第8話 策略の下校

 その日一日、ベアトリクスはクマだった。

 ふこーっ、ふこーっ、と鼻息も荒く、隣の席から俺を睨みつけてくる。


 もしかしてだけど……怒ってる?

 なにがクマの気に障ったのか?

 クマの考えてることはわかんねえ……。


「……な、なあ? もしかして腹減ってる?」


 そんな俺の問いかけには唸り声が帰ってくるだけ。

 ちがったらしい。

 その後、授業中も、休み時間も、じーっと無言でかけられ続ける圧。

 自分がいつ殺されるかもわからないというストレスに、俺は禿げ散らかさんばかり。

 精神的には既につるっつる。


 もう、こんなところにいられるか!

 俺は家に帰るぞ!


 そんな思いを抱えて、俺はじりじりと授業が終わるのを待った。


 キーンコーン……。

 終業のチャイムが鳴り出すと同時に、俺はがたがたと席を立つ。


「えー、では今日はここまで……」


 早贄先生が区切りの言葉を言い終える前に、俺は鞄を抱えて駆け出していた。

 が。


 がっし。


 にゅうっと伸びたクマの前腕が、俺の肩をがっちりホールドしていた。

 こいつ、いつのまに……!?

 俺に気配を感じさせないとは、さぞや名のあるクマであろう……!


 クマの唸り声と共にノートが差し出される。


『わたし かえる』

「お、そうだな。俺も帰るところだ。じゃ、じゃあな」

『わたし わからない かえる みち』

「は? 帰り道がわからないってのか? いや、朝、学校まで来た道を戻ればいいだけだろ?」

『きょう あさ わたし おう りょうへい はしる みち わからない』


 今朝、俺はクマから走って逃げた。

 クマはそれを追って学校まで辿り着けた。

 で、俺を走って追いかけていたから道を覚えていない……と言いたいらしい。


「いや、俺だってお前の家がどこにあるか知らないんだけど……」

『きょう あさ わたし あった ばしょ りょうへい つれていく』

「……えーと、今朝、俺とぶつかった場所までつれてけって?」

『はい そこから わかる みち』


 今朝、クマが迷ってうろうろしていたところに俺がトースト咥えて衝突したわけだが。

 そこまで連れて行けば、あとはクマ一人で帰れる、と。


『にほん みち わかる むずかしい』

「そうは言っても、その日本の道にも慣れてかないと……」

『りょうへい あさ わたし つれてきた せきにん ある』


 クマは俺を真正面に見据えて深く覗き込んできた。

 心まで覗き込まれるようだ……。

 圧迫面接やろ、これぇ!?


『つれてって ふたりで かえる』

「わ、わかった……よ」


 クマの迫力に押し切られてしまった……。

 俺は仕方なく、クマと一緒に帰路に就く。


  ◆


 帰り道。

 どうやら、クマは機嫌がよくなっているようだった。

 うきうき、とまではいかないが唸り声などは聞こえない。


 なんだ、学校がストレスであんなに不機嫌だったのか?

 でも、わかるわかる。

 俺も学校や授業は嫌で嫌でしょうがないもんな。


「機嫌よくなったみたいだな?」


 そんな俺の何気ない一言に、クマ、一瞬固まる。

 それからすごい勢いでノートを書き出した。


『べつに きげん よくない まちがい ごかい ふたりで かえる うれしい ぜんぜん ちがう かんちがい しない でよね』

「なにを慌てて……」


 俺はクマのノートを見ながら、そこではっと思い当たる。

 俺とクマ、2人っきりでの帰り道……。

 なにも起こらぬはずもなく……。

 若い男とクマが一緒にいたら必然的に……。


 若い男が食われる。


 そうか……!

 このクマ、俺と2人っきりで一緒に帰る途中、ひと気のないところで俺を襲う気なのでは……!?

 学校で、クマが俺を襲わなかったのはクラスの皆の目があったからで……それがない下校時なら遠慮なく俺を襲える、ということ……!

 大体!

 よく考えたら、このクマ、昨日は1人で学校から家まで帰ってたはずだ!

 昨日の昼休み頃、家の用事だとかで早退してたし”

 だったら……帰り道なんか本当は覚えてるだろ!?


「は、はかったな!?」

『わたし なにも はからない きのせい ふたりで かえる ねらう していない たまたま わたし うれしい かんじていない ふつう きもち』

「違うっていうのか? な、なら、ほら! ここだ! 俺とお前がぶつかったところ! マンションの前の道! ここまでくれば後は大丈夫、なんだよな?」

『 はい 』

「じゃ、じゃあ、ここでお別れだ! 俺も家に帰るから、その、ここまでだぞ!」

『 わかった 』


 俺はなんとか襲われる前にクマと別れることができた。

 誰も見ていない、2人っきりの場所に引きずり込まれる前に離れられて本当に良かった……!


 俺は急いで自分の住む高層マンションに逃げ込む。

 オートロックのエントランスを抜け、エレベーターホールへ。

 そこから12Fまで上がる。

 そうして12Fで降りてようやく言った。


「……なんでついてくるの!?」


 俺の後ろでのっそりと控えるクマ。

 エレベーター乗ってる最中、生きた心地せんかったわ!

 2人っきりだったからね!


「俺の家を突き止めて、後で襲いに来る気か!?」


 質の悪いストーカー並みに厄介だな!

 と。

クマ、なにを考えているのか読み取れない表情で、ノートに書きかき。


『わたし いえ ここ』

「は!? クマなのにマンション暮らし!? どこ住みだよ!?」

『1210』


 俺の眉間に皺が寄った。

 俺んち、1211。


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