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  • マイノリティへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    異性の好みは個体の生存および種の継続にかかわる要因で、飲食の好みはより短期間の個体の生存にかかわる要因なので、後者のほうがバリエーションが狭くなりがちなのかなと感じました。塩味、苦味などは短時間で個体を死に至らしめる毒の味でもあります。でも、実際は、味に対する固執が一番大きいのかなあという気がしなくもないですね。

    作者からの返信

    こちらもコメントありがとうございます^^

    飲食の好みに関しては、元をたどれば毒の存在とか体への良し悪しとかが、好みというものに形を変えて脳にインプットされたものだと思うんですが、それが世代を超えて受け継がれるというのが凄いです。遺伝子レベルで味の好みはベースが備わっているということですからね。もっと遺伝子解析が進めば、地域による食生活や味の好みの違いについても、面白いデータが出てきそうな気がします。

  • 風邪への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    風邪ってざっくりした病名ですよね。人によって症状もさまざま。ちょっと調子の悪い状態を風邪と称しているんじゃないかと思ってます。多くの原因を包括していれば、完璧な治療薬ができないのもうなずけます。
    生物としての種全体からすれば死というのは進化を促し、多様性を保つための優れたシステムであるとのことですが、増殖や繁殖がとどこおりなくできれば、あえて死ななくても、多様性は確保できるんじゃないでしょうか。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    風の原因菌とウィルスは大きく分類しても200種類ぐらいあるらしいですね。これに亜種を加えると凄いことになります。それがまた日々変化しているのだから、人間の免疫力以外対抗措置は無いように思います。

    元々生命体には寿命というものはなかったみたいですね。今でもヒメクラゲのように永遠の命を持つ動物はいます。しかしほとんどの生物が進化の中で獲得した機能なので、それが環境適応には有利だったのでしょう。もし死というシステムを得ていなければ、生物はまだ海から出てきていなかったのかもしれませんよ^^。

  • 幾億年への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    以前は自分の生きた証をいくらかでも残すことに躍起になっていましたが、いまでは、自分が生きている間にその承認欲求をいくらかでも満たせれば、死後はどうでもいいと思うようになりました。
    宇宙には別の知的生命体からの情報が発信されているのかもしれませんね。宇宙のどこかの星で書かれた物語の信号なんて、ロマンだなあと思いますが、時空間的にも心象的にもあまりに遠くて、想いをはせるのが難しいです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    佐藤さんもネットで小説を公開した瞬間、既に歴史に痕跡を残しちゃってますよね。

    ちょっと古いですが、劇場版の超時空要塞マクロスでリン・ミンメイが歌うのは、50万年前の異星人の遺跡から発見された、当時の流行歌という設定です。

    地球上で使われている信号電波は、微弱ながらも外に漏れ出ているので、解析能力に優れた異星人であれば、既に捕捉しているかもしれませんね。映画『コンタクト』がそんな話でした。ナチスのオリンピック中継の電波を捕捉して、異星人が地球にコンタクトしてくるんです。

    物語はいいとして、熱湯コマーシャルとか、ひょうきん族とかの電波を受信した異星人は、あれ見てどういう感想を持つんでしょうね^⁠_⁠^

    編集済
  • 陥没事故への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    最近の定期借地権のマンションは、「さら」にして返還するという契約上、販売時に取り壊し時の費用も込みになってるんでしょうね。そういうシステムはこの問題の解決策のひとつになるのかと思います。
    すでに建ってしまっているものについては……下水管がそうであるように、倒れて甚大な被害が出て、ようやく社会が重い腰を上げるのかもしれませんね。たいていの人は、何かに巻き込まれてしまうまでは「自分は大丈夫」と考えてしまうものですから。

    作者からの返信

    こちらもコメントありがとうございます^^

    定借のマンションなんてものがあるんですね? 建築業界の人間なのに不勉強で全然知りませんでした。タワマンもそういった形態のものはありそうですが、リッチ層が購入するのであまり人気は出ないような気もします。

    個人的には長期修繕費用と同じく、タワマンは解体費用も積み立てないといけないんじゃないかと思います。やたらお金がかかりますが、それでもタワマンがいいという人だけが住んだらいいのかなと思います。

  • もやもやへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。その後もやもやはいかがでしょうか?
    ほぼ同年代だと思いますので、絶えることなくぼんやり感じる不安というか落ち着かなさというか、それは理解できます。でもそれとは原因が異なりそうなもやもやを、さらに感じ続けるというのは、ちょっときついですね。習慣的にやっていたことができなくなるという、ちょっとした日常の変化が大きく精神に影響を与えちゃってるのですかね。上手なもやもやそらしを早めに編み出せますよう。

    作者からの返信

    こんばんは コメントありがとうございます^^
    金土日の三連続授業が三連チャンで入っていて、山どころか休みすらありません・しかしそれも今日で終わりました。来週から……確定申告の準備です^^;。
    当分もやもやは続きそうです。

  • 痴漢行為への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    痴漢行為の原動力はコミュニケーション欲ではない気がします。コミュニケーションを取らせてあげると巡り巡って解決に至ることもあるのかもしれませんが、即効性のない手法じゃないでしょうか。どちらかと言うとスリルによる快感を得ることのほうが近いように感じます。ただし、自分の想像に基づいているだけですが。

    相手を触るだけでは自分に肉体的な快楽がないというのも、疑問です。夢精には接触なしで発生するのもの多いのではないでしょうか? 自分が快感を得たいのになぜ「触ってもらう」でなく「触る」のかについては、支配欲の強さじゃないですかね? もちろん男性がみな相手を支配したがるとは思いませんが。

    露呈すれば身の破滅というギリギリの状況下で禁じられた行為を行うというスリルが強烈な快感につながるのかなあと思っていて、だから「同様の快楽物質を脳内に流してやれば痴漢をする必要は無くなるのだろうか?」については、無くなるんじゃないかと思っています。

    ……というように、想像に想像を重ねるのはとても危険ですね。現在の研究ではどのような解釈になってるのでしょうね。

    そして痴漢をこれまで一度も目にする機会がなく、それが社会問題になる地域もあるのだというのが、いまだにぴんときません。博多では多いのでしょうか?

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます。

    単にスリルに対する快感という事であれば、万引きと同様という事になると思うんですが、痴漢行為は男女逆というケースが物凄く珍しいですよね。それは性差による肉体的な強さや、支配欲の違いという事になるんでしょうか?

    福岡でも痴漢はあるにはあると思いますが、東京圏の電車の混み方は異常ですからね。満員電車でないと、なかなかその手の事はやりにくいんじゃないかと思います。私の場合通勤時に公共交通機関を使ってないので、実態はよく分かりませんが……。

    朝から書くのも何ですが、夢精に関しては夢の中でそう言った快楽が発生しているわけで、夢を見ている間は現実との見分けは付いていないので、脳内では同様の快感物質が分泌されているのではないでしょうか? そうして夢精でなくとも、若い男であれば全くの接触行為もなく射精する事が可能かと思います。それに関しては完全に精神的なものですね。

  • 鉄腕アトムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    知能が物事を理解したり判断するちからだとすると、経験して記憶してそれを思い出すことができれば知能があることになります。それって、脳(頭)がないいわゆる下等生物でもできることで、となると頭脳は知能に含まれるんじゃないでしょうか。つまり頭能⊂知能?
    知能と言えばまず粘菌のことを思い出しますが、電子研がこんな(↓)ことを研究していたとは知りませんでした。
    https://www.brh.co.jp/publication/journal/034/resarch_11

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    脳を持たない生物の行動は知能と捉えていいんですかね?化学的な反応は知能ではないですが、ウィルが増殖するのは知能?プリオンが蓄積するのは知能じゃないですよね。記憶というのも脳だけの話でもないようですし、線引きが難しそうです。

    粘菌の迷路実験の話を聞くと、量子コンピューターを思い出します。これって私の中では似たようなものじゃないかという印象です。詳しい人が聞いたら怒られそうですが^^;。

  • 責任への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    おかしなことって、改めて周囲を見渡すといくつも見えてきますね。完璧な世界なんてありえないから、当然ですが。
    怖いのは子供のころからあり続けたものは正しいとしか感じられなくなることですね。よほど意識的でいないと、それを前提条件として物事をとらえようとしてしまいます。いつになっても、「あれ?」と思える感性を保てたらよいのですが。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    正しさというものも時代によって変わってくるので、完璧というものはあり得ないですが、変わっていけないというところが、問題だし怖いと思います。

    日本の教育では、とにかく既定の物に従え逆らうなと、繰り返し繰り返し刷り込んでいるような気がします。小説というか、アニメでも漫画でも物語の創作というのは、受け手の意識を変化させるという意味で、物凄く力強いコンテンツじゃないかと思ってます。

  • マネーへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    社会の向かう方向が常に一方方向ということもないんじゃないかと最近思います。ある技術を手に入れても、それを保持しつづけるエネルギー的・人的コストをかけられないなら、自然とそれを手放すこともあるんじゃないでしょうか。変化に見えていたけれど少しだけ巨視的に見れば変動でしかなかった、意外とそんなものって多いんじゃないかなというイメージがぬぐえないです。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^
     社会の進化は生物の進化と一緒で、ある程度まで行くとより進化したほうが優れているというものでもないし、退化もまた進化の一部分なのかなと思います。

     但し科学技術は違います。技術は積み重ねだと思います。そういった意味で文字の発明は革命だったと思います。世代や時代を超えて、技術や知識を積み重ねていけます。一旦放棄したところで、記録は残ります。社会進化が限界点の中で、技術だけが進化を続けていく……どうなってしまうんですかね?

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    ジャネーの法則についてだれか検証してないのかなと思ったら、こんな実験報告がありました。

    https://behavior.hus.osaka-u.ac.jp/2017/01A13004.pdf

    まあ、そうそううまく実験なんてできないのでしょうが、最後の実験結果から得られた「焦りは余計に人を追い込み,楽しみは時間を長く感じさせる作用がある」は少し面白い知見かなと思います。楽しみを感じやすい人が時間を長く感じられるのか、時間を長く感じられる人が楽しみを見出しやすいのかははっきりしないので、「物事を前向きにとらえるようにしたら時間が長く感じられるようになる」と言えるかどうかは怪しいですが。

    ただ、この結果から、恋人と過ごす時間がもしも楽しいのなら、時間を長いと感じる、つまり時の進みが遅いと感じることになります。誰か検証しないかなあ。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    報告は読みましたが、この手の話は実験で検証するのは難しいですよね。年齢に関係なく、ある一定の瞬間での時間の流れは、感覚的には一緒です。でも振り返ったときに違うものだと感じられるってところじゃないでしょうか?

    恋人と過ごす時間は楽しいので、長くではなく短く感じるんじゃないですかね?ユーミンも『ためらい』の中でそう歌ってます^⁠_⁠^。

    人生は長い方がいいとも思いませんが、有意義に過ごしたいのであれば、老いた時程新しいことにチャレンジしたり、旅行に行ったり、恋をしたほうが良いのかなと思ってます。

    編集済
  • 無駄への応援コメント

    こちらを読みまして『蟻の集団の中で、働かない蟻は二割』を思い出しました。
    働かない二割がいて、それで集団の秩序が維持されているなら、無駄は無駄では無いと思いますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^⁠_⁠^
    2-6-2の話ですね。アリの場合は余力を残す事で、緊急事態に備えているみたいですが、人間の場合はその2割から将来社会に影響を与えるようなものが生み出される、なんてことがあるような気がします。

  • 底が抜けるへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    なるようになる、としか言いようがないですね。餓死者が出ていないかと言われると、社会の底に押しやられた人々の中ではもう出ているでしょう。自分の身近な生活水準層にその危機が及んでいるかどうか、なだけのように思えてしまいます。
    勤勉に働くことはその人たちが属する社会層の豊かさを担保するものではないと思っています。そもそも日本人が勤勉かと問われると、それも怪しいです。
    「行きつくところまでいかないと駄目だ」の「行きつくところ」がどこなのかは確かにわからないですが、もう、それぞれが最低限の自衛をしつつ、なるに任せるしかないのかなあ、と感じますね。
    つくづく暗い意見ばかりですみません……

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    確かになるようにしかなりませんね。
    しかしこのところスーパーに行けばジリジリとすべての価格が上がっていて怖くなります。年明けがやばかったです。白菜が半分で400円とかでした。

    日本人は勤勉というか真面目な人が多いなと私は感じます。時間通りに電車が来る国なんて日本以外にはないんじゃないでしょうか? 日本にいるとそれが当たり前になるので、海外に行くとギャップがすごいです。ま、九州はその中にあっても独特ですが^^;。

    なるようになるの『なる』が、いい方向での『なる』だといいんですけどね。もっともいいも悪いも人によって違うので、やはりなるようにしかならないですが。

  • 無宗教への応援コメント

    私の知る小さなお寺は、不動明王の像と神棚が隣にあってビックリしました。

    『ヴィンランド・サガ』を読むと、当時の戦士たちは彼らが信じた神の下に行けたのか、などと考えてしまいますね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^
    お手の境内に神社があったり、山の神社だとお地蔵さんが置いてあったりと滅茶苦茶ですよね^^

    『ヴィンランド・サガ』は最初の方しか読んでませんが、ヴァイキングだからクリスチャンなんですかね?北欧神話の立ち位置は日本の神道なんでしょうか?

