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  • 後悔には二つの顔があるへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    小学校の校長先生からは「今やらねばいつやれる、俺がやらねば誰がやる」という言葉を聞かされました。後悔という概念とは無縁ですが、やるかやらないかなら、やれよ、という教えとしては似た部類ですね。こういう言葉がいつくもあるということは、人はしり込みしがちなものだということの表れなのですかね。

    「まずやってみよう」の精神で死なずに生きていける社会というのは、かなり恵まれているのだろうと最近考えます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    人は安定を求めますからね。未知の行動は不安定だと思っちゃうんでしょうね。

     前からしつこく書いていますが、人生にはマイナスなんて無いと思っています。プラスしかないんだからやりたい事をやるべきだし、何事もチャレンジするべきじゃないかと思うんです。失敗したって人生にはプラスです。

  • 一方通行への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「人間の意識が起こしている錯覚、もしくは認識するという行為の癖」というのは、知覚にはままありますね。

    人間の網膜には上下左右ひっくり返った画像が写っているはずなのに、私たちは触るものと見えるものとが同じ上下左右関係にあると見えるように脳が視覚を修正しています。いろんな感覚にこの「他の感覚と整合性を保つための修正機能」が無意識のうちに働いているんじゃないかなあと思いますね。

    何らかのきっかけでそれに気づけるようになったとき、一気に見えてくるものがあるような気がします。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     以前実験で、上下が逆さまに見える眼鏡をずっとつけて生活した場合、しばらくすると普通に知覚するようになるんだそうです。

     人間は個体として世界を知るには、五感で知覚するしかないですからね。実は知覚できない部分で凄い事が起こっているのかもしれませんよね。

     ただそれはきっと知覚できない方が都合がいいからそうなっているのかもしれません。見て見たいと思っても、見ない方がよかったなんて事になるかもです。

  • LRTの不思議への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    路面に線やゾーンを描くのではなく鉄道を敷くメリット、摩擦が小さいの一点しか思い当たりません。ただ、最終的に旅客を運ぶ消費エネルギー量をバスや車と比較したときに、本当に効率的なのかどうかがよくわかりませんでした(同じ条件で比較したデータがなかなかない)。

    路面電車の気分的なメリットとして、路面を走るから乗降車時に方角を見失わない、足が悪くても乗降車が楽、見知らぬところまで乗っても線路をたどってあと戻れる、がありますが、これらは路面上の線でも良いってことになりますね。

    鉄の線路という既存のものへの安心感も大きいのでしょうか。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     佐藤さんもメリット思いつきませんか…。車輪で動く場合、摩擦力が少ない と滑る分エネルギーロスが大きくなるような気がします。運動エネルギーが外部から与えられる場合を除く)。

     ただ車輪の事を考えて、もう一点だけ利点を思いつきました。現在ノルウェーではEVの普及に伴い、車重が増加してタイヤの摩耗が大気汚染を引き起こしているそうです。その部分だけは鉄道敷きの方が有利ですね。しかしそのわずかな事の為に大きなコストをかけるというのは弱すぎます^^;。

     もしかして本当に心理的理由で、極端に言うと誰もが持つ鉄道マニアの部分が影響しているとか?

  • 選択肢への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    プラスマイナス関係なく、何もないよりあるほうがよいというのは、経験を絶対値で足し合わせていきましょうという考え方ですね。平坦な道のりより分散が大きい方がおもしろいと。

    すぐに死んでしまわない程度のマイナスの経験も積極的に積んでいくことが多様性や生物としての強固さにつながっていくような気がします。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    「なかしま君となかじまさん」でも書きましたが、『人生万事塞翁が馬』で覚えてしまっていて、一般的には『人間万事塞翁が馬』だというのは最近まで気が付きませんでした。ただ、元々は『万事塞翁が馬』に誰かが後付けしただけなので完全な間違いでも無いようです。自分的には『人生』の方がしっくりくるのでこのままにしておこうと思います。これは人生におけるマイナスな出来事ですかね?(笑)

  • 後悔には二つの顔があるへの応援コメント

    「後悔には二つの顔がある~」の言葉。
    人の真理を突いているように思えました。

    私も後悔しないよう、『カク』と『ヨム』を続けます。
    素敵な言葉を教えていただき、ありがとうございます!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本当にいい言葉ですよね。言葉には人生を変える力があるように思います。これからも後悔を後悔しないように生きていこうと思います^^。

  • まわしているだけへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    物質としては閉じていますが、エネルギーとしては太陽エネルギーにほぼ全面的依存ですよね。太陽エネルギーを駆動源として、ぐるぐる回されている。ちょっと滞ったり、ルートが変化したりするけれど、少なくとも生物がいる間は、巨視的に見れば循環しつづけますね。

    生物が完全に滅亡したら、いずれ物質循環も止まるのでしょうか。でも太陽エネルギーが加えられる間は、それをもとに地上の物質の確率的な組み換えが続けられそうで、そうなると地質学的時間後にはまた生命が誕生しないとも限らず、生命誕生と滅亡もまたぐるぐると繰り返されるのかもしれないなと思いました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     人間や動物がいなくなっても、物理現象としての循環は続くんでしょうね。でも現象としては随分と単純になってしまいます。

     もし地球がレゴブロックのような大きなおもちゃだとして、より色々な遊び方ができたほうが楽しいですよね?誰を楽しませるためのおもちゃなのかは不明ですが…。

     火星と一緒で段々と地表から水分が失われていくので、生命進化にかかる時間を考えると、生命誕生のセカンドチャンスは難しくて、結局火星みたいになるんじゃないかなと私は思います。

  • 道路上のGへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ギンリョウソウ、初めて知りました。モリチャバネと相利共生なんですね。一種対一種での共生だと、環境変化に脆そうです。

    行き倒れゴキブリは私も数年前によく見るなあと思うようになりました。でもうちの通勤路はゴキブリだけでなく、カナブンやカブトムシやクワガタもちょくちょく落ちているので、相対的に、ゴキブリだけが目立つということはないですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     私も山登りを始めるまでギンリョウソウの存在を知りませんでした。街中で見かけたことはないですね。山に登らない人は一生見る機会は無いのかもしれません。

     アスファルトの照り返しは、身長の低い子供の方がきついと言いますが、ゴキブリは更にきついんでしょうね。普段は地球上から滅んでしまえばいいぐらいに思ってますが、きっと共生関係やら何やらで、生態系の一部として組み込まれているんでしょうね。

  • クラウドへの応援コメント

    アリって本当に不思議です。一日見てても飽きないかも。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    農業を営む生物は人間の他は蟻だけですよね。
    (ハキリアリのキノコ栽培)
    ある意味生物の最も進化した形なのかもしれないなと思います。

  • エアコンの話への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    たしかに、ざっと検索すると「エアコンは室内外機で一つの製品」と謳われていますね。そりゃそうでしょうけれど、パーツ交換に対応してくれたらいいのにとは思います。

    最近の家電製品は一部壊れても現実的な修理がほぼ不可能です。修理するより新製品が安いですし、利用者が修理を好まなくなり、それに伴い技術者の意識や質が変わりました。一部修理し、使えるようになるまでメンテにつきあってくれる技術者は少なくなってしまった気がします。エアコンも、室外機・室内機の片側だけ交換することはできても、きちんと作動するよう調整できる技術者は少ないんじゃないですかね。

    家電だけじゃなく科学機器も似た状況なのが何とも悩ましいです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    これって海外ではどんな感じなんでしょうね?浄水器のカートリッジにまで共通規格を設けているヨーロッパあたりだと互換性を規定しているような気もします。昨日建築士の定期講習会だったんですが、既存ストックの利用を促進させようとする一方で、建替えない限り基準達成は難しいバリアフリー化も促進を促しています。矛盾だらけです。

  • 焚火への応援コメント

    企画から来ました。人生は暇つぶし、名言ですね。私もそう思います。焚火、いいですね。意味ないところが良いんです。

    作者からの返信

    こんにちは。コメントありがとうございます^^。

    まさにPNがチラシの裏なんですね。

    焚火は煮炊きもできるし、暖かいのでそれなりに役にもたってくれます。でも今時の若者が言う所のタイパで行けば最悪だとは思います^^;

  • 甲子園への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    地方出身の自分にとって、付属学校は、国立大学傘下のお堅い学校というイメージしかありません。教育学部の実習の場を兼ねているので、あるスリットを通った、比較的均質な児童生徒を集めた学校という感じです。私学の付属高校だと位置づけ自体違ってそうですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    私も付属高校あがりですが、当時の学長は推薦入学をもっと増やしたいし、付属も増やしたいと考えていたようです。理由は『馬鹿を増やしたい』との事でした。大学受験というフィルターを通ってこない学生を増やしたかったんでしょうね。

  • コーヒー豆を挽きながらへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    人間の一生の短さ、存在の取るに足りなさというのもなかなか微妙な話で。私たちが最もよくその存在を認識できるのは自分自身で、それがすべてともいえます。あとは植え付けられた知識、あるいは妄想ともいえるわけで、宇宙と比べりゃ自分なんてちっぽけだ、と実感できるのは、なかなか高度な知的遊戯なのかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    胡蝶の夢ですね。

    宇宙は大きいと言っても、自分で見てきたわけでもないので、本当かどうかは分かりません。いや、見たとしてもそれが実在するとも言い切れません。

    最近は自分という存在そのものが幻想であると論じる人も多いですね。一理あるように感じてます。

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    インスタントラーメン、今では作り方の説明書きがそういうふうに変わってきているのですか? 私が買っている超安物は、いまでも「鍋の火を止めてスープを混ぜ、器に移してお召し上がりください」でした。

    昔(30年以上まえ?)、「インスタントラーメンの美味しい作り方」として、麺を湯がき、具を準備し、スープを丼の中で湯で(ゆで汁でではない)溶かして、最後に三つを合わせるというやり方が紹介されていたようですね。そうなると、もはや「インスタント」ではないですが。昔は麺の揚げ油の酸化が今よりひどく、ゆで汁でスープを作るとまずかったそうです。

