第2話 学園のマドンナは釣りを楽しむ

「先程は助けていただきありがとうございました」


「ああ、別にあのくらいは当然だから」


 渡辺さんが頭を下げるとサラリと髪が揺れ、仄かにリンスの良い香りが漂ってくる。

 潮の匂いしかしない漁港でフローラルな香りがすることに違和感を覚えていると……。


「あっ……えっと……」


 彼女は言葉を続けようとし、口元に手を当て何やら考え込むと、結局黙り込んでしまった。


 彼女はもじもじしており、チラチラとこちらを見てくる。

 よもやこんなところで同級生に出会うと想定していなかったのだろう。驚いたのは俺もなのだが、学校で見る渡辺さんとは随分と印象が違うようだ。


 俺が学校で見た渡辺さんは、このような人見知りをするようなタイプではなく、初対面の相手にも気さくに話し掛けられる社交性の高い人物だからだ。


「そう言えば、俺の名前知ってたんだね」


 俺はふとした疑問を口にする。入学から二週間足らずで学年の全生徒と接触したわけでもないので、彼女が俺を認識しているのが意外だったから。


「えっ? でも、相川君も私の名前知ってますよね?」


 渡辺さんは可愛らしく首を傾げると、アゴに手を当て、頭上にハテナマークを浮かべる。ゆったりとした仕草が妙に性にあっており、思わず笑みが浮かんだ。


「それはそうでしょ。渡辺さん目立つし」


 行く先で集団が形成されていれば必ずと言っていい程中心には渡辺さんがいるのだ。嫌でも名前くらい覚えてしまうさ。


「目立ってましたか? ごめんなさい、うるさかったですよね?」


「いや、そんなことないよ。いつも人に囲まれて楽しそうにしてたから、自然と目が向いただけだよ」


 こういう気遣いができるのが人気者の由来なのだろう。一緒にいても嫌な気分にならない、それどころか心が軽くなるような雰囲気を醸し出している。

 彼女の周りに人が集まる理由が何となくわかった。


「それ、釣りをしているんですか?」


 少し緊張がほぐれたのか、彼女は折り畳みバケツの中に小魚が泳いでいるのを発見した。


「うわぁ、生きて泳いでる。可愛いですね」


 先程までの笑顔と違い、少し子供っぽい、どこか無邪気な笑顔を俺に向けてくる。


「うん、この時期はアジとかサバとかイワシが釣れるからね。家に帰って料理すると美味しいんだよ」


 少し話過ぎただろうか?

