第三章 失ったモノ、残ったモノ

意気地のない少年は、夜の街で死ぬ。

赤い地平線に、ぽつんと太陽がひとつ。

黒のセーラー服を着て、こじんまりとした赤のネクタイをつけた少女が、どこか鋭さの帯びた煌めく黒髪を揺らして、廃れた街道を歩む。カツコツ鳴らすローファーは、街角の風景を変える。それは彼らにとっての始業の音だ。

街並みを往く歩みに淀みなく、冴える思考と起き始めた夜の町場には、

その少女はえらく不釣り合いに映った。


くすんだ空気が鼻孔をくすぐる、店先には白煙が立ち込んで、暖かなオレンジの光と、目にうるさいピンクやら水色やらの淫靡な明かりが泳ぐように揺らいでいる。

吸い込まれるように向かう大人たちの表情には、昼間の縛りが吹っ切れたような、清々しいものが見て取れた。


灰と煙に、少しの快楽を織り交ぜた街。

わたしがこれまで育った街。


「ただいまー」


セーラー服の少女は、自宅である地下バー、《Bar MIKE》に入り口の鈴を鳴らして帰宅した。


「オウ!WelcomeBackおかえり!マイドーター!遅かったな!」


帰宅した少女、みなみ明日華あすかを出迎えたのは、アメリカンクソ親父であるマイク・アザエルだ。


「うん。ちょっと先生と話し込んじゃって・・・あれ?誰かスタジオ使ってるの?もしかして遥斗はると?」


明日華あすかがBarカウンターから自宅スペースに入り込もうとした時、茶色の鍵かけボードに目を向けたのだが、そこにはアメコミストラップのついたスタジオの鍵がなかったのだ。


「そうだぜ。・・・もう入ってから二時間くらいか?」


「そんなに?」


カウンターに整理していた酒瓶を置いて、あご髭をさすったマイクはその時の状況を説明した。


「確かにちょっと様子がおかしかった気がするな。なんだか素っ気なかったな」


「はあ・・・・」


困惑した明日華あすかは、そのままスタジオに向かった。



◇  ◇  ◇



「————————・・・・・」


Barのダンススタジオで、遥斗はるとはひたすら練習に明け暮れていた。それは何かから逃げるように、揉み消すように、荒々しいものだった。


滴る汗が練習着をぐっしょりと濡らし、額にかかる前髪はべったりと張り付いていた。


かれこれ二時間以上も練習を続けてはいるが、遥斗はるとの中では、流れゆく時間など、つゆほども気にする余裕はなかった。


遥斗はると


「・・・・・・・」


それも自分の行いが全て悪くて、やり方を間違えてしまったからで・・・。


「・・・遥斗はると・・・・・・・」


「・・・・・・・・」


何より水樹みずきを悲しませてしまったことが、何よりもショックだった。


「・・・遥斗はると!」


「えっ・・・ああ、明日華あすかか。来てるなら教えてくれたらよかったのに」


怒鳴るように名前を呼ばれた遥斗はるとは、驚いて振り返るとそこにはみなみ明日華あすかがいた。


明日華あすかはその物言いに思うところがあったが、それよりも遥斗はるとの時間よりも早く来たので、気になって聞くことにした。


「いや、ずっと声かけてたし・・・・・それよりも来るの早くない?約束したの夜だったよね?」


しかし、遥斗はるとはどこか浮かない表情をしたかと思うと、すぐに話題を逸らした。


「ああ、それは・・・・・それよりも早めにカメラ回さないか?編集の時間も作れるし、その方が都合がいいだろ?」


「・・・・・まあいいや、ちょっと待ってって、準備する」



◇  ◇  ◇



「じゃあ始めるよー」


「ああ、いつでもいいぞ」


練習着から着替えた遥斗はると、今のかれの装いは、


明かりを消したスタジオの光源は、明日華あすかの周りに点灯した濃い緑色のLEDライトが数個と、壁の一面鏡の下部に、残り火のように薄く灯ったオレンジの足下光だけ。


思わず目前の闇を手探るその空間には、パソコンのディスプレで不気味に照らされる明日華あすかの顔とは別に、もうひとつの人間ではない顔があった。


それは動物の顔だった。


目を凝らせばなんとか見えるこのスタジオ内で、白と赤を基調とした狐の面が、空中でのっぺりと浮かび上がっている。


その狐の面をつけているのは、遥斗はるとである。


彼の趣味は、〝ヲタ芸〟 である。

幼少より、その曲芸に魅せられて、自身もそれを趣味にしている。


そう、趣味。だが————————。


その趣味が、趣味の範疇を超えている。


彼、浅井遥斗(あざいはると)の正体、それは、高度な技巧と多種多様なパフォーマンス、狐の覆面で素性を隠したミステリアス性を売りにした、大人気ヲタ芸動画投稿者「Haru」として、人々を魅了していた。