  • 火の鳥への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    NHKで『火の鳥』のアニメを放送し始めたのですね。名作と称されるものは時代を超えて愛され続けますね。制作当時の風俗や慣習が織り込まれ、技術による制約などがあっても、その根幹をなすテーマが普遍的だからということでしょうか。
    でも、常にそのような大スペクタクルに触れていたいという気持ちにはならないんですよね。もっと気軽に楽しめる娯楽小説やアニメだって好きで、そういうものにだって存在価値はあると思います。永遠のベストセラーといえば聖書ですが、それ以外にも短期間鮮やかに輝く小説はたくさんあります。それくらいの小説は、書いてみたいなあって思います。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    確かに火の鳥は壮大な物語なんですが、一人一人のキャラクターの心の動きなどは日常を題材とした話とも共通……相似関係にあると思うんです。
    そのあたりは銀河鉄道999にも共通しているような気がします。

    まぁ個人的にはSF好きって言うのがあるんでしょうね。
    コメントを頂いて思ったのは、物凄く日常的なシチュエーションの話で、実はSFっていうのもありかなって感じです。

    例えば1秒間だけ時間が止められる主人公とか(ほぼ役に立たない)、1000年後の地球のごく一般的な家庭の日常をただただ描いていくとか……こういう小手先のアイデアに走るから、私には深みのある人間劇が書けないんでしょうね^^;。

    とにかく漫画でもアニメでも火の鳥シリーズは一度目を通されることをお勧めいたします(既にいくつかはご覧になっているとは思いますが)。

  • 量子AIへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    人によって感じ方が違うからお笑いをAIにやらせるのは難しいのではということですが、無数にあるネタのなかに大多数の人が笑うネタというパタンは確実にあるわけで、意外にあっさり芸人並みになれるんじゃないですかね。個人の知識や思考パタンや好みなんかも、情報取集して学習するのはお手の物でしょうから、そこに潤沢にコストを投入できるなら、個人の笑いのツボを押さえたAiなども遠くない将来登場するんじゃないかと思います。
    老人用におしゃべりする人形やぬいぐるみがありますが、これまでは玩具の範疇を出ないものでした。個人に合わせた会話が可能になったら、これは介護施設で重宝されそうです。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^
    お笑いAIはどうでしょうね。プロの芸人がやるネタでも、同じネタでもうけるときと受けない時があるようなので、そこのラインは結構微妙かなと思います。最もこれは現段階での話なので、量子AIが実用化されればどうなるか分かりませんね。
    私は量子コンピューターは、実験装置みたいなものだと思っています。過程や理由はともかく、とにかく条件を入れたら正解が出てくるような感じです。だからもしかしたら笑えるネタも書けるのかも^^。

  • やめどきへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    仕事の引退に関して、自分の心の中でいつどのように折り合いをつけるかは悩ましい問題ですよね。でも、悩む一番の理由は、人から自分がどうみられるかを気にしているからではないでしょうか。他の人に迷惑をかける面がないわけではないでしょうが、本当にダメだと判断されれば解雇されたり、顧客やファンや仕事が自ずと減ったりするでしょうから、実は当人は気にしなくてよいのではないかと思います。だいたい、かなりの数の人が、老後(死ぬ間際まで?)働かないと生活できない時代にまもなくなるのではないでしょうか。
    だから我儘になり、むしろ食らいつけるだけ食らいついておくという覚悟でもいいのかなと最近思うようになりました。
    年金でのんびり余生を送れていた昔なら、これは老害なのでしょうけどね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^
    アスリートや芸術家であれば、やれるだけやるという事でもいいのかもしれませんが、特に我々の職業だとそれは難しいような気がします。理由は大きく二つです。

    まず動かしている額が収入に対して大きすぎるのです。ミスを犯せば一発で破産する可能性があります。もちろんそのために保険に入っているんですが、特にここ十年位で業務が複雑化して、多岐の責任が生じる可能性が多くなり、全ての保険オプションをつけると物凄い額になるようになりました。住宅設計などは料金が安すぎて事業として成り立たないでしょうね。ミスを犯す確率が上がれば怖くて仕事が続けられません。

    もう一つは人命を預かっているからです。お医者さんなんかが分かり易いと思いますが、誤診したり手術を失敗すると人命にかかわります。設計もミスがあれば地震や火災時には、依頼主の命を危険にさらすことになります。これはお金の問題ではありません。

    ただもちろん経済的にはなんかしらはしないと生活は成り立たないので、勤める会社は無くとも転職するという事になるんでしょうね^^;。

  • 海上農園構想への応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    すでに水問題は現実のものとなっていますね。そこに食糧問題を絡めるなら、淡水化と耐塩性獲得とどちらがコスパが良いのでしょう。遺伝子操作には抵抗がありますが、それをやるなら、いっそ耐乾性も獲得させたらいいですね。大気中の水分だけで生育できる植物とかどうでしょう? あと、耐低栄養性も必須ですね。リンも今や争奪戦ですから。
    絵面的には洋上プラントに緑の高等植物がびっしり生えている方がかっこいいですが、実際は海水での藻類培養のほうがコスパ良さそうな気がします。遺伝子操作するにしても簡単だし。必要なのはうまい加工技術を見つけることですね。

    作者からの返信

    おはようございます^^ 藻類って品種改良したら野菜や穀物に匹敵する存在になり得りますかね? なんかたくさん食べたら腹壊すというイメージです。

    アメリカ大陸では、淡水は溜まるより速いスピードで使っちゃってますから、そのうち水を巡って戦争になる様な気がします。
    福岡市では以前の渇水を教訓にして、海水から淡水を作り出すプラントも稼働していますが、とんでもないコストがかかっている様です。中東だとオイルマネーで普通に淡水化施設を運用しているみたいですね。

  • 相対への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    > よく中世までは宇宙が地球を中心に回っているなんて事を信じられたものだと思う

    いや、むしろここまで何が何だかわからない状態ならば、もう地球を中心に回っているでもいいような。と思っていたら、そういうまとめになっておりました。みんなが中心。ちょっと投げやりな気もしますが(^^;)

    運動を感知できるのとできないのの差はどこにあるんでしょうね。乗っかってる運動体の規模でしょうか? 巨大な閉鎖式ジェットコースターなら、急降下や急旋回も感知できないのでしょうか。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    等速運動をしている者同士だと、運動しているかどうかは全くわかりませんよね。というか運動していないとも言えます。加速度だけは感知できますが、これも重力と見分けがつかない……。

    スピードだけでなく運動方向の変化も加速度なので、地球上では場所によって重力が違ってきますが、重力が大きいほど時間の進み方は遅くなるので、場所によって寿命も変わるということですね(実感は難しいでしょうけど^⁠_⁠^;)。

    時間の進み方も相対的だというのは、なんかちょっと怖い感じもします。

  • 人類の特異性への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは、
    衣服は、もともと気候的に不要で、着ていなかったのではないでしょうか。そこから移動を余儀なくされた者たちがより過酷な環境下、必要に迫られて着るようになったんじゃないかと思います。
    じゃあ、衣服が不要な環境下で生活するようになったら着衣の慣習がなくなるかというと、これも疑問です。今は衣服の目的は体温調節だけではないですよね。化粧と同様、身だしなみだとか、おしゃれだとかの意義で「着飾る」ことはなくならないのではないでしょうか?

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    今は人類という線引きはどこでしているんでしょうね?以前の二百万年という線引きであれば、その半分以上は裸でいたぐらいなイメージでしょうか?これは体毛が薄くなったという、肉体的な変化も大きな要因だったと思います。

    現在の着衣という習慣は、着飾る、お洒落する等の文化的側面を持ちますが、入れ墨の習慣と一緒で、必要性に迫られない文化や習慣というのは、長い年月を生き残るのは結構難しい様な気がしています。とは言っても人類が全く衣類が要らなくなるほどの住環境を創り出すのは、地球上では難しいかなとも思っています。恒星間を旅するような、何万年も先の話でしょう。その頃は性別も意味をなさなくなっているかもしれません。

  • 人間を最も多く殺したものへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    風邪って実態がつかみづらいですよね。特定のウイルス性疾患をのぞいたウイルス性の病気はぜんぶ風邪って称してるんじゃないかと。小学生のころ、冬場に毎朝「風邪気味の人」に手をあげさせて人数把握していましたが、いつももやもやしていました。
    老人が長生きすれば進化の速度を緩める方向に働くかもしれませが、そこに良い悪いを絡めるのはやや危険なかおりがします。ところで、多様化が種の存続の可能性を上げるとよく言われますが、人間の歴史を見てみると、純化とでも言いますか、多様性の排除のほうに向かおうとする事例が多いように思えて面白いです。
    寒くなるにつれ、乾燥も進んできました。どうぞお大事になさってください。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    風邪の方は大分症状が治まって、後は咳が出るくらいです。私は前から人間の設計耐用年数は50年くらいかなと思っています。殆どの人はそれを超えて生きていますが、原発みたいなもんですかね。かと言ってあえて自殺しようとは思わないし、親にも長生きしてほしいです。

    寿命を超えた生存は、生物の進化としてはマイナスでも、もうこれ以上人間は肉体的に進化しなくていいんじゃないかと思っています。多様性という意味であれば、精神的な部分で十分多様化してると思いますし、精神的な進化というのは、肉体とは別に起こるような気がします。

    現在様々な感染症が流行しているようなので、年末年始に向けて佐藤さんもどうぞご自愛ください。

  • 機械の為の建築への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    データセンターはこれからも増えていくんでしょうね。データセンターはその存在に不思議な気分になります。今の世界が成り立つには、こんなにデータという目に見えないものが必要なんだなあと。
    安定した地盤のうえに飾り気のない箱ものが立ち、空調がいき届いた建屋内にはサーバーやネットワーク機器がひしめき、静かに稼働している。SFの世界ですね。いや、フィクションじゃなかったですね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    マシーンには酸素が必要ないし冷却に海水を使えるので、海底や深海にデータセンターを作るみたいな構想を聞いたことがありますが、そうなってくるともう完全にSFですね。そのうち保守メンテも人力が必要無くなるのでしょう。

  • ドライバの更新への応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。

    > たまには昔の様に手動でメンテナンスをしてみるのもいいのかなと思いました。

    これは私もそう思います。やってみようと心掛けることは物事の成り立ちを知るうえで重要かな、と。
    ただ、挑戦してみてできるかどうかは別問題ですね。ブラックボックスがさらにブラックボックスに入れられ、それがまた……と物事の進化は複雑化と見かけの簡易化が縄をなうように進んでいくと思います。いま、開けて理解できるブラックボックスも、いずれはどこにあるのかわからないくらい深い階層にもぐってしまうのではないかなあと感じます。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    以前は自分でパソコンも組んでいて、OSもドライバも自分でインストールしてました。ネットワーク組むにもIPアドレス自分で振って、なんやらかんやら難しかったです。今はなんでも自動ですよね。でも逆にブラックボックス化してしまって、トラブルが起きても対処できません^^;。
    仕方ない事だとは思うんですが、もうAIに全部やってもらいたいです。

  • 自動車とアニメへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    あたりまえのことですが、生きている限り人生は続くもので、日本人がいる限り日本も形を変えながらありつづけるのでしょう。
    話がやや脱線しますが、チェコ(スロヴァキア)では人形アニメが盛んに創られています。もともと社会主義時代に言論統制への対抗手段として人形劇が人気になり、いまではコマ撮りの人形アニメが芸術的なレベルで作られ続けており、その技術を専門的に学ぶ場所もあります。日本人も勉強しにいっているようですね。川本喜八郎なんて、良い例だと思います。
    https://files.city.shibuya.tokyo.jp/assets/12995aba8b194961be709ba879857f70/c0079f62b09e4223997bd06bfbdf1096/assets_shisetsu_000065416.pdf
    だから何だということもないのですが、他の国にもちょっと似たような事例があるのは面白いし、目を広げてみるのも楽しいです。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    今でも隆盛を誇るなろう系なんて、ベースはみんな現実逃避ですからね。妄想や想像は抑圧や停滞と相性がいいのかもしれませんね。

    それが良いことなのか悪いことなのか……どちらでもあり、どちらでもないということでしょうか?

    でもあの国とかあの国はどうなんだろうなと、そう考えるとやはり日本は特殊かなと思います。

  • クリスマスイブへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    これも息の長い曲ですね。若い人からお年寄りまで、耳にすれば、ああ聞いたことがある、となりそうな曲です。こういうのも懐メロっていうんでしょうか?
    私も歌詞をまともに知らなかったので、見てみました。
    ああ、なるほど。雨といういかにも失恋をにおわせる残念アイテムが雪というより美しい(?)イメージに変化するというのは、状態の好転を暗示してるのかもしれないと。でも、気温はぐんと下がりますよ。やっぱり冷え込んだ部屋でひとりで過ごすイメージを強く感じます。
    ところで、本当にクリスマス・イブと明言して約束したんでしょうね? クリスマスに約束してすれ違ったという笑い話はよく聞きますね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     山下達郎氏が以前言っていたのは、どの時代に作られたのか分からない曲を作りたいとのことでした。まさにこの曲もそうだと思います。今聴いても全く古く感じません。
     で、実はこの曲は奥さんの竹内まりやさんの為に書いた曲ですが、ボツになったので、自分で歌ったそうです。

     しかし来ないと分かっているなら、鼻から誘うなって感じもしますね。来ない来ないと言いながら、ひょっとしてワンチヤンあるンじゃね? という、雪の白さとは逆の人間の業のようなものが感じられますね。

     昔はすれ違いはたくさんありました。今はスマホがあればラインもあるので、すれ違うことすら許されませんね。いいことなんでしょうけど、情緒に欠けますね。

  • わき毛への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    ベアリング的な意味はないですかね? 二の腕と胴とが頻繁に擦れ合うところですし。進化論におけるアブダクションは扱いが難しくて苦手です。どこまで議論しても気持ち悪さが残るように感じます。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     ベアリングとしては逆かなと思います。筋トレで胸筋が発達すると、擦れて脱毛しなくても脇毛が無くなってしまいます。摩擦が発生しているということなので、ブレーキにはなってますが、それこそじゃまなだけですよね。

     進化論は何かしらの怪しさを感じます。言わんとすることは分かるんですが、そうそううまくいくのかなと……。

  • 元寇から思う水城への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    モンゴル軍には高麗人が協力させられていたようで、となると海に詳しいものも多かったのではないかと思います。でも、モンゴル軍だからというわけでなくとも、海路と陸路だと、やはり陸路を選ぶのではないでしょうか? 物資に制限のある船上からの攻撃はどうしても不利になります。それよりは、比較的人の少ないところで上陸して物資を奪いつつ陸路を攻め上げるのが得策な気がします。
    元寇に思いを馳せると、九州が大陸との国交の玄関口だったことを改めて気づかされますね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます。

    どうなんでしょうね?海に詳しい人がいたら、台風の季節に攻めてきたりしないんじゃないでしょうか?それも2回も^⁠_⁠^;。

    参謀が優秀でも、トップがダメダメだったのかもしれません。

    弥生時代は大陸からの文化がベースだと思っているので、邪馬台国九州説…というか最初九州で近畿に移った説を私は支持しています。

  • 変態への応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    産業はどんどん高次化の一途をたどるのでしょうか? 高次産業を下支えするためにより低次な産業が充実している必要があるようにも思えるのですが、そんなことはないのでしょうか。
    変態は建築業界のみならず、とんがった分野ではわりと好意的に解釈される言葉だと思います。何と言っても、変態とは「異常な状態」でありかつ「形態を変えること」ですから。
    変態は閉塞状態を破る起爆剤として有用でしょう。ただその変態性を維持し続けるためには、ありきたりで地道なものを守ることも必要なんじゃないかなとも感じています。

    作者からの返信

     おはようございます^⁠_⁠^ コメントありがとうございます。

     低次産業は無くなることはなくても、機械化自動化して、だんだんと人間の手を離れていくと思います。未来だけではなく、過去から現在にかけてもそうしてできた余力が、社会の基盤を高次にシフトさせている。それは不可逆的な流れなんじゃないでしょうか?
     
