ならば俺は〝悪〟でいい。


「初めてだよ。まさか受験生は」


俺の前でそう言ったのは、贅を尽くしたような、恰幅の良い男だった。


細めた目線は眉尻を上げて、凝らすようにこちらを伺う。

男の言葉の端々には、こちらを値踏みするような思惑が見え隠れし、気の置けぬ重苦しい空気が流れていた。


「うちは私立、生徒を集めてなんぼの学校だ」


皮張りの豪奢な机に背を持たれさせ、辟易としているよ、と言う風に告げた。


「そこへ来て、君の紹介文ときた。正直、世迷言と斬り捨てても良かったが、やってもらう分にはこちらに不利益もなかったのでね」


「他の量産型よりかは幾ばくかマシだったよ」と、きざな動作で言い終えたが、

その言下には、「他よりはよかった」などと、

とてもそのような物言いの評価は感じられなかった。


期待というよりかは、疑わしくあり慎重な、虚偽の目だ。


佐々木ささきくんが本当に歌手になれるのなら、我が校としても箔が点く」


時計の針音が、こちらの動作を書き記すタイピングライターのような気がしてならなかった。

その頃には、俺はこの理事長の人間性を理解した。


「まあ、てっとり早い話、知名度が欲しい」


偉く強欲で、向上心がある御人なのだ。それでいて、失敗は絶対に許せないタイプ。

スポーツでそれなりに名を馳せているだろうに、もっと上を目指すと言っている。


「・・・はじめに書類でご説明した通り宣伝は欠かせません。ですがあくまで彼女の扱いは、わたしに帰属するという形で、そこは犯してはなりません」


「いいのかね?わたしに任せれば良いと思うがね?」


「ようは名を広めれば良いのでしょう?それなら誰がやろうとも結果は同じだ。それにここまで二人三脚でやって来たんです。相互理解においては、わたしの方が適任です。・・・違いますか?」


「ふむ・・・、一理はある、だが全てではない。・・・が、最近は娘が反抗期でね、あの年頃の扱いは難しいので、まあ良いだろう。では、結果が伴わなければ、即刻辞退するという形で手を打とう」


「・・・精進します」


この豚野郎が、疑いはするくせに、どうしても手中に収めたいのか。


下手をすれば壊されるまでこき使われることになる。

手綱は、しっかりと握らなければ・・・。


「失礼します」



◇  ◇  ◇



次の日には、海里かいりの合格も知らされた。なんとぶっちぎり1位の成績で。


当の本人に聞けば、ほとんど遊びに近かったと言うのだから、末恐ろしい。


当然、亜美あみも合格したのだが、


康人やすとどうやったの?!」


彼女は俺の合格を信じられないと言わんばかりの顔で問い詰める。

場所は亜美あみの部屋、そこには海里かいりもいて、腕を組んで胡坐をかきながら、俺に視線を投げていた。


「ほら、普段は亜美あみの動画を編集してるだろ?その編集技術をアピールしたんだ。それが良かったのかもしれない。学校のホームページの運営も任されたのが、その証拠だよ」