    でも、改良が進んだ今でも「本当はスープは器で溶いた方がおいしく出来上がる」のは変わらないんじゃないかという気がします。

    私的には、丼でスープを作る良いところは、やっぱり湯量を調整できるとこだと思いますね。麺と多めの具を一緒に湯がこうとすると、どうしても水量が多くなる(具からも出る)ので、調理後、適量の湯を丼に注いでスープを作るやり方だと、湯量調節がしやすいです。残ったゆで汁は捨ててます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    多分年間100食以上インスタントラーメンを食べてますが、手ごたえとしては器でスープを溶かす方が過半ですね。サッポロ一番やチャルメラ、うまかっちゃん等の老舗ブランドは変わらずといった感じでしょうか…。

    茹でる湯量は計らないので、多かったり少なかったりしますが、それはそれで味のバリエーションとして受け入れるようにしています。

  • キャンプの勧めへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    これはそうだと思います。実感するような事態にはなりたくないですけど。

    海外育ちの友人が斧でさくさくと木材を割って薪を作るのを見たときには感心しました。

    今では、鍋で米を炊くだとか、マッチで火をつけるだとか、和式トイレで用をたすだとか、災害でなく、ほんのちょっとだけ田舎のほうに行ったら遭遇するようなことも未経験の人が多いのではないでしょうか? まず、そのあたりは経験しておきたいものですね。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます。

     まずはイソヒヨドリの中間選考突破おめでとうございます^^。私の方はダメでしたが、折角書いた長編なので加筆修正して他のコンテストに出してみようと思ってます。

     話は戻りますが、熊本の震災時も実際にテント生活をしていた人が多かったみたいです。阿蘇やくじゅうでキャンプ慣れしている人も多かったんでしょう。焚火をしたことのない人は一度は経験しておいた方がいいと思います。火もライターやマッチだけでなく、ファイヤースターター(マグネシウム棒)なんかを使って火を育ててみる事はいい経験になります。

  • 量子コンピューターと漢方への応援コメント

    量子力学は漢方薬と捉えたり!
    なんか、あやふやな所がしっくりきますね!
    私は今書いている作品で、魔法を量子力学で説明しようと、色々考えているんですが、漢方薬の表現がなんか刺さりました!😆

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    理屈は分からないけどやったらそうなるみたいな事が多いですよね。
    科学とか言って肩ひじ張ってますが、まだまだこの世界は分からない事だらけです。

    編集済
  • 犬の鼻は曲がらないのか?への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    動物の嗅覚についてきちんとは知らないので単なる屁理屈ですが……。

    嗅覚が鋭いのとダイナミックレンジが広いのとは別物なのかな、と。つまり刺激に対して感覚が飽和してしまえばにおいを感じなくなります。人間の場合、硫化水素臭に対する感覚の飽和が有名ですね。薄いうちは卵が腐ったような臭いとして感知しますが、猛毒レベルに濃くなると臭いを感じなくなります。そのため硫化水素だまりで中毒死してしまうのですが。

    人間がにおいで悶絶死することがない(?)ように、犬も、かすかなにおい側に特化した嗅覚を持っているのかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     それは私も思ったんですよ。例えば人間の匂いに関する感覚が1~100として、犬は1~100万とします。但し犬が100万段階の分解能とそれに対する感性を持ち合わせていると、匂いで狂ってしまいそうなので、1~99までは感じても100~100万までは一緒なのかなと…。というかそう言った個体は進化の中で淘汰されたのかなと…。しかし受容体が多くて(数は一緒で感覚が鋭いという可能性もありますが)そんな事があり得るのかなという疑問もあります。

     あんまり深く研究している人もいないと思いますが、一回犬にクサやの干物の匂いをかがせてみたいもんです(実際やったらいろいろな所から怒られそうですが)。

  • 獣臭への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    嗅覚というのはわりと原始的な感覚で、他より簡素な経路で脳に入るのだとか(ちなみに他の複雑な経路で脳に入る感覚にも緊急用のバイパスはあるそうです)。だから本能に結びきやすいのだそうですよ。植物の神秘のベールを色褪せさせるのも無粋なので、このあたりで止めておきますね。

    でも、植物が腐っていくにおい、私はかなり苦手です。あと、カビのにおいも駄目ですねえ。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     動植物に関係なく腐っていく匂いはあまりいいものでは無いですよね。お酒や調味料の発酵臭なら別ですが…。

     犬の嗅覚とか人間の何万倍とか言われてますが、道に落ちたりしている糞に物凄く接近して嗅いでいるのを見ると、臭すぎて頭おかしくならないのかなと心配になります。

  • 宇宙人と未来人への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「意外とこの後頑張って、長く続く可能性もありますが、それでもせいぜい一万年ぐらいが限界じゃないでしょうか?」

    この一万年にはなにか根拠があるのでしょうか? 何が原因になるでしょうね。地球環境はここ三、四千年間と比べ、大きく変化する可能性はありますね。でも寒くなるにしてもせいぜい最終氷期最寒期くらい、暑くなるにしても白亜紀暗いじゃないのかなあ、と貧相な想像力で考えてしまいます。もしそうならば、少なくとも食糧となる生物は残るわけで、人類も細々と生き延びそうです。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます。
     
     一万年は特に根拠は無くて何となくの感覚ですね。現在の文明のベースができたのが1万年前位だと思うので、今が丁度折り返しぐらいかもって感じです。あと超古代文明説も、1万年前位に滅んだというのが多いですよね。衰退と繁栄を繰り返せるのであれば、それなりに続く感じもしますが…。

     人類が全滅する要因は色々と考えられますが、今だと一番可能性が高いのは核戦争よりウィルスだと思ってます。全滅せずに環境や食糧問題の場合は、文明を維持するだけの人口が保てなくなるような気がします。

  • ヘリックスへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    螺旋階段って、「ヘリックス」ではなく「スパイラル」なのですね。知りませんでした。

    二次元で見ればスパイラルなものも三次元的に見ればたいていヘリックスになる。四次元だとやはり時間軸に対して変化するでしょうからまた別の(なんという名になるのかはわかりませんが)形状となるのでしょうね。変化は相対的にしか感知できないけれど、理屈から言って、増える次元の軸に対して何らかの変化をしていそうです。

    おもしろいですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     ネイティブではないので、何となくの推測ですが、英語圏でもヘリックスよりスパイラルの方が身近な言葉なんじゃ無いでしょうか?

     しかし何でも物というのはじっとしているようでいて、動いてます。だから地縛霊なんかそこに存在し続けるにはかなりのエネルギーが必要ですよね^⁠_⁠^空間的な移動の他に、時間的にも動いてますから…

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    主人公が代替わりしていくのは大河小説っぽいですね。それ以外に、バトルのパタンを変えていくというのもありかもです。

    強さという一次元のバロメータだけを上げていくのではなく、旅をして強さの種類を変化させる、つまりバロメータを二次元に展開させれば、割と無理なく、強さはほぼゼロからのスタートにもどせます。作者としては、新たな強さをどう定義するかひねり出さなければならないので、大変なことには変わりないのですが。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    代替わりでうまくこのインフレーション理論を潜り抜けた作品としては『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズがありますね。強さの方向性を変えたものは…思い当たりません^^;

    ドラゴンボールで悟空が将棋を始めるような話ですからね…。

    編集済
  • 渇水への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    農作物栽培が盛んに研究されるのは、農作物(植物)が畜産物よりエネルギー効率が良いのと、必須ミネラル等を含む食材だからでしょうか。

    もういっそのこと、植物プランクトン食を目指したらいいんじゃないかって気もします。そのままだと食べにくいかもしれないので、加工技術の開発を頑張っておいしくバリエーション豊富な食材に仕上げる、といった路線のほうが手っ取り早い気がします。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    メイン食材が植物プランクトンてなんか嫌ですね^^;。ゴキブリの羽はエビの尻尾と同じ成分だと言いますが、成分が同じでもなんか嫌です。

    思ったんですが、海藻って人工栽培して主食になりうる生産量って難しいんでしょうか?こちらは何となく美味しそうなイメージがあります。

  • 畳二枚への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ふんふんふーんと読んでいって、最後で落とされました(^^;)。

    結果が原因に影響を及ぼすについてですが、また聞きで出典不明のうろ覚えネタなのですが、こんな「書いても書かなくても。どっちでもいい文章」で対抗してみます。

    ある物質を(合成実験でかな?)溶液から取り出すのに結晶化させて取り出そうとしていたのですが、どうやっても、誰がやっても、成功しなかったと。それがあるとき、誰か一人が成功したら、その手法を広めるまえに、突然、世界各国でうまく結晶化するようになってしまったのだそうです。

    ものごとにはタイミングというか閾値のようなものがあって、そこを超えさえすれば、おのずとうまくいくというふうにも考えられますね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

     シェルドレイクの仮説ですね。書籍は『なぜそれは起こるのか』だと思います。あの説は非常に興味深かったです。科学の世界ではエセみたいに言われているみたいですが、案外世界の本質を突いているんじゃないかと直感的に感じました。

     物理学の次なるブレイクスルーは、思想や哲学の中にヒントがあるんじゃないかと妄想しています^^。

     

  • 大便の不思議への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    植物のうんこ、ですぐに思い出すのが「緑色」のことです。

    われわれ(本当にごくごく一部の「われわれ」ですが)は、植物の緑色ををうんこと呼びます。植物の緑色は、光合成色素であるクロロフィルが太陽光から吸収し残した緑や黄色の光だからです。

    光を食べて光のうんこをすると考えると、植物って高貴な存在ですよね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    緑色をうんこと呼ぶのは初めて聞きました^^。しかしその呼び名が広まってしまうと、新緑の季節は新うんこの季節になってしまって、なにかこう大きくニュアンスが変わってしまういますね。

  • 牧のうどんへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    福岡の柔らかいうどん、最近になって徐々に認知されるようになってきましたね。

    牧のうどん(たぶん)は、数年前、サンプリングで同僚と福岡に出張したときに初めて食べました。うちの母が作るうどんと同じやん、というあっさりした感想しかありませんでした(笑)。