     そうしていつか文明はリセットされるのかもしれませんね。各地の神話は共通してそういう世界観を持っているところが気になります。日本は例外ですね。

  • ふるさと納税への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    コンパクトシティ構想はもっと積極的に進めたほうが良いのではないかと思っているので、ふるさと納税が間接的にそれを推進するならそれでもいいのではという感じです。
    ふるさと納税で納められたお金は寄付金扱いなんですね。税金が形を変えてぞんざいに扱える資金となっていることには問題を感じます。
    ふるさと納税の在り方ですが、せめて地産地消を推し進めるために、納税者当人が当地で消費するものしか返礼品にしてはいけないという縛りをつけるってどうでしょうね。ふるさと納税自体が廃れてしまうかもしれませんが。

    作者からの返信

    こんばんは 今日は早朝から山に登ってました^^

    ふるさと納税は試みとしては面白いと思うので、狙った結果がでているというのであれば続ければいいし、そうでなければやめればいいのかなと思います。どんな政策でも日本の問題点は、結果を評価する人がいないところかなと思います。本来それは国民と選挙なんでしょうけどね。兵庫の知事選は凄くよかったと思います。

    現地で消費するもものに限ったら、大分する人は減るでしょうね^^;。でも隣町とか、隣の県迄とかならいけない事もないので、色々と効果的かもしれません。

  • 唯物論への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    電子の位置の話はいまだによく理解してないんです(^^;)。「観測するまでその位置は確定しない」というのは、観測したらその瞬間の位置は確定するのか、それとも、観測できれば位置を確定させられるが実は観測できない、つまり位置は現実的にはわからないという意味なのか。
    存在位置は確率でしかわからないというのは、確率を伴ってではあるが存在位置が分かるとも言えます。計算は膨大になり現実的には計算できないのかもしれませんが、理論的には確率を伴う数値として無数の未来が計算から導き出せるということでもありませんか? 未来は無数の選択肢から選ばれるととらえるか、未来は定まっていないととらえるか……結局は同じことを表しているわけですが、ずいぶん印象が変わりますね。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます

     電子の話は私も未だに理解不能です。実験結果というのは再現性が必要だと思います。
     しかし全く同条件であったとして(厳密には同条件にすることは不可能ですが)結果が変わるという事です。

     ただ勿論、結果は一定の範囲内には留まるということなので、細かい事まで追求しなければ、大まかには確定しているとも言えます。

     これはテレビゲームなんかでも同じで、計算ソースの節約のために、大まかな流れは一緒でも、ディティールに入ったときだけ、そこに集中的に計算ソースを割きます。だからやはりこの世界はシミュレーションだと考える人の論拠になっています。

     

  • ものだまへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    自分の道具を長く使うのって、職人として理想的な形ですね(^^) よい相棒のようです。そういう意識が主のほうにあると、どこかに放り出したつもりでも、常に意識の片隅で行方を記憶しているのかもしれないですね。これからも良い付き合いを重ねていけるといいですね。
    ただ(とここで下げちゃうのが私の悪いところ……)物持ちがよいと当然入れ替わりに乏しくなりますよね。うちも物を長く使う方なのですが、衣服は十年以上同じものばかりだし、食器に至っては買う機会というものがおとずれません。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    入れ替えは大きな変化だと思いますが、同じものを使い続けても経年変化というものがあります。個人的にはその変化が楽しめるような素材が好きです。

    物持ちの良さなら負けてませんよ。特に衣類は祖父から受け継いだコートとか、学生時代から着ている服とか物凄いことになってます^^。

  • 山の稜線を見ながらへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    何かを変えていかねば日本はますます苦しくなるというのは感じるのですが、果たしてITにそれを任せられるかというと、やや不安を感じます。今でもすでに取り残されている方が多いですから。
    PCやタブレットを買っても設定できない人、ネットに接続できない人もごろごろいます。どういう情報が危険なのか、見分けられずに詐欺に引っかかっている人たちも多いですよね。かたやそんな人たちを置き去りにしたまま社会がIT化に向けて動いているようでもやもやします。
    IT化の必要性を感じる一方で、物事がブラックボックス化されることの危険性も感じます。ふた世代上の先生がよく嘆いていましたが、分析装置がサンプルを入れてボタンを押したら結果が出るブラックボックス化されてきて、測定原理や手法の特性をわかっていない学生が増えたと。そうなると出てきた数値の意味を理解できず、大きなミスを見逃してしまうと。
    社会が高度にデジタル化、IT化されても、その原理を頭に入れておく必要があると思うのですが、そろそろ情報量的に厳しくなってきたんじゃないでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^。

     AI技術が恐ろしく発展しない限りは、ITはツールでしかないと思います。
    デジタルネイティブと言われるZ世代の人間は、IT技術を当然の物として享受していて、逆に上の世代に比べてPCなどの仕組み自体には疎いという逆転現象が起こっています。しかしそれはそれで仕方が無いような気がします。

     研究者や技術者はやや特殊ですが、例えば一般の人が誰もいない自然しかない星に一人取り残されたとして、トランジスタどころか懐中電灯さえ作る事は不可能でしょう。味噌も醤油も作れないし、火を起こすぐらいがせいぜいだと思います。

     とうの昔に人間の文明や科学技術は個々人のキャパを超えていると思います。

    昔NHKのアニメでキャプテンフューチヤーというのがありました。彼を中心とした人々は、未開の星で自分たちでゼロから宇宙船を作ろうとします。あれは衝撃的でした。

  • 役割への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    運や縁、巡り合わせ。ふだんは意識していなくとも、まれに、そうとしか考えられないような出来事があったりしますね。そういう出来事が起きるのも、また楽しい、ということで。
    チャレンジできることも才能ですね。そしてその才能とは、かなりの部分が体力なのかな、と最近思います。体力をいろんな活動に変換する効率は人それぞれで、その効率を上げることもできるのでしょうが、手っ取り早いのは体力を充実させることなのかな、と。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     漫画ワンピースの中で、「この世に偶然というものはなくて、全ては必然なんじゃないかとすら思う」という台詞があるんですが、巡り合わせというのは本当によくできているなと、感心する事が多々あります。
     事実は小説より奇なりです。仏教の縁起ですね。

     体力は大切ですね。但しフル出力の大きさではなくて、スタミナの方です。運動で言えば山登りですね。低山でも、コンスタントに登り続ければ、かなり老化の進行は遅くできるんだそうです^⁠_⁠^
     

  • クロームブックへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    中古販売ショップは当たりはずれがありますよね。当たりでよかったです。ちょっとまとまった分量の文章を打とうと思ったら、私もやはりキーボードは外せませんが、それも人それぞれなのでしょうね。カクヨムでもすべてスマホ入力というかたがいらっしゃいますが、信じられないです。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     特にジャンク扱いの場合は、はずれて当然みたいな部分もあります。
     キーボードは仰る通りです。このクロームブックを買った目的も、最初はキャンプ場で文章を書くのに使えるかなと思ったからです。CADが使えないので、仕事用にはなりませんが、ネットを見たり文章を書いたりと、普段遣いにはもうこれで十分なのかなと思います^⁠_⁠^。

  • 伊都国歴史博物館への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。
    たしかに、これが知られていないのはもったいないと思えるくらい、すごいところなんですね、糸島。朝の連続テレビ小説の舞台の一つにもなったのでしたっけ、よく知らないのですが。それを機にうまく売りこみをかけたらよいような気がします。本来はテレビ番組のほうが付け足しであるくらい、日本史上重要な遺物、遺構が目白押しのようですが。
    私は十三岡繁さまとの交流で糸島を知るまで、糸島って「島」だと思っていました(^^;)

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    天皇家の起源に関わる話なので、NHKでは大きく取り上げられないんだと思います^^;。ここには書いていませんが、天皇家の三種の神器の鏡は八咫鏡って言いますよね。咫というのは昔の中国の長さの単位で、八咫というのは鏡の周長の事で、これは直径が46cmぐらいだろうという事で…そうです博物館にある世界最大の銅鏡と同じ大きさなんです。ヤバいでしょう^^。

    ただこの博物館交通の便が良くないんですよね。バスで行くかレンタカーでのアクセスになるので、観光客を呼ぶにはまずそこを整備しないといけません^^。

  • 牧のうどんへの応援コメント

    スープを継ぎ足して食べるうどん、は初耳です。
    利尻昆布を使った出汁スープ……たまりません。

    調べたら、地元から福岡に行くには、いったん札幌に出てからの直行便ですね。
    京都より西に行ったことは無いので、いつかは行ってみたいものです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    福岡へお越しの際には是非牧のうどんにもお立ち寄りください。

    店舗は空港近くにもありますが、歩くと結構な距離があるので、博多駅のバスターミナル店がオススメですね。メニューは素うどんで大丈夫です。天かすとネギを無料でサービスしてくれます。

  • カドカワへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。
    > カクヨムはなろうに比べて作家同士の交流が盛んで、新作は最初に知り合いが読んでくれて評価が高まり、それで上に出てこれたものが更に読者層を広げる
    なろうのほうをいまだ知らないのですが、カクヨムを始めて一年、カクヨムの性質はまさにおっしゃるとおりだなあという気がします。ゆるくもかたくも、明瞭なコミュニティができる様子はとても興味深いです。
    なろうのほうがそうではないというのなら、これは人間の抗えないさがによる、などということではなく、運営方式により偶発的にかあるいは意図的にかもたらされた結果なのでしょうかね。

    作者からの返信

    こちらもコメントありがとうございます。

    小説投稿サイトは最初になろうありきですからね。後発のカクヨムの方は、差別化をはかるために、わざとコミュニティ機能が大きくなるようにサイトを設計したのかもしれませんね。

    しかしコミュニティが構成されれば、同じく揉め事も発生するのが世の常^⁠_⁠^;

    なろうの方も多少はあるみたいですが、目にすることは無いです。

  • アイドルへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    アイドルの熱烈なファンの人たちはどういう気持ちで推しているのか気になります。生の声を聴いてみたいものです。
    私もアイドルのファンを経験することはなかったのですが。何かに固執する気持ちはよくわかるので、もしも特定のアイドルに思いっきり執着しているのなら、むしろ人生辛さが勝るのではないかと思ってしまうのです。それをおしてファンであり続けるのって、すごい精神力だなと思います。でも、人生投げうつほど入れあげているファンはごくごく一部のような気もします。
    崇拝対象は異性とは限らず、女性アイドルのファンの女性という例はそこそこあるように感じます。

    作者からの返信

    おはようございます。 コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    流石に人生捧げてるって人は周りにはいませんが、わざわざ飛行機に乗ってライブに行ったり、同じCDを何十枚も買ったりしているレベルの人間は沢山います。

    いくら話しても、自分にはその心理は理解できません。きっと理解できたら、それで小説も1作書けるような気はします。

  • 無駄への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「人生は暇つぶしだ」と「今日も無為に過ごしてしまった」の両極端な思考を日々行ったり来たりしています。そういう葛藤から何か面白いものがぽろんと転がり出ることもありますし、人間が何か考えようと考えまいと万物は流転しますしね。

    作者からの返信

    こちらもコメントありがとうございます。

    人間なんて本当に小さい存在ですし、誰が何をしようが、宇宙には関係ないですよね。でも、人間はその大きな宇宙の姿を想像して、頭の中に意識できます。それってすごいですよね。

    歳とって、人生の意味なんてもんは考えるのやめました^⁠_⁠^

  • 防災グッズへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。今日は大分からです。九州も朝晩は涼しくなったようですね。
    ちょうど、「いい季節がやってきます」にぴったりの時候になりました。ベランダでこの週末にのんびり、とか楽しそうです。
    キャンプもそうですが、いろんな分野それぞれに、他分野(災害時やサバイバルも含め)で役立つアイデアが潜んでいるなと思います。日々の生活において広く浅くアンテナを巡らせておくのは大事だなあと思います。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    九州もやっと過ごしやすい気候になってきました。今日は小石原焼の民陶祭に来ています。

    衣食住は全てが、深く大きく関わっているなと感じます。いや、衣食住だけではなく、人が生きていく上でか変わる全てはそうなんでしょうね。

  • 無宗教への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    神の存在を仮定すると、その神を生み出した存在とは? みたいな感じで、無限ループに陥りますよね。
    インドのヒンドゥー教は全ての宗教と神を受け入れるのですか。ちょっと興味がわきました。

    作者からの返信

     考えてみると、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も同じ神を称えてますからね。神様はそんなにたくさんはいないんじゃないでしょうか^^;。
    ただそれを一つの塊ではなく、個別の存在の集合物として捉えているのが日本の神道だと思います。仏教ももともと仏陀が唱えたのは無神論にちかいというか、逆に全ては神みたいな考え方では無かったのかなと思います(全てが神なら神は存在しているし、存在していないとも言えます)。

    ヒンドゥー教面白いですよ。仏教の神様も名前を変えて存在しています^^。

  • はじまりへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    尾根道は道というからには下草がなく、周囲よりも歩きやすくなっているのだと思いますが、そのためには多くの人が踏み固めないと駄目ですよね? 尾根道を利用する人って昔から多かったのでしょうか? レクリエーションであれば、見通しの良い尾根筋を通りたいのは理解できるのですが、やむにやまれぬ山越えのために使うには効率が悪いような気がします。昔の人も気分転換のために登山を楽しんでいたのでしょうかね(^^)

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^。

    二つの山頂を連続して登ることを縦走と言いますが、縦走するには尾根道を通るのが一番効率がいいのです。山越えはアップダウンがありますが、尾根道はそれが少なくて、登山道としては王道のひとつです。
    山脈を通過点としてとらえる場合、登って越えて降りてとなりますが、それとは直交方向に動く必要がある場合が尾根道の出番です。

    例えば越えねばならない山が複数に渡るとき(山岳地帯を抜けるなど)は尾根道を利用する事になるでしょうね。それは今も1万年前も全く同じだと思います^^。

  • エンプティ広場への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    最近まったく飲み会に参加しないので、十年、二十年前のことを思い起こしてみましたが、確かに飲んだあとしようもない議論をだらだらとしていたこともありました。アルコールが程よく入るとしゃべりたくなる人って多いのかもしれませんね。
    いろんな感覚がマヒしているから、お財布のひもも緩むかも。そういう人たちをターゲットに、すわれるばしょとちょっとしたものを提供する場があると意外といけるのかもしれません。
    ただ緩むのはお財布のひもだけじゃなく理性全般なので、トラブルには十分注意が必要ですね。
    ところで、出身高校は東京ですよね? 福岡で地域会ができるくらい、卒業生がいらっしゃるのですか?