流行曲に乗った寄生虫、そう揶揄されることもあるが、彼には確かに実力があった。彼のチャンネル登録者数と各種SNSのフォロー数が、それを確かに指示さししめしている。


一見スポーツマンに見えるこの装いこそが、彼の「Haru」としての姿である。


「3・・・2・・・・1・・・・・」


明日華あすかのカウントダウンから、スタジオに重低音曲の導入が流れだす。

そうして遥斗はるとは、両手に持っていた光源を、目を焼くように点灯させた。



◇  ◇  ◇



「あのさ、本当にどうしたの?」


撮影はひどいモノだった。

普段はパフォーマンスに口は出さない明日華あすかだが、今回は彼女ですら口を出すほどに、今までもよりも明らかに見劣りするモノだった。


「動きが曲とずれまくってる。いき急ぎすぎだよ。まあ、わたしの担当だしなんとかするけどさ、編集するこっちの身にもなってよ。本当に何があったの?正直、次もこれならわたし困るよ?」


「それは・・・・」


覆面を外した遥斗はるとは、そこからあらかたの事情を話した。

さすがに下世話な部分は包み隠しはしたが、そうであっても、明日華あすかの立場からすれば、遥斗はるとは最低な男として映っていることだろう。


しかし、遥斗はるとの話を聞こうとも、顔色ひとつ変えなかった。

そして明日華あすかは・・・・。


「わたし言ったよね。好きなモノは好きって言えって」


「そんなのできないよ」


明日華あすかの宣言に、遥斗はるとは頷くことが出来なかった。

言葉にしなくても、この始末なのだ。

そのうえで、この気持ちを伝えてしまっていたら、もっと酷いことになってしまっていたかもしれない。


「じゃあ、その結果で?」


けれど、両目でじっとこちらを裁定するように見つめながら言った、明日華あすかの発言も的を射ていた。


だけど、彼女が言うほどに、状況は簡単ではない。とても複雑なのだ。

だから、遥斗はるともこうして答えを出せないでいる。


「でも・・・」


「・・・ああ、めんどくさい!・・・見ろ!これ!」


むしゃくしゃした明日華あすかは、動画のコメントの一部を抜粋して、叩きつけるように遥斗はるとに見せた。

それは遥斗はるとの、「Haru」としてのこれまでだった。


遥斗はるとが棒振って悲しんだ奴はいるかもしれないけどさ、じゃあこいつらはどうなるの?せっかく好きだって言ってくれてるのに、せっかくかっこいいって言ってくれてるのに。遥斗はるとはそれを無駄にするの?」


「お前が好きだって言ったんだから、こいつらも好きって言えたんじゃん」


「好き嫌いなんて誰にもわかんない。わたしもわかんない。けれど・・・」


「人間は悲観的に考える生き物なんだ」


「もしかしたら、その子も遥斗はるとと同じかもしれないじゃん」


「黙ってたら、ずっとすれ違っちゃうよ?」


「悲しい事もあるかもしれないけど、絶対に嬉しい事もあるはずだから」


「これがなによりの証拠だろ」


明日華あすかの言葉は、薄暗いスタジオに、溶けるように消えていった。

だけれど、その言葉は遥斗はるとの中で深く、いつまでも響いていた。


「・・・・・・」


正直、遥斗はるとの中では、そんなうまく事が運ぶように思えなかった。


自身の趣味だって、たくさんの幸運に恵まれて、今がある。


初めは綺麗なものだと思った。それが次第にかっこいいと思えるようになって。

そんなかっこいいものが、姉の好きなモノであることが嬉しくて、自分が同じモノが好きであることが誇らしくて。


だからみんなにこの気持ちを伝えたいと思って、こうして形に残している。


それがうまく、運命の歯車にでも収まるように、数々の幸運に合致した。

本当に、一生に一度、あるかないかの、奇跡に近いものだ。


でも、それでも・・・・。


遥斗はるとは、もう一生分の運を使い切ってしまっているとさえ思っていた。


でも・・・もしも、ほんの微かにでも・・・。

まだ、このように希望があるのなら・・・・。


今一度、そんな幸運に縋ってみるのも・・・良いのではないだろうか・・・。


そうして遥斗はるとは・・・・。


「悪い、明日華あすか、用事が出来た。編集頼んだ」


スタジオの出口に飛びついた遥斗はると明日華あすかはその背中に、言祝ぐように、言葉を送った。


「終わるまで戻ってくるなよ」


そうして遥斗はるとは、最寄りの駅へと駆けて行った。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「少女の心は、夜闇に紛れて」

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