第25話 保健室のクマ

 保健室へ向かう途中の廊下で、ふらふらのクマにのしかかられた俺。

 いつもと違うその様子に焦ってしまう。


 こいつ、本気で死にそうなんだけど!?


 俺が手を離したら、そのままズシンと廊下に倒れてしまうだろう。

 俺が今、全力で支えているその身体も熱い。

 ……この巨体を1人で支えている俺もすごいよな?


 このクマ、さっき一瞬だけ人間形態になったりしたが、今は巨大なクマの姿に戻っている。

 形態が安定していないのも、体調の悪さが影響してるのか?

 できれば、人間形態でいてくれた方が怖くなくていいんだが……。

 いや、でも、あの美少女姿でこんな抱き着かれてたら、別の意味で俺の心臓がもちそうにない。

 だって、あの柔らかそうなピンクの唇……。

 もう少しで俺の鼻先に触れそうだった。

 位置がずれてたら、キスになってたかもしれんくらいのニアミス……!

 その唇からふわっと吐息が感じられて、思わず吸い込んじゃったくらいだが……。

 それだけ近かった。

 あんなに女の子の顔を間近で見たの、幼稚園の頃の小兎以来だ。

 これじゃ、変に意識してしまう……。

 ……いや、これ、浮気じゃないぞ!?

 小兎以外の女の子に心奪われるとかそういうんじゃないんだ!

 落ち着け、落ち着け、俺!

 こいつの正体はクマ!

 俺が今、背負うようにして支えているのは超絶美少女ではなく、巨大なクマなんだ……!

 そう考えれば、キスしちゃいそうなほど間近で顔突き合わせても全然ドキドキしないな!

 今の俺なら、クマと鼻先1㎝で見つめ合ってもまったく動揺しない!

 

 と、クマが息苦しそうに咳き込んだ。

 それで俺は正気に戻る。


 ……熱出した死にかけ相手に、俺はなにを考えてるんだ。

 そんなこと考えてる場合じゃない!

 助けるんだ!

 はやく、保健室に連れてって養護の先生から指示を仰ごう。

 下手したら救急車とか呼ばなきゃならんかもしれんし……!


 俺は廊下の窓から外を見る。

 雨どいが窓のすぐそばに備え付けられていた。

 俺は保健室への近道を知っている、とさっき早贄先生に訴えた。

 それは事実だ。

 窓から雨どいを伝って降りれば、1階の保健室までショートカットできる……!

 これは保健室RTAには欠かせぬテクニック……!

 ただ、現在の天候状況等を鑑み、俺はより安全なルート「普通に階段で降りる」を選択した。

 急がば回れ、よな。


「すぐに保健室まで連れてってやるからな。ちょっと我慢しといてくれよ」


 俺がそう言うと、クマは僅かに唸った。

 礼を言ったのか……あるいは微笑んだのかもしれない。

 俺はクマを背負う形で階段を下りていく。


  ◆


「失礼します! 先生いますか!?」


 俺は保健室の扉をノックし、中に呼びかけた。

 返事はない。


「……先生?」


 俺は返事を待たず、扉を開ける。

 こっちは急患だ。

 待っている余裕はない。

 保健室には養護教諭用の机に椅子、それに一組のソファ、冷蔵庫、部屋の奥にカーテンで仕切られたベッドが二つあった、

 視力検査用のポスターやら『手を洗おう!』的な標語が壁に貼られている。

 室内は結構乱雑だ。

 その中に保健の先生はいなかった。


「……参ったな……職員室か?」


 俺は先生の姿を探して周囲を見回す。

 俺の背のクマがまた咳き込んだ。


「しょうがない……横になって待っててくれ。勝手にベッドを使わせてもらうことになるけど……」


 俺はクマを奥のベッドまで運び、そこに寝かせた。


「ちょっと保健の先生探してくるから、おとなしく寝てろよ?」

『まって』


 クマはノートを取り出し、俺に見せてきた。

 どっから出した?


「どうした?」

『ほしい みず』

「水が飲みたいのか? わかった」


 風邪とか引いた時、水分補給は重要だからな。

 俺はクマに毛布を掛けてから、保健室内を見回す。

 保健室に備え付けられた水道の傍に、コップ類の入った棚があった。

 あそこのコップに水汲んでやればいいか……。

 そう思って、そちらに向かう。

 と、ふと冷蔵庫に目が留まった。


「……そうだ、ついでに……」


 俺は冷蔵庫に手をかけ、開けた。

 思った通り、冷凍室に熱さまし用のアイスノンが保管されている。

 ……クマの巨体にこれが通用するかどうかわからないが、無いよりはましだろう。

 俺はアイスノンを手に取り、ついでに冷蔵室の方も開けてみた。


「あ、水よりこっちの方がいいな」


 そこにはペットボトル入りのスポーツドリンクが数本入っている。

 スポーツドリンクの方がただの水より早く水分補給できるっぽい。


「さあ、これを頭に当てて……。で、これ飲めよ」


 俺はペットボトルの蓋を開け、クマに差し出してやった。

 おとなしく俺の言うことを聞くクマ。

 聞き分けがいいと可愛いもんよ。

 と、そこで俺はペットボトルの蓋を見て、眉を寄せる。

 ……ん……?

 土鳩、と書かれている。

 保健の先生の名前だ。

 ……あれ? これ、もしかして……先生の私物……?

 俺、他人の物を勝手に持ち出しちゃった……?


 ドンドン!


 そこへ突然の手荒いノック!


「先生! 先生いますか!」


 俺は飛び上がり、思わず身を隠す。

 先生のスポーツドリンクぱくった現場を見られてしまう! という焦りと急なノックでびっくりしたのだ。


「先生? 先生、いないんですか?」


 俺は息をひそめてやり過ごす。

 来るな、どっか行ってくれ……!

 その願いが届いたのか。

 ノックの主はそのまま立ち去ったようだった。


「……ふう、まったく脅かしやがって……」


 俺は呟く。

 そして、俺は自分が別の窮地に陥っていることに気付いた。


 ぐるる……。


 俺のすぐ横、肌の触れ合う位置にクマがいる。


 俺は先ほどのノックに驚いた瞬間、咄嗟に、凶暴なクマの潜むベッドの中に身を隠してしまっていた。

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