    今でこそうどんにこしを求めるようになりましたが、子供の頃のうどんは、大鍋でくたくたに煮込んだ、イリコだしの野菜たっぷりで天ぷら(揚げた魚のすり身)入りのやわやわうどんでした。他の家がどうだったか知らないのですが、もしかすると大分でもやわやわうどんが主流だったのでしょうか。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     九州のうどんは総じて柔らかい印象ですが、牧のうどんは群を抜いていると思います。他にも福岡でメジャーどころとしてウェストや資さんうどんがありますが、柔らかくてもここまでではないでしょう。大分のうどんの印象はあまりないんですが、固かった記憶はありません(笑)。

     宮崎県もうどん大国であったことはこちらに来て初めて知りました。

  • 12万年ぶりへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    このネタはやぶへびなのであまり突っ込みすぎないようにします(^^;)

    暑さでシベリアの永久凍土の融解が進み、そこから未知の(もちろん現代の人類にとってという意味ですが)ウイルスが発見されたりもしているようですね。どの程度の社会的インパクトを与えるかはさておき、これまで知らなかったものが見つかる、現れる、ということは確実にあると思います。

    でも、今年も去年も私はあまり猛暑を実感しませんでした。日中外に出ることがほとんどなかったからなのかもしれませんが(^^;)

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     どうやぶへびなのかは突っ込まないようにいたします。
    キャンプや登山などアウトドアを趣味にする自分には、この数年の猛暑は本当にやばかったです。完全に夏は休止状態になりました。

     温暖化で一番楽しみな場所は南極大陸です。既にいろんなものが出てきているみたいですね。氷に閉ざされる前はそこに何があったのか?ムー大陸説なんて胸アツです。

  • 分割への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    このエッセイが『哲学者にも恋の行方は分からない<プラトニックアース>』の誕生秘話的な位置づけなのでしょうね。

    いろいろあるからおもしろいのですが、いろいろあればこそ、その中で多数派少数派ができて(「分類する」も人間の性質のひとつだと思います)、せっかくの「いろいろ」を楽しめなくなっている人たちがいるのも事実でして……。

    本来「いろいろ」が持つ楽しさをだれもが満喫できる社会であるといいですね。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     そうですね。この文がプラトニックアースの元ネタという事になるかもです。

     いろいろじゃない方が、安定であったり平穏にはつながると思います。それは安心でもあるのでしょう。楽しさは人それぞれなので、その方が良い場合もありますね。

     今この歳で、昔みたいにインドをバックパックで放浪するというのは、肉体的にも精神的にも無理です。今は脳内で色々と考えている方が楽しいですね^^。

    編集済
  • サイクルへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    持続にサイクルが必要なのは簡単に想像がつくのですが、その持続がうまくいっていれば、おのずと環境に順化するサイクルも回るような気がします。職人さんの例をとっても、きちんとした職人さんが必要な人数だけ育成されていれば、彼らから現状に合うようなアイデアが常に提案されるのではないでしょうか、と思ったのでした。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     確かに持続のサイクルが勢いよくグルグルと回っていれば、生物の進化と一緒で勝手に自分で改善していくのかもしれませんが、職人さんの世界はこのサイクルがもう止まりかけていると思います。回転速度が落ちたときに、自分たちで無理なら外から働きかけてでも改善しておくべきだったんでしょうね。

     佐藤さんには研究者の香りが漂いますが、ポスドク問題や国家的な研究費の縮小で、そこも随分とサイクルが止まり始めている様な感じがします。

  • 伝染への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    今回はコメントというか、単なる感想文なのです。いや、この「感想文」のほうが「応援コメント」としては正しいのかもですけれど。

    十三岡繁さまの感性の柔軟さによく感心させられます。サイエンス全般について造詣が深いかと思えば、最近はやりのラノベのジャンル、アニメ、それに音楽グループまで、多岐にわたる話題の数々。

    この、世界にあふれる雑多のものを偏見なく面白いと思える感性があってこそ、『なかしま君となかじまさん』のような、しっかりとした構成の滋味深い作品が生まれるのかなと感じます。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     深くないんです。浅いんです(笑)。でも浅い分広く色々なものに触れたいと思っています。

     みうらじゅん氏の「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉にひどく共感しているんですが、暇つぶしで生まれた文化に上も下も無いと思ってます。

     本業の建築設計では独立してから、個人住宅を計画する機会が多いんですが、もう本当に色々な方がいて、職業も考え方も趣味もバラバラです。とても刺激になるし楽しいんです。

     無職転生は『なろう』の方で長期にわたりトップを走り続けた凄い小説が元ですが、今期は『葬送のフリーレン』がイチオシです。まだ未見であるならお勧めしておきます。魔王が既に倒されていたり、無敵のエルフがいたりと拙作『異世界建築士』と共通した世界観があるなと勝手に思っています。

  • ひきこもりへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ひきこもりについては、本人以外に周囲の気持ちも大きな問題ではないでしょうか。

    周囲の人(たいてい親や家族でしょうが)には、ひきこもり者の将来が不安でたまりません。今、家族のサポートのあるうちに社会になじむ訓練を始めないと、サポートが完全に切れてからいきなりほっぽり出されてもうまくいくはずがないと焦燥感にかられるのではないでしょうか。

    日本の場合、親も子も独立した個人、と割り切ることはなかなかできないですよね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

     ひきこもる理由は色々あると思うんですが、対人関係が上手く構築できない人が多いのかなと個人的には感じています。今はネットで世界とつながれるので、ひきこもりの中にはFXや株式投資などで巨万の富を築いている人もいるでしょう。名うてのハッカーになっている人もいるかもしれません。

     家にいても経済的な問題が無ければ、食事も何も運んできてくれる時代なので、本人が幸せならそう言う生き方もあるのかなと思います。親や家族はひきこもっていても一人で生きていける手段を得られるように誘導してあげるのもありかなと思います。

     ただ個人的には、社会や他者との関わりこそが、人生最大の娯楽だと思っていますので、閉じこもっているのは勿体ないから出てきたらいいのになとは思います。

  • 脳機能の拡張への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    世界最高峰の脳拡張機能者たちが拡張脳(PC)を駆使して密かに闘争を始め、全面的な世界戦争にエスカレートし、あわや地球が吹き飛ぶと思われた瞬間、発電所の爆破によりすべて停止、地球の平和は守られました、一般市民が感知したのは、突然の大規模停電で交通渋滞がひどかったということだけでしたというお話を考えてしまいました。

    上記が笑い話で済まされる程度には、まだ平和なのかもしれません。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます。

     世界最高峰の脳拡張機能者たちであれば、電源もバックアップを持っているでしょうね^^。

     停電は本当に驚きました。でも最近変電所のトラブルでJRが止まったりと、意外とピンポイントでインフラに不具合が出ていたりします。自然発生的に捉えられていますが、誰かが意図的に起こしている可能性も、もうちょっと真面目に考えていいような時代じゃないかと思ってます。

  • 運と縁への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    運と縁、

    「縁は未来を見ているが、運は過去を見ている」

    上記に加えて、縁は目的とする現象をもたらす何かを見ており、運は目的とする現象そのものを見ている、もある気がします。

    黒猫が通り過ぎていった
    「縁起が悪いね」--> 何か悪いことが起きそう
    「運が悪いね」--> 逃げた猫を捕まえられなかった

    みたいに。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     運は起こってしまった事象への評価なので過去であり、縁は起こる事象の要因だと思ったので未来としましたが、『縁が無かった』という過去への評価もあるので、佐藤さんがおっしゃるように、時勢より現象かその要因かの違いに注目する方が適切かもしれませんね^^。

     そう言えば名前ですが、縁とかいて『えにし』、縁壱は鬼滅の刃に出てきました。運乃と書いて『ゆきの』と読めるようですが、ちょっと馴染みが無いですね。かっこいいんですけどね。

  • エサやりと水やりへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    動物の感情だって、刺激が感覚器で受容され、化学・電気信号として伝わり、効果器に作用して感覚をもたらすわけなので、同じようなことは植物にだって起こりえそうに思えます。そのばあい、刺激は何になるのでしょうね。生き物が発する微弱な電磁波なのか、体臭のような化学物質なのか。敵と味方で異なる反応をするのなら、かなり細やかな弁別が必要そうです。また学習と記憶もするわけですよね。ちょっと面白そうです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     ウィルス進化説によれば、動植物間にも共通の遺伝子要素があるという事になりますよね。結構動植物は違うように思えて似たもの同士なのかなと考えてしまいます。

     植物に脳はありませんが、人間の腸は第二の脳と呼ばれています。植物にも何か脳の代替機能があるかもしれませんし、移植手術を受けた人が提供者の記憶を受け継ぐみたいな話を聞くと、脳以外にも記憶の機能を持つ部分があっておかしくないのかなとも思います。

  • 山手線が止まってますへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    自戒を込めて、ですが……

    理系あるいは技術者の待遇の不相応さについてですが、これはまず当人たちがそこに無頓着だったっことが大きいのではないでしょうか。「仕事が楽しいからまあいっか」で済ませると同時に、なんかこれじゃ家族を養えないぞと気づいても、どうしたらよいのかわからない、助けてくれそうな人脈もない、で、八方ふさがりになっているように思います。

    技術者は立場的に弱者になりやすいので、社会がサポートしてくれるというのはありがたいことですが、まずは自分たちが安心して生活していくには何が必要なのか、意識的になることが重要ではないでしょうか? 

