そうして他人を壊した。

康人やすと!遊びにきた!家あげて!」


安藤あんどう康人やすとは、ここからここからどうすべきか考えた結果、

〝それ〟から視線が外れるように、さりげなく亜美あみの前に出て遮った。


「ごめん、今日は都合が悪くて・・・また今度にしてくれないかな」


「え~・・・いいじゃん、ケチぃ。邪魔しないからさ、てか何してんの?また理事長からの依頼?」


「まあ、そんなところ」


「そうかぁ~・・・仕方ないね。っみせかけて、とうっ!」


残念そうな顔をした亜美は、そのまま振り返って帰ると見せかけて、玄関から内部に滑り込んできた。


「大丈夫、わたしがいたところでなんの支障にもならない・・・ってナニコレ?」


和やかでのほほんとした亜美あみの表情が一変した。

彼女が答えを求めるように顔を顰めて、指を指した先には美恵利みえりのかわいらしいレディースのミニブーツがあった。


康人やすとくん。遅いみたいだけど、どうかした——えっ・・・」


片眉を上げて右のおでこにしわをつくった亜美あみに母親のものだと誤魔化そうとしたが、運の悪いことに、康人やすとの帰りを待ちわびた美恵利みえりの登場で不可能となってしまった。


すべての状況を理解した亜美あみは、もう感情を隠すこともなく顔を歪ませ、対する美恵利みえりはいきなり別の女、しかも我が校の象徴たる佐々木ささき亜美あみが現れたので、説明を求めるように康人やすとを見た。


亜美あみ美恵利みえり、ふたりの視線は、残暑を掻き消すほどに冷たく、間に挟まった康人やすとは背筋を震わせた。



◇  ◇  ◇



「・・・・・・」


「・・・・・・」


数分前までの、恋人同士の空間が一転。

今ではなんとも言えない空気が流れていた。


絶対零度の俺の部屋。テーブルを挟んで、右に美恵利みえり、左に亜美あみ

なんとか少しでも和ませようと、九月だというのに温かいお茶を置いた。


「粗茶です」


コトリ、ピキッ!


(亀裂が?!!?!!)


さすがの粗茶くんも、空気に耐えかねて砕け散った。逃げ出したいのは同じようだ。


重たい沈黙が康人やすとの両肩にのしかかり、これをどうにか打破すべく、康人やすと亜美あみに話しかけた。


佐々木ささきさん、この前の動画の話なんだけどさ」


パソコンの画面を亜美あみに見せて、意識を美恵利みえりから外させた。


一瞬、康人やすとの呼び方にムッとしたが、今の問題はそれではないのか、彼の隣に移動して画面をのぞき込んだ。


この状況、一方的に敵視しているのは亜美あみの方だ。つまり彼女の目線がこちらに向けば、自然とこの部屋も平和に———————。


「ねえ、なんの話?」


「あなたは関係ない。話しかけないで」


「はあ?」


ちょっと亜美あみさん、あなたなんで挑発するんですか・・・。

やめてよ、美恵利みえりが大変なことになっちゃうから・・・。

ただでさえ沸点が低い子なのに・・・。


「いや、関係ないわけないでしょ。こうして同じ部屋にいるんだし、てか混ざれない方が難しいと思うんだけど。どうやったって会話は耳に入るわけなんだから」


「今が取り込み中ってわからない?わたしたち仕事の話をしてるの。いわば企業秘密なんだから、ああそうだ、それだったらちょっと廊下に出ててくれない。いや、廊下じゃダメか、一階のリビングで待っててよ。わたし康人やすとと話さなくちゃいけないことがあるから」


「急に押しかけてなに?康人やすとくんプライベートだったじゃん。やっぱり嫌な感じはしてたんだ。自分のことばっかりじゃん。自己中心的なのはどうなの?自分の歌に酔いしれるのもいい加減にしたほうが良いよ」