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    福岡だと立ち飲みなんかがその役目を担ってますね。歳とって立っているのがきつい人もいますが^^;。

    高校は早稲田の付属だったので、実家が九州で高校時代から親元を離れている人間も結構いました。また実家がこちらでなくても転勤で福岡にやってくる人間も多いです。

  • 和食の破壊力への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    話はずれますが、割りたての黒曜石の輝きに魅せられたら、石を磨いてみたい、ぴっかっぴかにしてみたいって人間誰しも思うんじゃないのですかね? 私、研磨好きです。まあ、生きることに今よりはるかに時間を取られていた時代、遊びにかけられる時間は限られていたでしょうから、どの遊びを選ぶかは、周囲の環境に依存したのかもしれません。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    黒曜石は鋭さ命なのであまり磨かないんじゃないでしょうか。
    研磨楽しいですよね。我が家では包丁研ぎは私の仕事です。

    キャンプ用のナイフを研いでいても心が躍ります。

  • 人口動態調査への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    工事現場での驚くような事故は最近しばしば話題になりますね。話題になっているだけなのか、本当に割合的に増えているのかちょっとわかりませんが、少し気を付ければ防げたのではと思われるような事故が次から次へと起こるのは恐ろしいものです。
    人間って、効率化のために集団になって分業しがちですが、そのときに無軌道にやらせておくとこうなるものなのですかね。人間の本質が変わるとは思えないので、上手な旗振り役を育成しないと状況が改善されることはないのでしょう。

    作者からの返信

    こちらもコメントありがとうございます。

    建築業界で言えば、全体的に経験不足であったり高齢化であったりで、職人さんや現場監督のレベルが落ちています。普通に考えてそれは事故を起こす可能性が高いだろうというような事を平気でやってるので、実際に事故が増えているのもさもありなんです。

    ひとつ言えるのは、工事現場の横を通る時は頭上に気を付けたほうがいいという事です。

  • スターシステムへの応援コメント

    こんばんは。

    声優さん被りは、本放送ではヤバイみたいですね。
    ある有名声優さんが準主役で被ってしまい、アニメAに担当キャラが出ている間は、裏のアニメBでは担当キャラの出番が無かったと云う話を読みました。
    Aで担当キャラが亡くなった後に、Bでは担当キャラが復帰したとか。

    監督や脚本家も苦労しているようですね(^_^;)

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます。

    でも裏かぶりが分かる程、ライバル番組の脚本て事前に入手可能なんですかね?お互い様だから脚本を交換するのかな?
    でもそれで脚本書き換えたら、逆にまた被ったりしますよね。
    アンガールズのコントみたいです^^。

  • ユニバース25への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    こういう複合的な系について、ネズミの実験例を人間にそのまま適用するのは乱暴だと私も思います。
    それはそうと、ネズミって遊ばないんですね? なんとなく哺乳類って鳥類より高等な気がしていましたが、遊びという点では鳥類のほうが進んでいますね。自然界でも遊ぶ鳥はかなりいますから。そうなってくると、遊ぶという悪く言えば無駄な、よく言っても回り道の行動はどんな必然性から生み出されるのか、気になってきます。

    作者からの返信

    おあようございます コメントありがとうございます^^

    爬虫類は馬鹿っぽいですが、それが進化した鳥類は賢いイメージです。確かカラスの知能は人間だと五歳児並みでしたよね。

    人を人としているのは、遊びなんじゃないかと最近思います。

    話は変わりますが、9/25締め切りで黒猫ミステリー賞というのがありますが、「イソヒヨドリの町で」を出されてみたらいかがですか?この出版社は旅行ガイドとかが強い所なので、私も福岡を舞台にした話を『ご当地案内譚』と勝手に銘打って出してみました^^。

    公募もまた立派な遊びじゃないでしょうか?
    (ガチの方々には怒られそうですが)

  • 芯の部分への応援コメント

    こんにちは。

    テレビ番組でも、頭に刃物が刺さった旦那さんが、治療後は性格が粗暴になったとのエピソードを見ました。

    ベースの性格は脳に刻まれていて、よほどの外的要因が無い限り、変わらないのかも知れませんね。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    表面的な行動や感情の動きは脳によるところが大きいんでしょうね。

    でも脳よりももっと奥深くには、更にかっこたるものがあって、その性格の変わった旦那さんももしかしたら変わってないのかもしれません。

    高齢者と呼ばれる存在になっても、このままの精神性で行くのかと思うと、ちょっと怖いです^^;

  • 常識への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    この手の話は考えさせられますね。現代日本社会のありようと、少なくとも遺伝子的健全性を保つためにあるべき姿が乖離しているからではないかと思います。

    今でも「乱交」に近い状態で生活し、できた子供は男を父親として皆で育てるところもあると聞いています(ただしきちんと裏は取っていない)。社会の遺伝子的な健全性を考えるなら、このシステムはより健全ではないでしょうか。

    まれびとの慣習もナンセンスと言い切れない切実さを感じます。問題なのは、それを隠すべき恥ずべきことだとする社会通念のもとで成り立たせようとすることですね。

    この先人口が激減したあと、遺伝子的多様性を保存するために、性に関する倫理がどのように変化していくか、興味深いです。

    男性器は形状的にわかりやすいからあればすぐ認識されるだけで、女性器のみの遺物もあるのでは? ぱっと見、それとわからなくて、結果的に女性の全身像が目立っているだけということはないですかね?

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^。

    同じ時代の同じ国であっても、武家社会などは逆に貞操観念にかなりうるさかったようなので、社会のありようで変わってくるんでしょうね。

    縄文時代にはもちろん女性器をモチーフとした遺物もあるんですが、数が違うようです。土器の模様のモチーフにも一部そうみられる部分があるそうです。もちろん本当のところは分かりません。

    現在でも田舎の方に行くと、木のまた信仰というものが残っていて、高校生の頃埼玉で、木の根が枝分かれしているところにお供え物がしてあるのを見て、ぞっとした物でした。

    生殖行為というのは生物としてかなり根源的なものなのに、社会性という特殊要素をそこに持ち込む人間という存在はかなり面白いと思います。全体として生産性が上がったら逆に個体数を減らすんですからね。そんな生物は他にいないし、本能が壊れていると言われる所以ですね^^。

  • 米不足への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。関東南部は梅雨明けしました。

    米、そんなに人気出ますかね? 独特のイオウ臭が苦手だから米は嫌いという人も多いんじゃないでしょうか。現在、白米がどういう流れで人気なのか分かりませんが、もし健康ブームに乗っかってるのなら、糖質が多すぎるということでそのうち下火になりそうです。

    農家がこぞって海外に売り出しをかける、とか、もしも本当に成し遂げたなら、それこそ前代未聞のすごい出来事になりそうです。それくらい行動力があってしたたかな生産者さんが増えれば、日本の農業もある意味安泰だなあと、のほほんと思っちゃうのでした。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    ここではパリの事を書きましたが、アメリカでも今普通におにぎりが売っているそうです。私がアメリカで暮らしていた頃、売っているインスタントラーメンとビールの種類に驚かされましたが、中でも日本のメーカーの物が二倍近くに値段で売られているのには驚きました。それだけの価格差でも売れているって事です。これで円安にでもなろうものなら…。そんな感じです。
    米ブームが一過性で終わってくれるのがいいのか悪いのか…ただカリフォルニア米はかなりのレベルまで行っているので、米国は市場としては期待できないかもしれません。米国ですが^^;。

  • 人の寿命への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    数値が変動していればピークというものは必ず生じるもので、それが何か重大な局面を意味するとも限らないかもしれません。なるようになるわ、と思います。

    若いうちは、まだ若いからケセラセラなんて言っていられるのかもと思っていましたが、どうやら性格っぽいですね。

    人体の耐用年数は120年という人もいれば、50年という人もいますが、それが判明したところで、寿命以上の人を積極的に死に至らしめるような制度ができるとも思えず(医療費を補助しないとかは早々に実現しそうですが)、しょせんは本人の気の持ちように関係するだけなのでは、と思ってしまいます。

    学問的には興味ありますが、それを研究すると、すぐに「じゃあこうすれば寿命が伸ばせる」という短絡的な結論や応用例に持っていく人が出そうで、ちょっと食傷気味です。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    確かにピークはいつかはやってくるものですが、考えても見てください。戦争などの特殊要因を除いて、ここ数百年の話ではないです。日本人の数千年数万年の人口増加と平均寿命がピークを迎えたんです。この歴史的な転換点にどうしてみんなもっと大騒ぎしないのかが不思議です。

    世界人口のピークも今世紀末にやって来るようですが、これも人類史上初の出来事でしょう。初の出来事は何が起こるか分からなくて普通はワクワクするものですが、どうもワクワクはしませんね^^;。

  • 新紙幣への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    そういえば、まだ見てません。新紙幣。きっと新紙幣に替わりつつあるということを忘れた頃に初対面して、腰を抜かすほど驚くんじゃないかと思っています。

    「チップ状に細断して断熱材にでもしたらいいんじゃないか」

    これ、面白いですよね。それで市営住宅とか作ったら皮肉が効いてますね。しかもチップ状なら、壁をほじくって取り出して、断熱材でのジグソーパズルができたりして。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます。

    新紙幣は私もまだ見てませんね。とこで二千円札はどうなったんでしょうね?

    お札の材料は、ミツマタという植物なんですが、現在国内の生産量では追いつかなくて輸入しているようです。これが北九州の福智山で満開になるととても美しいんです^^

  • 東京都知事選への応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。

    私にはことさら、若者が政治に興味がなく、中高年ばかりがのさばっているようには思えないのです。どちらかというと、中高年にも興味ない人が多いんじゃないかなあって気がしてならないんですね。

    人間なんて、「熱い!」と叫んで風呂に水を足し、「ぬるい!」と言って湯を足すことをいつまでも繰り返すんじゃないでしょうか。行くところまで行ったら、自然と政治回帰するんじゃないかなあ、なんてのほほんと考えています。

    人口構成比率もどんどん変わっていき、団塊ジュニアが軒並みいなくなれば(その頃には医療も最低限しか受けられなくなっているでしょうから)年寄りばかりが異様に多い状況も収束するんじゃないでしょうか。そうなったときに、どんな社会になるのか、ちょっと興味がないわけでもないですね。

    十三岡繁さま、そういう未来小説、いかがでしょうか?

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^。

    今回は若い人たちは頑張ってましたね。老年層も政治に関心のない人は多いですが、何といっても選挙に行きますからね。選挙に行く人達には勝てません。

    このまま進んでいくとどんな社会になるんでしょうね。AIが発達すると、仕事量が減るので人口が減るのは丁度いいなんて言ってる社会学者もいます。
    そううまく行けばいいんですが、個人的には純粋な日本人は減り続けて、最終的にはゼロになるかなと思ってます…。

  • 降圧剤への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    お知り合いの方の手術が無事成功すると良いですね。

    降圧剤を処方する場合、もちろん、必要に応じて上がったのでしょうから、その原因を解消する治療も必要でしょうね。やっているものだと楽観していますが、本当のところは知りません。

    でも、その原因にもさらに原因があるわけで、手繰っていけばどんどん原因が出てきて、どこまで治療すればよいの、ってことにもなるかもしれません。できるところ、あるいは最も重大なところを強制的に正しているというのが現状なんじゃないかと思います。これも、のちに、そうじゃなかったとわかることもあるので、絶対今が正しいとは言えませんが。

    まるで何かの答弁のような、しり込みしつつのコメントになってしまいました(^^;)

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    既に知人の手術は終わって、手術も成功ならば無事麻酔からも目が覚めました。
    仕事柄ドクターと接する機会が多くて、本音を聞けたりします。降圧剤は抗がん剤と一緒で賛否両論ありますが、色々と利害関係があって誰もが本音を堂々と言える環境にはありません。建築業界も一緒ですけどね。

    漢方には部分治療という概念がありません。佐藤さんがおっしゃるように特定の症状に対しての対処療法はきりが無くなるからです。体全体の調子を整えれば、病状は改善するという考え方です。実はこっちの方が理に適っているような気もしています。

  • 2001年への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    思想的に進化しようとするのは、結構な危険性をはらんでいる気がします。優生保護や人種差別にも、「人間を『進化』させる」という考えが強いのではないでしょうか? 

    変わっていくことを目標にするより、変わらないダメダメな存在がダメさゆえにしでかす酷いことを阻止するようにするほうがいいんじゃないかと思ってしまいます。悲観的な人間の考え方ですが(^^;)

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます^^

    進化すべきは肉体では無くて精神や意識です。精神ですから身体的の能力や、人種の違いなど肉体的な所に縛られたままでは困ります。

    未来を見たいと思うのは、今見えないものを見たいという思いが強いです。より遠くを見るには望遠鏡の技術が発達してくれないといけません。

    不老不死は望みませんし実は人類平和もどうでもよかったりします(これ言うと反社会的だと言われます^^;)。ただただ知りたいんですよね。

  • このところの不穏な動きへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    サイバー攻撃、落ち着いたんでしょうかね?

    人間のやることに完璧はありませんね。それと同じように、人間がみな、全体の幸福を優先するような考え方になるということもありえないでしょうね。

    大多数のために整備された秩序であろうと、私利と対立すれば破る人は出てきます。個人や全体の完璧な幸福はありえず、常に不利益を被る人たちが出てくるのではありませんか? その覚悟を持つことと、不利益を被った人の救済法をもっと手厚く整備するのが現実的な落としどころじゃないですかね。

    もし、それで人類が滅びるようなことになれば、それもそれで仕方ないのかなあと、個人的には思ってしまうのです。ごく後ろ向きな考え方で、あまり人前では言えない意見ですけれど。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    カドカワもまだ解決していないみたいですね。損保会社にも広がってるみたいです。

    私の書く長編の中にはよく『ユーナム財団』というのを登場させてます(今公開中の話だとトキネシリーズだけですが)。
    個と全を分けて考えるからいけない。全てが一つになってしまえば、全ても個になるので、人類は利己的な思想の呪縛から解放されるという考え方をしている集団です。

    実際にはそれは難しいのかなと私も思いますが(なっても気持ち悪いし)、宇宙戦艦ヤマトシリーズの原作だとイスカンダルのスターシャ、テレザートのテレサも同様の存在だったように記憶しています。映画『インターステラー』の未来人類の姿もそんなニュアンスかなと思います。

    人はおろかですよね。でもそのおろかさが人を人たらしめんというナウシカ(というか宮崎駿)の思想に佐藤さんの考えは近いのかなと感じました。

  • 仕事場への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    仕事場の入っているビルは築何年なのでしょう? 年季の入ったビルは痛みや汚れというデメリットも多いですが、何とも言えない味わいが出てきて、それが好きだったりします。コロナの前に定期的に仕事で通っていた五反田の古い古いビルは国立大の校舎かというようなうす暗さがあって好みでした。

    何事にも人間の都合によって良し悪しの両側面ができるのはそのとおりですね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    確か今の建物は築58年だったように思います。前に借りていたところも同じくらい古い所でした。事務所は四階なんですが、エレベーターが無いんですよね^^;。お客さんや営業の人には申し訳ないです(前の建物はありました)。

    最近認知度も高まってきた耐震性ですが、完全に旧耐震です。地震が来たらぶっ壊れるでしょうね。建築士が地震で建物が倒壊して死ぬとか笑いものになりそうです。

    編集済

  • 編集済

    イルカへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「トライアンドエラーでそれには物凄い時間が必要になるような気がする。突然変異ぐらいで簡単に考えてはいけないような気がする」

    どうしてもこのあたりは単純に、「できなかったやつは死んだんでしょ? それでたまたまうまくいったから現在があるんでしょ?」と考えちゃうんですよね。

    「一方海底にも地上に負けないくらいの微生物がいる事が分かっているが、これらは細胞分裂をするのに1万年単位の時間が必要ではないかと推測されている」

    これはどこからの情報でしょう? 海底? 海底下? 本来知っておかねばならないはず(^^;)のネタなのですが、これは知りませんでした。

    あ、ちなみに、海水(溶液)中の「塩の濃度」が「塩分」ですので、<塩分濃度>という表現は塩の濃度濃度となり、実は不適切です(^^)。


    追記)
    出典ありがとうございました。やはり海底じゃなく海底下ですね。
    それにしても……ですよねー、もう口にチャックしておきます……。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます。