    技術者になって、問題が生じてからでは遅いと思います。義務教育で、もっと、社会生活を滞りなく行うための基礎知識を学ばせてほしいですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     ステレオタイプではありますが、理系の人間の方が人付き合いが苦手なタイプが多い様にも思います。社会の現状や下の世代の理系離れに関しては、自分も含め上の世代は責任が大きいんでしょうね。かといって全体主義な日本では個人プレーは難しいところもあります。

     人生振り返って、自分には何ができたんだろうと考える事があります。今、また人生を巻き戻して若い頃からやり直せるとしても、大したことはできなかったようにも思います。

     技術者の待遇の改善には繋がりませんが、若い人の理系離れに対してせめて自分が出来る事というわけで、先日児童向け小説コンテストに「宮廷算術師レン」を書いて応募しました。特殊算の知識を使って、小学生が異世界で活躍するという話です。まぁ落選でしたけどね^^;。いつかまた書ける機会があればなと思います。

  • スマホから聞こえてくる声への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    人間の目も結局はデジカメのようなものですから、「見る」行為を通してしか視覚情報を取得できない私たちが得ている情報は、常にデジタル化されていますね。1100万画素のデジカメの解像度は視力0.6程度に相当するそうです。

    データの圧縮と解凍の話で、おとぎ話を日本語から英語に自動翻訳し、それをさらに日本語に自動翻訳すると、とんでもない物語が出来上がるという笑い話を思い出しました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    人間の神経を使った情報伝達も電気を使ってますからね。個人的には思考や意識というものはもっと不可思議な理屈であって欲しいものですが、近い将来発達したAIが自我を持ったとして、人間とそう変わらない存在になるかもしれませんね。

  • ドラマの原作への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    実写化されたドラマをみて、小説やマンガの原作者はどう感じるのでしょう。オリジナル脚本であれば、イメージと大幅にかけ離れたものが出来上がることは少ないでしょうが、小説やマンガからだと、ほとんど別ものというくらい、変わることもあるでしょうから。

    原作者が「これは私の世界と違う」とクレームをつけたという話をしばしば聞きます。でも非難は賞賛よりもてはやされますから、あてにはなりませんね。本当は原作者の満足度はどのくらいなのかが気になります。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます。

     現在人気の呪術廻戦や鬼滅の刃は完全に原作越えというか、作者もこの完成度には驚いているだろうなと思いますが、一方で今やっているゴブリンスレイヤーなんかは酷い出来です。原作者は辛いでしょうね(漫画は素晴らしい出来です)。

     ワンピースの実写化は、尾田栄一郎氏が自分が監修しない限り許さなかったみたいで、なかなかにいい出来みたいですね。

     私も設計した建物の写真は、カメラマンに撮ってもらうことがありますが、そんな見せ方があったのかと気付かされることもしばしばで楽しいです。

  • やっつけ仕事への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    企業の時価総額ランキング世界トップ10の平成元年版を聞いて若い人が驚くのはまだ害がありませんが、そこそこの年の人が現在版を聞いて驚くほうは問題をはらんでいますよね。

    やっつけ仕事で右から左に処理している人は、、自分の中に美学がないんじゃないかと思います。趣味であれ、仕事であれ、手掛けたからにはひととおりの水準の成果を作り出しちゃるという気概はないんでしょうね。もうそういう考え方がはやらないのでしょう。なぜはやらないのか、それを真面目に考えないといけないかもしれません。

    この美学はプライドとも言い換えられ、適当な成果ばかり出していると、自分自身も卑屈な人間に落ちていきそうな気がします。手を動かす実働部隊であろうと、人を動かす経営陣であろうと、美学は大事にしてもらいたいです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

     やっつけ仕事より、思い入れを持って仕事をした方が楽しいんじゃないかと私も思います。若い営業マンなんかと話すと、冷めた人が多いんですが、あなたの売る商品はここが面白くて、こうしたらもっと面白くなるみたいな話をすると、結構みんな目を輝かせてくれます。気が付いていないだけなんじゃないかと思います。

     日本のトップは人気が無いですね。悪い人だとは思いませんし、優秀で彼なりに一生懸命やっていると思います。でも哲学や美学が見えてこないのが不人気の理由かなと思います。

  • 生まれついての歌手への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    歌って、ところどころ歌詞を聞き取れない(音的にも意味的にも)ものが多いので、あまり歌詞の意味って考えないです。何かの機会に歌詞を読み、文章の意味を把握したら、それ以降聞くようになる感じです。歌い手によって(感情的にではなく)文意の意味の伝わり方が異なるのであれば、それは興味深いです。

    メロディーに乗せることで意味不明になることもありますね。中島みゆきさんの「キツネ狩りの歌」に「ララキー」なるものが出るが、あれは何なのかと一部で話題になっていたことがあったそうですが、真相はなんのことはない。「キツネ狩りにゆくならララ気をつけておゆきよ」と歌われていたのでした。

    日本語は長短や高低アクセントが意味をとらえるうえで重要なので、メロディーとは相性が良くないのかなと思いました。話はややそれますが、なかなか意思疎通の取れない高齢者に、出身地域のアクセントを強調してしゃべりかけると、何の問題もなく会話ができたという話を聞いたこともあります。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     私は学生時代から、所謂ニューミュージックというやつが大好きだったので、歌でも歌詞から入るものが多かったです。中島みゆきさんの「ファイト」なんてまず最初に歌詞ありきですよね。

     個人的には人と話すのは苦手な方では無いと思うんですが、電話で話すのは苦手です。表情やしぐさが見えないと、細かいニュアンスが分からないからです。

  • 邪馬台国と卑弥呼への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    邪馬台国、歴史ミステリーとして寝強い人気がありますよね。当時の巨大な国家だったはずなのに、所在地すらあいまいだということがファンの興味を掻き立てるのでしょうか?

    熱狂的な人がいると、どうもそれに乗っかり切れず、真面目に調べたことがない分野です。豊田滋通さんの『よもやま邪馬台国』がおもしろそうなので、読んでみようかな、と思ったのでした。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     邪馬台国なんかの話を聞くと、記録というものの大切さを感じます。当時の日本には記録を残す方法が無かったので、邪馬台国についても中国の文献から推測する他無いので、色々と確証が持てなくなってます。

     最近知った存在で『神籠石』というものがあります。石垣みたいなものですが、それで囲まれた中心部には建物らしきもの跡が無いので、一体何なのかは良く分かっていません。山城跡という説が有力みたいですが、文献に残ってない山城が、九州北部にはたくさんあるらしいというのは最近知りました。

     山に登っていると、謎の石積みをよく見かけます。もしかしたら…と思うと胸アツです^^

  • 地球にやさしいへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「だから『地球にやさしい』なんて他人の話の様に表現するのではなく、『人にやさしい』にした方がいいんじゃないかと思う」

    常々そう感じてます。そう考えている人も少なくないでしょうに、どうしてこのキャッチフレーズはなくならないのでしょうね。

    「人間も地球にとってそんな存在であると信じてみたいが、果たしてどうなのだろう」

    現在「温暖化」とされている負の側面がすべて人為的なものかどうかはさておき、人間が地球環境に大きな影響を与えているのは確かですね。水深数千メートルの海底にプラスチックごみやマネキンの首を落としたり、これまで存在しなかったフロン類を大気に投入してみたり。また、昨今の気候変動が人間活動の生だとするなら、4000年かけてひとめぐりする海洋深層水の大循環の強度を低下させたり、日本海深層水の酸素濃度を低下させたりもしてます。それらが重要かどうか、それは判断次第でしょうが、有意な足跡はたっぷり刻み込んでいます。

    人間がいてもいなくても、地球は地球であり続けるでしょうが、今の我々が見てわかる程度には異なる変遷を遂げるでしょうね。その程度の影響は与えているんじゃないでしょうか。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     佐藤さんもそう思われてましたか。ですよね。

     日本も昔、縄文の頃は自然と一体になって生活をしていたように思います。縄文の文化を色濃く受け継いだのはアイヌだと思いますが、今度実写化される「ゴールデンカムイ」はアイヌ文化の資料集と言ってもいいほど、深く調べ上げています。未読であれば是非一度読まれることをお勧めします。

     ただ縄文文化をそのまま続けて、農業もせず自動車も無ければ宇宙にもいかない、ネットもないそんな人間社会が楽しいのかと言えば、それはそうとも思いません。難しいところですね。

  • 次元と脱出への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    二文目の「軸が一方向だけの線が二次元」は一次元でしょうか?

    「そう言った意味では意識は光速よりも早く情報の伝達を可能にすると言えるかもしれない」

    これは面白い考え方だなと思います。意識に置き換えることで、情報伝達を(多少精度と正確さを犠牲にして)飛躍的に早くする、とか、何かネタになりそうですね。

    火星と木星のたとえに理解が追いつかなかったのですが、地球(懐中電灯)をa、火星をb、木星をcとしたとき、線分bc>>線分acであれば火星を照らしていた懐中電灯を木星に向け直した時、光速を超えうると考えたらよいのでしょうか? 支点から力点までの距離に対する支点から作用点までの距離の比が超大きいはさみがあれば、二枚の刃先の移動スピードは光速を超えうるのと同じように?

    地球にはすでに宇宙人が飛ばした意識体があふれているのなら、今後地球環境が人間の体にとって壊滅的に悪化した場合、ふっと意識を失う人々が続出する、なんてことになるのでしょうか。そのときにはクマムシに意識体が移転させられたりして。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントとありがとうございます^^。

     ご指摘ありがとうございます。二行目は間違ってましたね。気が付いていませんでした^^;。

     はさみだと火星において物理的干渉(情報を乗せる事)が可能なので、その場合は先端の移動速度は光速を超えられませんね。でも考え方はそう言う事です。

     火星から木星までの距離は、一番近づいた時で6億Kmくらいでしょうか?光速で2000秒くらいですね。もし火星と木星の間に巨大なスクリーンをはったとして、地球の懐中電灯で一旦火星側を照らして現れる光の点を地球上で木星
    まで動かすと、スクリーン上を光速を超えて移動しているように地球からは見えるという事です。動かすのは1秒ぐらいの出来事ですね。実際はスクリーンまで光が到達するのに時間がかかるし、地球からは火星より木星の方が遠いのでややこしいことになります。木星から火星に動かすとした方がいいですかね?