「人のこと言えなくない?あなたもここに来てるじゃん。そう思うならそっとしてあげなよ。康人やすとはただでさえ忙しいのに、少しは休ませて」


「歌ばかり歌うと頭が緩くなるの?わたしはここにお呼ばれしたんだよ?それってつまりわたしといるのが心が休まる時ってことだよ。その鈍い頭、少しは締めたらどうなの?」


「緩いのはお前の股だろ?」


「ああもうだめ完全にキレた康人やすとくんわたし今からこの人を引っぱたくけど誰にも言わないでね?」


「ケンカ、ダメ、オネガイ、ヤメテ」


その日の康人やすとは、寿命が数年縮む思いをした。

仁王像も震えあがるほどの冷気がその場を包んでいた。

その中心で、ひたすらに動く、小さな首振り人形、それが俺だった。



◇  ◇  ◇



激突から数時間後、俺の家には美恵利みえりだけが残った。


お互いに暴投を投げまくった彼女たち、時間帯も良いところになったのでふたり揃って帰ろうとしたのだが、


——————————————————————————————————————



「ごめん、美恵利みえりにはちょっと話があるんだ」


「・・・今、言えばいいじゃん」


「悪いね、佐々木ささきさん。ちょっと聞かせられない話なんだ」


「なにそれ・・・」


亜美あみは悲しそうにそう言うと、怒りを露わにした。


「もう康人やすとなんて知らない!バカ!勝手にすればいい!」


憤慨した亜美あみはそのまま荒々しく扉を開けて、帰っていった。



——————————————————————————————————————



「ほんと、迷惑な子だった。康人やすとくん、軽々しく家にあげちゃダメだよ」


頭痛をこらえるように言った美恵利みえりは、こめかみを抑えながら康人やすとに警告した。


「そのことなんだけどさ・・・」


「ああ、そうそう。話だったね、なに?」


美恵利みえりさ、浅井あざいさんと仲良かったよね?」


まさかその名前が出てくるとは思わなかったのか、突然の発言に、目を丸くする美恵利みえり


「最近、浅井あざいさんと長谷川はせがわがいい感じなんだ。くっつけたくないから、邪魔してくれない?直接じゃなくて、間接的に」


「・・・どういうこと?」


康人やすとの発言の理解を拒んだ美恵利みえりは、それが聞き違いだったのだと思い、再度聞き返した。


「正直、プロデューサーの立場からだと、長谷川と佐々木ささきさんが付き合ってることにしてくれた方が、やりやすいんだ」


「え?本当は付き合ってなかったの?」


美恵利みえりは認識の違いに、首を傾げた。その様子に疑問を憶えた康人やすとは、


「知らなかったのか?」


「いや、わたしも聞いた話だし・・・」


どうにも腑に落ちない回答にも、話が逸れてしまうので、その問題は後回しにすることにした。


「まあ、つまり。佐々木ささきさんが順風満帆に歌手活動を続けられるように、協力してほしいんだ」


目的を簡潔に告げた康人やすと、だが美恵利みえりは先程のこともあり、心底、嫌悪感を露わにして、


「わたしがあいつのために? 冗談じゃない。いくら康人やすとくんの頼みと言っても無理だよ」


亜美あみだ、安全に活動させたい」


「・・・・じゃあなおさら無理だね。わたしには関係ない」


康人やすと亜美あみの関係性を耳にして、一層不機嫌になった美恵利みえりは、そっぽを向いて、断固拒否する。


だけれど、そんな美恵利みえりに、康人やすとは迫った。


イスに座る美恵利みえりに歩み寄り、ひじ掛けに両手を置いて逃げ道を塞いだ康人やすとは、追い込まれた彼女の瞳を見据えて、 深く 、告げた。




「 〝美恵利みえりは〟 、俺のことを助けてくれるし、言う事も聞いてくれるよね?」


その言葉の勢いと誘惑に、美恵利みえりはしばし、推考する。


「・・・・・・」


あの女の為というのは、彼女にはすごく癪に障ることだが、何より、康人やすと亜美あみの関係性において、一歩劣る彼女にとっては、その役目はとても魅力的に映っていた。


「わたしの方が、康人やすとくんの役に立てるもん」


そうして、彼女も加担した・・・・。



◇  ◇  ◇



次の日になれば、康人やすと亜美あみに、校舎裏に呼ばれていた。


亜美あみ、話ってなに?」


時間は放課後、

いつもなら共に帰宅して動画の打ち合わせをしている時だが、少し話をしようということで、こうして遠回りをしてきた。


「あの子のこと、なんだけどさ・・・名前は?」


「昨日のこと?古市ふるいち美恵利みえりっていうんだ」


「ふーん・・・康人やすとの家で何やってたの?」


「普通に、会って遊んでたんだよ」


康人やすとが当たり前のように言ったものだから、亜美あみはそのことを忘れているんじゃないかと思って、詰問した。


康人やすとってさ、わたしのプロデューサーだよね?」


語調に少しの怒りが混ざって、突き刺すように彼女は言った。