    海底でも地上でも地下には物凄い数の生物がいるので、エウロパや火星あたりにもいるんじゃないかというのは以前から言われていましたが、細胞の分裂速度が物凄く遅いというのは最近知りました。↓あたりですね。
    https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/explore-20240612-2/

    塩分濃度という表現は専門家的視点では不適切なんですね^^;。しかし世間的にはWikiにも出ているぐらいなので、大衆的表現としてはいいんじゃないでしょうか。

  • 言葉の難しさへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    言葉は意思疎通のツールだということは第一に心しておかないといけないと思います。伝えたい具体的な内容がある場合、対象者にきちんと伝わる言葉に翻訳して解説しないと駄目ではないかと。場合によってはどんぴしゃの言葉じゃないけれどよりイメージしやすい言葉に置き換えるくらいのことはしないといけないかもしれませんね。でも、専門家でもそのあたりダメダメ人間はいます。

    文学になってくると、言葉そのものがひとつの題材である作品もあります。そうなるとちょっと話は変わってきますね。でも、文学作品であっても例外的な気もします。

    自分の文章を幅広い読者たちに読んでもらいたいと思うのなら、言葉の選択にはかなり心を砕かないといけないのでしょう。ストーリー展開以上に重要で難しい問題かもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    遂に最新話にまで追いつかれてしまいました^^;。ここまで私の戯言にお付き合いいただき感謝いたします。

    言葉選びの他に、最近は小説執筆の約束事をどうするかという迷いがあります。ネット投稿だと気にされていない方も多そうで、私も「」の時は最後に句読点を入れないとか、頭に空白マスを入れないくらいは意識していますが、例えば感嘆記号のあとに一マス空けるとか、「」の後は改行するとか、…は……にするとか、そういうところは今まで気にしてませんでした。

    でも公募とかに縦書きで応募するのであれば、そのあたりもきちんとすべきなのかなと今更思っているところです。何を今頃と言われそうですが、読みやすさって言うのも大切ですよね。

  • 第四次産業への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    いつの時代も、地域を治める人間とそこで暮らす人間との間には年齢的な乖離がありますね。これはある程度は仕方ないことかもしれません。

    でも、今後さらに地方の高齢化が進み、20、30代の人間がほぼいなくなってしまうと、若者に世代交代をと頑張ってみても、もはやどうしようもないですね。本気で世代交代し、若い人の感覚を地方政治に取り入れようとするなら、今すぐにでも取り組まなければならない課題だと思いますが、そのあたりを真面目に考えている自治体ってあまりないような……。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    地方では無いですが、自治体の選挙という事で都知事選挙には注目しています。一番良さそうだなと思ったのは元安芸高田市長の石丸氏でしたが、ここにきて安野貴博氏という方が出てきました。

    バリバリ現役のエンジニア出身者です。台湾で言うとオードリータンさんですね。トップに立つより参謀役があっているかもしれませんが、こういう人がもっと注目されて欲しいですね。

    現在の地方自治体にはシステムに明るい人材が絶対的に不足していると思います。どうしていいのか分からないんだと思います。ある程度国が主導してやるべきじゃないかと思うんですよね。だからこそのIT大学構想です。

  • アクセラレーションへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    便利なもののありがたみを実感できるのは、便利じゃないものを知っているからです。生まれたときからコンピューターの作り出した成果に囲まれて育つと、それはあたりまえの世界と思うようになるのでしょうね。もの創りの意味も変わります。人によっては、オールドファッションな手作業にぞくぞくするほどの喜びを見出すかもしれません。と考えると、文化の加速は一方方向ではなく、全方向に向けたもの、つまり多様性が爆発的に増しているとでも考えたほうが良いのかな、と思いました。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    同じデジタルの恩恵でも…例えば私は仕事でCADを使っていますが、とても古臭いもので、手書きをデジタル化したにすぎません。しかし今の若い人たちが使っているCADは根本的に違ってます。手書きを置き換えるのとは別次元です。

    加速と言えば直線運動をイメージしますが、物理学で言う所の加速度とは進む方向を変える事も言いますからね。この流れは一体どこに行きつくんでしょうね。死ぬまで退屈はしなさそうです。

  • 牧のうどんへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「利尻昆布の国内消費量の7%はこのスープに使われている」って、実はとてつもない数値ですね。最近になって、福岡県民のうどん好きは知られるようになってきましたが、あらためてそれを感じさせられる数値です。

    牧のうどんは店名はしばしば聞きますが、行ったことないかもしれません。福岡に車で行くことがほぼないので、なかなかハードルが高いです。次に福岡に行く機会があれば、空港近くの店舗ををねらってみます。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    空港店は歩くと結構あるので、大分に帰省の際、博多駅で地下鉄からJRに乗り換えるのであれば、博多駅バスターミナル店が一番行きやすいんでは無いかと思います。

    因みにだしをとったあとの昆布を使って佃煮を作って売っていますが、これもまた恐ろしくうまいです。おみやげ用の「かしわ弁当」に入っています。これもまたお勧めです。ダシがうまいんだから当然かしわ飯もうまいんです^^。

  • やっつけ仕事への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    やりがいのある仕事、人を感動させる仕事、後世まで語り継がれるような仕事が素晴らしいのは間違いないと思いますが、棒にも箸にも引っかからない仕事にも意味はあると思うのです。数でなんぼという世界は確実にあるんじゃないかと。

    心を無にして、あるいは気乗りしないまま、きっちり決められた数、量、質、時間だけやり続ける仕事(創作)にもその必要性があり、社会のなかでその存在意義は意外と大きいのではないかと漠然と思っています。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    もちろんどんな仕事であっても意味はあると思います。意味のない物であればそもそも仕事として成立していないでしょうから…。単純な作業の繰り返し…例えば職人さんの作業はそういうものが多いと思いますが、多くの方は誇りを持って取り組んでいますし、物凄い技能をもってらっしゃいます。

    とにかくやるのであれば、どんな単純作業であろうとも誇りをもって、やっつけではなく取り組んだ方がいいものができるし、やる方も楽しいだろうという事です。

    もし環境的にそれが出来ないような状況であれば、自らその環境を変える努力をするか、どうにもならなければ自ら動いて違う環境に身を置くしかないと思います。

    町中に溢れる、誰かがやっつけで作った建物を見る度にとても悲しい気持ちになります…。

  • 文化と羞恥心への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    下着と水着の話、おもしろいですよね。人間が思い込みで物を見ているというのがよくわかる一例だと思っています。でも、ビキニなんぞ見る機会がほぼなかった田舎者は、水着でも十分恥ずかしいと思わないでもなく、そこがまた、その論を強化しているのかもです。

    「しかしだとするならば、文化や思想が変異していく中で羞恥心を呼び覚ます状況というのは変わっていくのだろうか?」

    これはまさにそうではないでしょうか? 最近の日本の例では、コロナ全盛期をマスクで過ごした子供たちの一部が、マスクを外して顔を見られるの恥ずかしいからマスクを外したくない、ということが問題になっていましたね。「隠す」は羞恥心を作り出せるのだと興味深く感じました。

    ドイツのサウナ本当に全く問題ないのですかね? 日本の江戸時代までの公衆浴場で混浴はあったものの、風紀の乱れが指摘されてもいます。日常生活で隠していて、ある場でだけは隠さなくともよい、という考えは、なかなか頭の切り替えが追いつかず、劣情を催す人もいるのではないでしょうか。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    ドイツの場合、サウナは混浴で全く問題が無いのに、温泉などの入浴施設だと混浴には抵抗があるんだそうです。境界線が良く分かりません^^;。

    異星人とコンタクトしてみたいと思う理由の一つに文化の違いがあります。どういう形状の生物なのかも興味深いですが、どういった文化と科学を持ちえるのかを知りたいです。羞恥心とか恋愛感情とか知的生命体迄進化した生物に、どういう差異が生まれるのかを見てみたいです。

    知的欲求に依るところが大きいので、もしかすると直接接触する必要はないかもしれませんね。

  • 円安への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    コンテンツ産業がなかなか本格的に後押しされないのはなぜなのでしょうね? マンガやアニメにはまって育った政治家が少ない? あるいはいてもそのタイプには発言力がない? 世論が乗り気じゃない? 輸出産業として乗り越えがたい欠陥がある? 

    政治家に鶴の一声を発せられる強烈で強力な人が出てきたら、また流れが変わるのかなあと思いました。噺家が政治家になったら、面白いかもしれません。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    岸田首相が先日、日本の基幹産業にするって言ってましたね。口だけでしょうけど…そう言った方面には麻生さんなんかは明るいですし、国会議員の中にも漫画ファンは多いので差別意識は無いと思います。

    でも実際に日本を動かしているのは、政治家では無くて官僚です。彼らは確かにある意味優秀ですが、現状の官僚組織では構造的に新しいものは生み出せないでしょう。新しいものを生み出すことが重要であるコンテンツ産業とも非常に相性が悪いような気がします。

    今回の都知事選にまたドクター中松氏が立候補するみたいですが、まかり間違って当選したりすると、結構面白い事になるかもしれませんね^^

    編集済
  • はちまきへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    はちまきの意味なんて、考えたこともありませんでした。しめることに意味があると聞いていたのは病鉢巻ぐらいですね。そう言えば、女子サッカー選手がよく頭に何か巻いていますが、あれもはちまき?

    汗を吸わせるのに良いというのはなるほどです。中年になると額からだらだらと汗をかくような運動をする機会が減るとのことですが、徒歩通勤だと初夏から秋にかけて、まさに汗まみれになります。見た目が気になりますが、それでも効率的だったら利用しようかなと考えなくもないです。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    実用性で言えばクールタオルを頭に巻いて結ぶのが一番ですが、山ならともかく街中では悪めだちしそうなので、女性はヘッドバンドがいいのではないでしょうか?

    ヘッドバンドというとタオル地のイメージがありますが(それはちょっと暑苦しい^^;)、今は冷却効果が見込める奴も売ってるみたいです^^。
    逆にちょっとおしゃれなんではないでしょうか?

    と、書いていてフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』はそう言う事?って思ってしまいました。

  • リニアモーターカーへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    リニア、いらんだろ派です。できてもたぶん使わないし、各地方都市に住むなら、現在の交通状況で十分便利だと思っています。北海道から九州まで、たいていのところなら一日あれば行ける、もう十分じゃないですかね? それよりは、既存のインフラの整備、あるいは現インフラを利用できない人たちへの配慮にお金を使うべきではないでしょうか。

    富士山とコンビニのコラボ風景問題で思い出したのは、観光名所の落書き問題です。現代人が落書きをすると世界的な問題になったりしますが、千年前の落書きが見つかると、別の意味で大きな話題になります。なんで、ってもやもやします。落書きの増加は治安悪化に直結するという負の面は確かにあり、それは問題かと思いますが、モラルや景観の問題を言うのであれば、現代のものだって千年前の落書きだって同じように扱うべきじゃないんでしょうか。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    リニアの仕組みそのものはSFチックでいいと思うんですが、将来火星に移住した時の移動手段ぐらいでいいかもですね。現況の計画は用地買収とか地権者とか、支持団体がどうしたとか、そういった利権でがんじがらめになっていてやめられないだけという感じがします。

    落書きは1,000年前の物でも、それはそれで顰蹙じゃないですかね?1万年前とかになってくると貴重かなと思いますが、それは落書きとは言えないような気がします。

  • うぐいすへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ウグイスの鳴き方ですが、神奈川に来てそのバリエーションの多さに驚きました。そもそも、これまでウグイスが何羽もいるようなところに住んでいなかったので知らなかっただけかもしれません。

    ホーホケキョとなくウグイスはむしろ少なく、一番面白かったのは、ホーホケキョビビッです(1)。それ以外に、ホーホキョ(2)、ホーホホホホホケキョ(3)などがあります。(1)は今年耳にしませんが、去年まで数年間にわたって職場の近くの茂みのメジャーさえずりであり、複数羽いたようです。

    チッとかジュッとかいう地鳴きは、各鳥の喉の構造、つまり遺伝子に強く支配された鳴き方なのかなと思いますが、複雑なさえずりは、かなり学習の効果が大きいのではないでしょうか? ウグイスなら、「ホー」と伸ばすことと「キョキョ」と短く鳴くことが体の構造上可能で、年頃になると、それを組み合わせて目立ちたいという本能に駆られ、あとは周囲にいる個体の真似で「ホーホケキョ」に近いものが出来上がるんじゃないかなあと、想像しました。極論すれば、「ケキョホー」という鳴き声をずっと聞かせていたら、そんな鳴き方のウグイスが出来上がるんじゃないかなあと。

    ただ、最近、シジュウカラとその近縁種は共通言語を持つという研究成果が有名です。さえずりには言語としての意味と文法があり、鳥はそれを学習しているようです。もしウグイスのさえずりにも言語としての意味があるなら、順番を逆にすることはできないので、自然界で学んだウグイスには「ケキョホー」はありえないことになりますね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    大分はウグイづは少ないですかここ福岡も街中ではあまり見かけませんが、ひとたび山に入ればこれでもかってくらいに鳴いてます^^;。

    ウグイスの鳴き声が学習によるものが大きかった場合、各個体間に伝わる時の誤差はかなりの物なので、バリエーションはあるにしろ全国でほぼ同一のところに辿り着く事は無いような気がします。またその場合時代によって全然違ったものになたりするのではないでしょうか?確かめようもないですが…。

    人間の言葉も各地で違いますが、日本はともかく地続きの場所でも全く違う言語を使っている事は、考えてみればかなり不思議です、文法も全然違うし、ケキョホーがあってもおかしくない感じです。

    しかしケキョホーと鳴くウグイスを作ったら、youtubeでバズリそうですね^^。イグノーベル賞も狙えそうです。

  • 朽ちゆくへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    朽ちるものと永遠に残るもの、これはその人の持つ時間スケールで分類が変わるのではないでしょうか。地質学的時間で見るなら、石も朽ちます(この字でいいのか、わかりませんが)。いつまでも残るから困るとされるプラスチックだって、おおよそのものは分解され、水と二酸化炭素等になるでしょう。

    でも、人間の肌感覚とでもいいますか、自分たちの時間スケールに近い感覚だと、石は永遠の象徴だと感じますね。それに比べ、木を含む植物や動物はあっという間に朽ち果てます。石に囲まれた人間は自分たちのはかなさをより感じて絶対的なものにすがり、動植物に囲まれた人間は万物は朽ちゆき再び別の命に取って代わられるという思想にたどり着いたというのは、わかるような気がします。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    50年以上前の話ですが、当時の日本の若手建築家故黒川紀章氏や故菊竹清訓氏が中心となってメタボリズム(新陳代謝)という運動がありました。

