5月17日 京都最終日の朝
一睡もせずに朝まで考えた。デジャヴの正体を。
いや、寝落ちていて気が付いたら朝だったけども。気分的には一睡もしていないという気持ちがある。気分的には。
そうしていかにも深刻そうな面持ちで、俺は鏡を覗き込む。曇りもない、磨き抜かれた鏡面をだ。洗面台だけでなく、どこも掃除が行き届いていて清々しい。
そういうワケでホテルのように居心地は良かったんだが、しかめっ面をして俺は歯ブラシを口に突っ込んだ。
俺を悩ませたのは昨日親父が漏らした「大権現」というひとつの単語だ。大権現……徳川家康のことだと思う。そこまでは解る。何の関連で出た話だったかを思い出すまでに歯磨きが終わり、口をすすぎ、ついでにうがいを三回した。
そこで無事に思い出せたことは僥倖だ。……なんつって。
最近ラジヲ番組で紹介した話の中に、そういうのがあったな、って。
『沼女』の話が出た時に調べたんだ。そうだった、思い出した。
あんなにあちこち当たってさ、近頃では珍しく図書館まで足を延ばして頑張って調べたってのに、なんで忘れてたんだろ。まったくもう。アレの詳しい資料はどこへ片付けたんだったか。帰ったらすぐに当たってみた方がいいかな。
結界の話は確かに出てきた。徳川家康が、色んな呪術的手法を用いて江戸という街を作り上げたとかの件だ。天海という僧侶が関わっていて、風水的に見て都市を造営するには不向きだった関東平野を、丸ごと改造したとかいう話だ。一説ではその為に家康自らが大権現となって東照宮に鎮座までしてのけた、とか書かれてる書籍もあったっけな。
なんて思い至った瞬間に、部屋の襖がすぱーん、と小気味よい音を立てて開かれた。
「おはようさん。今日は早いんやな、次郎。」
「昨日のあの起こされ方で警戒せぇへんヤツなんかおらんって。兄貴。」
いきなり四方固めで足にロックなんぞ掛けられたら、誰でも翌日は早めに起きるよ。ほんと絵に描いたような破戒僧なんだから。あれ? 違うか、破戒僧は主にエロ坊主のことだからDV僧侶ってだけなら言わないか。妻子にまで暴力振るってんじゃないかって心配だよ、俺。最近はナンちゃらハラスメントって煩いんだからねっ。
そんでお察しのとおり、ジゴローは芸名だ。
「兄貴は掛け軸のことで親父とか爺ちゃんから何か聞いてへんの?」
俺はともかくとして、長男であり寺を継いだ身である兄貴にまで隠し事にしてるってことはないんじゃないかと思ってさ、カマを掛けてみた。少しでも情報が欲しいんだよ。
「親父が話したんと違うんか?」
「ヘンな来客の話やったら聞いた。けど、そもそも掛け軸の由来とか知らへんねん、俺。元々は平安時代に書かれた経文の写しやとか、一部しか現存してなかったヤツを、つまり、写しの写しやんな? それを曾爺さんだかの偉い坊さんが書いたのが、あの掛け軸やってコトくらいしか知らん。他になんか謂われがあるんやろ?」
兄貴は面白くなさそうな顔で口をへの字に曲げて俺を見てた。
「偉い坊さんやった曾爺さんが入滅したその日の夜に、怪異が寺を訪ねて来たとかいう逸話やったらあるけど? これ、親父、言うてないん? 言ってええんかな。」
「言ってええよ! 聞きたい! ラジヲのネタになりそうやん、何それ!?」
「ネタにするんやったら止めとくわ。絶対、親父に怒られるし。」
「わかった、兄貴から聞いたとかは言わへん。それ、古文書とか蔵書とか調べたら載ってんねやろ? 自分で調べたって言うから! 教えてや、兄貴。」
もう兄貴は口をしっかりと噤んでしまい、俺には取り付く島もなかったけどね。そのまま逃げるように兄貴は縁側を進み、追っかけてって俺たち二人は台所へ到着、昨日と同じく沙紀さんに急かされながらで朝食の席に着いた。
口を滑らせたのが運の尽き、兄貴が喋らんでも自力で調べるもんね。仔細に拠っちゃ、今度の放送はそのネタで決まりだわ。メシをかっ込みつつ、今日の予定を塗り替えていく。もともと蔵の蔵書に当たる予定だったんだから、好都合ってモン。
しかし、掛け軸のことも気掛かりだけど、甥っ子のこともなぁ。あの後さ、兄貴と沙紀さんがお出かけから帰ってきたんだけどさ、話に聞いてた通りだったもの。
裕紀はお母さんにべったりで、俺なんか見向きもしないってか、なんか意地でも母親から離れるもんかー……みたいな? ヘンな気迫すら感じられるくらい沙紀さんに張り付いちゃってたよ。こりゃ重症だとさすがの俺でも思ったくらい。
ホント、どうすんだろ兄貴。
まぁ、お腹の胎児を毛嫌いしてるとしても、今のところ母体を害する行動には出てないんだから、それほど心配することはないのかもだけどね。だけどなんだかなー、執着がスゴすぎて将来が心配だよ、叔父さんは。
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