第6話 クマとドシン

 ベアトリクスは小兎を完全に獲物として意識した。

 俺にはそれがわかる。

 なのに、狙われている小兎本人にはそれがわかっていない。


「ベアちゃん、なにか困ったことあったらなんでも言って!」


 ニコニコしながら手を差し出すくらいだ。

 やめろ、小兎!

 そいつ、今にもその手を嚙み千切ろうとしてんだぞ!


 だが結局、ベアトリクスは噛みついたりしなかった。

 ちょうど二限目開始のチャイムが鳴り、


「あ、じゃあ、これからもよろしくね!」


 と、小兎がタイミングよく自分の席に戻ったからだ。

 周りのクラスメートたちも、名残惜しそうだったり、見惚れたりしながらも、自分の席へと戻っていく。

 そして、その場には怒りのマグマを内包したクマと俺だけが残されたというわけだ。


 じー。


 俺の隣のベアトリクスがガン見してくる。

 睨みつけられ、俺は手先が震えそう。

 これから俺、クマの圧を一身に受け続けなければならないってこと……?

 

 だが、考えようによっては圧だけで済んでいる。

 手を出されてはいない。

 自制心のあるクマだ。

 人目のある所で俺や小兎を襲ったら、さすがに自分がクマだとバレるとわかっているのだろう。

 目的はわからないが、ベアトリクスはクマの身でありながら人間世界に溶け込もうとしているのだと感じる。

 今、俺がベアトリクスに食われないでいられるのはそのおかげ。

 でもそれってつまり、隙を見せたら躊躇なくやられるってこと……!

 人気のないところでクマと2人っきりになったら死亡フラグ……!


 俺はクマに狙われているという自覚があるからまだいい。

 だが、小兎は?

 ベアトリクスと仲良くなりたい小兎は、容易くクマと2人っきりの場所へ誘い出されるだろう。

 そして……。

 ダメだ!

 俺が守護らねばならぬ……!

 俺は、小兎がベアトリクスとひと気のないところに行ったりしないよう、警戒を怠ってならないのだ……!


 俺はベアトリクスから無言の圧を受けながら、心の奥でそう誓った。

 そのために。

 俺は、小兎が(それにクラスの連中が)ベアトリクスと会話(筆談)をしようとしたなら、必ず横から口を挟むように心がけるようにした。

 休み時間ごとに群がってくる野次馬達に向かって言う。


「待て待て、ベアトリクスに話しかけるならまず俺を通してからにしろ」

「猟平、すっかりベアちゃんのマネージャー気取りだね!」

「みんなから一斉に話しかけられたらベアトリクスも大変だろうから、俺が窓口になってやろうってだけだ。親切だよ親切」

「猟平、独占欲強過ぎ~。本気だね~」


 そんな風に小兎からからかわれたりもしたが、小兎やみんなを惨劇から守れるなら安いものだ。


 その甲斐あってか。

 その日はそれ以降、何事もなく過ぎていった。

 途中、昼休みになったところで、ベアトリクスが家の都合とかなんとかで早退し、それで俺はようやく息を吐く。


 きつかった~……。


 ずっとベアトリクスの圧を受け続けるのはめちゃくちゃ疲れる。

 ていうか、クマが都合で学校早退ってなんだよ。

 クマの癖に律儀に規則に則って早退届とか出してんじゃねえ。


 と、そんなこと言ってる場合じゃないな。

 小兎にちゃんとベアトリクスが危険だと伝えなければ。

 わかってもらえるとは限らないが……。

 俺は昼休み中の教室内をキョロキョロし、


「……あれ? 小兎? なあ、小前田、小兎がどこにいったか知らないか?」

「あー……3年の先輩のところじゃないか」

「先輩?」

「……ここ最近、ずっと森中さんとお昼一緒に食べてる先輩がいるんだよ」

「そうか。テニス部の先輩と仲良くしてるんだなー」


 ……まあ、小兎にベアトリクスの真実を伝えて怖がらせるのもよくないか……?

