塗り変えてやる、神崎水樹はそう言った。

「わあ、久しぶり~。何にも変わってない!」


学校が終わり、校門で待っていた水樹みすきと帰宅した。

約束通り、僕の家に遊びに来たのだ。


「うわ~。懐かし~」


実に一年ぶりの訪問、リビングの中心で部屋を見まわす彼女に、過去の景色を思い浮かべてしまった。がいる。


ブルブルブルブル。


太腿に微かなバイブレーションが、ポケットに入れたスマホから、誰かから連絡だ。

「ごめん、ちょっと出てくる」水樹みずきに伝えて、廊下に出た。


「はあ?今日は帰ってこれないって・・・急だね」


相手は母だった。なんでも急な仕事が入ったとかで。

父もそうらしい。重なったと。


「・・・わかったよ。ご飯も適当に済ませておく」


通話を切った遥斗はるとは、そのままリビングに戻った。

水樹みずきはソファに寝転んでくつろいでいた。


うちのソファは、カタカナのコの字になるように、テレビの前に置いてある。窓際のソファにいる水樹みずきと対面となる形で、俺は扉側のソファに寝転んだ。


お互いが思い思いに、昔からそうだ。

俺はつけたテレビを見てるし、水樹みすきの視線は手元におちる。時たま、お互いの視線が逆になるときがあったり、同じだったり。


遥斗はると~、麦茶とって~」


「いや、自分でとれよ」


キッチンにいた俺に、水樹みずきは足をぷらぷらと上げてお願いする。


やっぱりここは彼女にとって避難所だったのだ。それ以上でも、それ以下でもない。


決まって、つかれた時に、泣きたい時に、休みたい時に、彼女はここに来ていた。

こころり所、それに戻っただけでもいいじゃないか。


「旦那~、漫画が読みたいです」


ぱちん、とスマホのを落として、


「取ってこようか?」


「いちいち持ち運ぶの面倒でしょう?わたしも行くよ」


やわらかいフローリング階段を上がって二階に、階段の目の前には姉である若菜わかなの部屋がある。水樹みずきはその扉の前で、しばし無言で立ち尽くしたが、すぐに俺の部屋に向かった。


昔は何の気なしに開くことができた扉が、すごく重い。


ずっと変わらないと疑わなかった。幼稚園の頃だ。

終わりはあるのかもと、薄く気付いた。小学校の頃だ。

永遠に続けばいいのにと思った。俺がこの歪みに気付いた頃だ。

終わりが来たんだと悟った。俺が水樹みずきに心を明かした頃だ。


その景色は一度だけだと分かっていた。

でも、こんなに早く訪れるとは思わなかった。


「なに読みたい?」


ベッドの横、本棚の前に座りこんだ俺は、記憶をあさる。

昔は、ここにも三人いたのだ。隣の部屋にも、三人いたのだ。


一年でたまった未読みどくの漫画は、僕たちの空白欠落の時間を表していて、こんな手のひらで収まる厚さに、ふざけんなと意味もなく悪態をついた。


けれども、そのみじめさも一瞬で、次に目を開いた時には・・・、


俺は水樹みずきに、ベッドに押し倒されていた。


「み、ず・・・き・・・・」


俺は何が起きたのかもわからなくて、鼻先はなさきにかかる、ゆるやかな垂れた髪と、その奥で朱色しゅいろに染まった水樹みずきの顔を見て、ただ呆然ぼうぜんとした。


どれくらいの時が経っただろうか・・・・。

お互いが、お互いの顔を見つめて、


呆気あっけに取られたのは、俺だけだったのだろうか。

昔と違ってシャープになった彼女の顔立ちは、すごく大人びていた。


「塗り変えてやる」


その顔は、はじめて見る顔だった。


震えている。俺を押し倒す腕の振動が伝わったのか、目前に下がる毛先も揺れていた。彼女の瞳は、覚悟を決めたものではあったが、恐怖で少しうるんでいた。顔色も、どこか自信がないのか、薄く笑っているけれど痛々いたいたしい。それが、幼馴染おさななじみが出す初めての感情で、ただよ色香いろかいやしさは、言葉では言い表せない麻薬まやくだった。


なぜ、・・・押し倒しているのは水樹みずきなのに、なぜ・・・・・。


「んっ・・・・」


彼女のくちびるで、遥斗はるとの唇が塞がれる。

窓辺まどべで差し込む夕焼けの光が、彼女をいやすように、あたたかく照らしていた。その夕日でったつややかな薄桃色うすももいろの唇をたたえた美貌びぼうの面が、視界いっぱいを埋め尽くす。