     宇宙人の意識が、地球人類の頭の中にも寄生していて、娯楽を共有している(言い方を変えれば搾取されている)なんて考えたら面白いですね^^。

     

  • 安心と冒険とテリトリーへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    快適な冒険は、テリトリーをきっちり確保したうえでこそですね。親からの愛情をしっかり受け止めた幼児が親の手を振り切ってあちこち動き回るように、帰れる場所があるという安心感がなければ快適な冒険はありえないですから。

    冒険はもちろん危険と隣り合わせなのですが、そこに魅力を感じるよう遺伝子に組み込まれいるのかもしれないですね。危険な冒険で生存のセレクトがかかり、生物種としての進化につながるのかなと思います。

    「時には深い海の底でも同じだろう」

    そうなんですよね。有人潜水艇に乗って深海調査を繰り返す研究者、技術者たち、どうして怖くないんだろうって思います。

    作者からの返信

     おはようごじます。コメントありがとうごいます^^

     この文章は、タイタニックを見に行った潜水艇の事故に際して書いた物です。自分自身、以前は登山に対して『降りるのに登る必要は無いだろう』と言ってました。

     人生は大いなる暇つぶしなので、冒険はもってこいですよね。そうして仕事でも何でも毎日が冒険です。時にはプレッシャーや恐怖も行動の原動力になってくれますが、帰るところがある安心感というのはありますね。

  • 体内時計への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    いつも枕からどんな展開かとわくわくしていますが、こっちにきましたか。体内時計周期の、加齢の、惑星の自転周期の、公転周期。

    生物はその環境で発生し生息を続けているので、体内時計がその環境に影響されているというよりは、もっと直接的に、その環境で有利になるように調整されているのではないでしょうか? 感覚器官が昼光に適した生き物なら、昼活動し、夜休む、となるように。

    この1時間ずれがなぜなのかは謎ですね。自転速度が次第に速くなってきており、体内時計も常に追いつこうとするが1時間追いつき切れていないとか、あるいは体内時計の25時間節は本当に正しいのか、とか。でも、現実には前者は全く逆で、今から一億八千万年後には地球の自転は1時間長い25時間周期になる方向だそうですね。

    「もし環境の変化が殆どないような宇宙船で、何世代にもわたって何千年もかけて外宇宙を航行した場合、人間の持つ体内時計はどう変化していくんでしょうね」

    全ての環境が変化しない状態を作り出すのは難しいですが、光とか温度とか湿度とか、ある特定の環境を一定にした雰囲気下で動植物を飼育することはすでに行われていると思います。そこから類推するに……影響はそれなりに大きく、あまり幸せではなさそうな気がします。やっぱり変化っていろんなトリガーとして大事だと思いますね。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     佐藤さんもかなりの早起きですよね^^。山に登るときは日の光に合わせて行動するので、今の早起き体質はとても便利です。でも、代わりに夜は結構早い時間に眠くなるので、若い頃のように徹夜で何かするなんて事は無理ですね。

     地球の自転速度は確かに年々遅くなっていくので、実は人類を進化させたのは一億八千万年後から来た未来人だったなんてネタも、SF的にはありかもしれませんね。

     長期間の宇宙旅行だと、光なんかで地球の一日を再現するんですかね?それとも24時間監視が必要だから、常に活動状況に置くのか…。人口環境で一日のサイクルを25時間にして、人間の体内時計がどう変化するか研究したら面白そうだと思います。イグノーベル賞受賞間違いなしです。


  • 編集済

    水泳中の妄想への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「水泳は空を飛ぶ感覚に似ているのかもしれないなと思った」

    そうだとすると、空を飛ぶのって想像以上に苦しいのかなと思ったのでした。

    体重(重力)から解放されているわけでもなく、しかも勢い良い空気の流れで呼吸も苦しそうです。人間が空を飛ぶのには、ふわふわのんびり空中遊泳のイメージがありましたが、宇宙じゃないんだから、それはないですね。

    下から大量の空気を噴き上げ、その上で人間を強引に浮かばせるという大掛かりなアミューズメント施設がありましたが、何もせずに空中に浮かばせるにはあれだけの空気の流れを必要とするのかとげんなりしたものです。現在までの知識と技術では、穏やかで簡便な方法で空を飛ぶわけにはいかないそうですね。

    追伸) 木星の主成分である水素は液体水素になっても密度は小さく、70kg/m^3です。水の密度1000kg/m^3の1/10にもなりません。液体になってしまったら密度にそれほどの圧力依存性はないのではないでしょうか? 気体水素ならば、もちろんそれより密度は小さいですよね? となると、浮くのは難しいような気がするのですが……

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

     空を飛ぶのが苦しいならば、鳥は優雅に飛んでいるように見えて、実は必死なのかもしれませんね。

     そう言えば反重力は存在しないことが証明されたそうです。しかし文にも書きましたが木星や土星の様に気体の塊であった場合、水並みの密度の高度まで下がれば体はぷかぷか浮くはずです。

     生きているうちには無理そうですね。

  • 一億年ボタンへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「1000年前って大昔の様に感じてましたが、100歳まで生きる人の人生10回分と考えると、結構最近の事のような気がしてきました」

    発想の転換とでもいいましょうか、そう思えますよね。でも世代的に30世代分と考えると、うーんやっぱり長いかなあと思えてきますね。

    ところで、一億年過ごすにしても、、その過ごし方で時間の感覚って変わってきませんかね? 好きにいろいろ経験しながらの一億年なのか、狭い空間にずっと閉じ込められて苦しい修行を強要されての一億年なのか。後者はあまり想像したくもありませんが。

    作者からの返信

    おはようございます。いつもコメントありがとうございます^^

     ネットで流行っていた1億年ボタンは、狭くは無いものの何もない空間で孤独に修行を繰り返すという感じなので、あまり楽しくは無さそうですね。現実社会であれば色々と変化があって楽しそうなので、1億年でも過ごせそうな気もしますが、流石に飽きるというか死にたくなるような気もします。

     100歳まで生きると三世代分ですか、ギリひ孫と重なる感じですね。ガラパゴスゾウガメの寿命は一説には200年を超えると言われていますが、何世代分いくんでしょうね。人間だったら自分の血筋かどうか、自分自身でもう分からなくなりそうです。

  • 針葉樹と広葉樹への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    針葉樹と広葉樹、樹種ごとに値の深さが違うのかなと思って調べてみましたが、下記のような調査結果が出てきました。きちんとした論文になっているかもしれませんが、そこまでは調べていません。

    https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/siryousitu/pdf/h13_041.pdf

    たったひとつの結果ですが、上記からは針葉樹だからと言って根がより浅いわけではないかもしれないですね。ということは、樹種の違いというより、十三岡繁さまがおっしゃるように、同時期に植えられた影響が大きいのでしょうか。

    広葉樹の植林は、産業として軌道に乗せるのは厳しそうなので、それ以外の活動での植林が必要そうですね。

    くじゅう連山はいつのまにかひらがな表記になったんですね。小学生、中学生のころに学校行事等でキャンプに行きました。懐かしいです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

     樹種によらず単体の根による崩落防止性は、広葉樹も針葉樹もあまりう変わらないという調査結果もあります。深さで言えば成長が早く高さがある針葉樹の方が、同じ樹齢であれば少し深いぐらいじゃないかとすら思えます。問題はやはり時期と密度だと思います。

     野生の樹木は本当に色々です。道端のタンポポと一緒で岩の隙間に凄い巨木が生えていたり、よくそこに生えるなと言った急斜面にも生えています。針葉樹の植林は、あとで切り出すこともあるので、なんというか均一な斜面に同時期に大量に植えられたという感じです(しかも全く同じ樹種)。また間伐をするからなのか最初からなのか、等ピッチで間隔を空け生えています。

     広葉樹は使用用途が限られるためなのか伐採を逃れているものは、樹齢が数百年ぐらいあるようなものも、山には普通に生えていたりします。こういう個体は高さも針葉樹に負けていないので、根もかなり深いと思います(さすがにそういうのは調査できないと思います)。

     更に、広葉樹と一口に言ってもかなりの種類があって成長速度もまちまちです。それが地中の根の複雑さを産むような気がします。なのでやはり植林する場合でも樹種を広葉樹にした方が強そうです。でも本当にその効果が出現するのには数百年はかかるんでしょうね。

     くじゅうは九重と久住が紛らわしいからひらがなにしたんじゃないでしょうか^^

  • 遺伝子交換への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    植物と動物の遺伝子交換、対象がヒトだと実験が難しいですが、その他の動物だったら需要に応じて研究がすすめられそうですね。食糧安定供給策の一環として、光合成できるトリやウシやブタなんて、そのうちできるかもしれません。そうしたら、今度はますますリンの争奪戦が激化するのかな。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    遺伝子組み換え穀物には、動物由来の物も既に使われているとどこかで聞いた気がしたんですが、探してもソースが出てきませんでした。

    家畜に葉緑素が入ると、緑色になっちゃいますよね^^;。体には良さそうですが美味しくなさそうです。人間が光合成できれば食糧問題が解決しそうですが、生産できるエネルギーが動物の消費エネルギーには到底届かなそうです

  • 漫画と映画と物語と建築への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ひとりですべてを作り上げるタイプの創作もあれば、複数人で捏ねあげるタイプの創作もある。音楽のソロとオーケストラの演奏とも似ていますね。

    個人タイプと集団タイプの創作にはそれぞれの面白みがありますが、自分が曲がりなりにもものを書き綴り初めて痛感しているのは、前者は創作者の内面がもろに露わになるなあということです。語彙や文体や用いる言い回し、舞台設定や人物の行動パタン。

    書き始めると読む方もより解析的に読むようになり、作品にあまりに個人がむき出しに投影された作品にたじろぐこともあります。翻って自分の書き物を見直してみると、やはり、うわあと頭を抱えたくなることもあり(昨日頂いたコメントもある意味そうでした)、個人創作におけるバランス加減の難しさを感じています。

    建築士はオーケストラにおける指揮者ですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     建築は一人で完結できないが故に、妥協の産物とか100点の建築は無いとか色々と言われてきました。でも人間も社会も不完全だからこそ面白いですよね。

