第32話 お前はクマだ

 がたん、と俺は思わず立ち上がった。

 そうして身体が勝手に動き、気付いたらクマの前。

 クマの真っ黒な目が、俺を凝視してくる。

 邪魔するなら潰すぞ。

 そう言われているようで、俺の身体は震え出した。

 それでも、どくわけにはいかない。

 クマの前進を阻むため、両手を広げて立ち塞がる。


「ま、待て……!」


 クマは首を傾げる。

 それから、ノートを掲げてきた。


『なに ? 』

「小兎のところには、い、行かせない……!」


 俺が振り絞るように言うと、クマは唸り出す。


『なぜ ? わたし おしえる ばしょ それだけ』

「そんなこと言って……本当は小兎になにをするつもりだ?」


 クマは苛立ったのか、牙を剥き出し始めた。


『どうして わたし ことに なにかする ひつよう?』


 クマは、小兎に危害を加えるとかそんなことする必要がどこにある? と嘯いている。

 しらばっくれて……!

 だから、俺ははっきり言ってやった。


「お前……お前は小兎に敵意を持ってる! 2人きりになって襲うつもりだろ!?」


 クマの眉が顰められた。

 クマの渋面。


『りょうへい なに いってる ?? 』

「……前々から思ってたんだ。お前、たまに……小兎に敵意、というか警戒心Maxな態度取るよな? 牙剥き出したりして! 俺は気が気じゃなかった。いつかお前が小兎を襲うんじゃないかって……。それで、今日だ! お前はひどく苛ついてる! 食欲を抑えきれなくなってるんだろ? それで小兎を……!」


 クマの黒い目が鈍く光った。

 ピリッとした空気が流れる。

 クマの毛も逆立った。


『いらつく それ りょうへいの せい』

「俺? 俺がお前の気に障ったってのか? なにが問題だよ?」

『りょうへい こと なかよし』

「? そりゃ俺達は幼馴染だし、でも、それがなんだよ?」

『いっしょに くるなんて どういうつもり ? 』

「どうもこうも……小兎がお前の見舞いに行きたいって言うから、俺がお前の家まで案内してやっただけだ」

『こと しんせつ わかる でも りょうへい わるい』

「なんで!? 俺のなにが悪い!?」

『りょうへい わたしのことすき なのに こと いっしょ くる』

「だから、それは俺が小兎を案内してやったからで……」

『すき うそ ? 』

「そ、それは……」


 クマに見据えられて、俺は言葉を飲み込んだ。

 クマはノートにつらつらと書き連ねて、それを掲げて見せてきた。


『りょうへい おみまい きてくれた うれしい とても よろこぶ たくさん でも ことといっしょ なかよし みせられる うれしい きもち ばかみたい』

「嬉しかったのか……? でも、ぬか喜びだった……?」

『りょうへい あとで ひとりで きてくれたら よかった』


 思いの丈を書き終えて、一段落ついたのか。

 クマは俺の様子を窺ってくる。

 どうもクマは、俺が小兎と一緒にお見舞いに来た姿を見て、殺意をたぎらせたらしい。

 ……なんで? なんでそうなる?

 一緒じゃなければ、こんな危険な状況にはなっていなかった……?


「……だからって……小兎を襲っていいことにはならないぞ」


 俺の言葉に、クマは目をぱちくり。

 首を傾げながら、ノートに書き出した。


『りょうへい それ わかる ない なに ? おそう ?』


 クマは再びしらばっくれる。

 自分は小兎を襲ったりしない、と油断させるように。

 まるで、自分がクマじゃないとでも言いたげだ。

 でも、俺には正体がバレているんだよなあ。


「……お前はバレてないと思ってるかもしれないけどな……!」

『ばれる なに ?』

「俺にはわかってるんだよ! お前の本当の正体がクマで……みんなからは人間に見られてるのをいいことに人間社会に紛れ込んでいるってな!」


 なんでそんなことしてんのかはわからんが。

 にしても、遂に直接言ってしまった……

 これまでクマが俺や小兎を襲わなかったのは、きっと自分の近くで人を殺めるとそこから足がつくからだ。

 自分の正体がバレないように、あえて身近な人間は襲わなかったに過ぎない。

 胸先三寸で、クマは俺や小兎をいつでも殺せた。

 俺達が今無事なのは、クマの気紛れの結果。

 だが、そうだとしたら、逆にクマの正体を知っている俺はまず第一に消さねばならない対象となるはずだ……!

 クマは俺を全力で殺しにかかるだろう。

 たった今、この瞬間にも。

 でも、もういい。

 小兎が狙われるくらいなら、むしろ俺が先に襲われてクマの正体を小兎にわからせる……!

 そうすれば、クマの脅威に気付いた小兎だけは逃げられるはずだ……!

 俺は覚悟を決める。

 クマは、すっ、と目をすがめて俺の顔を覗き込んできた。

 がぶり、と来るか……?


『りょうへい つかれてる ? 』

「……うん?」

『りょうへい おかしい くま なに ?』

「……なあ、もうしらばっくれるのはやめよう。わかってるんだって」

『なにか ごかいしてる ? なに こわがる ?』

「誤解もなにも、お前、クマじゃん! どうしたって怖いよ! いつ襲われるかわからないんだから!」


 クマは至極真面目な顔をした。


『わたし くまじゃない』

「いやいやいやいや」

『わたし おそわない いままでも これからも』

「それは自分の正体を隠すために襲わなかっただけだろ?」


 クマが気の毒そうな顔になる。


『りょうへい みてる まぼろし くま いない』

「……えーっと」


 ……なんでこのクマ、ここまで自分はクマじゃないと言い張るの?

 なんで話が噛みあわないの?

 おかしない?

 まるで、俺の方がおかしいみたいに。

 ……え?

 もしかして……マジで俺がおかしいの?


 背筋がぞくっとした。


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