第26話 クマが喋るわけないだろ

 俺は今、クマと同じベッドにいる。

 上から毛布をかぶり、一塊のようになって。

 保健室に来た誰かから身を隠そうとした結果、俺は間違えたというわけだ。


 クマがいるのは俺の背中側。

 荒い息が俺の首筋にかかるくらいの距離だ。

 その息は生暖かい、というより熱い……!

 死の灼熱のよう。

すっぱり斬られて痛さより熱っ!? って感じる、なんかあの感覚が思い出されて不安。

熱っ!? って首筋に感じてるけど、ほんとは俺には見えてないだけですっぱりやられてるんじゃ……?

キャンプ場で寝てるとクマに襲われる危険性がある、なんて話を聞く。

でも、今の俺みたいにクマと添い寝してる方がはるかに危険だということはわかってもらえると思う。


で、こんなに近いのに、やっぱり何故かクマの獣臭さは匂わず、女の子のいい匂いしかしない。

今までも、俺はクマから悪臭を嗅ぎ取ったことはなく、いつだってフローラルな香りをお届けされてきた。

こんなん脳が混乱するで……!


「……と、とにかく逃げないと……!」


俺は前に、クマと一緒に寝たりしたら死ぬかも、みたいな心配をしたことがあった。

その心配が正しいかどうか、今、身をもって知ることになりそう……!

そんなことを知る前に脱出だ。

今はまだ、知るべき時ではないということ……!


俺はそっとベッドから抜け出そうとする。

その途端。


 ぐっ、と右手首に抵抗を感じた。

 とても強い抵抗。


 ……掴まれてる……!

 それも引き剥がせないほど強く……!

 クマのあの爪の生えた手で器用に掴まれてるね、これぇ!

 これってつまり。


 クマに俺を逃がす意思がないことを知り、俺はどっと汗をかきだした。

 間近に迫る死を意識して、アドレナリンが出たせい。

 脇とか掌がぬるぬるしちゃう。


「ひぇ……は、放して……」


 俺は嗅の鳴くような声で呟く。

と、


「……1人にしないで……」


 かわいらしい、子供みたいな声が返ってきた。

 縋るような、感情のこもった声。

 それは俺の真後ろで囁かれたものだ。


「……え⁉ お前……今、喋った……!?」


 俺は思わず、寝返りを打つように振り返る。

 人の言葉を喋っただと!?

 クマが喋るなんて、そんなバカな!

 クマってノートを使わないと会話できないものなんじゃないの!?


 そうやって振り返った俺のすぐ目の前にいたのは。

 栗色の髪をおでこに張り付かせ、苦しそうに息をする美少女。

 首筋に張り付く髪もまたセクシー。

 きれいな鼻筋は外国の高貴な生まれを想像させる。

 目を閉じ、王子様のキスを待つおとぎ話のお姫様のようだ。

 僅かに赤みを帯びた肌に、吐息。

 それはなにかを期待して、興奮しているようにも見える。

 なにかされるのを待っている……。

 エッチな雰囲気、メシの顔……。


 俺は唾を飲み込んだ。

 ぎゅっと目を閉じて、耐える。

 こういうときは素数を数えるんだ……!

 素数、14~15個くらい数えたところでわかんなくなってやめる。


 ……落ち着け……落ち着け……!

……ベアトリクスは単に、熱が出て苦しくて喘いでるだけだ。

 そんな弱っている相手にアホなこと考えるな……!


 ていうか!

 こいつ、また人間形態になってる……!

 こんなベッドに2人きりというタイミングで!

 美少女姿になるとか卑怯やぞ!?

 これで俺が、うひょー! って鼻の下伸ばして近付いてきたところをがぶりとやるってえ寸法かだろ?

 有効な手ですね!

 その手に乗るか!

 早く逃げなきゃ!


 ベアトリクスが僅かに身動ぎした。

 横たわっていた、その、おっきな、えー、胸が、揺れまして、ですね。実況しちゃった。


 く……っ! 目が離せねえ……!

 罠だとわかっているのに……。

 クマのくせに高度なトラップ技術をもってやがる……!

 ベアトラップ……!


「や、やめろ……! 俺をどうするつもりだ、放せ……」

「……クマ……」

「え? クマ? クマが、なに?」


 なんだ?

 俺はベアトリクスの様子に眉を顰める。

 なんかうなされてるのか?

 じゃあ、これはうわごと……?

 熱に浮かされて、朦朧としているようだ。

 そのベアトリクス、俺の右手首を掴む力がぐっと強まった。


「……助けて……クマが……怖い……」


 悪い夢でも見てるようだ。

クマがトラウマとか?

 クマのくせに?

それに、たぶん、俺を誰かと間違えてる。

誰に助けを求めてるんだろう?

 こんな苦しそうだし、起こした方がいいかもしれない。


「な、なあ、大丈夫……?」


 ガラガラガラッ!


 保健室の扉が勢いよく開かれる音がして、


「……まったく、呼び出しとか勘弁してほしいわ……」


 若い女の人の声がした。

 俺は身を竦める。


「ちょっと席を外すと悪ガキどもが入り込んで悪戯したりイチャイチャしてくんだから……ん……?」


 わずかな間。


「……まだ温かい……遠くには行っていないわね? 1人……いや、2人……ほう? 1人は女の子……ああ、そう。また?」


 かちゃり、となにか音が鳴った。

 俺の思い違いならいいが、あれは銃の撃鉄を上げる音……!


「保健室に入り込んだ悪ガキ……授業サボってイチャついてるんなら……」


 間違いない。

 この声は保健室の主、土鳩先生だ。


「……然るべき報いを……」


 土鳩先生の声は次第に俺達の居るベッドに近付いてくる。


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