魚が釣れやすい時間というのがある程度決まっている。早朝は一日に二度しかない絶好の釣りチャンスなのだ。
ここでモタつくと一日の釣果に差がでるので、渡辺さんを楽しませるためにも手は抜かない。
「ど、どうですか? 似合いますか?」
ライフジャケットを身に着けた彼女がその場でクルリとターンを決め、後ろで縛っている髪が尻尾のように揺れる。
「あ、ああ……似合ってるよ」
本当に俺のお古なのだろか?
彼女が身に着けただけで、ハイブランドのようにワンランク上に見える。
気を取り直して釣りをするための準備を終えると、俺は彼女に釣りの仕方をレクチャーするのだった。
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