姉を嫌いになりたくない。

地下スタジオから自宅に帰った遥斗はるとは、翌日を迎えた。


今日は、自宅で朝食をとった。姉のところに行きづらくて、手持ち無沙汰になった彼は、仕方なくリビングに降りたのだ。


両親を見送り、家には姉と二人になった。


「姉さん・・・」


扉を右往左往した彼は、恐る恐ると、声を出した。


「昨日は、ごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ」


繊細な彼女の心を傷つけぬように。


「でも気持ちは本当だから」


それが杭であろうとも、それでも、否定できないものはある。


「・・・行ってきます」


今日も、返ってくる声は、なかった。

唯一の声が、拒絶だったことが、遥斗はるとの心に、重くのしかかる。


僕に対する気持ちは、もう嫌悪だけなのだろうか・・・。


あの叫びのときも、怖かった。だから逃げ出した。


こんなことで、姉を嫌いになりたくない。



◇  ◇  ◇



学校についた遥斗はるとは組んだ両腕に突っ伏していた。


「文化祭なにやるー?」

「お化け屋敷とか?」

「えー?つまんないー。なにか特別なことやろうよ」


季節は九月下旬、みな一様に、迫る十月中旬の文化祭で、話題は持ちきりだった。


「でも佐々木先輩のライブ、楽しみだな~」

「それな!」


もうすぐ姉が引きこもって一年が経ってしまう。


止まった時計が、もうすく一周してしまう。


明るい会話は、意識の外で揺れる雑音で、砂嵐が起こったテレビの音のようだった。


「ねえねえ、ちょっと。起きてよ」


気持の上がらない遥斗はると、肩がゆすられた。


顔を上げれば、幼馴染の水樹みずきがいた。


「次さ、古文の授業でさー。忘れちゃったから、貸して」


ああ、と。

机の中から取り出した教科書を、手を合わせてお願いする水樹みずきに渡した。


会話も数度、会話と言うより、ほとんど鳴き声にも等しかったそれの後に、水樹みずきは自分の教室に戻っていった。


「え?お前、神崎かんざきと知り合いだったのかよ・・・」


「そうだよ、須藤すとう


前の席の、男子生徒。

奇抜な髪型は、校則すれすれで、なぜ許されているのかわからない彼。


無二の男友達というより、共に学業を乗り越える共同戦線が近かった。


「なあ、今度紹介してくれよ」


「自分でやれ、俺は絶対に関わらん」


なので、お互いの利害が一致しなければ、こうして関係も決裂する。



◇  ◇  ◇



昼休みになり、生徒の空気も和やかになった。


皆な、自身のおもむく場所に向かっていった。


遥斗はるとはと言うと、水樹みずきのクラスへと来ていた。


「ありがとう。助かったよ。・・・ねえ、今日さ。遥斗の家に行っていい?」


ぽん、と。教科書が戻ってきた。受け取って、帰ろうとした遥斗はると


しかし、水樹みずきは二人にしか聞こえない声量で、言ってきた。


水樹みずき~。まだ~」


「ああ、うん。ちょっと待って!・・・じゃあ、そういうことだから」


是否ぜひも確かめず、強引に決めた水樹みずきは自分のグループに戻っていった。



◇  ◇  ◇



食堂という施設は、憩いの場であり戦場だ。

ガタイがよくなければ、とてもじゃないが、生き残れない。

命からがら奪取したうどんの麺を啜る。


この日は本当にたまたま、たまたまだった。

横で歩く水樹みずきに悪いと思って、コンビニに寄らなかった。


「あんた若菜わかなの弟?」


突然の名前に、どきりとした。


長テーブルの端で腰かける遥斗の横に、女性生徒が訪れる。


見上げた遥斗はるとは、綺麗な人だな、と感心していた。


・・・・・要するに、姉を追い求め続けるのだから、その影はついてくるわけで。


「アタシ、佐々木ささき亜美あみ。あんたの姉の友達だったんだ」


遥斗はるとは見逃さなかった。

彼女の背後で、鬼の形相をして見下している強面の男子生徒を。



◇  ◇  ◇



「うっ・・・」


強面の男子生徒、安藤あんどう康人やすとは、人気のない校舎裏で遥斗はるとを壁際に押し付ける。


食堂で二年の佐々木ささき亜美あみに紹介された。

昼食を終えた遥斗はるとは大人しく教室に戻ろうとしたが、押しつける彼に呼び止められたのだ。


そして今に至る。


壁に押しつけられて、影のなか。校舎に遮られた陽光が、視界の端で輝いていた。

なんだか、今いるここが深い闇なんだと認識してしまった。


「お前が学校にいるのは不都合なんだ」


いやに冷たい声だった。

それにはなんの感情も感じ取れなくて、人と話してるように思えなかった。


「つーわけで、もう来ないでくんね?」


巡る状況に、理解は追いつかなかったが、自分が攻撃されていることはわかった遥斗はるとは彼を見つめた。


・・・いいや、見つめたのではない、睨みつけた。


「絶対に嫌だ」


突然の言いように、遥斗はるとも怒らないわけがない。


だけどその反抗にいら立ったのか、安藤あんどう遥斗はるとを殴りつけた。


遥斗はるとの体が、影の奥に向かって転がった。


頬を抑えて立ち上がろうとする遥斗はると、彼を見下すように、目の前には安藤あんどうが立っていた。


「ちょうどいいや、おもちゃがいなくなってつまんなかったから、いじめてやるよ」


その言葉で、全てを理解できてしまった。

証拠があったわけではない。それを知ったのも、もう少し後の話だった。

けれど遥斗はるとのなかでは、もうそうとしか考えられなかった。


「・・・・・・まさか」


遥斗はるとのなかで、点と点が、線でつながった。


「おまえらのせいで、・・・・・・おまえらのせいで・・・・」


要するに、姉を追い求め続けるのだから、その影はついてくるわけで。


だからこれはあなたのせいじゃないはずだ。


僕がこれから不幸になるのは、あなたのせいじゃないはずだ。


こんなことで、姉を嫌いになりたくない。





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次回『塗り変えてやる、神崎水樹はそう言った。』

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