憩いの場所
『みーんーなー!今日はあずにゃんの配信に来てくれてありがとうーーー!』
「Foooooッ!」
開店前の地下バー、《Bar MIKE》。
『今日限りの限定ライブ!みんなで命いっぱいたのしんでいこうねーーー!』
「Yeaaaaaahhhhッ!」
店の大画面で、映し出される映像に歓声をあげる大男が一人。
このバーの店主である、マイク・アザエル。
金髪のロン毛で、頭にバンダナを巻いたアメリカンな偉丈夫、口元から顎にかけての髭を蓄えて、サングラスをかけている。革ジャンを羽織って、ダメージジーンズを履いている。なんだか、広大な草原で牛を放牧してるのが思い浮ぶ見た目だ。
画面ではメタバース的なライブ会場が映し出されて、その中央でうさ耳にメイド服を着た美少女3Dキャラが動いていた。それに合わせて、偉丈夫は躍動する。
『じゃあ、まずはあずにゃんの代表曲、『AzunyanTheOrigin』を歌います!みんなーーーー!あずにゃんコール!よーろーしーくーねーーー!」
「
男は、一糸乱れぬ動きで、即座に構えを取った。もう何十回やったかもわからない動きだ。この男自身、間違えるはずがなかった。
そうして画面の中のキャラモデルが動き始めた。
両手で猫の手を作って、きゃぴきゃぴ、ぴょんぴょん跳ねる。
その一つ一つの動作でも、ウィンクひとつ欠かさない。
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
それは、まさに、なんというか、これといって、いや、でも、けれど。
客観的に見て、地獄のような光景だった。
地下のバースタジオ、その大画面の前で、天上のミラーボールから乱反射するピンク色の極光の中を、大の男が跳ねていた。開店前の店の中でだ。
曲が歌に入り、1小節を回った。そうして、またあのコールに戻る。
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
「・・・・・・・」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU・NYA・NN!」
「・・・・・・・・・」
『あずにゃん♪あずにゃん♪』
「A・ZU・NYA・NN!A・ZU—————————あっ・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
マイクはここでようやく気が付いた。
自身の背後、歌の中でその足音を揉み消しながらも、裏口から帰ってきていた愛娘である
「違う、誤解なんだマイドーターよ。これには訳がある・・・」
「・・・・・・・」
「マ、マイドーター?」
マイクは、娘である明日華の表情に困惑していた。
その表情には、何もなかった。ただ無表情で、これといって何か侮蔑の感情を向けるわけではない。けれど・・・・・・。
「マ、マイドーター?・・・き、聞こえてるか?」
「・・・・・・・・」
けれど、それは決して父親に向けるものではなかった。つまり他人になった。
明日華は無言で、受付に置いてあった、マイクのスマホを取った。画面とスマホはワイヤレスでつながっており、そこではライブに熱狂するファンのコメントが、押し寄せるように流れていた。
明日華はそこに高速で文字を打ち込んで連投する。
それはR-18用語だったり、誹謗中傷だったり、罵詈雑言だったり。
とても公衆にお見せできる文面ではなかった。
そうして程なくして、マイクのアカウントはキックされた。
画面がぶつりと消える。
「とりあえずアカウントキックされておいたから」
「NOOOOOOOッ!なんてことするんだ!?」
必死にスマホを取り上げたマイク、試みるも、アカウントの復帰は絶望的だった。
その仕打ちに、マイクは愛娘に抗議の視線を送る。
「〝よじごじ〟のあずにゃんには無限の可能性があるんだぞ?!彼女の才は多種多様で、この前はふんどし姿で男の歌を歌った!しかも男の声に変えてだ!声変わりだってお手のものなんだぞ!そんなの他にできる奴がいるのか!?」
父はそう言うが、いやそれってただ単に中身が男なのでは?