「確かにそうだけど、誰に会おうと俺の勝手だろう?」


「いやいや、お互いに活動してるんだから影響するに決まってるじゃん。てか、康人やすとはわたしのものでしょう?」


「俺はものじゃないよ、亜美あみ


「ああ、ごめん。まずこれを確認しないといけなかった。あのさ・・・」


亜美あみはバツが悪そうに顔を顰めながら、


康人やすとってあの子と付き合ってるの?」


俺を突き刺すような視線でじっと見つめる亜美あみの表情には、冷たい感情しか読み取れなかった。


「そうだよ」


断言した俺に、突き詰めていた表情が、一瞬歪んだ。しかし、すぐにキッと目線を絞った亜美あみは、すぐさま反論した。


「でもさ、わたしたちこれからじゃん。これからふたりでやっていこうっていう時にさ、康人やすとだけ抜けたらできなくなっちゃうじゃん」


「ねえ康人やすと・・・」と、最後のほうは、懇願に近かった。


その願いに俺は胸に手を当てて、強く宣言した。


「約束する、俺は絶対に亜美あみを歌手にする」


薄暮の空に、少女のくぐもった声が鳴り、耳鳴りのように響く学校の部活動の音が、ひどく現実味を帯びていなかった。


ふらりと揺らいだ亜美あみは、自身を支えるように腕を力強く掴み、俯きながら、何かを抑えるように言った。


「・・・・・帰って。あと、打ち合わせは明日にしよう」


「・・・ああ、そうだね」


俺は彼女の言う通り、背を抜けて帰宅した。右手に曲がり、校舎の影に消えようとした康人やすとの耳元には、幼子のような泣き声が、微かに聞こえた。


「・・・・・」


得も言われぬ気分の悪さに、足取りも重くなる。


コーン!と響く金属バットの音が、落ちた心を淡く震えさせるだけだ。


「あれ?安藤あんどう?こんなところでなにやってるんだ?」


くたびれたように歩く康人やすとの前に、三人の野球部員が現れた。

康人やすとは返答をしあぐねていると、部員たちは彼の横を通り過ぎて、そのまま進もうとしていた。


「ちょっと待ってくれ。今はひとりにしてあげてほしい」


「・・・・どういうことだ?」


事情を聞いた野球部員たちは、そのまま康人やすとに案内される。


そうしてきた道を戻った康人やすとは、彼らにそれを見せた。


彼らの視線の先には、膝を抱えて静かに泣いている亜美あみの姿があった。


「最近、・・・亜美あみの噂が出回ってるのは知ってるよな?」


そうして安藤あんどう康人やすとは、委細にある嘘を織り交ぜながら説明した。




「でもさ、おれ許せないよ」


説明を聞いた野球部員のひとりが、亜美あみを見つめながらそう言った。


押し黙る彼らの中で、その言葉は、強く、彼らの心に響いた。


佐々木ささきだって、あんなに頑張ってるだろ。それなのに、こんなのって・・・」


悔しそうに、握り拳をつくる彼に対して、仲間も後に続いた。


「確かに、何もしてないヤツがそんなことを言うのは、気分が良くないな」


安藤あんどう、事情はわかった。任せろよ、俺たちにも協力させてくれ」


横にいた一人が肩に手を置いて、顔に微かな怒りを滲ませていた。


「・・・ありがとう、助かるよ」



——————————————————————————————————————


その日から、瞬く間に情報は学校中に流れた。


美恵利みえり浅井あざい若菜わかなの趣味を晒し、複数人の男子生徒の協力のもと、悪評として学園中に広めた。人の恋人を奪い取る、趣味の悪い女として。


以前、本当に亜美あみの陰口を言っていた奴らは、これまでの責任をすべて浅井あざい若菜わかなに押しつけて、今では亜美あみの肯定派となった。


浅井あざい若菜わかなという女生徒はひと月と経たないうちに、学園から姿を消した。


——————————————————————————————————————



そうして来たる文化祭に日。亜美あみのライブが行われた。


文化祭ライブは大盛況で、亜美あみの姿は確かにその日ステージに刻み付けられた。投稿した動画も、各種SNSを通じて大きな反響を呼び、学校のホームページにも記載され、彼女は確かに知名度を得ることが出来た。


しかし、その会場をわかす姿は、何かに似ていた。


ミロのヴィーナス、不完全に完全。


どこか欠けた、少女。

されど欠けたからこそ、人々を魅了する。


そのまっすぐな表情と、痛切な歌声が、どこかもの悲しさを湛えながら、人々の脳裏に刻まれた。


強く、だけれど不安定に孤高で、

マイクを握る細腕はしなやかで繊細だ。

その喉から繰り出される歌声は、何をもにも揺るがぬ芯があった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~ そうして物語は、 第三章へ ~~

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