母は閃光、わたしは茜。

わたし、 藤崎ふじさきあかね は、女優の娘だ。


閃光せんこうさん入りまーす。スタンバイお願いしまーす」


大きな大人の人に、なぜだか閃光せんこうと呼ばれる母は、わたしの手を引いた。今まで来たことのないケーブルが雑多にある部屋で、不安に駆られたわたしは身を隠すように母の足にしがみついた。


その足が止まると、目前の髭もじゃの大男が、母に声をかけた。


閃光せんこうさん、本日はよろしくお願いします。そちらが娘さんですか?」


もちろん母の名前は閃光せんこうなどではない、母の本名は明星あけみである。


閃光せんこうは芸名で、母いわく、明星あけみからだとか。


明星あけみ → 流星りゅうせい → 光は一瞬 → 閃光せんこう


「ならわたしの芸名は閃光せんこうしかないわネッ!!!」というものすごく馬鹿っぽい理由でそう決めたらしい。


ちなみに呼び方はせん⤵こう⤴ではなく、せん⤴こう⤵らしい。

廚二臭くなるのが嫌なのだとか。

ならそんな芸名にするなよ、とは思うが・・・。


母は挨拶を返すと、足元のわたしを監督の前に出そうとした。


「監督、よろしくお願いします。はい、あかね と言います。ほら、あかねちゃん。あいさつあいさつ」


「いいですよ、大丈夫です。それに閃光せんこうさんもお体に気をつけてください。・・・あかねちゃん、今日は見学に来てくれてありがとう。おじさんはこうして君に出会えたことを嬉しく思うよ」



