第10話 クマが帰ったあと、すこし泣く

 クマってきれい好きなのか?

 

 俺の家のキッチンで勝手に洗い物を始めたクマを見つつ、俺は思う。

 それにしても、どうやってあの爪の生えた手で皿やコップを洗えるのだろう。

 溜まっていた汚れ物がみるみる片付いていく。


「あの……悪いな……」


 なんかクマに家事をやってもらっていたたまれない。

 いや、別に?

 俺はキッチンに汚れ物がたまっててもまだ許容範囲だから、あえてそのままにしていただけで?

 クマが勝手に洗い始めただけなんだけど?

 ……でも、やっぱり申し訳ないな。


「な、なあ! 後は俺がやるから、こっちで休んでてくれよ」


 俺は洗い終わった食器類を拭いて、棚へしまうことにした。

 その間、クマはうろうろと俺の家の中をうろついている。


『へや かたづいてない そうじ ひつよう わたし やる ? ? ?』

「部屋の掃除までするつもりかよ。いいって!」


 なんかそんな色々してもらったら、ありがたくなっちゃうだろ!

 俺は食器類を片付け終わり、改めてクマに礼を言う。


「あの、ありがとな。引っ越しソバもそうだし、洗い物までしてくれたり」

『こちらこそ』

「こちらこそ?」

『がっこう みちあんない ちこく しない すんだ』

「あれはまあ……あんなことくらい大したことないって。むしろ……」


 俺はキレイに片付いたキッチンを見る。

 ……ここまでしてくれて、逆に俺がお返ししないといけないよなあ……。


「……な、なあ? 俺、なにかお前にしてやれることないか? しゃけとか好きか? それともハチミツ?」


 クマは眉間に皺よせて、首を捻る。


『? ? なに ?』

「いや、だから……なにかお返ししたいんだけど……俺になにかしてほしいこととかない?」


 それを聞いて、クマの表情がぱっと明るくなった。


『こんど そうじ する したい』

「掃除? 俺の家の?」

『そう いい?』

「いや、それじゃまた俺がやってもらうみたいになっちゃうし、お返しにならないから……」

『わたし したい そうじ !』


 力強く迫られて、俺は両手を上げた。


「わ、わかったわかった。か、顔近いって……食べないでください……」


 クマ、嬉しそう。

 牙剥き出しで笑ってみせる。

 その牙先の尖り具合に、俺、ごくりとつばを飲み込んだ。


「で、でも、もう今日は遅いから、また今度……今日のところはこの辺で、な?」

『わたし わかる』


 これ以上、クマと同じ空間にいると俺の心臓が持ちそうにない。

 だから、一旦クマが引き下がってくれて、俺は安堵した。


 クマはのっそりと玄関へと向かいだす。

 やれやれ……。

 と、クマは振り返り、


『まんしょん おなじ』

「ん? ああ、偶然……なんだよな? こんなこともあるんだな……?」

『ということは こと おなじ でしょう?』

「……こと……?」


 クマは俺の覚束なげな言葉が聞こえなかったのか。

 それだけ言うと(書くと)、扉を軋らせ、外へと出ていったしまった。

 のそのそと隣の部屋に入っていく気配がする。


『ということはこと同じでしょう?』


 なーに、言ってんだあいつ……?

 日本語、やはりよくわかってないのか?

 こと、同じ、こと、古都? こと……?

 ……あ! 小兎のことか!

 小さい頃から同じマンションに住んでいる俺の幼馴染。

 小兎も同じマンションに住んでいるんでしょう? と言いたかったのか。


 いや、待って?

 ……なんでそんなこと、あのクマが知ってるんだ……?

 俺と小兎が同じマンションに住んでるって、俺、そんなことクマに喋った?

 そして、あのクマ、小兎の家が同じマンションにあることを確認して……それでどうするつもりなんだ……?


 俺は背筋が寒くなる。


 あのクマ……小兎を狙ってる?

 どこかで俺と小兎が同じマンションに住んでいることを嗅ぎつけて……小兎の居場所を探るために俺の家を探していたとか……?

 なら、俺を狙っているのかと思ったがそれはフェイクで、真の狙いは小兎!?

 だめだ!

 さっきは俺を襲わないどころか洗い物までしてくれたもんだから、怖いとはいえちょっと気を許しかけたが、そんなんで安心していてはダメだった!


 小兎に、クマに警戒するよう連絡しなければ……!

 俺はスマホに手を伸ばした。

 ここしばらく全然使っていない小兎とのトーク。

 ……なんか緊張するな。

 だが、小兎の安全のためだ。

 俺は覚悟を決め、


『大事な話がある』

『明日の朝、家を出るときとか』

『ベアトリクスに気をつけろ』

『2人っきりになるなよ』


 そんな内容を送った。

 正直……クマのことを口実に、小兎とのトークを復活させることができて嬉しい気持ちもある。

 たぶんこの後小兎から、ベアトリクスの何に気をつけるの? とか、なんのはなし? とか聞き返される。

 信じてもらえるかわからないが、俺はそれに答えなければならない。

 うまく説得できるだろうか……?

 俺は色々な意味でドキドキしながら、待った。


 ……全然既読にならねえ……。


 結構キクな、これ……。

 期待して待ってたのに、全然見てもらえてないって……。


 いや、まあね!

 よくよく考えると、クマが小兎を襲うなんて俺の考えすぎかもしれんし?

 ベアトリクスのことをS級美少女転校生だと思い込んでいる小兎に、あいつクマ、とか言ってドン引きされる可能性もあるわけだし?

 むしろ既読つかなくてよかったんだわ!


 そんな感じで、あまりに効き過ぎてもはや効いてない振りするレベルまで傷ついた俺は、こっそりベッドを濡らしながらいつしか眠りについた。

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