第18話 クマ問答

 研究所から逃げ出したクマがすでに校内に逃げ込んでいる。

 そんな噂が生徒達に拡がり始めているようだった。


「そうは言うけど……小兎は実際に学校の中にいるクマを見たのか?」


 俺は隣のクマをガン見しつつ、小兎に尋ねた。

 小兎はかわいく首を振る。


「う、ううん。見てはないけど……」

「見てないかー。そうかー」


 俺は複雑な気持ちで息を吐いた。

 ここにいるのになあ。


「……で、実際、クマと出会ったらどうする? 死んだふりでもするか?」

「クマと会った時、死んだふりすれば助かるって嘘なんでしょ? ばったり出くわしでもしたら、もう覚悟を決めるしか……」

「お、俺は一撃に賭けるぜ! クマは鼻が弱いって聞いたことあるし、鼻先に一発入れてやればまだ助かる!」


 俺の何気ない問いに、小兎と小前田がそれぞれ反応する。

 いやいや。

 みんな、とっくの前にクマと出会ってるんだけどな。

 一緒に授業受けてたくらいだぞ?

 なにを今更覚悟を決めたり、怖がったりするのか。

 ていうか。

 俺はクマに聞いた。


「お前、鼻、弱いの?」

『かふんしょう』


 ほんとだった。

 小前田に一撃入れられることを想像してか、クマは身震いしてみせる。


『くま こわい ひなん まだ ?』

「そういえば、早贄先生遅いな。先生の指示なしに避難しちゃまずいのか?」


 クマの言葉に、俺は呟く。

 小兎はじれったそう。


「もう3年生は避難し始めてるのに……」

「あっ……そういえば、森中さん、3年生の教室に行ってたんだっけ……?」


 小前田がなんだか俺を気にしながら聞いた。


「うん、先輩と一緒にお昼を食べようと思って。でも、この騒ぎで先輩に会う前に戻ってきちゃった」


 ん?

 俺は思い至る。 


「じゃあ、小兎が最近お弁当作ってきてるのって、その先輩のためなのか?」

「あっ、あっ」

「えへへ、まあね」


 小前田が狼狽え、小兎は照れ臭そう。


「そうなのか……ほんとに仲いいんだな、その先輩と」

「あっ、あっ、あっ」

「なんだよ、小前田。さっきからうるさいな」


 小兎がテニス部の先輩の話をするのになんか問題でもあるのか?

 うん?

 あ、もしかして。


「小前田、お前、小兎の先輩のこと……気になったりするのか?」

「えっ!? 俺が!? い、いや……」

「なんだったら、その人、小兎に紹介してもらったらどうだ?」

「なんでっ!?」


 小前田がそんな気にするのだから、その先輩っていう人はなかなかの美人なのかもしれない。


「お、俺は別に、そういうのは……も、もうこの話止めよう、止め止め!」


 照れてるみたいだ。

 また今度この話をふってやろう。


 まあ、確かに。

 校内にクマがいるっていうときに、小前田の恋バナをいじってる場合ではないな。


 小前田が強引に話を変えようと、強い口調で言った。


「だ、大体、クマなんか警察なりなんなりがさっさと撃ち殺しゃいいんだよ!」

「え」

「なんか人里に降りてきたクマとか捕まえて山に帰したりとかするけどさ! そんなことしてやる必要ないんだ。殺せばいいの殺せば!」

「おい、それは……」


 俺は隣のクマをチラチラ窺う。

 そんな言い方、傷ついてるんじゃ……?


「それはちょっとかわいそうかも……」


 小兎が考え込みながら言う。


「クマだって好きでここに来たわけじゃないかもしれないし。ベアちゃんはどう思う?」


 クマは首を捻り、それからノートに書きこんでいった。

 そして、俺達の前に、でん、と出す。


『くま ひと いっしょ くらす ない』


 お前なあ!?

 それ、お前が言うんか!?

 俺はこれまでのクマと一緒の生活を思い出して、内心ツッコまざるを得ない。


『くま ひとのばしょ くる ふこう』

「……クマが人のいる場所で暮らすのはどっちにとっても不幸な結果にしかならない……そう言いたいのか?」


 俺の問いかけに、クマは思慮深げな頷きで返す。


「……じゃあ、クマはここからいなくなった方がいいのか? それが幸せなのか?」


 俺は目の前のクマが猟友会みたいなのに引きずられていく姿を想像し、妙に落ち着かない気持ちになる。

 お互いのために、と言いながら相手を排除する……。


「なあ、ベアトリクス」


 俺は呼びかける。


「お前、この学校のこと嫌いか?」

『? すき だが ? 』

「ここに居たいと思う?」

『ここ たのしい なぜ きく ? 』


 そうか……。

 ベアトリクスはちゃんと人間のルールを守ってる。

 なら……本人が望むように、学校に居させてやっても……。


 いや、俺はなにを考えてるんだ?

 クマと人がそんな一緒に暮らしてもいいなんて……そんなことを人が決めるのはエゴじゃないのか?


 とにかく俺は……。

 ベアトリクスがこの学校から消えてしまうと思うと、なんだか悲しいんだ。

 それを受け入れるか、抵抗するかはともかく。

 ……変だな。


 その時だった。

 クラスのドアががらっと開かれ、早贄先生がようやく姿を現したのは。


「先生!」

「どうなってるんですか? クマは?」

「はやく避難しないと……!」


 クラスの連中が一斉に先生に訴えかける。

 が、早贄先生は干からびたカエルのような腕を振って、みんなを鎮めた。


「静かに! 静かーに! もう大丈夫だ」

「え?」

「もう大丈夫?」

「逃げ出したと言われていたクマはもう捕まったそうだ。この学校にクマが入り込んだなんてのはそもそもデマだデマ! そんなクマはいない」


 俺は、隣でほっとした様子のクマを見つめた。


「全校避難は無しだ。さあ、みんな、落ち着いて席につけー」

「ちぇっ、授業潰れると思ったのになあ」


 クラス全体の空気が緩む。

 過ぎてしまえば笑い話だ。

 まあ、クマとクマが出会ってS級危険生物大決戦、みたいなことにならなくてよかったよかった。

 どうやら俺の席の隣にクマがいる日常はまだ続くみたいだった。

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