妊娠39週 病院で襲われた話

 気が塞いでしもてるからやろか、逸郎さんとお付き合いを始めてから先、しばらくは感じることのなかった奇妙な視線をまた感じるようになってしもたんよ。きっと精神的に参ってるさかい、そんな気がしてるってだけやねんけど。

 なんやあのサイトの百話目が、リンクを踏んだカタチになってしもてるのも関係あるんやろか、て、怖がりなんも手伝って、どんどん非現実的な方向にばっかり考えてしもて。オカルト話を真剣に信じてるってクチでもないんやけど。


 当時は、逸郎さんのお祖父さまがまだ生きてはって、せやけど長い闘病生活やとかでずぅっと病院に居てはったんや。時々、逸郎さんと一緒にお見舞いに行かせてもろたりしてな。

 お祖父さまはなんやら他人の色んなことを見透かしてしまわはるところがあって、その時もウチが悩んでることをすぐに看破されてしもたんよ。


「けったいな影がおるなぁ、」


 お祖父さまはそう言わはって、せやけど心配は要らんやろと慰めてくれはった。


「別に心配せなならんような悪いもんは憑いとらへん。生き霊の類いやろな。沙紀さんを好いとる人間やな。」


 そんなん言われたら、ビビりのウチはほんまに怖がってしまうんやけど、お祖父さまは笑って訂正してくれはった。


「怖がらんでもええよ、誰かて生き霊のひとりふたりは付けとるもんやさかい、珍しくもないもんや。ほれ、片思いやとか、何とのぅ好意を持って見てられる人なんかがたまに出てくるやろ。そういう気持ちは相手に影響を与えとるもんなんや。好意を向けられとったら何やしら元気が出てくるとかやな、ああいうのんや。」


「そうなんです? なんや生き霊になるのんは、よほど思い詰めてる人やて聞いてたんですけど……、」

「そういうのもおるよ。せやけど、そこまで念を凝らさんでも、飛ばせる者は飛ばしよるさかいにな。人それぞれや。それに、暗い念はよほど強ぅないとそうそう飛ばんけどな、明るい念の方は軽いさかい、ホイホイ飛んでいきよるもんなんや。」


 生き霊の話はあのサイトの定番みたいなもんやったさかい、ウチはドキッとしてしもてん。そしたらお祖父さまはすぐ気ぃ付かはって、説明してくれはったんや。お陰で闇雲に怖がってたとこやったのが少ぅし、楽になったりもしたん。

 お祖父さまは冗談もお好きやさかい、どこまで本気で信じてええもんかは解らへんのやけど。


「影響ゆうたかて微々たるもんやさかい、気にせんでもええよ。」


 ウチな、お祖父さまのことほんまに好きやったんえ。優しぅて、頼りがいがあって、それになんやしらん威厳みたいなもんに溢れてはった。もちろん、逸郎さんのこと好きなんとは違う好きなんやけどな。


「沙紀さん。すまんのぅ、ちぃと席を外してもらえんやろか。逸郎に大事な話がある。」


 病院のベッドに半身起こさはった姿勢で、お祖父さまは終始にこにこしてはるんよ。そんで、たぶん家族間の込み入った話やねんやろね、ウチは言われて素直に従ったんよ。逸郎さんに目配せして、病室の外で待ってるつもりやったん。

 こそっ、と逸郎さんが耳打ちしてきやはって、「休憩室で待っとって、」って。大きい病院やさかい、病棟の階層ごとに待合室やら休憩室やらも完備してあったんよ。もう面会時間も終わりに近かったから、ひと言だけ声掛けて先にお暇したんや。


 休憩室には独りで向こぅて、備え付けの自販機で珈琲を買ぅて、テーブル席のひとつに腰掛けて逸郎さんのこと待っとったん。そしたら、いつの間に入って来やはったんか、薄気味の悪い男の人がドアの前で、ぬぅって立ってはったんや。

 フード付きの服でな、室内やのにそのフードをすっぽり被ってはって、俯いてはるんよ。最初は幽霊かて思て、ドキッとしたわ。なんやウチのこと、じぃっと見てはる。


 よっぽど、「どないしやはったんどす?」て、こっちから声でも掛けてみよかと思ってんけどな、やっぱりなんや気色の悪い感じがしたさかい、身を縮めてじっとしてたんよ。


 休憩室はテレビも点いてへんで嫌に静かでな、その男の人がなんやブツブツ呟いてはるのが解るんよ。何を喋ってはるのかまでは解らへんのやけど、独りで唸ってはるの。

 誰や知らん男の人やけど、なんやウチのことじっと見てはって、ブツブツブツブツ独り言いうて、時々唸り声が挟まって……。ほんまにだんだん居心地が悪ぅなってきてな。それで失礼にならんように、そーっと席を外そうと思て、腰を浮かせたんよ。大きい病院やし、精神科の患者さんやろと思ててん。


 せやけど突然、「なんで俺を捨てるんや!」て。ウチに掴み掛かってきやはったんよ。もうワケ解らへん。けど、きっと人違いやと思てな、咄嗟にウチも言い返してた。


「ウチ、あんたのこと知らしまへん!」


 誰かと間違ってはる、て言おうとしたんやけど、首を絞められてしもたんよ。殺される、て思ったんや。病気の人でも力はあるんやね、もうぜんぜん息が出来へんかった。

 もうアカンて、諦めかけた時や、「何してるんや!」て。逸郎さんの声やった。


 すごい衝撃が来てな、後で聞いたら逸郎さん体当たりしやはったそうやけど、それでウチは首締められとった手が剥がれて、助かったんよ。すぐ傍で二人が取っ組み合いで揉み合ぅてて、ウチは声も出やしぃひん。それでも何とか助けを呼ぼうとドアの方へな、行こうとしたんよ。


 男は逸郎さんのこと振り払って、もの凄い形相で、またウチに襲いかかってくるんかって身構えてんけど、そのまま凄い奇声上げて休憩室のドアを体当たりして、なんやそのまま走って逃げていかはった。


「沙紀ちゃん! 大丈夫か!?」

「……大丈夫や、」


 もう苦しゅうて、ひと言返すんで精一杯やった。


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