 彼女も社交辞令で話し掛けてきただけかもしれない。釣った魚の用途に関してまで話す必要はない気がする。


「この魚たちはその竿で釣ったんですよね? へぇ、こんな風に釣るんですね」


 現在俺がやっている釣りは、カゴにエサを詰めて海に沈めて波の揺らぎにより餌が零れ食べに来た魚を垂らしてある針に食いつかせるという釣り方だ。


 竿の先に鈴がついてあるので、時々引き上げて餌を補充してやれば、掛かりきりになる必要もなく、読書の片手間に釣りを楽しむことができる。


 興味深そうに前に出て海面を覗き込む彼女。そのような楽しそうな顔をされると、もっと楽しんで欲しいと思ってしまう。


「良かったら、渡辺さんもやってみる?」


「えっ、良いんですか!?」


 彼女は振り返ると、瞳をキラキラと輝かせた。


「うん、予備の竿も持ってきているし、仕掛けも餌も十分にあるから」


 万が一折れた時の為に、小型の釣竿を用意してあった。俺は彼女が釣りをできるようにテキパキと準備をしてやる。


「凄い、あっという間に竿が組み立てられて……。釣り竿ってこんな形なんですね。糸と木の枝みたいなのを想像していました」


「ああ、そういう竿もなくはないけどね」


 彼女が知っているのは浦島太郎などに出てきそうなのべ竿のことだろう。


「はい、この竿のここ持って。んで、糸を人差し指でひっかける」


「わ、わわっ! 思ってるより軽いんですね」


 使い方を教える為に彼女に近付くと、渡辺さんは戸惑いながらも言う通りにした。


「これは小魚を釣るための竿だから。大物を釣るとなると結構大がかりな道具が必要になるんだよ」


 釣り道具の種類は何万とあり、値段もピンからキリまである。いずれは大物を釣りたいと野望を持っているので、手に入れたいと考えていた。


「あとは、この金属を起こしてやると糸が出るようになるから、竿を前に出して糸を摘まみながらゆっくりと出していく」


「こ、こうですか?」


 スルスルと糸が出て、ちゃぽんと音がする。餌が詰まったカゴが海面に落ち、更に海底へと沈んでいく。

 しばらくすると糸が出なくなったので、海底まで到達したようだ。


「海底に着いたから、金属の留め具を倒してリールを巻き上げて」


「何か釣りっぽいですね」


「うん、まあ、釣りだからね」


 意外と天然なところもあるのか苦笑いが浮かぶ。

 彼女は俺の指示に従いリールを回し糸を巻き上げた。


「あとは餌を海中に散布して魚を引き寄せるんだ。竿を何度か上下に動かしてみて」


 こうして海中に餌を漂わせ、紛れ込んだ疑似餌に引っかけさせるのがこの釣りのやり方だ。


「ん、何か『コツコツ』って感触が伝わってきます」


 これこそが魚が餌をついばむ感触だ。釣り人の多くはこの感触の虜になっており、これを味わいたくて再び釣り場を訪れるようになる。


「今だ! 併せて!」


「えっ? 併せ……?」


 魚が食いついている時に竿を引き上げ、ハリを口に引っかけることを言う。

 あくまで使っているのは疑似餌なので、違和感を覚えてしまうと魚はハリを吐きだしてしまうのだ。


 そうすると、魚に逃げられてしまい釣りは失敗に終わる。


「いいか、こうやって、こうだっ!」


「きゃっ!」


 彼女の後ろから抱えるように竿を持ち、一気に引き起こす。

 手に「ビビビッ」という感触が伝わってきて、魚の口に完全にハリが引っかかったのがわかった。


「よし!」


 ふと我に返ると、至近距離に彼女の顔がある。目が大きく見開き瞳が潤んでいる。


「あっ、ごめん。つい……」


「だ、大丈夫です」


 竿から手を離すと、彼女がパッと離れていった。釣りのことになると我を忘れてしまうとはいえ、距離が近すぎた。


「そのままリールを巻いて魚を釣りあげてくれ」


 とはいえ、今は魚が掛かった状態だ。止めるわけにはいかない。


 ここで油断してはいけない。引っかけたとはいえ、糸に緩みが出ると魚が暴れた時にハリが外れることが多々ある。


 そうならないためにはここでリールを巻き続けるように指示をした。


「何か、指先に伝わってきます」


「それが魚の重みだから。どう?」


「少し重いけど大丈夫そうです。楽しいかもしれません」


 彼女は勢いよくリールを巻くと、


「釣れました!」


 海中から勢いよく魚が飛び出した。


「よし、巻くの止めて」


 ブラブラと揺れる糸の先に小魚が付いている。俺は糸を掴んで止めると、


「小型のイワシだな」


「これが……イワシ? 綺麗」


 釣れたての魚というのは表面がキラキラしている。銀皮の輝きに渡辺さんの目もキラキラと輝いていた。


「まさか一投目で釣れるなんて思わなかったよ」


 釣りは待っている時間の方が長い場合が多い。いきなり釣れたことで、彼女を退屈させず楽しませてあげられてほっとする。


「私にも釣れるなんて、釣りって楽しいですね」


 糸を持ち、魚をかかげて誇らしげな笑顔を向ける渡辺さん。彼女が心の底から釣りを楽しんでくれているのがわかった。


 それから、しばらくの間、二人で釣りを楽しんでいると、


「あっ、こんな時間です。そろそろ戻らないと」


 渡辺さんは時計を見ると残念そうな表情を浮かべる。


「これ、ありがとうございました。今日は本当に楽しかったです」


「こちらこそ」


 いつも一人で釣りをしてきた。中学生の時も、俺の釣り趣味を聞きつけて同行した同級生が居たのだが、距離間やマナーなどなどで一緒に釣りをするのが苦手で、誰かと釣りをしたのはそれが最後だ。

 だけど、渡辺さんと一緒の釣りには不思議とその時感じた嫌なものがなかった。


「相川君は良くここで釣りをしているんですか?」


「うん、天気や風の強さ次第だけど週末は割といるかな」


「そうですか」


 彼女は俺の返答を聞くと口元を緩め楽しそうな顔をする。


「あの……どうかした?」


 何か面白いことでもあったのかと考え渡辺さんをじっと観察する。


「何でもないです」


 彼女は身体をくるりとターンさせると振り返り、


「それじゃあ、相川君。また(・・)」


 フローラルな香りを漂わせると返事も待たずに去って行くのだった。

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