    新陳代謝をする事で、建築や都市は社会の変化とニーズに対して柔軟に巨大化したり縮小したりできれば、新陳代謝する事で永遠に近い命を手に入れるというものです。

    コンセプトは良かったんですが、当時作られた建物は今ではほぼ解体されてしまっています。一番メジャーだったのは中銀カプセルタワーという建物ですが、これも2022年に解体されてしまいました。

  • 不完全なくそ野郎への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    そうですね、悪い人/良い人にすっきり分かれてればいいのに、と、ちらっと思うことはよくありますね。いい人がすべていい人ではないのはまだしも、悪い人に良いところがちらりと見えたりすると、苦しいことが多いです。さらには、配慮すべき背景があるというのも、悩ましいですよね。

    もしも自分の家族がむごいやり方で殺されて、その犯人にそんな良いところや考慮すべき生い立ちがあったら、と考えると、恐ろしくなります。でも、そんなものなんですよね……

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうざいます^^

    物語を作る時も、本当に悪いやつが登場したほうが深みが出るような気がするんですが、どうも架空の存在であってもそういう人格を造り出すことができません。

    現実社会の凶悪犯は完全なくずであって欲しいものですが、なかなか人間そうはいきませんよね。更に社会的にはその存在は必要悪な場合もあるので辛いです。

  • ブータンへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ブータンについては断片的な知識しかありませんが、衣服についてはかつて百科事典(^^;)で見て、着物に似てると思ったことがありました。ただ、民族衣装をいろいろ見たわけではないので、アジアの民族衣装はそれぞれどこか似通っているのかな、とも思います。

    ブータン建築で検索すると、こんな記事がありました(衣服も出てますね)。ややずんぐりとしたフォルムが安心感を与え、広い屋根が不思議なバランスを感じさせる建築だなあと思います。

    https://www.jia-kanto.org/online/kaigai/2021/288/index.html

    「ただ建築というのは見た目だけの話ではないので、実際に行って体験してみなければ実際のとところは何とも言えません」

    ぜひ、現地に行ってご覧になって、このエッセイでご報告してください(^^)

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    ブータンに行くのには大金が掛かりそうなので、多分一生行く事は無いのかなと思います。実際に見てはみたいんですけどね。

    最近、世界が旧石器時代で打製石器を使っていた時代に、日本では磨製石器を使っていたという話を聞いて、石器を磨くというのはいかにも日本らしいなと思いつつ、大陸経由で西側から入ってきたと思っていた文明は、実は逆に日本から東側へ伝わった可能性もあるのかなと思いました。

    アフリカから来た人類は、アボリジニの次に日本の原住民族に分岐したという、DNAの研究結果とも合いそうな気がします。

  • 書きたいものへの応援コメント

    十三岡繫さま

    こんにちは。

    「書く」に対する気づきですね。「書く」が日常になると、経験することすべて、そういう目で眺めるようになった気がします。これは文字であらわすならどう表現するだろうか? と。思い付きは都度書きとめないと、すぐに忘れるということも重要な気付きでした。忘れると言っても頭のどこかには残っているだろうからいつかは思い出すかもしれませんが、効率が悪いです。

    「書く」内容がないと書けないのはそのとおりですね。いつでも書けるよう、「書きたい」を集めてはストックしておくことの大事さを私も最近感じています。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     本当にメモは大切ですよね。昔なら手帳を持ち歩くところですが、今はスマホがあります。

     さらにネットに常時繋がっているので、スマホ本体ではなくクラウドにメモをストックできます。

     思いついたらぱっと書ける140字小説も楽しいです。ツイ…Xで呟くのとはまた違った感覚ですね。

  • オーバーツーリズムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    いわゆる従来の道徳と現実との齟齬にとまどう時がありますね。「人のものは取ってはいけない」と「鍵もかからないところに置き去りにしたものは盗まれて当然」。子供に前者だけを教えていると、社会に出たときにとんでもないトラブルに巻き込まれてしまうかもしれないです。矛盾する二つの事柄をどうやって教えたらよいのでしょうね。

    野菜の無人販売所は単価が低いのであまり話題になることがないのかもしれませんが、被害は相当あるでしょう。最近では単価の高い肉や加工食品の無人販売所が各地にできていますが、万引き被害は多いようですから。野菜の無人販売所は、場所によってはロッカー式のものが設置されていたりしますが、ロッカーを壊されると被害は跳ね上がりますね。

    ただ、かつての日本人がもっとマナーが良かったかというと、そうとも限らないのではないかとも思います。それよりは、人の目がいきわたっていたのかな、と。これから高齢化が進み、そこら中、散歩したり日向ぼっこしたりする高齢者であふれるようになれば(なるのか?)、よい監視になるかもしれません。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     中学の頃だったか、先生から外国人が日本に来て一番驚くのは自動販売機だと聞きました。

     誰もいないところに、現金の入った箱が置いてあって、どうして誰もそれを持っていかないんだという理屈だそうです。

     今は知りませんが、その後いろいろな国に行きましたが、確かに自動販売機というものは少なかったです。あるにはありますが、どれも人の目が届くところという感じでした。日本の特殊性は実際に海外に行ってみないとわかりませんでした。

     日本においても悪い人間はいつの時代も一定数存在しますが、率が違うと思います。それはまた、閉塞的な社会の表れでいい面だけでもないような気がしますが、それでもそんな牧歌的な所は嫌いではなかったです。

     インド人の技術者は、賃金が安いにも関わらず、日本で働きたがるそうですね。日本は牧歌的なんだそうです。

  • 博多時間への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    博多時間、初めて聞きました。

    十三岡繁さまと私の見方で百八十度異なるのが、博多を都会と見るか、田舎(地方)と見るかですね。私はいまだに博多イコール大都会のイメージが強く、ときどき、考え方のベースが違うことに気づかされます。

    それはさておき、待ち合わせで時間に遅れる人が多い話、人間関係の距離感にも関係してませんかね? 相手との関係が遠いと考えているほど、無用な揚げ足を取られないよう、待ち合わせ時間はきっちり守るのではないでしょうか? 「あー遅れたわごめんごめん」と言いながら悪びれた様子もなく集合の輪に入ってくるのって、いかにもべたべたな仲間内の集会で見られそうです。学校に遅刻する人が多かった記憶もないですね。

    ちなみに職場でも打ち合わせを「朝イチ」「昼イチ」と指定されることがよくあります(やめてほしい^^;)が、指定するの大阪京都栃木出身者で首都圏暮らしの長い方々、ここでは田舎都会は関係なさそうです。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     大分時間はないですか…言葉としては沖縄時間と博多時間以外は聞いたことが無いんですよね。イメージとしては鹿児島や宮崎の方がもっとおおらかな気がするんですが、宮崎時間も鹿児島時間も聞いたことがありません。

     確かに親しい仲であるほどに時間にルーズな傾向は強いと思います。でも初顔合わせの飲み会などでも遅れてくる人が多いですね。年齢が上の方々は自分より若い人が気を使わない様に、わざとそうする習慣はあるそうですが、年齢に関係ないような気もします。

     マナーの話だと、ご自宅に訪問するときなどは約束の時間から少し遅れていくのが基本ですが、逆に私はこれが苦手です。いつも近所で時間を潰す羽目に陥ります^^;。

     東京で働いていた頃は、営業の人が訪問してくる時はキッチリ時間を決めていました。会議とかでもそうですね。1分でも遅れるなら連絡が入ったものです。自分が打ち合わせに出向くときも一緒です。

     まぁ日本の様に時間通りに電車が運行される国は、かなり特殊だとは思うので、世界標準としてはアバウトな方がマジョリティなのかなとは思います。

  • 東京大学漫画学部漫画学科への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ラノベは海外文学のYA(ヤングアダルト)の一部に該当するんじゃないかと思います。両者ともターゲットの中心は高校生、ラノベはその中でもエンタメ特化という感じでしょうか。だから海外にラノベに該当するもの、その土壌が全くないわけでもないです。ただ、日本のように、ラノベから、さらにさまざまなエンタメが生み出されるという現象は聞いたことがないですね。

    デジタルコンテンツに特化した大学として、デジタルハリウッド大学があります。
    https://www.dhw.ac.jp/

    たしかに、東京大学は日本のトップというゆるぎない認識が確立していますから、それを利用できると話が早いのですが、せっかくなら、このような大学がもっとネームバリューを上げるようにしてもらいたいですね。授業料も補助するような制度を国が上手に作ってくれないかな。一極化はどうも好きになれないのです。

    作者からの返信

     おはようごさいます。コメントありがとうございます^^

     YAはアメリカにおけるもので、その他の国でも同様の文学?というか文化は存在していると思います。アメリカにいた頃ペーパーバッグでガンダムがコンビニみたいなところで売られているのを見て驚きました^^;。

     でも日本のこの手の物に関する層は広さと深さが比較にならないと、最近特に感じます。ここでもなろうでも、書き手には中学生や高校生もゴロゴロしている様ですし、PIXIVのイラストなんてプロと見分けのつかないレベルの作品で溢れてます。

    デジハリはコンテンツ特化大学と言えるかもしれませんが、サブカルというよりはメインストリームですよね?アニメ専攻はあるようですが、もっと日本特有の強烈なオタク臭というか…そんなものが伝わってきません。そもそもハリウッドって銘うっちゃってますから^^;。

  • スターシステムへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ドラマの俳優陣のうち脇役の方々が被っていると感じるのは個性を殺さなくなったからか、とのご考察ですが、もともとの個性を殺そうとも生かそうとも、役ごとにそれに合った個性を作り出さなければならないものでないのでしょうか? それが役者だと思っていましたが、最近はそうでもなくなったのでしょうか? はたまた、最近の脚本はどれも似たり寄ったり、主役のみすげかえて脇役陣はまるっと同じ、つまり行動も性格も変える必要なし、ということなのでしょうか。

    売れる・視聴率を取れる、というのは大事なのでしょうけれど、あまりにテンプレ配役・テンプレ展開ばかりだと飽き飽きするんじゃないんでしょうかね(ドラマを見ない人間のつぶやきです ^^;)。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

     確かに昔のドラマだと、脇役は脇役に徹して目立つ存在ではなかったと思います。最近はそういう感じではないですね。でも同じ人が同じようなキャラ設定で演じていると、見ている方は混乱します。作り手はそれも承知でキャスティングしてるんでしょうけどね…

     今は昔と違ってドラマはあまり視聴率は取れないみたいです。それでもやっぱり色々と見てみると、面白いものもありますよ。小説を書くようになってからは、自分だったらここはこういう展開にするな、みたいな見方が出来てそこは楽しいです。

  • コスパへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    生きるのには外部からエネルギーを取り込む必要があり、その対価がコスト(お金という意味に限らず)であると考えるなら、たとえひとりっきりになっても、生きるためにはコストが必要です。体力という対価を払って農作物を作ったり狩りをしたり、漁をしたり、とか。

    集団になると、他人とのコストのやり取りが可能であり、その効率が良かったために社会が発展したんじゃないでしょうか? 集団ならば、何らかの形で公平なコストのやり取りをするシステムが必要になり、それが通貨だとすると、形こそ変わりうるにせよ、概念としてはなくならないんじゃないかなあ、と思いましたが、どうなんでしょうね。

    完全独立栄養で生きられるようになったら、お金もいらないか? と思いましたが、植物だって栄養塩と光がいるわけで、それらをめぐる駆け引きの中で、お金に似たものが発生するのかな……

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます。

     集団でコストのやり取りが出来たほうが効率がいい…これはまさにその通りですよね。経済学でも貿易の有効性はそこにあると習いました。

     でもそのコストのやり取りに、通貨というシステムが最善なのかどうか…物凄く文明が進んだ異星人が地球にやって来て、UFOのエンジンレストアするのに給料二ヶ月分吹っ飛ぶなとかは言わないような気がするんですよね。

     じゃあ、通貨じゃなくて何をもってコストのやり取りをするかと言えば…そこが謎なんです。エネルギーとかだったら代替通貨ですよね。

     案外やすらぎとか喜びとか、そいう精神的なモノなんじゃないでしょうか?元来の通貨的概念を持ち続けていると、外宇宙に出るほどまでには文明は発達しないような予感がします(戦争で滅びる)。

  • 芯の部分への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ふふふ、そうですね。一貫して断言口調で終わりましたが、びっくりするくらい変わらないこと、年を重ねると実感します。

    でも、周囲の目は変わるんですよね。立派な社会人、いい年した大人、人生の先輩、高齢者…… ただ、この先どんどん周囲が高齢化するにしたがい、「周囲の目」もまた変わっていくかと思うと、ちょっと面白くもあります。

    四十、五十歳を超えた美しい女性を最近では美魔女なんて呼びますが、あれも、若々しい女性が実際増えたことに加え、周囲の目が年をとったということも大きいんじゃないかなあ、なんて思いますね。

    作者からの返信

    おはよいうございます コメントありがとうございます。

    本当に変わらないことに驚きです。もしかしたら80歳とかになっても変わらないんじゃないかと最近は恐怖しています^^;。

    しかし一方で周囲の目もそうですが、体の機能もあちこちガタが出てきて辛いです。漫画「攻殻機動隊」ではサイボーク化した体の事を義体と呼んでましたが、早く入れ替えて欲しいもんです^^。

  • ガンダムへの応援コメント

    『ガンダム料理』とは良い例えですね。
    ガンダムを作品に出せば、ある程度のヒットは見込めますし、優良コンテンツなのでしょうね。
    ファンも色々と考察して、それも楽しみのひとつですね。

    あるクリエイターのコメントだったと思いますが、初代ガンダムOPで「ザクが並んでいるシーンに衝撃を受けた」そうです。
    まさに、ロボットが兵器として扱われたシーンだったのでしょう。

    今は女性ファンも多く、今後がまだまだ楽しみなシリーズです。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    あのザクのシーンはそれまでのロボット物とは一線を画してましたね。でも下敷きとして宇宙戦艦ヤマトの戦闘機が並んでるシーンや、絵面てきには勇者ライディーンの敵がずらっと浮遊して並んでいるシーンなんかがあったように思います。

    やっぱりガンダムはファーストが一番面白いと思ってしまうんですが、長浜ラーメンは元祖長浜屋が一番おいしいと思っているわけではありません^^;

  • 高祖山への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    山チームは全員建築士さんなのですか。建築士さんも何らかの協会があって、交流がさかんなのでしょうか。それにしても、仕事も趣味仕事も同じ人たちのグループだと、何かを見て一般の人とは異なる感想を持ってもそれをすんなり共有できて楽しそうです。

    吉備真備が福岡で城の建築の指揮を執っていたとは知りませんでした。教科書や図書でしか名前を見ない古人に関わる遺構を目の当たりにすると、途端にはるか昔の人が親身に感じられるようになりますね。そんな昔の名残が身近にあるのは楽しそうです。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます。