実際、後者の方も本当で、合格させる条件に加えていた。

正直、無編集で工夫する気などさらさらなかったが、

華やかなモノを期待しているよ、とタヌキ顔の高慢ちきな、あの理事長に釘をさされたので、業務が増えたのが気に入らないが。


「これで三人、また一緒だね!」


「ああ、良かったよ。それじゃあこれからも頼りにしてるよ、お兄ちゃん」


「うるせぇ・・・と言いたいところだが、頼られてやるよ。これまでずっと守ってきたんだ。今なら軍人が十人来たって負ける気がしねえ!」


がははは、と豪快に笑った海里かいりは、そのまま俺たちの頭を二の腕で掴み、「俺が守ってぜー!」と言いながら、優しく振り回す。


そのじゃれつきに、高校生になる時分だと言うのに、年甲斐もなくはしゃいでしまった俺と亜美あみ。本当に嬉しかったのだ。


まあ、亜美に対する力加減はソフトタッチで、俺に対するモノは結構強めだったので、守るどころか殺されそうになったが・・・。



◇  ◇  ◇



入学後に、亜美あみは引っ張りだこだった。


元々、テレビに出ていることもあり、知ってる人が多かったのだ。

彼らの期待と羨望が、幼馴染に集まるのは、どこか誇らしくもある。


海里かいりも即戦力として、柔道部で活躍していた。

春の新人大会でも、文字通り、ちぎっては投げ、という状態だったらしい。


対する俺はというと、あのタヌキじじいに駆り出されて、忙しい日々が続いた。


まずはホームページの更新、

各部活を回り、メンバーを写真に収め、読み込んだデータを張り付ける。

それに伴い、それぞれの部活の主将の一言紹介もあるので、紹介分も一新しなければならない。

あまりの多忙さから、一度は適当に済まそうかと考えたが、脳裏に理事長の亜美あみを欲しがる言葉がちらついたので、手を抜かず編集した。


「む~り~」

「うわあ、大変だねー・・・」


業務に慣れるまでは、ひたすらに地獄の日々だった。

そんな俺の積まれる仕事の数に、傍らで顔を顰める亜美あみ


「でも良いじゃん。こんな教室、プレゼントされて、コーヒーメーカー、仮眠室、学校の貸し出しパソコン編集ソフト込み、なんでもござれだ」


「編集ソフトに至っては、俺が持ってる奴の方が新しいんだけどな」


大着しやがって、そんなに費用が惜しいか。


ていうか、うまい汁だけ啜りやがって、あいつこそハゲタカだろ。



◇  ◇  ◇



そんな順風満帆とはいかないが、それなりに充実した日々が続いた。

海里かいりも目覚ましい活躍を見せたし、亜美あみも昨日の音楽イベントで会場を沸かせた。その動画は、これまでの再生数で、一番の伸びがあった。


二人は瞬く間に、高校の二大巨頭に。

そうなれば、浮ついた噂も出てくる。


「ねえ、知ってた?長谷川くんと亜美あみって、幼馴染なんだって」


「えー。そうなの?!」


「うん、この前聞いた。なんでも長谷川はせがわくん、小学校の時から亜美あみのこと護ってたんだって」


「キャー、素敵!そんなの彼氏みたいじゃん」


「実はね、付き合ってるらしいよ」


その噂は、信憑性がないものではあったが、共に生徒内のトップに並び立つふたりを見て、スクールカーストの本能が、皆にそう理解させてしまうのだ。


一月もしない間に、彼らの中でそれは決定事項になり、二人で歩む姿を見れば、黄色い目線と小さな歓声が、亜美あみ海里かいりを包んだ。


そこまでは良かったのだが・・・。


「あのさ、佐々木ささきって、裏ではヤリまくってるらしいよ」


「当然だよね。性格悪そうだもん」


その会話は、海里かいりのファンクラブのモノだった。


長谷川はせがわくん、騙されてるんだよ」


「どうにかならないかな、あのクソビッチ」


全体を見れば、恐ろしく少ないものではあったが、理事長との契約の手前、俺はそれを無視することもできなかった。


「古市さん・・・・だよね?」


俺はある日、そのでたらめな悪評の出所である、古市ふるいち美恵利みえりと図書室で接触した。彼女は図書委員だったので、消息を掴むのは容易だった。


「そうだけど・・・何?」


こちらを警戒した様子で、敵愾心てきがいしんを秘めた瞳が、俺を貫いた。


「本を借りたくて」


「・・・・じゃあ、わざわざ名前を呼ぶ必要ないじゃん。置いてくれればリーダー通したよ」


彼女は図書委員の席にあるスキャナーを持ち上げて、避難するような顔で言った。


「・・・その本、面白そうだね」


俺は毎日、古市ふるいち美恵利みえりを、思ってもいない賛辞でそそのかした。嫌がろうとも、彼女を肯定し、褒めたたえ、時に甘い言葉で惑わし、心にもない行動で、ひたすらに尽くした。亜美あみのうわさを流すたびにだ。


俺は、亜美あみを守るためならどんなことだってするし、どんな嘘だってつく。

平気で他人を騙すし、傷つける。


そうだ、俺は・・・・・。


お前が望むなら、俺は〝悪〟にすらなってやれる。



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次回『そうして少年は、人を操ることを覚え・・・。』

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