 いずれ機会を見て、うまく話すようにしよう。

 俺は肩を竦め、購買へ菓子パンでも買いに行くことにする。


  ◆


 翌日。

 今日もまた、俺は誰も起こしてくれる人のいない自分の部屋で目を覚ます。

 やべ。

 いつものように遅刻寸前……!

 どうして今日も小兎は起こしに来てくれないんだよ……!

 同じマンションに住んでるのに、どうして……!

 と、血の涙流しつつ、俺はあたふたと身支度。

 焼き上がったトーストを口に咥える。

 鞄を抱えて、いってきます!


「遅刻遅刻~!」


 俺は住んでいる高層マンションから飛び出した。

 俺の通っている高校は家から近いことだけが取り柄みたいなもんで、走れば10分かからない。


 うおおおおおお!

 命を……燃やせぇえええええ!


 全力でケイデンス上げてく俺。

 チャリ乗ってないけど。

 そんな俺に、


 どしーん


「おわあっ!?」


 強烈な衝撃が走った。


 俺、岩にでも激突した……!?

 だが、この弾力……!?

 柔らかいのに、びくともしないこの感触は一体……!?


 衝撃で俺は転がった。

 頭を振り振り、ようやく膝をついて起き上がると。

 そこにはクマがいた。

 小山のように巨大でどっしりとした肉の塊……!


 ぐるるぅ……。


 見間違えるはずもない……!

 これはベアトリクス・グリズリオ、その人!

 こいつ……!

 ついに、俺の家の近くにまで湧きやがった……!

 獲物である俺を追って来たのか!?


 ぐおぁぁぁっ!


 ひいいいいいっ!

 ベアトリクスの咆哮に俺はビビり散らかす。

 背を向けて、学校に向かって一目散。

 そして、駆け出してから自分のミスに気付くのだ。

 クマの最高速度は時速60キロを超えるという……!

 クマから走って逃げだすのは愚策も愚策……!

 クマは走って逃げる相手を本能的に追いかける……!


 どどっ! どどっ!


 そんな風に背後から迫る地響きと重い音。

 来てる!

 確実に俺、今クマに追われてる!


「いぎやあああああ!?」


 俺史上最高速度で加速っ!

 いま、光を追い抜いて、高校までの道筋を駆け抜ける!

 裸足で駆けてく愉快な男子高校生さん。

 みんなが笑ってる。

 なにわろてんねん!?

 クマやぞ!?

 街中でクマに追われてんねんぞ!?

 ホラーやろがい!

 誰も通報とかせえへんの!?


 そうして俺は学校の正門に転がり込んだ。


「助けて! クマに追われています!」

「なにしとるんだ、叉木」


 門の前に立っていた早贄先生が呆れ声をかけてきた。


「せ、先生! 自衛隊呼んで!」

「始業ぎりぎりに駆け込んできたかと思ったら、全力で寝ぼけてるのか? ……ん? おお、ベアトリクスじゃないか。もしかして、叉木に連れてきてもらったのか?」


 俺の背後からのっしのっしと巨体が揺れて現れる。

 早贄先生が干からびたカエルみたいな笑顔を浮かべた。


「なんだ、叉木! いいところあるじゃないか! まだ道慣れない転校生をわざわざ学校まで案内してやるなんて」

「そんなつもりはないです」

「謙遜するな! ほら、ベアトリクスも感謝しとるみたいだぞ? このまま教室まで案内してあげなさい。叉木はベアトリクスのお世話係になれるな」

「え、あの、え?」


 がっし。


 俺の肩にクマのかぎ爪がかけられる。

 しっかりとホールド。

 すげえ力。

 逃げられない。

 俺はベアトリクスに掴まれるようにして、1-Aまで行かざるを得ない。


「……うわ、すっげえ美人……」

「一緒に歩いてるの誰……?」

「なんであんな冴えない奴があんな綺麗な子と……?」


 廊下で行き交う生徒達から賞賛と羨望の眼差し。


 ……嬉しくねえんだよなああ!


 俺は、『おとなしく案内しろ、さもなくば食う』と言わんばかりの荒い息を肩に感じつつ、教室へと向かう。

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