第三章 山科にまつわる…

妊娠36週 結婚する前の話

 大きい不満ということやあらへんのやけど、この寺に嫁いできて色々と、変やわぁと思うこととか、嫌やわぁと思うことなんかが、少しずつ、……そうやね、ほんの、少しずつやけど、見えてくるもんとかがあって、ほんまを言えば不本意なんやけども、自然と納得できるようにはなってきたんよ。


 例えば、家族のこととかやね。甘やかしてはるんやろかと思ったりもしたけど、「なんも特別扱いなんぞしてへん」の一点張りやし、本人等も気が付いてへんのやわ、きっと。そう思たんよ、あの人のこと。甘やかしやなかったら、腫れ物扱いやのにね。


 結局、次郎さんは真夜中に着いたらしゅうて、主人ときたらそれで一睡も出来へんかったみたいやのよ。何やかんや言ぅても、弟に弱いんやから。


「なに、笑ろてんのや。」


 おおコワ。怖いなぁ、お父さんなぁ。

 大きぅなったお腹をなでなでしたら、中のお子がお返事するみたいに動きやった。

 そら、笑うやんなぁ。バツの悪そうな顔してな、運転席のハンドルを握ってはるんえ。次郎おじさんもな、あのお布団、この人が敷いたんやなんて聞いたら、どんな顔しはるやろなぁ。お母さんが敷いたて思ってはってな、めちゃくちゃお礼言いまくってはったけどな。


 正直、こんなしんどい時に来ていらんわと思ててん。あんな夜中に電話してきて、挙げ句に今から帰るやなんて、一方的すぎるやないの。せやけど、結果で言うたら次郎さんのお陰でお出かけできるようになって、ほんま感謝せなあかへんね。延び延びやった健診もようやっと受けられるんやし。予約が取れるか心配やったけど、運も良かったわ。


 それに……ヘンな視線がのうなったんは、きっと次郎さんのお陰やもの。


「なぁ、逸郎さん。帰りに次郎さんの好物買ぅて行かへん?」

「そうやな、ほなこのまま遠出して京都駅にでも寄ろか。」


 ほんまに久々の、中心部へのお出かけやのよ。ずぅっと付きまとわれてるみたいに感じてたし、ずぅっと億劫やってん。

 この人には言うてないけど、実家におった頃から感じてたんよ。ウチの実家もお寺やさかい、人の出入りも激しゅうて、気のせいや言われたらどうしようもないんやけどな。ずぅっと薄気味悪いと思うてたんえ。誰かに見られてる感じがしてたんよ。


 お寺に生まれたもんはお寺とご縁がつきやすぅて、このご時世でも縁談話がちょくちょく頂けたりするんやけど、そのお陰でうちは実家から出られて助かったんよ。

 最初に頂いた縁談がこの人で、ほんまによかった……。ちょっと年上やけど。


「沙紀、まだ周りが気になるんか?」

「どうもあらへんよ、新しいお店が増えたなーと思ててん。」


 京都の街中を歩く時も、京都駅の地下通路を歩く時も、ずぅっとこわごわやった。そんなんやから幾ら隠したって逸郎さんにはバレてしもうた。せやけど、誰も信じてくれへんかったのに、視線の正体を暴いたる言うて真剣になってくれはったんえ。


 剃髪した頭にカンカン帽被ってはって、繻子の青い着物もよぅ似合う。ほんにええ男ぶりやろ。お母さん、正直言うてな、一目惚れやねん。お写真みて、あんまり着物が似合わはるから、ずぅっと着物ばっかり今でも着てもろてるんよ。

 お前も着物の似合う男になったらええねぇ。


 視線はもう無いから安心しよし。思えばほんまにずぅっと悩まされたんやった。どこに行くでもずぅっと付いてきよる気がしたし、たぶん半分くらいは気のせいやけど、変なこともしょっちゅう起きてた。

 乾いた土間やのに、お外も晴れてしばらく雨も降ってへんのに、座敷の前に黒々とした土が落ちてたり、天井に濡れた手形が付いてたり、服がいつのまにか消えてたりもしたわ。ずっと着てへんかった服やから、無くなったんか棄てたんか、判別もできへんのよ。

 実家に居る間だけやのうて、嫁入りした先でまで感じるやなんて、ほんまは病気なんやろかって悩んでたんや。


 ストーカーが屋根裏に住んではった、いう話がニュースで流れた時は心臓潰れるかてくらい怖かったし。京都の街中やし、うちみたいな神社仏閣は誰かしら人が居るさかいに、そうそう不審者が住み着くなんて出来へんのやけどね。


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