     うちの登山チームは全員一級建築士なので、遭難でもしようものなら違った意味でニュースになってしまいそうです^^;。

     同業者同士だと興味を持つ対象が近いということもありますし、個人事業主だと貴重な情報交換の場でもあります。

     吉備真備が九州に赴任したのは、道真公の様に左遷されたとする説と、もっとポジティブに大陸側からの軍事的脅威に対抗する為とする説があるようですね。

     伊都城は当時日本には無かった中国式の構成をしているそうです。福岡ほどではないと思いますが、多分大分も山の中には色々と眠っているんじゃないでしょうか?最近聞きましたが邪馬台国大分説もあるそうですね^^。

  • アレルギーの不思議への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    膠原病になると免疫抑制療法を行うので、実際には免疫力が低下し、感染症には健常者より注意が必要になるようです。また、膠原病になると自己抗体が産生されて自分を攻撃しますが、自己抗体は特異的に自己を攻撃すると思われるので、これがたくさんあっても、感染症への抵抗力が上がることはないんじゃないでしょうか? なんでそんなものが作られるのかは不思議ですが。

    自分の体とはいえ、制御できることなんてごく限られていますよね。自分のもの、と思うことが間違っているのかも。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     膠原病は自分で自分の細胞を攻撃しますが、アレルギー反応は外敵に対しての抗体反応ですよね?だからそれが強いという事は抵抗力が強いという事になるんじゃないかと思うわけです(強すぎるとも言えますが)。

     実際に新型コロナでは、食物アレルギーのある人の方が感染リスクが半減するという研究結果があるみたいですね(理由は抵抗力が高いからとは考えられていない様です)。それがいいんだか悪いんだか分かりませんが^^;。

    編集済
  • 性転換への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    魚類成体研究会の2024年春の報告に下記がありました。タイトルしか見られないのが残念ですが、この春の研究報告なので、そのうち論文になるでしょう。

    「クマノミは一夫一妻だけじゃなかった?一夫多妻による繁殖の報告」

    「共同的一妻多夫の成立要因の探索:タンガニイカシクリッドJulidochromis ornatus の優位オス除去実験から」……同研究会の報告例ですが、こちらも興味深いですね。

    ちなみに、クマノミ研究の研究室の研究内容(くどい……)はとても面白そうです。
    https://www.omu.ac.jp/sci/biol-asoci/about/index.html

    「鮭の男と女…哺乳類だと男豚と女豚、男牛と女牛…何か淫靡な物を感じてしまうのはきっと私の心が汚れているからなのだろう」

    ははは、これは禊が必要なのではないでしょうか(^^;)

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     自分の人生には全く影響は無いですが、他の生物の生態を知るのって面白いですよね^^。「人間は一夫一妻だけじゃなかった?一夫多妻による繁殖の報告」人間も十分面白いですが…

     心が汚れているのは人間の味わいですね。前にも書いたナウシカのセリフです。「ちがう いのちは闇の中にまたたく光だ!」

  • ジャンプペイントへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。九州では目覚ましがイソヒヨドリでしたが、関東に戻るとウグイスの輪唱になりました。

    ジャンプペイント、初めて聞きました。ペイントにもう少しお絵かき機能が付いたのなら、これは(仕事の)いろんなことに使えそうです。同僚たちが使っているめちゃくちゃ高いお絵かきソフト、どうしても買う気にならないんですよね。GIMPを教えてもらって多少使ってみましたがここまで本格的じゃなくて、もう少しさらっと使えるソフト、でもペイントよりは多機能なものがないかなと思っていたところでした。

    無料で使えるというのは驚きですね。提供側にどんなメリットが? と私もつい勘繰りたくなります。

    作者からの返信

    こんにちは コメントありがとうございます

    今日は小石原焼を物色しに東峰村に来ています。

    これ、漫画に特化しているので集中線をひいたり、スクリントーンを貼ったりできるみたいです。漫画のコマ割りもできるのかな?

    もしかしたらそのまま、ジャンプの漫画賞にも応募出来るのかもしれません。

  • 映画鑑賞後に思うへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    映画の話、ほぼ見ない人間のコメントですが、アメリカ映画は娯楽、ヨーロッパ映画は問題提起といったイメージがあります。あくまでイメージです。どれだけ典型化されているかによるのでしょうか。勧善懲悪だとか、人類救済だとか、そういった比較的お手軽に共感を得られるテーマにいかに多様な味付けをするかがアメリカ映画で、取り上げる問題そのものに多様性があるのがヨーロッパ映画、という感じですかね。妄想ですが。

    私のイメージの中では、日本映画もアメリカ映画に近いです。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^。

     ハリウッド映画なんて、ラストを何パターンか作っておいて、試写して一番受けがよかったものを採用してますからね。娯楽としての追及は凄いと思います。

     日本映画はハリウッド映画に近いイメージですか…『万引き家族』とかは絶対にハリウッドでは作られないような作品です。『寅さん』シリーズも無さそうです。アメリカ映画は日本で劇場公開されるのが娯楽作品ばかりで、実際にはマイナーで味わい深いやつもあったりするのかもしれないなとは思います。

  • 縄文と弥生への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    歴史が「動く」のは興味深いですよね。かつての直接的・間接的な記録の断片から後人が解釈するだけなので、手に入ったかけらいかんでいくらでも解釈ができてしまうからこそ、だと思います。「古環境は物語だから」と恩師が苦笑していたのを思い出します(そう言いつつ、古環境も研究していたんですけどね)。

    縄文時代と弥生時代が並行して、というのは、縄文文化を守る集団と弥生文化を守る集団とが同じ地域で別々に暮らしていたということでしょうか? それとも、両方の文化がどちらも廃れることなく、ひとつの集落の中に存在したということでしょうか?

    今の縄文・弥生共存説も、時代が下がればまた変わってくるかもしれませんね。

    作者からの返信

     おはようございます。 コメントありがとうございます^^
     
     最近伊都の国博物館という所に行って、更にその思いが強くなったんですが、弥生人と縄文人は民族として完全に別々だったんだなと…で、糸島で言えば平野部に弥生人がいて、脊振山系のあたりに縄文人が住んでいて、当初は完全に住み分けていたように思います。

     そうしてそのうちに交わって来て、板付遺跡みたいなことになったんじゃないでしょうか(板付遺跡は縄文後期です)?では弥生人はどこから来たかと言えば…これを書くと怒る人がいると思いますが大陸の方からでしょうね…。人類発祥の地はアフリカですから、縄文人も大陸側から来たといえばそうなんでしょうが、もっと南側ルートでタイムラグも1万5千年ぐらいあったんじゃないかと思ってます。

  • 調整力への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    今まではそう問題にならなかったウイルス感染症が増えているような気がするとのこと、これは、そうとも言い切れないのではと思います。

    かつては、なんだかよくわからない感染症にかかる人が圧倒的に多かったから問題にならなかったともいえると思うので。また、何となく調子が悪いくらいだと病院にもいかず、したがって原因は判明せずウイルス感染として記録に残らず、ということも多かったのではないでしょうか?

    調整力は緩やかなウイルス感染によって得られるものだと理解しています。一度に複数の感染を激烈に起こせば死ぬので、穏やかにひとつずつ感染することができた幸運な人が生き延びられる、と。だから外部からの侵入をある程度防ぐのも、その調整力を得るための技とも言えて、全く意味がないとは思わないのです。

    とか、えらそうに言ってますが、これまでの感染症の実態を信頼できる数値で把握しているわけではありません。誰かやってるのかな?

    あ、ちなみに、コンビニ弁当や大手メーカーのパンが腐らないのは、最近では、添加剤より製造工程における徹底した衛生管理によるところが大きいと思います。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    なぜ訳の分からないウィルスの感染症が増えていると感じるかと言えば、わけのわからなくない感染症の患者数が増えているからです。例えばRSウィルス、りんご病、手足口病に水疱瘡…どれも以前は子供の頃にやっても、免疫があがった成人は感染しても発症しにくいと思われていたものです。以前はきっと発症しても症状の軽い人が多かったのでしょう。それが病院で原因を特定するまでに症状が悪化するというのは(統計に出てくる)、免疫力が落ちている証拠ではないでしょうか?

    これはまた違った要因がありそうですが、梅毒患者が増えているのも気になります。これについては東京都のデータが分かりやすいです。国の感染症患者数の推移データは年次の物が2021年までのものと、NHKが出している去年との比較ぐらいしか見当たりません。最近の状況について数字に出てくるのはもう数年先になるかと思います。

    妙な自粛が終わってまた以前の状態に戻れればいいんですが、ちょっと難しいんじゃないかなと個人的には感じています。

    添加物の量は以前より減って来てるんですかね?そもそも増殖する前の菌の数を減らせばいいというのは、それはその通りだと思います。でも細菌類の増殖は指数関数的なので、ゼロにできない限りやはり長期間の保存は難しいんじゃないかと思っています。かといっても私は食べますけどね。

  • 台湾が凄かったへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ご意見はどれもこれもそうだなと思うことばかり、どうやってこの賛同者を増やしていくかが大きな問題なのだと思っています。

    気づきを申し入れても相手にしてもらえないのなら、政治家のトップダウンに期待するか、国民の声として政治を動かすかしかないと思いますが、私的には、コネを作って前者をやるのが圧倒的に楽だと思っています。集団を動かすのは難しく、さらに個人的に好きではないので。

    でも問題の内容的に、後者を推し進めなければ意味がないとも思います。そうなってくると、どうしたらよいのか? 

    かつては「みんながやってる」ことがいくつもありました。新聞を読んで、NHKのニュースを見て、町内会に参加してなどなど。そう言うところを利用すれば、大衆に効率よくアピールすることができました。個人が尊重され生活スタイルが多様化した今、昔と同じ手は使いづらいですね。人気ユーチューバーと仲良くなって、情報発信してもらうとか?

    交流のある学生さんにこの回を読んでもらってご意見もらうと、面白いかもしれませんね。

    作者からの返信

     おはようございます。コメントありがとうございます^^

     何を言っても無駄だと黙ってしまう人がいますが、私はそれは違うと思っています。草の根で声を上げ続けることは全くの無意味ではないと信じてます。選挙も一緒です。

     行政に意見しても暖簾に腕押しですが、それを読んだ職員の頭の片隅にその話が少しだけ残っていて、何かを判断するときに影響するかもしれません。

     今我々は小説を書いています。ベストセラー作家と違って読者数は少ないですがゼロではありません。「異世界建築士」ではもっぱら建築の考え方をテーマにしましたが、「なかしま君となかじまさん」では夫婦別姓問題を取り上げましたし、「トキネさん…」では転出入届の問題とIT大学構想を書いています。佐藤さんもイソヒヨドリシリーズの中でLGBTの問題を取り上げていますよね。

     そうやって自分のできる事を少しずつでもやっていくしかないのかなと思います。特に小説は書籍化でもされようなものなら、結構な影響力を持つようになりますよね。そう言って意味でも公募にも出し続けようと思ってます。

  • 出る杭は打たれるへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    母の四十九日でも一周忌でも式服を着なかった佐藤です。葬儀には出なかったのですが、出ていたらそちらでも来ていなかったかも。

    でも、親戚の葬儀だと斬るかもしれません。無駄に波風たてたくないからですね。そんなところで戦って気力を消費するより、他の、自分にとって有用なことに取っておきたいなあと思ってしまいます。フォーマルウエアを淡々と着用する人たちの中には、そんな人がいるんじゃないでしょうか?

    昔ながらの慣習が社会には山ほどあります。どれも、当初は何らかの意義のもと作られたのでしょうが、現状にそぐわなくなっているものが、違和感を抱かせているのだと思います。ひとつひとつ見直し、新陳代謝させることが必須なんじゃないでしょうか? 最初からそんな慣習を作らねば良い、というわけにはいかないでしょう。今創り出されている文化だって、五十年もすれば陳腐化しているでしょう。見直し、駄目なものは駄目と言える空気をなくさないことが大事なんでしょうね。

    若者も変わってきていると思います。ランドセルの色がカラフルになったのは親の希望もあるでしょうが、すくなくとも、男は黒女は赤という枠に押し込まれることなく生きています。校則の見直しだってやるところはやっています。入社数年で転職するのも柔軟な頭になったからという側面がゼロではないでしょう。

    作者からの返信

    おはようございます。 コメントありがとうございます^^。

    完全な家族葬であれば喪服を着ないというケースもあるみたいですね。大切なのは気持ちであって服装では無いと思います。
    第一スーツなんて本来の日本人の服装ではないですからね。

    女性の場合葬式だと黒い着物を着ていても様になりますが、男の場合は目だたい席と完全に一緒になってしまうので、違和感凄いでしょうね。見たこと無いですが…。

    慣習や宗教行事の全てを否定するわけでは無いですし、文化や歴史に根差した大切なものも多いと思います。でも変化は必要ですよね。

    そう言えば昨日糸島市の伊都国歴史博物館 に初めて行ったんですが、ここお勧めです。というか国宝級では無くて本当に国宝がたくさん陳列されてました。車じゃないとちょっとアクセス悪いですが、色々と凄いですよ^^。

  • 既に答は出ているへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    単に行政を合併するだけでは、中心都市に有利なシステムが出来上がるだけで、緩慢な地方の衰退を促すだけじゃないのかなという気がします。それが問題だというより、積極的に人を行政中心都市に集約して密なサービス提供地域を制限しないと効果が薄いのではないかと感じています。地方を積極的に見捨てることになりますが、国民全員がそれなりの質の生活を続けて行こうとしたら、そうしないと無理じゃないんでしょうか。

    災害が起きて市町村が壊滅したときなど、より好都合なところに人を集約させて新たな都市をつくりなおすチャンスだと思うのですが、感情論ばかりが先に立って、そうはいかないですね。正確には覚えてないのですが、昭和三陸地震でしたか、津波で壊滅した町を高台に移転させた事例があるようなので、できない話ではないと思うんですけどね。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    コンパクトシティですね。いい悪いは別として私もそうならざる得ないと思っています。しかし例えばAという行政単位がA単独であり続ける限りはAを切り捨てる事が出来ません。それが自分自身であり全てですから…。AとBとCがひとつになるからこそ、Aを切り捨てていくという選択も可能になるわけです。だからやはり区分は大きくしていくべきです。

    そうして大きくなることで、同じ切り捨てるにしても選択肢が増えると思います。超ド田舎でも逆に自然が豊かだったり、素晴らしい観光資源があったりとなにもないわけではありません。人が住んでいなくても、その魅力はそこなわれないという場所があるんじゃないでしょうか?

