第28話 小兎のお願い

 俺はクマを置いて教室へと戻る。

 クマは先生に任せておけば大丈夫だろう。

 で、俺達が保健室でわちゃわちゃしている間に、時すでに昼休み。


「あっ! 猟平!」


 小兎が、教室に入ってきた俺の顔を見るなり、声を上げる。

 小兎の奴、俺に速効気付いた。実に素早い反応だ。


「やっと帰ってきた!」


 ぴょんと跳ねるように席から立つと、駆け寄ってくる小兎。

 俺をまっすぐ見据えたその視線は、俺のことを気遣うような、想いのこもった眼差しだ。

 ちょっと心配しているのか、下唇を噛んでいる。

 そんな小兎の様子を目の当たりにして、俺は自分の罪深さを知る。


 なんてこった……!

 小兎ったら、そんなに俺を待ちわびていてくれたのか……!

 置いていってしまって悪かった……。

 もう1人になんかしない!

 これからはずっと俺が一緒にいてやるからな!


「ベアちゃんは大丈夫なの!?」

「ですよね」


 俺の『まあ、そうだろうな薄々わかってた』といった万感の思いのこもった呟きに、小兎は小首を傾げる。


「え? なに? もう! はぐらかさないで! クラスの皆、ベアちゃんのこと心配してたんだよ。それで、ベアちゃんは? 具合は、だいじょぶそ?」

「あいつなら今、保健室でおとなしく寝てるよ。熱があるみたいだ。保健の先生に任せてきたけど、今は様子見ってところかな」

「熱!? ひどいの?」

「いや、そこまでじゃないって先生も言ってた」


 俺達のやり取りを聞いていた、クラスの連中もざわつく。


「……熱があるって風邪かな?」

「……疲れがたまってたんじゃ?」

「……ちょっと男子~、代わってあげなよ、ベアトリクスさんかわいそーじゃん」


 そして、小兎は難しい顔。


「……寝てるんだ? それはそうだよね。……保健室へお見舞いに行く……のも迷惑だよね」

「そりゃまあ、安静にしてるところだからな」

「そっか。……あ! じゃあ、ちょっと今日は場所も変えないと……」

「うん? なんの場所?」


 小兎は照れたように笑う。


「へへ、実は今日のお昼、先輩と待ち合わせしてたんだけど、ベアちゃんがいるんだもんね。他のところへ行くよ」

「待ち合わせ? 保健室でか?」

「うん! 教えてくれてありがとね、猟平! わたし、もう行かなくちゃ!」

「あ、おい、保健室には悪い生徒が出るらしいから、あんまり近付かない方が……」


 って、もう行っちゃった。

 忙しい奴だな。

 でも、先輩とお昼を食べる約束をしてたのに、クマの具合のことが気になってずっと待ってたのか。

 やっぱり小兎は思いやりのあるいい幼馴染だ……。

 ……あいつのこと、俺がきっと幸せにしてみせる……!


「……ん? なに見てるんだ、小前田?」

「……いや、お前がそれで幸せなら、それでいいんだ」

「? ああ、ありがとう?」


 俺は、なぜか俺から目を逸らす小前田に礼を言った。


  ◆


 翌日。

 クマは学校に来なかった。

 俺は誰もいない隣の席に違和感を覚える。

 毎日、あんなに存在感(恐怖ともいう)を撒き散らしていたクマがいないのだ。

 のびのびできて気も休まる……かと思ったのに、どうも気になってしまう。


 ……もしかして、あれから熱が上がったりして、家で動けなくなってるんじゃないか?

 あいつ、ロッキー連邦から留学みたいな形で、こっちでは一人のはず……。

 この前、鍵を失くしたとか騒いだ時も、家に誰かいるなら中に入れないどうしよう、なんてことにはなっていない。

 だからあいつは家で一人で……ここで頼る人もいないだろう。

 ……俺は隣に住んでるのに、どうしてこういう時に、大丈夫か? とか家を出るときに確認してこなかったんだ。

 いや、もちろん、そんなクマを心配する必要なんかないんだが。


「……ねえ、猟平。ベアちゃん、今日、お休みだってね」


 小兎が俺の席まで来て、言った。


「……大丈夫かなあ」

「だといいけどな」

「わたし、まだ、ベアちゃんとトークの交換してないんだよ。大丈夫? って聞くこともできない……」


 そりゃ、クマはSNS使わないだろうしなあ。

 それにしても、小兎、そんなにクマのことが心配なのか。

 俺の幼馴染は、クラスメートを思いやれるとてもいい子です……!


「……そんなに心配なら、俺、様子を見てきてやるよ」


 俺は、小兎の優しさに報いてあげたくて、そう提案した。

 そう、小兎のため、だ。

 俺は全然、クマのことなどどうでもいいが、小兎が心配してるから様子を見に行ってやるだけ。

 そうしたら、小兎、


「え? 猟平、もしかして、ベアちゃんの家、どこにあるか知ってるの?」

「うん? ああ、まあな」

「あ、そっか。ベアちゃんを学校まで道案内してたりしてたもんね。お世話係なら、当然だね! さすが、猟平!」

「いや、別に俺はあいつのお世話をしてるわけじゃ……」

「じゃあさ! 一緒にお見舞いに行こうよ!」


 にっこにこになった。

 いい考え! とでも言わんばかり。


「お、お見舞い? 小兎が?」

「ん? なにか問題でも?」


 いや、問題だろ!

 わざわざクマの家に行くなんて、小兎が危ない!

 人の目につかない密室でクマと一緒なんて、クマだって理性が飛んで凶暴化するかもしれんし!

 そしてなにより!

 クマの家が、俺んちの隣だって小兎が知ったら……。


『え……? 猟平、ベアちゃんとお隣さん……なの? わたしよりもずっと近いところに、ベアちゃんはいるんだね……ふうん、そっか……幼馴染なんかより、ずっと近い場所……あれ、なんか……涙……おかしい、ね? ……あの、幸せに……なってね』


 背を向けて走り出す小兎……!

 待って!

 幼馴染は負けヒロインだなんて、それは幻想に過ぎないんだよ!

 闇落ちしないで、小兎!


 ……こんな風に、小兎をひどく傷つけてしまうかもしれない……!

 俺とベアトリクスがお隣同士、ご飯を作ってくれたりシャワーを貸し合うような仲だと誤解されてしまうかも……。

 ダメだ!

 俺の家とクマの家が隣同士だなんて、小兎にバレるわけには……!


「ね? いいでしょ、猟平? わたしをベアちゃんの家まで連れてって!」


 両掌を合わせて、お願い♡ のポーズ。

 くっそかわいい……!


 だ、だが!

 俺は心を鬼にして、これは、ほんともう、断固として断らねばならない!

 俺は……俺は小兎を傷つけたくないんだ……!


「しょ、しょうがねえなあ……」


 俺はもごもごと答えた。

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