第41話 さすがゴッグだ

 クマはなにかひどく苛ついているようだ。

 ふこー、ふこー、と呼吸が荒くなっている。

 牙も剥き出し。

 身体を大きく見せようというのか、前のめりで今にも飛びかかりそう。

 毛が逆立っていた。

 子クマに手を出された親クマみたいに荒ぶってる。

 俺はチンピラ達へ必死になって言った。


「に、逃げろって、お前ら! クマが興奮してる……やられるぞ!」

「やられる? あほか、俺達がやるんだよ! 寝ぼけてんのか!?」

「クマとやるとか正気か!? う、腕を折られて腹が立つのはわかる……! でも、むしろそれだけで済んでよかったと思うんだ! 下手したら、腕ごと持ってかれてたんだから!」

「ぶつかっといてただ済むわけねえだろ? 逃がさねえよ」

「むしろ、お前らが逃げるか死んだふりしないとヤバいんだって!」


 くそ! 皆にはこいつがクマだと認識できないせいで……!

 わかってもらえない!


「だめだ……このままじゃクマの本性が出ちゃう……俺達みんな殺される……!」

「……あ? どうしたんだ、こいつ? いかれてんのか……?」


 俺は恐怖もそうだが、なんだか悔しくて震え出す。

 胸が締め付けられ、涙目になった。

 それを見て、チンピラ達が嘲笑い、囃し立てるが知ったことか。

 俺は荒ぶるクマに向き直った。

 

「……なあ! お前、これまで揉め事を起こさずに頑張ってきたのに、ここでこいつらに手を出して全部台無しにしちゃうのか?」


 俺はクマに問いかける。


「正体を現してこいつらに手を出したら……もう、今まで通りではいられなくなっちゃうんだぞ? もう、クラスの皆とも一緒にいられなくなる……それでもいいのか?」


 クマは不思議そうな目で俺を見つめてくる。


「……俺がこんなこと言うの、おかしいか? ああ、俺もおかしいと思う。……だって、俺、お前と一緒にいられなくなるの、なんだか嫌なんだ。お前がどっかに行っちゃうのが……たまらなく嫌だ……! お前、クマなのに、俺はなんで……」


 俺はそれでもクマに強く言った。


「お、俺はお前にどこかへ行って欲しくない! だから、だから、こいつらに手を出すな! 俺のために我慢しろ! 俺、もう少しお前と一緒にいたいんだ! ぐっ!?」


 俺は突然の衝撃に身体をくの字に曲げた。

 チンピラの膝が俺の腹に埋まっている。


「さっきからなにわけわかんねーことほざいてんだ、てめえ!」

「いいぞ兄貴! やっちゃってください!」


 ぐわっ、とばかりに殺気が膨れ上がった。

 クマの体から溢れんばかりの殺気。

 俺は息も絶え絶えに呟く。


「……だめだ……やめろ……!」


 ゴゴゴゴゴゴゴ……。

 クマは仁王立ちし、チンピラ達に相対する。

 地獄が始まろうとしていた。


  ◆


 ピーポーピーポー。


 鳴り響くパトカーのサイレン。

 俺は目の前のクマを見上げて立ち尽くす。

 まさか、こんなことになるなんて……。


「……おいおい、なんだなんだ、何の騒ぎだ!?」

「ねえ、ちょっとあれ……!」

「うわ、すげえ美人……!」


 クマは周囲から注目の的になっている。

 そのクマ、さらっとノートに書きつけて、俺に示してきた。


『いこう』

「あ、ああ……」


 チンピラ達は最早いない。

 俺達を阻む者はなにもなかった。

 俺とクマは人目を避けるように、その場からそそくさ。


「……あ、君達! 待ちなさい! 話を聞かせて……!」


 たぶん、警官からの呼び止めの声。

 それを背に受け、俺達は裏通りへと駆け込んだ。

 さらに横道に入り込み、姿を隠す。

 これ以上、厄介事に関わるのはごめんだ。

 俺は誰からも追われていないのを確認して、ようやく息を吐く。


 まさか……まさか、あの関東グヘヘ連合をたった3分で壊滅させるとは……!

 俺はクマの所業に恐怖した。

 あっという間の通報……!

 目にもとまらぬ国家権力……!

 チンピラ達に相対したクマはおもむろに、あわてず騒がず、警察を呼んだ。

 本日の取り組み、決まり手、通報。

 駆け付けた警官たちはチンピラ達を職質し、悪質なつきまとい行為として署で話を聞こうか? 案件に。

 この間、わずか3分……!

 日本の警察は優秀だなあ。


「……それにしても、いつの間にか通報してて、警官が来るまで時間稼ぎしてたなんて。やるな、お前」


 俺はクマに笑いかけた。

 クマは俺を見返してくる。真っ黒な目。

 そこで、俺は気付く。

 この狭い横道、いるのは俺とクマ、2人っきりだ。

 他に誰も見ていない。

 都会の空白、開かれた密室。

 ……ここでなにが起ころうと、止める者はいないだろう……。


 俺は鼓動が乱れるのを感じる。

 急速に高まる緊張感。

 ドキン、ドキン、と脈打つ心臓が痛かった。


 俺はおかしくなってしまったんだろうか?

 こいつのそばにいつもいて、恐怖でドキドキしている。それを……勘違いしてしまったのか?

 吊り橋効果、という言葉が頭に浮かぶ。

 不安や緊張からドキドキしているのを「俺はこいつのことが好きだからドキドキしている」と錯覚してしまう現象。

 俺、さっき……吊り橋効果でなんだか変なことを口走ってしまった気がする……。

 だって、こいつはクマだぞ?

 危険で危ない存在。

 そんなのともっと一緒にいたいとか、そんなこと俺が本気で思うわけが……。


 クマがずいっと俺に顔を寄せてきた。

 クマの体温が肌で感じ取れる距離。

 俺の鼓動はさらに早まる。

 さながら早鐘のごとく。

 俺の心の中の和尚がゴーンゴーンではなく、ゴンゴンゴゴンゴゴンゴゴンと鐘をつきまくりはじめた。


「な、なん……だよ?」


 俺はクマに壁際まで追い詰められる。

 身体を寄せてきやがった……!

 絶体絶命のピンチ……!

 なのに、俺の心臓は……いや、ピンチだからこその、この早打ちなのか?

 それとも、なにか別の期待で……?

 俺の心の中の和尚が裾をめくり散らかしての狂乱鐘つき開始。


 ゴンゴンゴゴゴンゴゴゴンゴゴゴ


 クマの吐息が俺の唇に触れた。


 止めろ! 和尚! 鐘連打止めろ!

 なのに和尚はヒートアップ。

 16連射機能付き和尚爆誕。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ


 心臓がもたない……っ!

 これ以上は……!

 やめろ、死んじまうぞ……!?

 気を……気を押さえるんだ……!


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッゴゴゴオゴゴゴッゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオゴゴゴゴゴッゴオッゴオッゴオゴg


 話聞けや和尚!?

 地球ごと消す気かっ!? 和尚―っ!








 なんともないぜ。

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