第35話 カブの和風ポタージュ

「あー、お待たせ―!」


 廊下の奥から小兎が帰ってきた。

 軽やかな足取りは、どこか浮かれた様子。

 俺の方を見て、意味ありげな笑み。

 その笑みを隠すよう、口元に手を当てて、


「ふふっ、だーいぶ待たせちゃったね? そっちはどう?」

「……どうって……手を洗うのにどれだけ時間かかってるんだよ?」

「爪の先から指の間まで、すごく念入りに洗ってたんだよ。でも……その方が、猟平も十分時間が取れてよかったでしょ? ねえ?」


 そう言いながら、小兎は俺とクマの顔を交互に見比べる。

 悪戯な子供みたいに目が輝いていた。

 小兎の奴……わざとこんなに時間をかけたな……!

 気を利かせたつもりなのか。

 俺とクマの関係について、小兎はきっと酷い誤解をしている……。


「わたしがいない間、2人で話も弾んだんじゃない?」

「……ええっと、まあ、な……」


 俺が言葉を濁す。

 と、小兎は俺が照れてるとでも思ったのか、嬉しそうに笑った。

 くっそ、やっぱりかわいいな……!


「そっかそっか! よーし! じゃあ、ベアちゃん、キッチン借りるね? 風邪でも食べやすい、温かいスープでもパパッと作っちゃうから!」


 小兎は腕まくりしながら、キッチンへ。

 俺は隣にいるベアトリクスと一緒に、その背中を見送った。


 小兎が離れた途端、そのベアトリクスから俺への圧がすごい。

 まともにベアトリクスの顔も見られないくらいだ。

 緊張感みなぎるリビング。

 ベアトリクスが俺の一挙手一投足にピリピリしているのが肌でわかる。


 どうしてこうなった……?

 俺はそう思わざるを得ない。

 こんなことになるなんて……。


 俺は思い切って、様子を窺っているベアトリクスに問い質してみることにする。


「……な、なあ? さっきの話……本気か?」

『こくはく てつだう そうすれば しんじてくれる でしょう ? 』

「そりゃ、その、えー……」


 俺はキッチンの小兎に聞こえやしないかと、声を潜める。


「……告白に協力してくれ、とは頼んだけど……だからって、そんなことする必要は……」

『わたしだって つらい でも りょうへい のぞむ だから やる』


 でも、これは……小兎への裏切りじゃないのか……?

 俺がそんなことを考えていると、キッチンから明るい声が漏れてきた。


「……よし、上出来!」


 そして、小兎がお椀を乗せたトレイを持ち、リビングへと戻ってくる。

 お腹を刺激する温かな香りがした。


「……はい、カブを使った和風ポタージュだよ! 温かいうちに食べて食べて! 風邪の時は栄養をつけなきゃ!」


 なにも知らない小兎は、俺の迷いに気づかない。

 屈託なく、クマに自分の手料理を勧める。


  ◆


「じゃあね、ベアちゃん! お邪魔してごめんね。ゆっくり休んでね」

『ありがとう こと』

「週明けには学校に来られるといいね! それじゃあ、また」


 小兎がクマに別れを告げる。

 俺達はクマにお見舞いの手料理を振る舞った後、さすがにもうお暇することにしたのだ。

 俺も曖昧に手を振って、クマへの別れの挨拶をした。

 1210号室の扉が閉じ、俺と小兎の視界からクマが消える。


「さあて、と……」


 小兎は身体を翻し、歩き出す。

 隣の家、つまりの俺の家、1211号室の前で止まった。

 くるりと振り返り、俺を見上げてくる小兎。


「猟平もお疲れ様! 案内してくれてありがとね」

「ああ……。なあ、小兎……」

「で!? 実際どうだったの!?」


 その表情に好奇心がマシマシとなる。


「うまくベアちゃんと話せた? 進展した?」

「……まあ、な」

「歯切れ悪いなあ。なに? うまくいかなかったの?」


 小兎の口が僅かに尖った。


「……もう、しょうがないな。じゃあまた今度、機会をつくってあげるよ」

「あ、あのな、小兎!」


 違うんだよ、小兎。そうじゃないんだ。

 俺はクマのことなんかなんとも思ってないんだ。怖いし。

 なのに、そんな……俺とクマをどうにかしようとするの、やめてくれ。

 だって、俺は小兎のことが……。


 そう、俺は自分の想いを告げそうになる。

 ……だが、まだ駄目だ。

 まだ告白の時じゃない。

 こんな……クマの家の隣、俺んちの前で世間話ついでみたいにするようなもんじゃないだろ、告白ってのは。

 もっと雰囲気のあるところで……そしてなにより!

 俺の気持ちがもっと盛り上がったとき……俺のタイミングで、俺自身準備万端整ったと確信できるまで、言うべきじゃない。


 今まで、幼馴染ということで曖昧にしてしまっていた、俺と小兎との関係性。

 彼氏であるとか彼女であるとか、ちゃんと告白しないままだったものだから、そこら辺はっきりしないまま、ずるずると今日まで来てしまった。


 これじゃダメだ。


 告白によって、ちゃんと俺達はお互いに付き合ってるんだと自覚できるようにならなければ……!

 きっと、小兎はこんなこと考えたこともなくて、だから告白なんかされたらびっくりしちゃうだろうな……。

 うん、やっぱり今この場で告白めいたことは言うべきじゃない……!

 そのために、これからクマにも協力してもらうんだし……。


「? どしたの、猟平?」


 俺が黙りこくって考え込んでいるのを見て、小兎が首を傾げる。


「い、いや、なんでもない……」

「そう? ま、ベアちゃんとのことはわたしに任せてよ! じゃあね!」


 そう言って小兎は手を振り、エレベーターの方へ去っていった。

 相変わらずかわいかったし、優しかった。

 ……俺はそんな小兎を明日、裏切ることになるのかもしれない。


  ◆


 翌日。

 週末の土曜日。

 俺は映画館の前で待っている。

 約束の時間。


『りょうへい おまたせ』


 そんな俺の目の前に、きれいに着飾ったクマが恥ずかし気に姿を現す。

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