◇  ◇  ◇



「ママ!わたし、ママみたいな女優さんになりたい!」


撮影が終わり、楽屋に戻ったわたしは、すぐに母に向かってそう宣言した。


「えっと・・・、ほんとに?」


当の母は、ペットボトルの水と一緒に何かを口に含んで飲み込んだ。その顔は、さっきまでとはまるで別人だ。


先程のスタジオで、わたしは母の演技に度肝を抜かれた。


あの部屋に入った時のわたしの心の中は、恐怖一色だった。よくわからない機械に、よくわからない紐、それと知らない大人たち、未知の世界だ。


だけれど、母の演技を一目見た瞬間、そんなの全てが霞んでしまうくらいに色素を失った。


わたしの目には、母の手、足、瞳、口、その全てが眩く光って見えたのだ。

演技中の母は、正しく閃光せんこうだった。


「女優になるには才能がいるんだよ?そうじゃないと、わたしの名前みたいになっちゃうよ?目指すならママじゃなくて別の女優さんにしなさい」


「ヤダ!ママみたいな女優がいい!」


母は、そう言うが、わたしには納得が出来なかった。


「なんで?とっても素敵だったよ?キラキラしてた!」


わたしのそんな賛辞にも、母は渋い顔をする。


「あのね、あかね・・・」


そこから数刻うなると、母は諭すように、わたしに説明を始めた。


閃光せんこうっていうのはね・・・・・えっと・・・流れ星、そう!流れ星なの!」


母は言葉を手探りに口から取り出して言って、不器用に話していった。


「流れ星が消える前に三回お願いごとをすると願いが叶うって言うけど、お願い事を三回もする時間はないでしょ?女優人生も、一番輝けるのはそれぐらいの時間しかないの」


当時のわたしは、女優になりたい一心から母を師匠のようにうやまい、真面目に話を聞いていたが、半分も理解できていなかった。


「でもそんな短い時間じゃあ、誰も覚えてくれないし、忘れられちゃうの」


だから最後の言葉だけを理解したわたしは、無邪気に母に問いかけた。


「忘れられるとダメなの?」


その質問にぽかんとした顔で母は、


「え、うん。じゃないとその後の仕事もお金も—————」


次の瞬間、母は口を自身の手で塞いでわたしに背を向けた。

うずくまる母は背中越しに「やだ、娘にこんな汚い事情なんて、まだ教えたくない」と小さく呟いていたが、わたしには聞こえなかった。


「ママは忘れてほしくないから演技をするの?」


そんな苦悶の表情を浮かべる母を、わたしは追尾した。

次なる質問が、母を襲う。


「うーん・・・、そうだね。ママに残された時間は少ないし、忘れてほしくないな」


だけれど今回は、先程のお茶らけた様子とは打って変わって、どこか物悲しい顔で言った。それは演技中の顔からは考えられないほどの諦めが見られた。


わたしはその顔に深く傷ついた。


「そんなの嘘だよ!」


だから即座に強言で否定した。


この時ばかりは、母と娘の立場が入れ替わったようだったので、よく覚えている。


このあとの展開も、よく思い出せる。

わたしは母を強く責めたてたのだ。それはもう突き付けるように。


「ママは演技が大好きなんでしょ!?だってあんなに楽しそうに演じてたじゃん!」


わたしの叫びが、楽屋に反響した。

その言葉を受けた母の表情は、どう表現したものか。


簡単に言うと、笑いながら泣いたのだ。


「そう、・・・・そうなんだよっ。ママ、演技が大好きなのっ・・・!」


泣き出した母は、目前のわたしをつよく抱きしめた。


「ありがとう、あかねっ・・・。ママ、大切なことを思い出せたよっ」


もう「ありがとう」としか言葉を発さなくなった母、なぜ泣き出したのかわからないわたしであったが、その時にそれは気にならなかった。


だって、わたしの顔のすぐ横に、母の笑顔があったのだ。


(やっぱり、ママは笑顔がいちばん輝いてるよ)


「まだ終わりたくないなぁっ・・・まだ続けていたいなぁっ・・・もっと早くに気付いていればなぁっ・・・」


普段は疲れた表情ばかり浮かべる母が、この時ばかりは涙を流しながらも眩い光のように笑っていたのだ。


あんなに陰った表情の母を、こんなにも笑わせることができたのだから、わたしはその架け橋となった〝演技〟というモノが、たまらなく愛おしくなったのだ。


だからこの時に、わたしのなりたいもの、なるべきものは決定した。


わたしは女優の娘であり、女優になると決めたのだ。




その二年後に、母は死んだ。



◇  ◇  ◇



母には二年の歳月があったが、その中での女優としての時間はあまりにも少なかった。


「はは・・・、こんなに綺麗な夕焼けだと、お前が産まれた日を思い出すよ」


感傷気味な父が、火葬場からの帰り道で、そうぽつりと言葉を零した。

その力のない言葉は、父が運転する車内に虚しく響く。


後部座席に座るわたしの手元には、抱えられるほどの小さな白瓶が、それは母の遺骨だ。


あんなに大きな箱の中に入っていた母が、数時間後にはこんなに小さくなってしまうものだから、もうなんだかすべてがどうでも良くなってしまった。


投げやり気味に外を見たわたしの視界に、夕焼けが飛び込む。


海岸沿いの車道を走っているので、その景色はたいそう綺麗なものだが、からっぽなわたしの心にはなにも感じられなかった。もう泣き疲れて訳が分からなかったのだ。


だから、わたしは感じたことをそのまま吐き出してしまったのだ。


「わたしはこんな景色キライ。自分の名前も。 あかね なんて、夕方なんてすぐに終わっちゃうじゃん。縁起が悪いよ。なんだか、わたしも早死にしそう。なんでママはわたしにこんな名前をつけたのかな?」