     私も文を書き始めて思いました。これは怖いなと…。編集者なんかがいてくれれば、独りよがりに突っ走るのは停めてくれそうな気がしますが、今のところ本当に好き勝手に書けます。印税も発生しないので、売れ行きを心配する必要もありません(多くの人には読んでもらいたいですが)。なので佐藤さんの言う通り自分の内面がもろに出るような気がします。

     かなり恥ずかしいですが、でも楽しいです。今「世界を変える運命の恋」中編コンテスト用にプラトニックアースを書いていますが、いくら寄せようとしても全然恋愛ものになりません^^;。

     なるべく色々な分野を書いてみようという事で、学園ミステリーというお題でも書きましたが、更に恋愛ファンタジーとかもう本当にファンタジーです。コンテストでお題に出してもらわなければ絶対に手を出さない分野ですよね。ただ自分と対極にあるからこその楽しさもありますね。

  • 死というシステムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    死を忌避するのは、未経験の死そのものに対する恐怖以外に、その直前までの苦痛が怖いというのがあります。肉体的な苦痛、自分の意思を伝えられなくなる精神的苦痛。

    種の存続のための個の死という考え方は受け入れられなくもないですが、個の生の意義が不明なのと同様に、種の存在に意味があるのかないのか分からないので、それを存続させる異議とは……と考え始めると、なんだかもう、どうでもよくなっちゃいます。

    「人生はしょせん死ぬまでの暇つぶし」というのはしばしば感じるところです。経験できるものは何でも楽しもうというスタンスでいるつもりです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

     佐藤さんは理系っぽいので…この宇宙での原則はエントロピーの増大ですよね。でも生物の進化はその法則と逆行しています。時間が経過し、進化するほどにより秩序だった存在になっていく。個体としての死を甘んじて受け入れる事で法則の外に出る事が出来たんじゃないかと思ってます。でもなんでそうなる必要があるのか?

     昔登山を始める前は、「なんで降りてくるのに登る必要があるんだ」なんて言ってた時期がありました。生物はなんで死ぬのに生まれてきて生きる必要があるのかっていう問いに似ていると思います。

     今は登山が大好きです^^

  • 人口減少への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    人口減少系ラノベ、面白いアイデアだと思います。でも、ちょっと重いかなあ。減少するだけでなく、「その代わりに何か素敵なものが生み出される」がないと、楽しくないですからね、そこまで含めてのテンプレを編み出さないと。

    それこそ、各政治家に自分なりのラノベ風人口減少系テンプレを捻出してもらい、カクヨムでノベライズする企画とかあると、面白そうです(笑)。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    2022年の出生数は80万人を切ったという事で騒がれましたが、2023年はこのまま行けば75万人を切りそうな勢いです(確か前半で37万人)。

    公立中学校なんかで予算が付かずに、雨漏りが放置されているなんてニュースがやってますね。タクシー運転手の年齢制限を80歳まで引き上げるとかSFですね。

    人口減少系小説は短編なら行けそうですね。一人が死ぬ度にヒューマノイドが二体生産されるとか、ゾンビを人口統計に含めるとか…

    社会や経済の問題はブツブツ呟くだけではスマートじゃないので、140字小説に書いたりしているんですが、ネタが多すぎて消化しきれません^^;。

  • 邪馬台国と卑弥呼への応援コメント

    面白い考えですね!
    目からウロコでした。

    半面、邪馬台国と卑弥呼は永遠の謎であって欲しいとも思います。
    邪馬台国の卑弥呼と云う奇跡的なネーミングの妙は、本当にそそられます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^。

    邪馬台国と卑弥呼は語感がいいですよね。そそられます。

    最近学生さんの卒研テーマに触発されて、福岡の水城(なんというか大きい堤とお濠みたいな感じです)について調べているんですが、また新たな邪馬台国妄想に繋がっています。
    https://kakuyomu.jp/works/16817330655273695966/episodes/16817330663709966128

  • 麻雀への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「しかし単純なものが多くて、逆に頭がしっかりしている老人からは、そんなものやってられるかという声も多いようです」

    これは喫緊の問題ですね。施設によっては、簡単な市民講座レベルのイベント/学習会をやるところもあるようで、そういうのも良いなと思います。ただ、うまく企画しないとコストがバカになりません。

    麻雀の知的遊戯としての完成度は確かに高いと思うのですが、それゆえ、高齢になってからルールを覚えるのはハードルが高いですね。目や耳が衰え、記憶力に自信がなくなってくると、新たなことに取り組もうという積極性がかなり失われます。うちの母がそうでした。能力的に、やればできるはずなのにやる気がない、そういう人たちをうまく乗せるのは難しそうです。

    そういう意味では、最後の「今から備えましょう」は、もっと声を大にして言っておくのが良いかもしれませんね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    麻雀は全くやったことがい人が覚えようとすれば、還暦が限界でしょうね。
    中国麻雀は日本の麻雀よりはルールがシンプルなので(フリテンがありません)、まだ覚えやすいような気もしますが、日本では競技人口が圧倒的に少ないです。

    国が率先して中年向けの麻雀教室を開いてもいいぐらいだと思ってますが、どうしても賭け事の影がちらつくので難しんでしょうね^^;。
    今、思い返してみると麻雀や将棋を趣味にしている老人で、頭がぼけた人って見たこと無いですね。政治家が高齢でもぼけてないのは同じなのかも…。

  • 古代核戦争説への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ローマ時代のコンクリート、現代のものと組成が違うということでしょうか?結晶性でなく、三次元網目構造を取れたら引っ張りにも強そうですが、何を原料にしたら? と考えると、思い浮かばない......。今でも研究の対象だとのこと、解明されるとかなり大きな変革がもたらされそうですね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    ローマンコンクリートの秘密は、その材料である火山灰の成分によるところが大きい様です。現在のカルシウム系バインダーではなく、アルミニウム系バインダーを使っているとの事ですが、私にはさっぱり分かりません^^;。

    朝ドラのらんまんにも出てきたように、火山灰をコンクリートに混ぜるというアイデアは昔からあったみたいですが、灰の粒の大きさによっては強度が落ちる事もあるそうで、原理からして違うような気がします。

    現在ではローマンコンクリートには自己修復機能がある事も分かっています。
    例えば細かいヒビが入っても、水に触れるとひびが修復されるんだそうです。
    そうでもないとローマのパンテオンなんて2000年以上ももたないですよね。

    ローマンコンクリートが作れても使うかどうかは微妙ですね。そんなに建物が高寿命化したらゼネコンが商売あがったりです。変な世の中です。変えるべきはまずはそこからですね。

  • モノとコトへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    この一話を読んで、ピカソの絵のことを思いました。あれも、多方面から見た光景をひとつの平面に並べている、という解釈だったと思います。

    昔それを聞いたとき、なんのこっちゃ、と思ったのですが、この建築についてのご解説を読んで、腑に落ちました。

    たしかに、経験はいち方向いち平面からではないですね。だから経験を絵に取り込もうとすれば、確かにピカソのような絵になります。さらには、ある時にはこちら方向から、そのあとは別の方向から見た光景を一緒に描いているということは、一枚の絵の中に異なる時間を閉じ込めているということにもなりますね。

    そしてそれは建築も同じことなのですね。ふむふむ。

    作者からの返信

    おはようございます。こめんとありがとうございます^^

    昔美術の先生から、ピカソの絵は三次元を平面に表現しているというのは聞きましたが、そこに時間も一緒に入れ込んでいるというのは、言われてハッとしました。更に経験という事で感情の動きも入っていると考えると、ゲルニカなんかは見え方が変わってくるかもです。

    ちなみに建築でこの話を色濃くした人物の名は…まだ今は書けないです^^;。

  • 人生ポイントへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    経験量に応じてポイント付与されるのは面白いですね。様々なことに挑戦して経験値を上げていくことって、簡単そうで実はかなり精神力が必用だったりします。ふと気づくと惰性で同じ日々を繰り返すだけになっていたり、ということがありますね。意識してポイント獲得のために(笑)経験を増やさねば。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    昔は人生はプラスマイナスゼロみたいなイメージでしたが、今はマイナスなんかなくてプラスだけなんじゃないかと思ってます。
    良いことも悪いことも楽しめるようになりたいですね。

    先日溜まった楽天ポイントで、新しい眼鏡を買いました。

    編集済
  • 失われた30年への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    爆弾投下のような一話ですね(^^;)

    経済の概念に疎いので、いつも、利益が出るってどういうことなのだろうと考えてしまいます。

    つまり無から有は作り出せない、と思っているので、「何かを生産してそれを誰かが消費して」を閉じた空間でやっている限り、それは単に物が行ったり来たりしてるだけで、利益は生み出していないだろう、と(落語でそれを揶揄した噺がありますね)。むしろエネルギーロスの分だけ、その空間内のものは少しずつ減っていきますよね。

    ええと、だから、国として労働者の給与を上げていこうとしたらどうしたらいいのか、につながるのですが、資源がない国でそれは相当厳しいのが現実じゃないかなあ、と。人材も資源の一つだという考えもありますが、その人材を育成するにも別の資源が必要で、今やそれは破綻しかけてるように思えます。

    先行き不安なことだらけです。

    作者からの返信

    こちらにもコメントありがとうございます。

    閉じた地球上では質量は減っていると思いますが、エントロピー増大の法則に逆行して複雑化させているエネルギーの供給源は、大元となるのは太陽の核融合です。複雑化したものを高エネルギー状態と捉え資源と考えるならば、むしろ資源は増え続けているともいえますよね。太陽光を使った光合成で植物が炭素化合物をつくる。それを分解することで動物は活動エネルギーを得る。化石燃料も一緒です。…植物の存在は太陽エネルギーの貯蔵庫ともいえるんじゃないでしょうか。

    であれば本来は人々の生活は、どんどん豊かになっていくべきなんでしょうね。大局的に見ればそうなっているとも考えられますが、短期的には日本は一人で足踏み状態をしてますね。アメリカだと大工さんの時給は5000円以上です。

    石油などの地下資源がない事から、日本は資源貧国みたいな捉え方がありますが、私は逆だと思ってます。使いこなしてないだけだと思います。特に一番力を入れるべきは潮力発電だと考えています。これは太陽光や風力と違って電気の安定供給が可能です。こちらのエネルギー源は、元を辿れば月の公転運動エネルギーという事になりますね。海に囲まれている日本でこれを使わない手は無いです。

  • 欲望という名の贈り物への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    欲がなければ生物は生き延びていけない、そのとおりだと思います、というかそれは合目的な考えかな、欲がない生物は生き延びられなかった、というのが正しいかもです。

    生きるということはとりもなおさずその欲の取り引きであり、それを”円滑”に行うには、やはり何かを媒介する必要があるので、お金のような存在は必須なんじゃないかなあと思ってしまうのですが、なにか良い代替案はありますか?

