第33話 お前はクマじゃない?

 俺は今、クマの巣の中にいる。

 目の前にはその主であるクマがいて、凶暴な面構えがとても怖い。

 そう思っていた。

 でも本当は。


「……お前……本当にクマじゃないの……?」


 俺は目の前のクマにそう問いかけていた。

 クマは、落ち着いた態度で頷いて見せる。


『くま ちがう』


 ……いや、クマだが!?

 俺の目にはそうとしか見えないんだわ!


 でもそれって……。

 俺は客観的に見て、目の前にいる女の子のことをクマだと言い張るおかしな奴になっているのでは?

 俺以外の誰もクマのことを、クマだー!? とか騒がなかったし。

 そう思ってたの俺だけで……。


 そんな自分自身へ疑惑が俺の中で膨らむ。


 ……これまでもクマのことを、ここにクマがいる! なんでみんなわからないんだ!? と思ったことはあった。

 でも、それを強く訴えてクマを退治しようとしなかったのは、無意識に自覚していたからかもしれない。

 ベアトリクスのことをクマ呼ばわりしても、逆に俺の方が周囲からおかしい、間違っている、と否定されるってことを。

 そして、そう否定されることを内心恐れていた。

 自分がおかしいって突きつけられるのは嫌なもんだし。


 だから、このクマどうにかしようぜ! 危ないじゃん! とか強く言わなかった。

 俺も、どこか自分がおかしいとわかっていたからこそ、これまで大事にせずクマと一緒に学校に通うといった、それこそおかしな行動を続けていたわけで……。

 普通なら、そんなことしねーよなあ!?


 ……なんで俺にはベアトリクスがクマに見えるんだろう?

 病院行ったほうがいいのか……?


『りょうへい だいじょうぶ ? 』


 そういってノートを差し出してくる手はクマの手。

 美少女の白くて優雅な指先なんか微塵も感じられない、黒いかぎ爪。

 たまに化けていた美少女の姿ではなく、これがクマ本来の姿だ。

 そう思っていた。それが実は……。


 ……い、いや、でも!


 俺は自分の目を信じたい! 俺がおかしいなんて思いたくない!


 クマは人間だ、とか言われても、俺の目の前には厳然とクマがいるわけだし!

 そのクマの姿はどうしたって怖い! 本能的な恐怖……! 怖がるなっていったって無理!

 だって、俺はベアトリクスがクマだと思ってしまうんだから、彼女のことを怖がるのは当然だ。


 ……いや、ちょっと待って?

 逆に考えれば、だ。

 もし、俺が間違っていて、クマは本当はクマじゃなくてただの少女だとするよ?

 ベアトリクスがただの普通の少女なら、俺はベアトリクスのことをクマだと言い張る頭のおかしな奴ということになる。

 普通の少女が、目の前に頭のおかしい奴がいたらどう思うだろう?

 怖いと思うよなあ?

 俺も、小前田がたまに見せる奇行を前にすると、……怖っ!? てなるし。

 だが、ベアトリクスは俺を怖がっているふうでもない。

 全然平気な顔して俺の前にいるじゃん!?


 それは何故か?

 たとえ俺が頭のおかしい男でも、ベアトリクスがクマなら簡単にぶっ倒せるからだ。

 アタマのおかしい俺が突然ベアトリクスに危害を加えようとオホホホホ! とばかりに襲い掛かっても、ベアトリクスがクマならなんにも恐れることはない。

 ザコが……! の一言でワンパンKOできる。

 つまり!

 ベアトリクスが俺を怖がっていない、という時点でもうベアトリクスはクマだと推定できる……!

 俺、もしかして推理の天才……!?


 なのに、このクマ……!

 まだ、自分は人間のふりをして俺を騙し……小兎に危害を加えようと企んでいるのだろうか?

 俺は事実を突きつけて、クマの鼻を明かしてやりたくなる。

 正体を表せ……!


「……なあ? 俺はお前のことクマだって言い張ってるあたまのおかしい男かもしれないんだぜ? なのに、なんでそんなに平気な顔して俺の前にいられるんだ? 俺が怖くないのか?」

『りょうへい こわい ない ぜんぜん』

「へえ? 全然怖くない? やっぱり……そうなんだな? ま、そりゃそうだ。だって、お前はクマ……」

『りょうへい しんじてる から こわい ない』

「え?」

『りょうへい やさしい』


 クマっていうのは、突然わけの分からないことを言い出す生き物だ。

 人間と違って、理性とか論理がねえ。

 やっぱり、こいつクマだわ。


『りょうへい わたし くま みえる でも たすけてくれた なんども やさしいから』

「俺が何度もお前を助けたって……それこそ誤解すんなよ!? お、俺はお前のことなんてなんとも思ってないんだからね!?」

『りょうへい わたしに ひどいことしない わかる』 


 それも正確には、ひどいことできない、だ。

 肉の塊みたいなクマに、俺みたいな非力な人間がどんな酷いことできるって言うんだよ!?

 俺はそう反論しようとした。

 が、クマの目。

 その眼差しが俺を射抜き、俺は言葉を失う。

 ……さっきまで黒い深淵みたいな何も読み取れない、不気味さ漂う目だったのに。

 さっき、俺を信じているとクマが口にした瞬間から、俺にはその目に光が宿って見えている。

 この目は……。

 人間の時のベアトリクスの目、そのものだ。

 頭がおかしいかもしれない俺を前にしても少しも動じず、俺の言葉をすべて受け入れようとしている目。


 クマのベアトリクスが、人間に見え始めている……?


「お、お前……」

『わたし しんじる りょうへい』


 ベアトリクスは繰り返した。そして、願うように言う。


『りょうへい しんじて わたし』


 ベアトリクスはクマじゃない、普通の人間だ、と。

 そう信じろ、と?

 そうすれば……俺の目の前に見えているクマの姿は消えるのか?

 ……それは正しいこと?

 小兎に危険が及ぶようなことはなくなる……?


「……俺は……」


 俺は躊躇いつつ、口を開く。

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