こんなに早くに死んでしまった母に苛立ちを覚えたわたしは、ひどいことを言った。

普通なら激怒してもおかしくなかったが、この時の父は、そんな親不孝なわたしをも優しく包み込んでくれた。


運転席から、声が、わたしの胸に突き刺さった。


「お前を産んだ時の、窓の外の景色がらしい」


わたしはその言葉に、自分を殺してしまいたくなった。

母の死、自責、それらがないまぜになって感情が爆発したわたしは、後部座席で声を上げて泣いた。


なんて、なんてことを言ったんだ、わたしは。こんなにも大切にされていた。



わたしとわたしの声を、わたしあかねは優しく包んだ。

まるで母が見守ってくれているようだった。





ありがとう、ママ。わたし、女優になるよ。




◇  ◇  ◇



文化祭、それは少年と少女が、剝き出しの魂をさらけ出す場所である。


「じゃあ、あとは任せたよ!あかねちゃん!」


「はい!先輩の代わりは、わたしがしっかりと努めて見せます!」


高校生になって演劇部に入ったわたしは、先輩から看板役者の役目を頂戴した。

時期は九月の上旬、一年生ながら認められたことに、これまでの努力が認められたようでたまらなく嬉しくなった。


「今度の学園祭、楽しみにしてるからね」


「はい!芸能大学に入る先輩に恥じない演技をするように、頑張ります!」


「ええ、頑張りなさい。この文化祭で結果を残せることが出来れば、大学からも推薦状が出るでしょう。大学で、あなたを待っているわ」


「はい!」




だけれど、そんな意気込みをあざ笑うかのように、彼女はわたしの前に現れた。




『今度はなんと個人の参加で、その上、一年生です!佐々木ささき亜美あみさん、彼女はテレビ出演もしており、その歌声を披露してくれます!』


会場の注目は、すべて彼女に持っていかれた。


「な、なにあれっ・・・・」


「あんなの、勝てるわけない・・・」


その姿に、部員の全員が戦慄し、戦意を喪失した。



◇  ◇  ◇



「主役を・・・降板ですか?」


あの絶望から一年。

翌年の学内祭を終えたわたしに、演劇部の顧問はそう告げた。

演劇部の顧問である女教師は、角張った細い眼鏡をくいっと持ち上げて、鋭い目をさらに細める。


佐々木ささきさんが出てきて一年、学園の意識は今、すべてが彼女に向いています。彼女をスカウトする芸能事務所の役員の存在も確認できました。そのため我が部にもなんらかのテコ入れが必要です」


「だからわたしを主役から降ろすと・・・」


「そういうことです」


「・・・・わかりました。では、わたしの次の役はなんですか?」


顧問の無機質な態度に、少し腹が立ったが、主役でなくとも演技は出来る。

降ろされたのなら、また一から脇役として頑張ればよい。


「いいえ、あなたにはこれから照明担当に回って貰おうと考えています」


「は?・・・・・う、嘘ですよね?!」


だが、もうわたしに役が与えられることはなかった。

その暴挙に、わたしは口調を荒らさずにはいられなかった。


「そんなのおかしすぎます!無茶苦茶だ!端役ならまだしも、完全な裏方だなんてっ」


「テコ入れが必要、と言ったでしょ?」


「それにしたって限度がある!?」


こんなの前代未聞だ。主役からいきなり最下層に降格など。

だが、顧問はなんらおかしなことはないと言う風に続ける。


「あなたこそ何を言っているのです。それはこれまでで証明されたではありませんか。事実、あなたは一度として佐々木ささきさんに敵わなかった。そればかりか、一年の時から何も成長していない」