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    お金のない時代は物々交換でしたよね。効率よく大量に欲望を実現させるにはお金という概念は非常に便利ですよね。

    仏教の中観思想で、世界は虚無であることを意識しつつも、現実を生きるという話を書いたと思いますが、お金という虚無を理解しつつ、欲望を達成していくという考えで由とするか、その先の解脱を目指していくかじゃないでしょうか?

    全ての人間が量も質も関係なく無償で、労働力でも物質でも提供し合ったら、お金はいらなくなりますね。親子や男女の関係なんて言うのはやや近いのかも…。
    人間には当面無理そうですが、あの世あたりだとそんな感じかもしれませんよ^^

    編集済
  • ジャネーの法則への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    『ジャネーの法則』なんて名前がついていたのですね、初めて知りました。

    「文明の進歩は積み重ねなので、指数関数的に発展する速度は上がって行くものなんだと思ってました」

    ああ、その考え方はなかったです。大きな進歩に引き続くのはより小さな進歩で、さらにより小さな進歩が続き……で頭打ちになるイメージでした。突発的になにがしかのブレイクスルーがあってようやく限界を突破し、また最初の大きな進歩が始まる、みたいな。

    次のブレイクスルー、大天災や戦争にならないことを祈ります(悲観的……)。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    文明というのは積み重ねですよね。現代人が異世界に転移しても一人では車どころか懐中電灯一つ作れないと思います。文字で記録が残せるようになって、いちいち個人がゼロから研究する必要が無くなりました。

     イルカの方が人間より知能が高いなんて噂がありましたが、もしそれが本当であって文字や記録する方法を得ていたならば、人類よりも凄い文明社会を築いていたかもしれません^^。

     次のブレイクスルーはなんでしょうね?精神世界や社会構造にはまだ早いかもしれません。核融合あたりでしょうか?

  • 波動関数への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「しかし高校の授業で習うのは、電子の位置は確率でしか分からないというものでした」

    学習指導要領の違いか、高校のレベルの差か。私は高校ではそこまで習いませんでした。高校の段階でかなり高度なところまで学んでいたのですね。

    「確かにゲームの中の世界は、ユーザーが何かしらをしない限りは、全ては関数で定義された存在でしかありません」

    逆に、ユーザーが何かをすることにより、いろいろなものが確定される、あるいは変化するわけですよね。それがベイズ推定を思い出させました。あれも面白い考え方です。

    俗世で働くにあたり、宇宙観や哲学は、直接関係なさそうで実はかなり深く食い込んでいると思います。それがあるのとないのとで、ひとつひとつの行動にわずかな差が出てきて、結果、最終到着地が大きく変わってくると思います。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    私の通った高校は制度上は大学の付属高校という扱いですが、実際は大学の一部(予科みたいな)という捉え方をされてました。なので先生も教師というよりは研究者みたいな感じで、なかなかに面白い授業を展開してました。しかし私には逆にベイズ推定は聞きなれない言葉です^^;。

    世界は虚無だが、それを意識しながらも現実を生きるというのは、多分どこかで書いていると思いますが、仏教でいう所の中観ですね。

  • 歌という言葉への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    音楽、マンガ、アニメ、小説、どれも表現内容の作りにより、発信者が伝えたいものと受け手の脳内再現とのあいだの自由度が変わってきますが、さらに、それ以外の個人的経験も、侮れないスパイスとして、否応なしにまぶさってしまうと感じています。

    この音楽、誰それさんから借りたカセットテープで深夜に何度も聞いたなあ、とか、このマンガ、紙の手触りとにおいがよかったなあ、とか。作品が差し出してくる情報が淡泊なほど、個人的体験が加味する味わいの比率が上がり、こういう楽しみ方でいいのかな、と不安になることもあります。

    それが最近PC上での視聴や閲覧となり、良い悪いはさておき、また別の調味料に変わってきているのを感じています。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    ここで書いた歌詞の意味が読んでも良く分からないというのは代表例だと…

    一青窈さんの「はなみずき」です。
    あれ、文章読んでもなんのことかさっぱり分からないですよね?でも歌として聞くとすんなりと入ってきます。

    事実なんてものはどこにも無くて、ただ認識があるだけというのが最近思う所なんですが、認識は体験からやってきますよね。
    建築は建物を造るのではなく、体験する装置を作るみたいなことを、20世紀最大の建築家と呼ばれるル・コルビジェが言ってます。
    全て同じなんでしょうね。PCやネットでの体験も然りじゃないでしょうか?

  • ヤマイモとオニドコロへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    オニドコロ知りませんでした。アルカロイドを含むのですね。ハシリドコロという猛毒のものもあると知りました。苦しんで走り回るから、ハシリドコロ、だとか。恐ろしい……。

    森林総研のHPに下記の説明がありました。

    「葉の付き方が、ヤマノイモは互生の部分と対生の部分がありますが、オニドコロでは互生だけ」
    http://www.ffpri.affrc.go.jp/tmk/midokoro/tanhou/7july/onbidokoro.html

    歯のつき方はオニドコロのほうが互生のみ、とされているようです。

    おっしゃるように、自然のものはあいまいな部分が多いので、くっきり分かれてはいないと思いますが、万が一、ヤマイモを掘らないと死にそうな状況に陥ったときに、本当に死んでは元も子もないので、ご確認ください。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

    改めて調べてみると、ヤマノイモは時には互生が混ざるが対性で、オニドコロは互生とありますね。完全に逆だと思い込んでました^^;。

    この文を見て試す人は少ないと思いますが、直しておかないとやばいですね。

    この二種類は枝分かれの仕方とか、ツルの巻き方とか慣れている人なら一目瞭然らしいです。私には無理そうですね^^;。掘らなくて良かった。ご指摘ありがとうございます。
    遭難したら、違う意味で死ぬところでした。

    編集済
  • 量子コンピューターと漢方への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「量子コンピューターと漢方」って、どんな関係が?! と読みはじめ、なるほど、と思いました。

    「理屈じゃなくてまず答えがある」科学にこれは多いですね。有機化学なんてそれの最たるものだと思っています。まず実験ありき(つまり、答えありき)、そののち、それを理屈づけるように反応機構を構築する、と言う流れですから。

    学問は科学に限らず、まずある事象の観測によって問題提起され発展していくことが多いと思いますが、理論を構築していくときどきで、観測とのすり合わせ(答え合わせ)が必要になってきますよね。実験や観測は学問とは切っても切れない関係だと思います。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    全て理論づけて現象を予測するには、世界は複雑すぎると思います。

    理系に限らず社会学や経済学でも同じですよね。いくら予測しても結局はやってみないと分からない。だからやっぱりやりたい事…楽しいと思える事には失敗を恐れずにチャレンジすべきだと思うんです。

    中国発の『八卦』とか『易』はある意味統計学だと聞いたことがあります。理屈じゃなくて過去にそうなる事例が多いから、未来もそうなると予測している…そう言った意味では星占いよりは当たりそうな気がします^^

  • 甲羅干しへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    亀、どんどん増えるのもどうかと思いますが、それはさておき......。

    護岸より上は亀にとって眺められるけれど行けない世界。亀の世界は二次元でz軸方向の広がりは見ることはできるものの、存在しないも同然。実際、たまたま上の道路に上がれた個体はあっという間に事故死しそうですから、その情報を持ち帰って仲間に知らせるものもおらず......。と考え、SFだなあと思ったのでした。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    良く宇宙は、風船の上のアリに例えられます。ほぼ二次元の存在であるアリは、3次元的に球である風船を認識できないので、自分では真っ直ぐ歩いているつもりでも、また元の位置に戻ってきてしまう。

    風船には中心があるけども、アリにとっての風船の表面の中心は全ての場所である…

    思えば人間も世界は平面だと、結構最近まで思っていたんですよね。思考し、探究することで、意識できる世界の形は変わっていくのかもしれませんね。

  • I LOVE インドへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「良くも悪くもそこには泥臭い人間の営みがあって、その文化の違いに若かった自分の脳は震えを感じた」

    インド旅行の感想としてよく聞きますが、これって実際に経験しないとわからないものだなあと、現地に行ったときに通感しました。

    私は仕事の関係でゴアなどに数日滞在しただけで、死にかける経験もなかったのですが、街をそぞろ歩くだけでも、体をつかんで激しく揺さぶられるような緊張感を感じました。生きることの意味にいやおうなしに向かい合わされるような体験だったことを思い出しました。

    「一か月かけてバックパックでボンベイ(現在のムンバイ)まで旅をした」

    一冊本が書けるような体験の連続だったのではないですか?

