第19話 びしょ濡れベアトリクス

 クマ脱走があった日の帰り道。

 雨の中、俺の目はとある小さな公園に釘付けになっていた。

 ブランコと滑り台が冷たい雨に打たれている。

 普段はマンションの子供達がキャッキャしているその公園。

 今日ばかりは誰もいなかった。

 だが、それは雨の所為ばかりではないかもしれない。

 そこにいる異形の存在。

 それが人をその公園に寄り付かせない原因となっているのかも……。


「……なに、してんだよ……」


 傘の下から、俺は問いかける。

 ブランコに腰かけ、鎖を掴んでうづくまるように背を丸めたクマに向かって。

 なんか、ゴゴゴゴゴ……、っていう効果音が聞こえてきそう。

 普通の町の公園に、まるで人間みたいな態でブランコに腰かけるクマ。

 そのクマから負の感情が読み取れるくらいの暗い雰囲気。

 更に、薄暗く雨降りしきる冷たい夕暮れ。

 日常の中に唐突に非日常(クマ)が混じっていて、俺は今なんらかのスタンド攻撃を受けている可能性がある。そんな気がする。

 このクマがスタンドなのか、クマ自身がスタンド使いなのかはわからねーが……。

 こいつは幻や幻覚なんかじゃあねえ!


「なんでこんなところでブランコに乗ってるんだ? しかも雨の中……」


 問いかけながら、俺ははっとする。

 このクマ……泣いてる……?

 なにか……ひどく心傷つくような出来事があったのか?


「お、おい!? どうした!? 傘も差さずにそんな……冷え切ってるじゃないか!」


 俺は思わず駆け寄り、クマに傘を差しだしていた。

 しとしとと降る雨音の中。

 クマはノートを取り出し、なにか書きつけ始めた。

 滲むノート。

 湿って頼りなげな字。


『いえ かぎ なくした』

「鍵失くして家に入れないだけかよ!」


 俺は頭を抱えた。

 なんか誰かに酷いこと言われたとか家族に悲しいことがあったとか、そういうの心配しちゃったじゃん!


「意味ありげに公園で雨に濡れながらブランコ乗ってんじゃねーよ! 怖いわ! てか、なんでわざわざ公園にいるの!? マンションのエントランス部分なら濡れないでいられるだろ!?」

『まんしょん ちゅういがき ふしんしゃ でる こわい』

「……そりゃ、マンション共用部分に不審者が出るって注意書き、確かに貼ってあったけど! けどさあ!」


 不審者を怖がるクマってなんだよ!

 お前の方が絶対強いよ!

 不審者の方が逃げ出すだろ、クマと会ったら!


 俺は溜息を吐く。


「大体、鍵失くすとか……お前って、学校じゃ完璧なクマみたいに見えるのに、意外とドジっ子なのな」


 クラスメート達は、クマのことをなんでもできる超優等生のS級美少女扱いだからな。


「……とにかく、こんなところで濡れてたら風邪ひくぞ。中に入ろうぜ」


 俺はマンションを指して、そう言った。

 そうして俺はクマと2人、同じ傘の下。

 相合傘だ。

 ドキドキする。

 嘘だと思ったら、一度クマと相合傘してみるといい。

 唸り声や暴力の圧をすっごく間近で感じられるから。

 で、クマが濡れないよう傘をクマ側に掲げたら、クマデカ過ぎ。

 俺が傘で覆われるスペースゼロ。

 もう濡れ濡れ。

 俺達の家のあるマンションまですぐだったから別にいいけど。


『ありがとう りょうへい』

「……別に傘差し出しただけだし……」


 マンションのエントランスを抜け、エレベーターホールへ。

 12階まで上がった。

 エレベーターから降りた途端、クマが「ぶしゅん」と、くしゃみをする。

 身震いして雫が付近に飛び散った。

 続けて、ぶしゅんぶしゅん。


 ……これはしかたないよな?

 こいつ、自分の家に入れないんだし……。


「……うちで体拭いてけよ。タオルぐらいあるから」


 俺はかなり迷いながらも、そうクマを家に誘った。

 クマ、もじもじする。


『わたし ぬれてる めいわく』

「それで風邪でもひかれたら、そっちの方が寝覚めが悪いわ。いいから、入れよ」

『おんなのこ いれる いえ ごういん』

「そんな無理やり連れ込むみたいな言い方やめろ!」


 ……まったく!

 俺はぶつぶつ言いながら、自宅の鍵を開ける。

 そして、まだもじもじしているクマに「こっちこっち」と後について入ってくるように促して、俺は洗面台へと向かった。

 そこに常備してあるバスタオルを手に取り、クマへと放る。


「それで体拭いといてくれ」


 それに対する返事は、ぶしゅん。


「……やっぱり、身体が冷え切ってるんだな……濡れてるし……寒いだろ?」


 俺はちょっと考え込んでから、よしっ、と腹を決める。


「いっそのことシャワー浴びてけよ」


 トゥクトゥーン。


 そう聞いて、クマ固まる。

 クマだからなー。

 シャワーの使い方わからないのかもしれない。

 俺だって、クマに自宅のシャワーを使わせるのは抵抗がある。

 そのデカい体をぶつけられて浴室が壊れたりとか、クマの体毛で排水溝詰まったりしないかとか、色々問題が起きそうだ。

 でも、冷えた体を温めるにはお湯ぶっかけるのが一番いい。

 特にクマみたいなでかいのには。


「……どうした?」


 固まりっぱなしのクマに、俺は問いかけた。

 そうしたらクマ、急にあたふたし出して、


『りょうへい それ とても よくない だめ たくさん だめ ! !』

「な、なんだよ? なにがだめなんだ」


 クマは顔を俯かせ、耳を赤くする。

 それからガリガリっとノートに一言。


『はずかしい』

「は? なにが?」

『しゃわー あびる なら ぬぐ ふく はだか おとこのこの いえ だめ とても たくさん だめ』

「……えっ!? お前……それ、服、着てるの!?」


 俺は毛皮に覆われたクマの全身を見て、目を丸くする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る