第23話 クマとおやすみ
ところで、人間には三大欲求というものがある。
たった今、俺はクマの作ったカレーを食べて食欲が満たされた。
しかし、まだ大きな欲求が満たされていない。
残った欲求を解消しようと、俺が動き出すのは至極当然のこと。
ぐへへ……。
こうして見ると……このクマも大きくてふわふわと柔らかそうじゃねえか……!
俺はクマに血走った目を向ける。
「そろそろ寝るか……」
クマはそれまでリビングで畏まって座っていたが、俺の言葉にぎくしゃくと反応した。
『りょうへい ねる』
「今日はなんだかひどく疲れちゃってな。普通、こんな時間に寝床に入ることなんかないんだけど……」
気疲れかな。
極度の緊張状態を強いられ続ければ、それだけ疲労も激しくなる。
クマと長時間一緒にいたり、クマの入浴シーンに出くわしてしまったり、今日は本当に気の休まる時が無かった。
『わたし とまる わかる いっしょ ねる 』
そう書き込んだクマ、ぐっと頭を上げ、俺に覚悟の決まった顔を見せてきた。
『りょうへい そう のぞむ なら いいよ』
「ん……? い、いっしょに寝る……って言ってんのか!?」
俺は慌てて、充血した寝ぼけ眼を擦った。
「い、いや、そ、それはやめよう! な? その……せ、狭いしね!」
冗談じゃない……!
いくらカレーを作ってくれるくらい友好的なクマだとしても、一緒のベッドで寝たりなんかできるか……!
クマが寝ぼけて噛みついてきただけで致命傷やぞ……!
クマの寝相が悪かったら押しつぶされて最悪死ぬか、良くて長時間下敷きになった筋肉が壊死し、その毒素が体に回るクラッシュ症候群で重篤な状態に陥るか……。
大体、このクマ、うちにカレーの食材置いてたってことは、また俺の家に上がり込んで料理する気満々だったわけで……。
勝手に他人の家に入り込んでくる意思がある時点で、普通に怖っ……!
クマだとか関係なく、こいつ怖いよ!
「その、俺が眠いだけだからさ? お前はまだ眠くなければ起きててくれていいんだぜ? テレビでも動画でも好きなもの見て、ゆっくりして?」
疲れてるところにカレーを食べて満腹になれば、俺なんかもういちころ。
こっくり舟を漕ぎ出し、しかもクマのモコモコとした毛皮を見てたら実に寝心地がよさそうで……それで、ぐへへ、そろそろ寝るか……って言っただけなんだよ。
それだけなのに……誰も、クマも一緒に寝るなんて話、してないだろ……!
『りょうへい わたし いっしょ ねる しない ?』
クマは小首を傾げ、俺に問いかけ。
どこかほっとしたような吐息の緩みと、残念そうな眉間の皺。
複雑な表情をするクマだな。
「あ、ああ! 一緒になんか寝ないぞ!」
一瞬でも、クマのお腹に丸まって寝たら柔らかくて気持ちよさそうだな、なんて考えた俺が間違ってた。
クマと一緒に寝るなどある意味自殺行為……!
泊めるって言っちゃった以上、同じ家で寝るのは仕方ないとして……。
せめて同じ部屋で寝ることだけは避けねば!
そう思った俺は、気さくな口調を装って、クマに提案する。
「よーし、じゃあ、お前、俺の部屋のベッドで寝ろよ! 俺はここのソファで寝るから」
俺はリビングのソファに腰を落とした。
このクマを俺の部屋に押し込めてしまえば、少しは距離が取れる。
クマの寝相や寝ぼけた暴力を懸念せずに済むだろう。
また、クマが唐突に小腹でも空いて俺を夜食にしようと思い立ったとしても、一部屋離れていれば……もしかしたら、逃げ出せるチャンスはあるかもしれない。
ともかく、クマと一緒の部屋で寝るのだけはダメだ……!
