第38話 真の敵モケーレムベンベ

『シムラ―! 後ろ、後ろー! あああーっ!』


 薄暗くなった場内に、大学生たちの悲鳴が響く。

 スクリーンの中で、最初の被害者がサメに襲われていた。

 泳いでいたチャラ男が背後からサメに飲まれ、湖全体が真っ赤に染まる。

 

 あまりといえばあまりの惨劇。

 俺は隣の反応が気になった。

 が、隣のクマは身動ぎもせず、スクリーンに集中している。

 口元から涎が垂れてるのに気づきもしないくらいの集中力。

 ……純粋に映画の内容に引き込まれているのか、それとも肉片になったチャラ男に食欲を刺激されているのか……。

 クマの横顔を見ながら、俺もドキドキが止まらない。

 これで、そっと手でも繋がれようものなら、次の瞬間心臓が止まっているだろう。

 これってまさか、いや、まじで……恋……?

 こんなに何もかも投げ出して今すぐこの場から逃げ出したくなる恋なんて初めて……!

 暗闇の中、クマの圧を間近に感じれば誰でもそうなると思う。


 俺は居心地の悪さを感じ、腰の位置をもぞもぞずらした。

 その際、ふと後ろの席に気を取られる。

 ……そういえば、後ろの席のサメもやっぱりチャラ男のお肉に目を奪われてるんだろうか?

 ていうか、本当にあれサメだったのか?

 映画館にサメなんて……。

 イルカだったんじゃ?

 そう思ってみてみれば、そこにいたのはやっぱりサメで。

 しかも、目をつぶって顔を背けている。

 スクリーンを見ちゃいない。

 ヒレがプルプル震えていた。


 なにしてんだ? とか思っていると、


「……ねえ、もうサメ映ってない? ねえ、目開けても大丈夫……?」


 サメの口からそんなコソコソ声まで聞こえてくる始末。

 そんな怖いなら、なんでわざわざこんなサメ映画見に来たのか。

 サメの癖に、サメシーンNGなのかよ。

 俺は思わず、そうツッコミそうになって口を抑える。

 俺にだって、上映中に声を出さないくらいの常識はある。

 それになにより、今は後ろの知らんサメより隣の知ってるクマだ。

 そっちの方が危険度高い。

 ……そうだよな、やっぱ危ないよな、冷静に考えて、隣にクマがいるって……。


 ……とはいえ、だ。

 こういう映画館では、暗いところを利用して手を握ったりチューしたり、イチャイチャするのが目的の人達もいる。

 それに比べれば、暗いところを利用して手を齧ったり、頭を齧ったりするのが目的のクマの方が、俺がエッチなことされる危険度は低い。

 よかった、安心。

 と、俺が現実逃避して自分の現況をまだ安全だと思い込もうとしていると、スクリーンで第2の犠牲者が出ようとしていた。


『……いつ奴が来るかもしれないのに、こんなところにいられるか! 俺は1人でも帰らせてもらう!』


 湖畔のバンガローに籠城してサメをやり過ごそうとする大学生たち。

 だが、その中の1人、嫌われ者の金持ちボンボンが車のキーを持ってバンガローを飛び出した。

 そして、その直後『ぎゃああああ!?』突如現れた巨大クマにバックり頭から齧られてしまう。

 その間、わずか2秒。

 と、


「ひゃん……っ!」


 変なくしゃみみたいな音がしたかと思ったら、俺は隣の席のクマにのしかかられていた……!

 俺をがっしり掴み、絞め殺さんばかりの抱き着き。


「……おふぁっ」


 突然の締め付けに、俺は肺の中の空気を絞り出される。

 クマの体温がじかに伝わってきた。

 苦しみの中、クマの匂いがふわっと鼻に感じられる。

 それはどこか甘い女の子の香りだ。


 がっちり拘束された俺。

 酸欠で目をチカチカさせながら、スクリーンを見続けることしかできない。


 スクリーンの中ではボンボンがクマに頭を齧られたまま、びったんびったん振り回され叩きつけられ、最後には放り投げられた。

 放されたボンボン、『た、助かった! バカなクマだ! バーカバーカ!』と結構余裕でひゅーんと飛んでいき、そこへ湖からざばあっと跳躍してきたサメに丸飲みにされて消えた。


「……っ……は……っ……くま……もういない……だから……」


 俺は途切れがちな声で必死に訴える。

 その声が届いたらしい。

 クマは俺を締め付ける腕を緩め、それで俺は大きく息を吸い込むことができた。


「し、死ぬかと……」

『りょうへい ごめんなさい くま こわい』


 怖いと称して俺に抱き着き、絞め殺す作戦だったのか……?

 わざわざ怖い映画をあんなに見たがったのはこのため……?

 まったく、このクマは狡猾で恐ろしいで……!

 隙あらば事故を装って食い殺そうとしてくるなんて……!


 その後も、スクリーン上にクマが映るたびに、俺はクマから抱きしめられたり手を握り締められたりで、よく命があったもんだ。

 サメとクマが真の敵であるモケーレムベンベを共闘して倒し、映画がエンディングを迎えた時、既に俺の心も体もズタボロだった。


 やっと助かる……!

 これ以上続いたら、心臓が持たなかった……!


 エンドロールも流れ終わり、場内が明るくなる。


「さ、さあ、出ようぜ……」


 俺は息を切らしながら、隣席のクマに促した。

 なのにそのクマ、立ち上がろうともせず、涙をポロポロこぼしていやがる。

 俺、びっくり。


「ど、どうした!?」

『かんどう とても よい えいが』

「ええっ!?」


 俺、更にびっくり。

 この映画のどこに感動できる要素が!?


『さめ くま なかなおり とても よい らいばる』

「う、うーん……?」


 まあ、それまでエサ(大学生たち)を巡って敵対関係にあったサメとクマが、モケーレムベンベを相手に共闘しだすのは熱いといえば熱い……のか?

 まあ、クマの感動ポイントはよくわからないが、喜んでくれたのならよかったよかった。


「ともかく、これで練習は終わりだな。反省会でもしようぜ」

『もういっかい』

「ん?」

『もういっかい みる 』


 クマはにっこり、もはや限界の俺に微笑みかけてくる。

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