かおるリナリアの絹束きぬたばからみつく花の束縛そくばくで、自身の内と彼女の内から高鳴たかな雑踏ざっとうは、俺達を埋め尽くすただひとつだけの熱い音だった。


でも、

でも、

でも、・・・・・・どうして・・・・・。


濁流だくりゅうのように押し寄せる多幸感たこうかんは、けれど、足先から血の気が引いて、這い上がる寒気さむけ相殺そうさいして、生きた心地がしなかった。


尽くしてるのは君なのに、・・・どうして・・・・・・・。


遥斗はると・・・・」


どうしてそんな、しかりを待つ子供のような顔をしているんだ・・・・・・。


「・・・・・好き」


ふいにこぼれた彼女の心の発露はつろは、うるんだひとみ決壊けっかいさせて、遥斗はるとの頬に、一滴ひとしずくの涙を落とした。


「わたし・・・ずっと遥斗はるとのことが好きだった」


とめどない激情げきじょうは、烈火れっかの如く燃え上がり、伸びた白糸をぬぐった彼女は、矢継ぎ早に言葉を並べる。その痛切な荒波あらなみを、彼女自身は制御できず、振りまわされているようだった。


「抱きしめて貰えてうれしかった。いつもそばで支えて貰って救われた。遥斗はるとしかいないの。わたしがここまでやってこれたのは遥斗はるとのおかげ。遥斗はるとの為なら何でもするし、全てを捧げらる。」


言い終わって、整理がつかないのか、「ええっと・・・」と言い淀んで、言葉では表せないのならと、水樹みずきはまたキスをして、それでも足りないのか、俺の首や手にも同じことをして、をつけるように俺の首にあとを残した。


男のくせにつややかなうめきを出してしまった。水樹みずきはそれを聞いてか、俺が喜ぶと思ったのか、色々なところを噛んできた。


最後に俺の鎖骨さこつから口元をみやびに離した彼女は、


遥斗はるとが好きっ・・・遥斗はるとが好き!・・・・大好き!」


少しずつ高まった声が、遥斗はるとの離れかけた意識を覚醒させた。

口が自然と開いて、俺もだ、と言おうとした。だけど出てこなかった。


そうして代わりに出てきたのは・・・・・・。


「・・・・・水樹みずき、俺は姉さんが好きだ」


ヒビが入って、ガラスが割れた。ほんとうに、そのものだった。


違う、そんな顔をさせたいんじゃない。


俺は、生気せいきの抜けた彼女の拘束こうそくから抜け出して、ベッドに座り直した。目線は同じ、けれど彼女が見ているのは虚空こくうだった。


このままでは、いけないのだ。


「だから———————」

「やめて・・・」


俺の言葉を、うすいかすれ声が止めた、それほどまでに冷たかった。

だけどいけないのだ。これでは繰り返しになってしまう。


「聞いてほしいんだ、水樹みずき

「やだッ!」

「聞いてくれ!だからッ!———————」


俺は力強く、彼女の両肩を掴んだ。

突然の事だったのか、水樹みずきはびくりとはねた。


・・・・・あれ?こんなに小さかったっけ?


俺は正面から水樹みずきの目を見た。


ぶちまけてやろうと、爆弾のように弾けさせようと思った。

だけど・・・・———————。


〝『ていうか、姉弟で恋愛とか、ありえないから!』〟

〝『気持ち悪い!』〟



「だから・・・—————————」


言おうとした。だけど言葉を出すのが怖かった。


否定されるかもしれない。嫌われるかもしれない。


どうして・・・・・・・、


どうしてあの時、聞いてくれなかったんだ・・・。


水樹みずきは、俺が何も言わないから、逃げようとした。


        だけど俺は、


     そんなことはないけど、


        それでも、


      そうであっても、


        けれど、


        だけど!



今ここで、彼女を止めないと、一生離いっしょうはなれてしまうと思った。


腕を掴んだ、離してッ!、そう言われそうになった唇を、今度は俺の方から塞いだ。


言葉にできなくても、行動なら・・・・。


気づいて、気づいてくれ、気づけッ!


水樹みずきは泣いていて、僕も泣いていた。


「・・・んっ・・・遥斗はると、好きっ・・・・・やだ、やだぁ・・・・」


好きなのに、嫌ってなんだよ。わからないよ。


彼女も初めは抵抗ていこうしていたが、お互いが交わり、その境界きょうかいがわからなくなった時には、俺の首に腕を回して、それを受け入れていた。


言わなきゃいけなかった。やめなきゃいけなかった。

こんなどっちつかずな、不確ふたしかな気持ちではなくて、終わったよって、終わらせてきたよ、確かに君のことを愛してるよって、もう俺の中には君しかいないよって、胸を張って言いたかった。


こんな最悪な形にしたくなかった。



◇  ◇  ◇  



次の日になった。俺はなんだかまだ夢心地ゆめごこちで、昨日の出来事が嘘だったんじゃないかと思ったけれど、あの時の感覚が、今もよく残っている。


玄関げんかんから出て、学校に行こうとした。


「あっ・・・み、水樹みずき・・・」


出ると水樹みずきと出くわした。偶然ぐうぜんではあったが、家がとなりなのだから、よくあることなのだ。


俺が昨日のことを謝ろうと、一言目を告げたが・・・・。


「・・・・・・・」


水樹みずきは踵を返して、悪いモノから目を背けるように、学校に行った。


その様相ようそうに、俺はその場から動くことが出来なかった。

だって・・・・・。


だって、彼女は確かに、泣いていたのだ・・・・・。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次回『姉が好きだ。浅井遥斗はそう言った。』

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