と、クマは俺をまじまじと見つめてきた。
『りょうへい やっぱり やさしい』
「なにが?」
『べっど ゆずる やさしい』
「え? あー……いや、そんな当たり前のことだろ?」
『わたし ねる そふぁ』
「そ、そんなわけにいくか! 女の子をソファに寝かすなんて」
ソファじゃクマに耐えられずにぶっ壊れるかもしれないし。
ベッドなら、まだワンチャン……ワンチャンなんとかなる! なってくれ……!
クマの俺を見る目は、深く黒い。
だが、そこに輝くような光が現れる。
『どうして ? 』
「どうしてって、なにがだ?」
『こんな やさしい する どうして ? 』
……別に優しくしてる自覚はないんだが。
クマの勘違いだ。
『りょうへい しんせつ でも それ わたし の すがた すき だから ちがう』
「……そうだな、俺はお前の外見が好きだからなんて理由で、親切なんかしてないぞ」
外見がクマでも小さければ、怖くなくていいんだけど。
『りょうへい すがた かたち きにしない ほんとう の わたし うけいれてくれる』
「ええっと、いや、そういうことじゃ……ない? んじゃないかな?」
『なら どうして ? りょうへい たすけてくれる ? その りゆう いってみて』
クマの問いかけに、俺は考え込む。
……クマをなんで助けるのかって……なりゆき?
いや……俺を食おうという目的があるのかなんなのかわからないが、ここまでぐいぐい関わってくる相手に……なんか変かもだが、親近感がないわけじゃない……。
俺、もしかして本当にクマが気になっちゃってる……?
クマを手助けすることで、クマに気に入られたいなんて気持ちがどこかにあった……?
なんで?
俺は考え、考え、ようやく気付く。
……そ、そうだ!
そうやって……クマを手懐けるためだよ!
クマをテイムして操れれば、俺も強そうだしな!
そう! 別に気になるとかじゃなく、俺はクマを制御しなにも知らない小兎やクラスの皆を危険から守らなきゃならない。
そういう使命感だ。
俺はこのクマを宥めて皆に手出しさせないために、ただそれだけのためにこれまでクマと付き合ってきた。
きっと、そういうこと……!
クマに好意持ってるとか……あかんでしょ!? それって人の道に反するし……俺が好きなのは小兎なんだから……!
「俺がお前に親切に見えるのは、ただ、それが当たり前のことだからさ。困ってたら助けるっていう使命感!」
と、クマは小さく笑った。
『うそ』
「うそ!? なにが!?」
『りょうへい いった すき わたしのこと』
「あ、あれはお前の気持ちをほぐしてやろうっていう優しさ……」
ぐおおっ、とクマの手が俺の顔面に伸びてきて、
「わ、やめ……!」
思わず死を覚悟する俺。
その頬をクマの爪が、つん、と突いた。
……こんな怖いスキンシップあるぅ!?
『りょうへい なる しょうじき』
……くそ、なんかクマにマウント取られてる気がしてならねえ……!
「と、とにかく俺、もう寝るからな! お休み!」
俺はソファで毛布にくるまって横になる。
と、その前に大事なこと思い出した!
「マンションの鍵!」
俺は跳ね起きて、クマに忠告する。
「そうだ! マンションの鍵失くしたときは、まずマンションの管理会社に連絡しなきゃ!」
鍵の付け替えとか、色々やらなきゃいけなくなるかもしれないからだ。
勝手に新しい鍵に変えたりとかすると、管理会社に怒られる。
というわけで、クマが管理会社に連絡したら、スペアキーで鍵開けますよ、と言ってくれたし、なんなら管理会社からの指示に従い、もう一度よーく探してみてください、ポケットの奥に引っかかってたりしますから、という言葉通り、乾燥機から取り出したクマの制服まさぐったら、ポケットの奥に鍵あった。
「……今までのやり取りは何だったんだよ!?」
クマの部屋の鍵、あるんなら俺の家に泊まる必要なんてないし!
こんなぐだぐだ考えたり悩んだりする必要、全然なくない!?
「……お前……ほんと中身はドジっ子のクマなんだな!」
『えへへ』
えへへ、じゃねえんだよなあ!
えへへ、とか真顔でかきこむな!
俺はクマを丁重に隣の1210号室へ送り届け、疲れて、寝た。
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