「なッ?!・・・そ、それは違います」


あかねの言う通り、それは明確に違う。

彼女の演技力も確かに向上しているのだ。


だが、この顧問には、それがわかっていない。むしろ離れる実力差に、彼女が手を抜いているのではと疑ってすらいる。


それを行動で示すように、顧問はあかねから目を背けた。


「何も違いません。あなたは何も成長していない。・・・ですが、わたしも鬼ではありません。今年の文化祭、そこがあなたの役者満了の日時といたします。それでは」


「ま、待ってください!先生!」


あかねの呼び止めにも振り返ることなく、顧問は部屋を去った。

その背中は、あかねを一度として見向きもしなかった。



◇  ◇  ◇



そうしてわたしは文化祭当日を迎えた。

わたしが役を演じる最後の日だ。


できることは・・・・・すべてやった。


亜美あみのライブ、楽しみだね」


「うん、しかも舞台袖からだなんて、すごい特等席だよ!」


他の部員たちは、もう佐々木ささき亜美あみのライブを楽しむ姿勢に入っており、ましてや勝とうとなど考えている者はいなかった。


「あかねもそう思うでしょ?」


「・・・・うん、そうだね」



みんな、みんな諦めていた。



亜美あみが歌手になれば文化祭アンケートから除外されるんだって、殿堂入りだって理事長が言ってた」


「なら来年かな?わたしたちがアンケート一位を狙えるのは・・・、じゃあ次で頑張ろう!あかね、次の文化祭が勝負だよ!」


うるさい、次なんてない。


この演技に次などない。







『続いては演劇部です!一気呵成いっきかせいに躍り出た彼らに、どうかご声援のほど、よろしくお願い致します!』


司会の紹介に、暗闇に包まれたステージの中心に立つわたしは、深く息を吸った。


『あらすじもまた壮大です!その広大さを人の身に落とした昼と夜・・・・』


一定のリズムで揺れる心臓が、わたしの体を震えさせる。


『そしてそんな昼夜に迫害された夕方の復讐劇です!』


呼吸を重ねるごとに、少しずつ鳴りやむ鼓動。

そうして音が完全に止まった。

そこでわたしは目を開き、口を開ける。


「太陽讃えし大いなる天空よ、月を孕みし胡乱うろんなる天蓋てんがいよ」


それは恨みであり、執念演技だった。


〝勝てるわけないじゃん————————————うるさい。〟


それは無念であり、生涯において越されえぬ大好きなモノだった。


〝やっても無駄だよ————————————うるさい。〟


少女にとっては〝演技〟こそがすべてだったのだ。


〝女優になりたいとか夢見すぎでしょ————————————うるさい。〟


暖色の光が、少女を照らす。


(わたしは女優になりたいんだッ!)


「昼と夜の間隙かんげきである我を忘れるかッ・・・!」


次があるからって、勝てないからって諦められない、諦めるわけにはいかない。


「目障りな我を、忘却の果てに追いやろうというのかッ・・・フフフ、アハハハハハハッはハハハッ!」


諦めきれないんだッ・・・演技が大好きなんだッ!


「いいだろう、であれば反逆だ!」


(負けてやるもんかッ!)


「この輝きは一瞬であろうと、そなたらに呪いとして刻み付けようッ!」


(わたしを見ろッ・・・!忘れられなくしてやるッ・・・・!)


「わたしこそが世界主役だ!」




会場のすべての人々は、少女の迫真の演技に言葉を失った。

振るわれる手も、見開かれた瞳も、鋭くとがる口角も、すべてが輝いて見える。彼らの目には、少女があかね色に見えたのだ。





「「「・・・・・・・」」」


その様に、暗闇から次の出番を控える部員たちが、目を見開かせる。

彼女達は、そんなあかねの様子に、消えた炎をまた灯した。


「・・・・・・やっぱり負けたくない。皆もそうでしょ?」


その再熱は、次第に広がり、最後には部内全体に伝播した。


独りの部員の言葉に、彼ら彼女らは力強く頷く。


そこからの演技は、まるで人が変わったかのようだった。


その日、演劇部は全盛期を迎えたのだ。





そんな茜色に染まる少女を、舞台袖から真っ直ぐと見据える大人は、満足そうに首肯する。


「それで、それでいいのです、あかねさん。よくここまで、へこたれずに頑張ってくれました。とても誇らしいです」


傍らで、顧問は、優し気にあかねと部員たちを見守っていた。


彼女は、生徒の成長の為なら悪役になれる教師なのだ。






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次回「稲妻のように、曲がりくねった俺の人生。」

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