  • 複雑系への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「出たとこ勝負」にうなずきました。常に新たな性質のウイルスが、時に細菌が系に放り込まれ新たな平衡状態に向かおうとするのでしょうが、それが私たちにとって好ましくない結果を与えたとき、病気、障害、不運などいろんな名前がつくんでしょうね。

    放り込まれたものがこれまでのバランスを大きく損なえば系全体が崩壊することもあるでしょう。これまで意識せずに行われてきた系の進化に対し、「不都合」なものを意識的に制御しようとする人間。いずれは前者に圧倒されそうですが、それはどんな形でやってくるんでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    同じく薬でも、漢方はこの出たとこ勝負を繰り返して体系が出来上がったというイメージです。西洋医学の方はなんというか上から目線というか、自然なんて人間様がコントロールしてやるみたいな驕りを感じてしまいます。

    そのうち手痛いしっぺ返しにあうんじやないでしょうか?何とは言いませんが、もう始まっている様な気もします。

  • 好奇心への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    死ななければ見ておきたいものリスト、いろいろあるのですね。すごいなと思うのが。良いことも悪いことも、冷静に将来を見据えていらっしゃるところです。私は悪くなることに恐怖しか思かんじられず、将来も自分の後始末を考えていっぱいいっぱいになりがちです。少し考え方を変えないともったいないですね。

    サグラダファミリアの完成もさることながら、身近なところで横浜駅付近の最終形態も気になります。終わるかと思いきやまた何かが始まり、つい最近マンションが完成したんでしたっけ? これで落ち着くのか、まだ手を加えるのか……

    ロボットの各家庭への進出は楽しみです。ある程度の介護をお任せできるくらいのものが実用化されると頼もしいですね。

    作者からの返信

     おはようございます コメントありがとうございます^^

     横浜駅は日本のサグラダファミリアと呼ばれているらしいですね。何度か行ったことある筈なんですが、何かこう中心となるイメージがありませんね…東京の方でずっと工事中の駅というと、渋谷駅を思いつきます。高田馬場駅も駅前はずっと工事しているイメージでしたが、これは完成しました。

     どうせ生きるならば、何事も楽しまなければ損だなと思うたちです。昔長嶋茂雄が『緊張を楽しむ』と言ってましたが、恐怖や不安も楽しみですよね。お金払ってお化け屋敷に行きますし…。

     でも設計業務の中でも確認申請だけは楽しめません。片付けも面倒くさいと思ってしまうので、終活はやっかいですね。もうある程度残された人に迷惑かけちゃう前提でもいいんじゃないでしょうか?自分もそうだったりするわけですし…。

  • 電線の地中化への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。今日は羽田空港からです。

    電柱が林立していることのデメリットは第一に災害時の危険性でしょうか? 確かに、トランスやコンクリートの塊があの高さから落ちてくることを考えると、ぞっとします。でも、多くの人はその危険性に気づいていないでしょうね。それを説くところから地道に始めないといけないのかもしれません。子供のいる家庭、保育園、幼稚園、小学校のあたりだとわかってくれるかもしれませんね。

    あと、電柱があることで歩道の有効面積が減っていることに、歩行者として腹立たしいこともあります。でもそういうのは二の次って言われるんでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます。

    もうGW突入ですか?大型連休ですね^^。
    しかしGW前半は天気がイマイチなので、山に登れるかどうか微妙です。

    災害時のインフラ確保の為に地中化が有効だとなっていますが、倒壊や落下の危険性についてはあまり言われていませんね。
    幹線道路の地中化が進んでも、住宅街の様に…体で言えば毛細血管みたいなところまで地中化するのは流石に難しいかなと思います。

    街中の電柱は歩いているときよりも、車で走っていて対向車が来たときなんかに本当に邪魔だなと感じますね。

  • ガソリンスタンドへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ガソリンスタンドの閉店は確かにしばしば見かけます。でも、総体としてガソリンの需要が減っても、ひとりひとりの移動の必要量は変わらないんですよね。都市部のように移動の代替手段が複数あるところは良いですが、地方はますます追い込まれていく感じです。

    家族の平均構成の変化による車の乗員数想定の見直しなんて、需要さえあればすぐにやりそうですけどね。それに伴う、税制の見直しも。

    でも、実際、子供夫婦に子供ひとりの家庭って、好んで軽に乗るのでしょうか? 私の身の回りだと、子供のいる家庭は一台は普通車、二台目が軽というケースが多いです。両親共働きの家庭ばかりです。家族全員が乗る場合は普通車、家族の一部がちょっと利用するときは軽、という感じです。こういう恵まれた家族も減っているのかもしれませんが。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    私等の年代からすると、地方では車のニ台持ちが普通という感じですが、お金のない若い夫婦の場合、軽自動車一台だけというケースが今は多いと思います。実際の自動車販売台数にも現れているんじゃないでしょうか?

    なのでこれからは、家族全員が乗る場合は軽自動車、ちよっと出かけるときはバイクみたいなスケールダウンが起きるような気がします。

    政治家の方たちには、なぜ若者が軽自動車に乗るのかを感覚的に捉えきれていない人が、多いんじゃないでしょうか?ただ、街中ではすでにシェアカーは当たり前になっていますし、ライドシェアも急拡大するでしょうね。

    人口が減って産業も活動も縮小する一方です。その方がエコなんでしょうけどね。

  • データ相続への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    本当に大事なものならあっという間に対策が取られていると思うので、逆に、対策とってないけど大丈夫かなと思うものは、重要ではないと思っています。

    データ類、写真に限って話をするなら、これこそ、なくても生きていけます。子供や家族の写真って大事だと思いますけれど、重要なもののの上から何番目かと考えると、けっこう下の方では? あれば嬉しいけれど、なくてもいいや、というのが今の個人的な気分です。

    写真(紙焼き)や画像データがなくなった、とショックを受けても、一か月後にはあっけらかんとしていそうです。ちなみに、実家の整理で、両親とその子供たち(自分含む)の大量の写真をどう処分するかが、このGWの喫緊の課題となっています(笑)

    「紙焼きの写真をデジタルデータにしていつまでも手元に」というのは、むしろ、なくなること前提の、過去の記憶をゆっくりと手放す断捨離の第一歩なんじゃないでしょうかね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    確かに画像や映像を残せるようになったのも、人類の歴史から見ればごく最近の事なので、本質的には不要なものなのかもしれません。

    歴史を学ぶのは、過去の教訓から現在を知り未来を予測する為だと誰かが言ってました。エッセイでは例えとして家族写真を出しましたが、もっと大きな話でもデータが残っていた方が歴史を正確に辿れます。データが残っていたら邪馬台国の位置で論争する事も無かったでしょう。縄文時代の生活習慣も詳細に分かったんじゃないでしょうか?

    歴史の教科書も、ペリーや坂本龍馬の方が写真が残っているのでイメージしやすいです。信長とか秀吉は怪しいです。聖徳太子はきっと別人でしょう^^;。まー私なんて凡人の写真は奨励的注目されるとも思えませんが、NHKの映像の世紀なんてみていると、個人的なデータも結構歴史の証拠にはなるような気はします。

    実家の写真は全て処分されてしまうのですか?多少はやはり残しておくのではないでしょうか?自分でデジタル化するのが面倒な場合、デジタル化サービスというのがあります。まぁデジタル化して物理的に場所をとらなくなっても、その後どうするんだというのはありますが…。

    昔の写真は小説のネタにはなりそうです^^。

  • 最後のワンピースへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    ロボットが滑らかに二足歩行し、とんぼ返りを打てるようになった技術革新って、結局何だったのでしょう? 革新ではなく、小さな改良の積み重ねだったのでしょうか? 

    二足歩行をさせるのがすごく難しいんだよという話をかつて聞いたことがありましたが、あっという間に二足歩行ロボットが当たり前の存在になり、いったいどんなブレイクスルーがあったのだろうと、ずっとぼんやり考えていました。

    滑らかな動きを手に入れたロボット、次に獲得するのはどんな能力なんでしょうね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    制御技術には、この前と後みたいな極端なブレイイクスル―ポイントは無かったかと思います。大きかったのは処理能力の向上ですよね。昔のパソコンは遅かったし大きかったです。スマホなんて夢の又夢でした。

    今みたいに小さくて処理速度の速いCPUが存在していれば、脳のシュミレーションもある程度は可能になるので、当然ロボットの人体を模倣した動きもスムーズになるってもんですね。

    確かロボット技術の目標は、サッカーのワールドカップで優勝したチームに勝利するって話だったと思います。最近の感じだと結構早々に実現するんじゃないかと感じます。

  • 再生可能エネルギーへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    風と水だと流体の密度が異なるので、原理的には潮力発電に軍配が上がるのでしょうか。海流の利用だと沿岸から離れた場所に設置になりますが、潮力なら、都市部に近い河口域全面に設置することもできますし、実用的な気がします。

    あるいは、瀬戸内海の出入り口に設置しても良いかも、と思いましたが、漁業関係者の猛反発を食らいそうでもあります。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    風力より潮力を推すのは、出力の問題ではなく、恒常性です。潮の流れは完全に予測できますよね?その点風はその字の通り風まかせです。

    日本の場合底網漁がネックですよね。でも現在関門海峡では実地試験中だったような気がします。

  • 柳町への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    地名を追っていくと地域の歴史が見えてきますね。特に遊郭、赤線があった場所は、今ではその面影が無くなっていても、地域名や建築物に名残があったりして、興味深いです。その手の古い建物にはかなり興味を惹かれます。

    柳は境を表す象徴だそうです。異界との境目ということで、遊郭入口である大門のあたりには植えられていたようです。吉原の見返りの柳は有名ですね。柳という言葉そのものに、もう異界である遊郭のイメージがあるように思えます。

    遊郭を検索していて、下記の説明を見つけて驚いたのでした。どんなものなのでしょう。

    「現在公認の娼婦街はないが、表向き料理旅館に転向しつつも客と仲居との個室内での交渉を「自由恋愛」の名目にかつてと変わらない営業を継続している地域もいくつかある。大阪の飛田新地(飛田遊廓)などがそれである」(ウィキペディア)

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    私は行った事無いですが、飛田新地は女の子のレベルが高いことで有名ですね。アイドル並みの娘も珍しくないそうです。ソープに比べると短時間で安上がりみたいです。引退した娘は客引きの女将になるというのも興味深いです。

    未だに東京だったら吉原、福岡だったら中洲にソープ街がありますよね。法律で売春は禁止されているはずなのに不思議な話です。建前的にはあれはあくまで自由恋愛なんだそうです。

    ソープとパチンコ屋と高速道路の制限速度を、日本三なんちゃって建て前と、個人的には呼んでます。

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    「売る方も建てる方もそれが商売なので、今売れるんだからどんどん作ろうという事になるだろう」

    最近はこの考え方も変わってきているのではないでしょうか? 漁業が「売れる限り獲って獲り尽くす」でなくなったように、このままではまずいと声をあげる人たちが増えれば、新たなフェーズに切り替えられるのではないかと期待しています。

    でも、前例を踏まえて想像し対策を進めるということが日本人は苦手なんでしょうか。いつも後手後手な気がします。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^⁠_⁠^

    普通はちゃんと後先も考えているんだろうなと思いますよね?これがびっくり考えてないんです^⁠_⁠^;

    少子高齢化も分かっていても止められない。かっぱえびせんみたいなもんですね。

    既得権益を持っている人は変化を望みません。変化はリスクですからね。変化しないことがリスクになるという、思想的なバックボーンが変らないと、難しいんじゃないでしょうか?日本はとかく保守的だと思います。

  • やまとへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    興味深いですね。文字を持つ民族と持たない民族にはどのような違いがあるのでしょう。

    それでは、言語自体を持たない民族というのはあり得るのだろうか、と興味がわいたので、すこししらべてみました。言語学では、人間はもともと言語のもとになるような概念を持ちあわせているという考え方があったそうですが、それを覆す民族が新たに発見されたそうです。

    https://meshi-atsu.com/?p=320

    コミュニケーションを取るための音声ツールをまったく持たないわけではないけれど、一般的に言語とされる概念を満たさないものしか持たないというのは、面白いです。

    翻って、発見されていないから「ない」と暫定的に見なしているものが覆されることなんてよくあるので、縄文人に関する大発見がこの先ないとも限りませんね(^^)

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^。

    ピダハンは初耳でした、確かに我々とは全く違う思想体系を持っているみたいですね。それでも男はポルトガル語も理解するとの事なので、大分外部に毒されてそうです^^;。

    人間以外の動物は過去とか未来の概念を持ちえないと言われてますね。だから忠犬ハチ公はただ習慣を繰り返していただけで、特に忠義に厚いとかそう言う事ではないと聞きました。

    繩による文字はインカ帝国なんかが有名ですが、アイヌにもあるようです。アイヌにあるという事は縄文の世には存在していた可能性が高いような気がします(思想体系が似ているので)。その視点で縄文の文様を研究した人はまだいないんじゃないでしょうか?老後の趣味にするにはいいかもしれません。

  • 遊びへの応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    「遊び」は確かに小さくなっている気がします。無駄を省くために減らしていった側面もあれば、あいまいさに忍び込む問題を回避するうちになくなってしまったという側面もあるのではないかと思います。

    雑多なものをそのまま受け止めるための遊びですが、ごったに混じり合った概念は、いずれ精査され、新たに名付けられて遊びから分離させられます。ひとつひとつ概念が独立していくうちに、遊びの範囲も狭まり、いずれ消失する、そんなイメージがあります。

    建築の世界においても、もともとは空隙であった遊びが弾力性のあるシーリング材やコーキング材に置き換えられているように、遊びは変容し、縮小していくように思えますね。

    だから、あえて意識的に遊ぶのですけれど。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    余白を指して遊びとはよくぞ言ったものだと思います。異種材料の組み合わせは建築では日常茶飯事ですが、鉄筋コンクリートが奇跡の組み合わせと言われているのは、コンクリートと鉄筋の熱膨張率が一緒だからです(前にも書きましたかね?)。だから遊びがいらないんです。より密着するような様々な基準を「定着」と呼びます。

    但し一体化しているから変化(変形)に弱いんです。地震時に鉄骨造は無傷でもコンクリートにクラックが入ってしまうのはその為です。建て替えるのに全部壊さないといけないのもそのせいです。法隆寺が鉄筋コンクリート造だったら鎌倉時代まで残らなかったでしょうね^^。

  • 緑地への応援コメント

    十三岡繁さま

    こんにちは。

    法規制がなくとも、市民の意識の変化で(住)環境が変わってきているというのを感じますね。熱に浮かされたような高度成長期、それに続く経済停滞と、大波小波を繰り返し、今、大量生産大量消費の社会から良いものを大事に使うフェーズに戻りつつあるような気がします。

    古いものを使い続けることが必ずしもエネルギーの節約になるとも限りませんが、消費前提の社会にそれ以外の選択肢がきちんと準備されるようになりつつあるのは、良いことかなと思います。

    町の緑化ですが、安直な緑化にはいただけない点もありますね。植えればいいってもんじゃないぜ、という痛々しい街路樹がたくさんありまして……。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^。

    昔、ゼネコン勤務時は、ビルなんかの植え込みと言えば馬鹿の一つ覚えみたいにツツジ密植と書いてました。ツツジは排ガスとかの汚染空気に対して強いんですよね。街中を歩いても古い建物は未だにツツジの密植がそのままになっているところが多いです。

    近所の小学校前にある、川沿いの緑地は近所の人が手入れをして、年中花が咲いています。素晴らしい事だと思いますが、車で通るとひいてしまいそうでちょっと怖いです^^;。