「お母さんに拾ってもらって本当に良かったね。お父さん」
明日華の母は会社を経営し、社長を務めている。
社長になって間もない頃に出会ったのがマイクだ。
「お父さん今日何してたの?」
「寝てた」
「お父さんの勤務時間は?」
「夜の8時から深夜2時、合計6時間」
「休憩時間は?」
「1時間」
「それ以外は?」
「寝てた」
「働けクソ親父」
お母さんにばっか苦労かけさせやがって。
そんな悪態をついていた明日華。
そこで店の扉が開いた。
そこには悲痛に顔を歪めた
◇ ◇ ◇
「それで、逃げてきたわけ?」
「・・・・・・」
座高の高い回転イスに腰掛けた
「その、悪かった」
「そりゃあ、店の入り口で泣かれちゃあね」
どこか悟った様子でカウンターでグラスを磨くのは、
さっぱりとしたボブカットが特徴的な
落ち着いた性格とダメージパンプスというパンクな服装からも、クールな清楚ギャルという言葉がぴったりだ。
「お得意様はご贔屓に、うちのお店の特徴じゃん?」
ことりと、水を注いだグラスを差し出す
薄暗い、柔らかな暗色の蛍光に照らされたそれを、一口にあおる。
「発散したいからここに来たんでしょ?じゃあ、使っていきなよ」
「今なら開いてるよ」と言って、
じゃらりとアメコミのストラップがついた鍵を渡してきた。
◇ ◇ ◇
併設されたダンススタジオの端にリュックを置く。
「さてと・・・・・・」
まずは軽く柔軟を済ませた
ことりと乾いた音を立てたそれを持って、一面ガラスの前に立った。
立ち方も特徴的で、命いっぱいではあるが、
力が最大限は発揮できる程度に足を広げる。
そして、覚えたての動きをなぞるように、ゆっくりと動き始めた。
広げた両手を、孤を描くように振って、顔の横で打ち付ける、そして反対側へ反復。その繰り返しだ。
それは、いわゆる〝ヲタ芸〟というもので、
特に肩の柔軟は丁重に行う。
動きを表現する最大の器官だ。怪我をさせるわけにはいかない。
道具の煌びやかさはどうとでもなるが、肉体的な運動の美しさは、練習しなければ手に入らないのだ。
一通りの動きをなぞった
◇ ◇ ◇
「終わった感じ?」
更衣室から出ると
今の時間帯は、夜から深夜に差し掛かる時間帯だ。平日の店はここから賑やかになる。
「うん。・・・受付にいなくて大丈夫なの?」
「今はお父さんがいるから、もう帰る?それともなにか飲んでく?」
「今からだと補導されちゃうよ。大人しく帰るよ」
「そう」と短く返した
「なあ、
「急になに?」
掃除道具を取り出した彼女はフロントに向かおうとしたが、その背中を
「いや、その・・・例えばさ・・・・」
言い淀んだ後に、
「俺が好きなモノをお前が嫌いだとするよ?そんな状況でさ、俺がそれを見せてきたり、言ったりしたらさ、やっぱり気分悪いよな?」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
沈黙が流れた。
彼の中では、答えはもう出てる。これはそのすり合わせの行為だ。
だけど・・・・。
「なにアンタ?神様にでもなったつもり?」
彼女の答えは違ったのだ。
「遠慮してんの?アンタらしくない」と言う彼女に、それは違うだろ、と
だから
「いやでもさ、それだったらしない方がいいじゃないか。悪い方向に転ぶってわかってるのに、そこに進むのはバカのやることじゃないか」
だってそうだろう?自身の好みが普通じゃなかった時、相手と違った時、それは胸の内に隠しておくべきだ。だって相手の嫌がってる顔なんて見たくないだろう。
それなら、相手の領域を犯さずに、自分の中だけで楽しむべきだ。
「傷つけるかもしれないからさ、それならわざわざ大っぴらに————————」
「いやだから前提が違うって言ってんじゃん。勘違いもいい加減にしろよ」
唖然とした
「大なり小なり、好きなモノっていうのは他人を傷つけるんだ。立場も違えば、それを良く思わない人だっている。自分自身だってそうだ」
「勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。勝ち負けだけの話じゃない。なりたい自分になれれば嬉しいし、届かなければ悔しい。目の毒になるって言うやつもいる」
「傷つけるかもしれない?バカじゃないの?お笑いだね」
「ああもう、くだらない。本当にくだらない」
「なんでわからない奴にわかって貰おうとしてるの?そんなの他人じゃん」
「好きなモノは好きって言えばいい」
「叫ぶくらい良いだろ」
「そうじゃないと、お前と同じ奴が救われないじゃん」
「我慢してたら、自分も救えないじゃん」
「そんなの、誰も幸せになれないじゃん」
だから隠さないし、誰にもすがらない。
人の好き嫌いで曲げる者でもないし、誰よりも我が強い。
なにより
「好きなモノってのは、傷つけるモノなんだ。それすらひっくるめて、押し返して、逃げずに、傲岸にも叫ぶモノなんだ」
「だから誰もが幸せになれる〝好きなモノ〟なんて、この世には存在しないんだ」
◇ ◇ ◇
「ヘイ!マイドーター!遥斗は・・・帰ったのか?」
「もうとっくに帰ったよ、お父さん」
貸し出し用のダンススタジオに顔を出したのは、
「なんだよ、顔出したなら見たかったのにな~、ジャパニーズオタク文化」
そう愚痴をこぼして、偉丈夫は瓶を空けて飲み干した。
「ちょっと売り物・・・」
「細かい事は気にするな。どうせ売れ残る不人気商品だ」
「じゃあ売れるように努力しなよ。つうか発注すんなし」
「それは困る、俺が飲めなくなる」
「・・・赤字になったらお父さんのせいだかんね」
ハハハ、と野太く笑った偉丈夫は、瓶の中身を飲み干して、ぷは~、と一言。
口元を拭った後に、
「はあ~。
そして、ニヤリとした顔で、横にいる娘の明日華を見て、
「うちならいつでも引き取ってやれる。大歓迎だ。ちょうど娘に婿が欲しかったところだ」
「・・・・・そんなこと言ってないで働け、飲んだくれ」
「ぐえっ・・・汚ネッ!ぺっ、ぺっ・・・おい!」
「じゃあ、あとはよろしく~」
明日華は偉丈夫に向けて、持っていたモップを押しつけて黙らせた。
そして自分はそのまま店の受付へと向かっていった。
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※
次回『彼のすべてが欲しかった、リナリアの気持ち。』
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