第20話 心眼会得の章

 クマが今まで全裸じゃなかったことに俺は驚く。

 だって、クマだぞ?

 見たところ、クマの体を覆っている布とかなんかないんだが?

 いや、そりゃあ、毎日学校に全裸で登校してたら普通、通報だけどさ。

 誰も通報してないし、問題視してないから、みんなにはこのクマが服着てるように見えてたんだろうか?

 クマなんだから全裸だろうが服着てようが普通、通報だけどさ。

 それとも、あれか?

 もしかして、このクマに見えるの超リアルな着ぐるみ?

 で、着ぐるみ脱いだら……全裸?

 最近の着ぐるみすげえな。

 ドンキとかで買えるんか?


 俺は思わず手を出して、クマを撫でようとした。

 着ぐるみの質感を確かめたかったのだ。

 そしたらクマ、牙剥き出して毛逆立ち。

 俺から飛びずさって、部屋の隅にびたーんと張り付いた。


『なに さわる』

「え? いや、よくできてるなと思って……」


 クマ、ノート全面使って大きな一文字書き殴る。


『H』

「はあああっ!? お前……俺がお前のことをそんな目で見てると……そんなわけないだろっ!?」


 実に心外!

 今まで食われるんじゃないか、隙を見せたら襲われるんじゃないか、とクマに怯えた目で見たことはあっても、クマをエッチな目で見たことなんかないっ!

 それはケモノの道であって業が深すぎる……っ!


 クマは唸り、感情の読み取れない真っ黒な目で俺をじっと見据えてきた。


『どうだか』

「お前、うぬぼれるなよ!? そりゃ今までお前は周りからすげー美少女すげー美少女ってちやほやされてきたかもしれないけどなっ!? 俺は全然、まったく、お前のことそんな外見で判断したことないからな!」


 そう聞いて、クマはなにか思い当たったのか。

 はっと身動ぎして、急に神妙な顔つきになる。宇宙猫くらい神妙。


『たしかに りょうへい しぜん せっする わたし もちあげる しない』

「そ、そうだ。俺はお前のこと超絶美少女だとかありがたがったりしない」


 超絶危険なクマだと怯えはする。


『わかる りょうへい そんなめで みない しゃわー あびろ いう しんせつ』

「そうそう! 濡れたままじゃ寒いだろうからっていう俺の親切心! ほんとそれだからな!? エッチな目的で言ったんじゃねーぞ!?」


 クマは肩の力を抜き、逆立っていた毛も落ち着いた。

 そしてどこかよそを見るように目線を逸らしつつ、


『わたし じしきかじょう』

「? あ、自意識か?」


 クマの顔が少し赤らんだような気がした。

 そして、くしゃみをぶしゅんっ。


『わたし あびる しゃわー いい ?』

「……ああ、もちろん」


 クマがもじもじしているので、俺は配慮して洗面所を出た。

 クマ本人が自分を女子だと意識しているんだから……俺もクマの着替えを見ないように気を遣うくらいしてやってもいい。


「そこのガラス戸の先が浴室だからな? シャワーの使い方、わかるよな?」


 俺は洗面所の扉越しに呼びかける。

 もちろん、それに対する答えが扉の隙間からいちいち出てくるはずもなく。

 そのうち水の流れる音が聞こえてきて、クマが無事浴室でシャワーを使いこなせているのを確認できた。


 やれやれ。

 俺も少しだが、雨で濡れてしまった。

 ちょっと体を拭くくらいするか。

 ……タオル類は洗面台のところにしか置いてないんだよな。

 俺は洗面所の扉を開けて、中に入る。

 まあ、クマは今シャワーを浴びているから鉢合わせする心配もないし。

 で。

 ふと、脱衣用のプラスチックかごに目をやった。

 ……あのクマが変なこと言うから逆に気になってしまったのだ。

 クマが女の子だというのは本当だし……。

 本当にあれ、クマの着ぐるみを着てて、今それを脱いでるんかな? と見てみれば。

 濡れた制服、いつも使っているノート、白いブラウス、紺のソックス、そして白いブラ……。

 ええっ!?

 これ、え? クマが今まで着てた……服!?

 なんで!?

 どこから出したんや!?

 あの毛皮に覆われた体のどこにこの服を身に着けるスペースが……?

 ていうか、あのクマの巨体に全然あってないだろ、このサイズ!?

 特にブラ!

 いや……でかいけど……でも!

 あの筋肉の塊みたいな胸周り、明らかにこのブラじゃ間に合わないでしょ!?

 ……え? ほんとに服脱いでる……?


 いや、待って?

 クマの制服一式がここにあるってことはこれ、洗って乾燥機にかけといた方がいいか?

 それにクマに着替えとか用意しといた方がいい?

 なんだよ!

 クマ全裸ならそんなこと気にする必要ないのに!


 洗うなり、乾燥機にかけるということは。

 俺はこれら濡れた服を手に取る必要があるということで。

 制服に……ブラウスに……ブラ……そしてパン……。

 いや、クマのだからね!?

 全然疚しい気持ちを抱える必要なんてねえのだ。

 クマがどうやってどこに身に着けてるのかもわからないブラ見たって、なにも感じないよなあ!?

 いや、俺は感じないけど……。

 でも、クマは恥ずかしいと感じるみたいだし、それを俺が別に恥ずかしくねーだろ、とか言って粗雑に扱うのは違う気がする。

 ここはクマの気持ちを尊重し、ブラとかは見ないようにしよう……!


 その時。

 浴室内のボディシャンプーでも切れてたのか。

 なんでか、浴室内のクマがガラス戸を開けて洗面所に顔をのぞかせた。


「あ」


 俺は半口開けて固まる。

 俺の目の前のクマ。

 それは今、栗色の濡れた髪を腰まで垂らした氷像のように美しい少女、ベアトリクスの姿をしていて。

 しかも一糸まとわぬ姿で。

 滑らかな白い肌に。

 シャワーの流れる音は途切れぬまま。

 髪の先から零れ落ちそうな雫。

 その彼女の小さな顔が瞬間、さっと赤くなり。

 短い悲鳴と共にガラス戸が閉められた。


 俺がそのとき思っていたのは、ただ一つのこと。


 ……見えた……!


 心眼の完成である。

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