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^
     
     建築はよく体験しないと分からないと言われます。
     写真を見ても、図面を見ても、実際その場に立って経験してみないと分からないんです。動画ですら同じです。それは建築とは経験する装置を造る行為だからです(これは異世界建築士にもそのうち出てきます^^)。

    インドをはじめ、海外での異文化体験もまさにそうですよね。最近の若い人は海外には行きたがらないみたいですが、勿体ないと思います。まぁ円が安すぎますが…。

    インドでの一ヶ月は本に書き起こせば一冊ではなく、上中下で三冊ぐらいの長編になるでしょうね^^。もしかすると人生で一番濃い一ヶ月だったかもしれません。

    ゴアには行ったことが無いですが、インドのカレーは南に下るほどに辛くなるので、ゴアあたりでも凄まじい辛さだったと思います。

  • 三秒ルールへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    三秒ルールの適用法にも、地面イコール死骸の山説にも、畑の野菜を洗わず食べていいんかいにも、うんうんとうなずきながら読ませていただきました。どう線引きしたものか、悩みますよね。

    消化器官って体外であって、もともと超汚いわけですし、そこに汚いものが少々追加されたって何ら問題ないような気がします。

    とか言いつつ、収穫した野菜を洗わずガブリには抵抗ある派です。有機農法だとか自然農法とかだと、寄生虫が怖いですしね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    そうなんですよ、人間なんて腸に恐ろしい数の細菌を宿しているのだから、外から少々入ったところで大勢に影響ない気もしますが、それでも食中毒とはおきますよね?

    江戸時代に飢饉の時には「土がゆ」と言って、土と水だけで栄養補給していたなんて話があるそうです。肉なんて言い換えると動物の死骸なので、あ、野菜も植物の新鮮な死骸みたいなもんですよね…そう考えると確かに土にも栄養分はあるような気はします。

  • シュミレーション仮説への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    この宇宙がシミュレーションで、そこには無数のレイヤーがあり……と考えると、頭がくらくらしてきそうです。

    でも、そこから他のレイヤーに移動することもできず、俯瞰することもできず、なら、たとえこの宇宙がシミュレーションだと知ることができても、与えられた場所で淡々と生きることしかできないのかな。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    何かと話題のイーロンマスク氏もこの世界が仮想現実でない確率は数十億分の一だって言い切っちゃってますね。

    私は宗教は専門外ですが、仏教には三観という考え方があって…

    空観:まさにこの世は仮想現実で実体はない

    仮観:仮想だろうが現実は存在してるんだから、気にしないでこのまま生きて行こう

    中観:仮想現実だと意識(俯瞰)しながら生きたら、苦しみとか不幸とかも見方が変わって生きやすいんじゃない?

    みたいな感じで個人的には解釈しています。
    (異世界建築士でも最後の方でちょっと触れてます)

    実際のところはどうなってるのか分かりませんが、まだ量子力学とか超ひも理論とかが全くない時代に、よくその考え方に到達できたなと感心してしまいます。

    ちなみに人間が創り出すとすれば、下のレイヤーには意識を移動させる事(プレーヤーになる)が可能ですよね。もしかしたら、将来的には上のレイヤーへも移動できるかもしれません。というか元々上のレイヤーの存在で下(この世界)に降りてきてるだけかもしれないし…^^。

  • 八百万の神への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    これまでごみの放置などがなかったキャンプ場にゴミの放置が目立つようになっていたとのこと、昨今のキャンプブームが原因でしょうか。

    ブームに乗ってやってくる人たちって、何をしに来るのでしょう。「今はやりのキャンプをしているおしゃれな自分」にうっとりしたいのでしょうか。

    ゴミは自分で持ち帰らないといけないことすら知らない人は、究極のセルフサービスであるキャンプなんて、実際、楽しめないと思うんですけどね。

    作者からの返信

    こんにちは。コメントありがとうございます^^

    本当にどういうつもりなのかさっぱり理解できません。

    しかしあの国も日本の数十倍のトリチウムを海に流しているくせに、海産物の輸入禁止とか全く理解できません…あ、政治的パフォーマンスだからそこはまだ理解できますかね^^;。

    編集済
  • 十坊山への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「まむしの湯」とはまたなかなかどきどきさせる名前ですね。まむしがよく出るんじゃなかろうか、湯の中に、ぽとん……とも思ってしまいます。

    「山は古来から地域の信仰の対象であったんでしょう」

    そうですね。そのことも、平地の町よりも古いものがよく残る理由のひとつかもしれませんね。子供のころ山で古銭を見つけたことを思い出しました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。
    山に行けばまむしはそこら中にいますが、流石に温泉場には出没しません^^;。
    山の尾根道というのは地形から決まったルートなので、100年前どころか1000年前も一万年前もそこにあり続けています。背振の山岳信仰も数千年前からあったんじゃないかと言われています。

  • 異次元のIT音痴対策への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    銀行、郵便局、役所の窓口など、ころころとやり方が変わるので、すでにもう、この一話のころと状況が変わっているかもしれませんね。

    サービス授受の双方に最適なやり方を模索しているのはわかりますが、あまりにも頻繁に変わられると、げんなりします。

    某メーカーのカタログ請求フォーム、笑うに笑えない事例でした。似たものをよく見ます。FAXを使うこと前提だけど手書きだと読みにくいってことね、と流すようにしています。よく言えば、多様性?

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    FAXは多分社内で稟議にまわす際に、紙出力の手間を省きたいとかそう言う事じゃないかと思います。紙出力なしで稟議にまわせればそれがデジタル化だと思うんですが、偉い人ほど歳をとっていて、ついていけない人がまだいるんじゃないかと予想します。

    最近の学生さんとかは、スピーチの時もメモではなくスマホをチラ見しています。世代間格差が凄いですね^^;。

  • 芸術は長く人生は短しへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ものとしての文化、こととしての文化、面白いなと感じました。

    ただ、本質は「こと」であっても、現実的には「もの」が媒介するからこそ、存在させられているのも多いのかなって思います。

    文章は「書籍」「PC」「タブレット」のなかに、音楽は「楽譜」「CD」「どこぞの記憶媒体」のなかに。文字という概念も、それを書き残す岩や羊皮紙や紙がなければ、伝わってこなかったわけですし。建築なら、各時代の様式という「こと」が実際の建築物である「もの」」として残っているとも考えられるのかなあ、と思ったのでした。

    「福岡城さくら祭り」のように、「もの」が消えたときに「こと」がいかに伝わっていくか。興味深いですね。

    磯崎新氏のお名前が出てきて、ちょっと嬉しくなりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^
    コトには物理的な実体が無いので、具現化してモノになっているというのはその通りなんですが、建築の本質はモノでは無くてコトなんだよという事を若い人に伝えたくて、ラノベの形を借りて『異世界建築士』を書いたのがネット投稿の始まりです。

    私の登山仲間の一人は磯崎氏の孫弟子です。私自身も同級生の結婚式でお会いしたことがあります。氏の設計した博多駅前の某銀行ビルが解体されるのは本当に悔しかったです。だからちょろっと『なかしま君となかじまさん』の『七夕』にも嫌味を書かせて頂きました^^;。

  • 生と死とへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    死については、ときおり、自分の中でそのとらえ方がどう変わってきたかを見直します。

    身近な友人が亡くなり始めると、死について考え始めますよね。私は同級生の突然死という訃報に初めて出会った三十歳の時に、死がぐんと身近になりました。祖父・祖母に続き、伯父・叔母が亡くなり、父母が亡くなった今、さて、そろそろかな、という心構えをするようになりました。

    かつては、死にあたり、身辺をいかに整理しておけるかということに不安を感じていましたが、今では無になることそのものにも、不思議を感じます。そもそも人間の意識とはなんぞや、ということに始まり……。

    巨視的な系に対する量子力学……うむむ、難しいです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    量子力学は本当に興味深いですよ。
    理論的にどうこうというよりも、実験したらそうなってしまうという八卦占いみたいな現象です。後追いで理屈を考えている感じがします。

    しかしその結果を見ると死生観が変わりました。
    昔は私も死=無みたいなイメージがあったんですが、人間の意識というやつは結構ややこしい代物だなと思い始めています。

    観察する=意識にあげるかどうかで、物理現象の結果が変わってしまうというのはアインシュタインもビックリでした。理屈は分からなくてもそうなってしまうんだから仕方ないです。

    最新の物理学を学んでいる人の中には、死というものは存在しないんじゃないかと唱える人まで出てきてます(死という意味の捉え方にもよりますが)。

  • バランスへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは! エッセイにお邪魔させていただきます。

    「せせらぎという言葉は本当にこのせせらぎを表現するにはぴったりな言葉だなと感じる」

    はっとしました。確かに……。さらさらと言うよりは粘性があり、ちゃぷちゃぷと言うよりは流れがあり、せ、せ、ら、ぎ、という音はせせらぎを見事に表現しているのだなと思いました。面白いです!

    作者からの返信

    おはようございます^^コメントありがとうございます。
    エッセイの方は思いつくくままにかなり馬鹿な事も書いていますので、骨休みの時にでも読んで頂ければ幸いです。

    日本語って難しいですけど、本当に素敵ですよね。同じ事象の表現でもものすごい数があります。それぞれに微妙なニュアンスの違いもあって実に繊細です。

    名は体を表すといいますが、日本語の場合固有名詞だけでは無くて、動詞や形容詞にも言えるんじゃないかと思ってます。

  • 生と死とへの応援コメント

    そんな時は私が自作曲で歌う般若心経でも聴いて見て下さりませ!
    https://www.youtube.com/watch?v=viAictQ380c

    仏説魔訶般若波羅蜜多心経!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。動画拝見しました。
    面白いアプローチですね^^。

    個人的には仏教は宗教というより哲学に近いと思っています。
    そうして最近では物理学との類似点が多くて、科学とは別の視点で人間が真理に近づくための手法を説いているように感じます。

  • バランスへの応援コメント

    キャンプ等で景色が良く、夜空の暗い場所に行くのあれば、
    簡易な天体望遠鏡を持っていくと楽しいですよ。
    口径8cmくらいのアクロマートレンズの望遠鏡なら、
    質の良いものが架台込み5万くらいで入手出来ます。

    それでオリオン大星雲や2重星団、球状星団、アンドロメダ大星雲、
    土星の環や木星の大赤痕とかも見れますから、
    より一層楽しいキャンプになる事請け合いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^。あの満点の夜空を天体望遠鏡で眺められたなら最高でしょうね。
    この文を書いたキャンプ場に行くには山を登らないといけないので、ちょっと望遠鏡の持参はハードルが高いですが、アクセスのいいところに行くときは検討してみようかと思います^^。