牛頭天神

 ぬおっ、という擬音が相応しいかな。すぐ目の前にあるその巨体を言い表すにはそういう感じの言葉だ。人間じゃないって感じたのは一瞬で、今はその感覚自体がもう麻痺したように解らなくなってる。

 なんで土産物とかひやかしてんのか、まるで人間みたいじゃんとか、色々と思うことは思うんだけど、なんか聞けるような感じじゃない。何も解らんでいいから今すぐこの場を離れたい。


 俺が焦りまくってることにも、気付いてるのか、気付いてないのか、いや気付いてないわけがないよな、気付いてて無視してんのかこのヤロウ、なんていうワケ解らん思考が渦巻いてるんだよ、そんなこと考えてる場合じゃないのに。絶対。

 絶対と言えば、絶対気付いてるに決まってるっていう確信だけは強烈で、反面、まったく関係ない悪態が止めどなく溢れてくるから、さらに焦りが湧き上がってさ。これ、なんていうスパイラル?

 なんでラテン系のエセっぽいブラジリアンみたいな格好して歩いてんだよ、土産とか誰に渡すんだよ、友だち居るのかよ、インドかよ、インドまで帰ったりすんのかよ、なんてどうでも良すぎる思考が止めどなくふつふつと湧く。自分で自分のそんな思考に限りなく苛立ってた。


「なんか用か。」

 こんがらがってる俺の思考を解いたのは、ヤツが発したそんなひと言だった。

「午頭天神?」

 俺は、まるでイチかバチかみたいな感覚で、頭に浮かんだ最初の名詞を躊躇もせずにそのまま口にのぼせた。ぜんぜん霊感なんか無かった俺なのに。

「そう呼びたきゃ呼べ。」

 あっさりとヤツは答えやがった。なに、その回答。

「本当に、牛頭天王なのか?」

「どっちでもいいことだ、俺はどっちでもいい。」

 俺が念押しで聞き返したら、呆れたような顔しやがった。


「さっきの黒いのもお前? 牛鬼?」

「それは俺じゃない。牛鬼かどうかも知らん。それを決めるのはお前たちだ。」

 意味が解らない。

「俺たちが決めるってどういう意味? 自分で自分の正体が解らないとか?」

 あ、今度は鼻で笑いやがった。

「俺を牛鬼と呼ぶヤツも居る。呼びたきゃ呼んでいい。でもお前が言ってるヤツは俺じゃない。正体など知らん、興味はない。土産物は好きだ、面白い。」


 まるでカタコトの日本語しか喋れないみたいな発言内容だけど、カタコトの発音じゃなくて完全ネイティブな日本語ですらすらと喋ってるんだ。なんかイライラする話し方だな。

 大男はまた商品棚に視線を戻した。そこに並ぶ土産物の品々を興味深げに眺めている。食い物とかじゃなく、主に小物の類いが好きらしい。ずっとそこの一角から離れない。


「お前は犬が名を呼ばれたから来ると思ってるが、犬にとってはそうじゃない。」

 突然また口を開いた。目線は棚を見たままだ。

「生まれた時、母犬は別に名前など付けない。犬は名前など必要としない。固執してないからだ。そんなものが必要なのは人間だけだ。犬は人間が付けた記号を、人間が自分を呼ぶためのものだと理解するだけで、それを自分のものだとは思わん。人間だけがそう思っている。必要な、大事なものだと。くだらないことだ。犬にとって大切なことはその人間との関係で、刻一刻と変わるその瞬間だけだ。」

 今度ははっきりと俺の方に向き直って言い放った。

「それと同じだ。好きに呼べばいい。俺はいくつも名前とかいう記号を持ってる。そいつがまたひとつ増えるだけだ。」


 言いたいことは解るんだ、上っ面の言葉で何かを言われたところで、そんなものに価値がないくらいは解ってる。それをせせら笑って、諭すみたいに返してきてることも解ってる。宇宙人だと言えば満足なのかとその目が笑ってる。どうせ何も解らないままだぞ、て。それでもさ。

 それでも、何か聞かないことには始まらないだろ。なんで現れたんだ。


「あんたはいったい、何者だ?」

「好きに呼べばいい。」


 答える気がないのか。答えられないのか。いや、さっきの説明の通りで、答えようがないってコトなんだろな。何者とか名前とか、そういう概念は役立たずだ。俺の認知をはるかに逸脱した存在に、俺の持つ知識で自己紹介しろと言ったら、首をすくめて「ヤレヤレ」された構図だ。


 それなら……、何か質問できることはないかと考えた。この人智を超えた存在に、せっかくだから何か聞いておくことはないか。その正体はだなんて、思えば馬鹿げた質問だった。いちから説明されたって凡人でしかない俺に理解できるわけがないって、なんか突然に理解しちゃったな。

「あ、そだ。あのさぁ、俺の実家にかなり古い年代の掛け軸があるんだけど……」

「誤解しているヤツらがいるだけだ。特別な力があるわけじゃない。」

「誰が誤解してんのかが知りたいんだよっ、ヘンなことばっか起きるんだよ、あれの周囲で!」

「人間の知らんところで噂が広まったなら、誤解するのも人間以外しかない。」

 なんかもう、詭弁に掛けられてるみたいなイライラする感覚で、押し問答が続いている気がする。少しずつ、俺の聞きたい本当のところの核心からはズレた回答を寄越してきて、なんとなくだけど、面白がってんじゃないかって気がしてくる。

 俺もなんでコイツの言うことを信じてんだろう、て突然に気が付いたりしてさ。自称牛頭天王でしかないコイツの言うことをなんで無条件に信じてるんだ、俺。


「あー、ジゴローさーん!」

 背後からユノノンの声がしたのはそんな時で。俺はまたグルグルしてきた思考をその一声で解いてもらった。振り返ると三人組がさっき出た店の玄関先に立ってた。ユノノンは元気に腕を振り回し、優等生は控えめに右手を挙げて、お嬢は青ざめて引きつった顔をしていた。やっぱヒキザキカナメ、タダモンじゃなかった。見えてんだ、コイツのこと。俺が見てるのとは違う、正しい姿を。


「お前の祖先が元凶だ。誤解したヤツが出たのは。お前が始末をつけろ。ナマズが自分の正体に気付いて起きるぞ。」

 自称午頭天がまた何か意味深な言葉を俺の頭上から落とす。また俺は振り返ってヤツを見た。いや、ヤツが居た場所を。


「ゴズィーと知り合い? ジゴローさん。」

 真っ先に俺に近付いてきたユノノンがヤツの知り合いみたいなことを言った。さすがの俺でもドン引きだわ、その発言。

「なに? なんの話? カナメ、どうしたの、こっち来なよ?」

 続いて来たのは委員長だ。お嬢は一歩も動けないで、たぶんあれは泣いてるね。そうかぁ、ユノノンは平気で、委員長は見えてない、お嬢はたぶん足が竦むほど怖かった、と。俺もそうだわ、膝がガクガクなの今頃気付いたし。


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