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 すっかり仲良くなった葉菜子から別館にある大浴場を紹介され、その日の疲れを流した。ライオンの銅像の口から流れ出る温泉に浸かり、一人の時間を堪能した一実は用意されたナイトウェアに身を包んで梅の間に向かう。


 ひざ丈のワンピースのネグリジェはシルクで作られており、非常に肌触りがいい。ドレスで締め付けられていた胸や腰が解放され、湯上りの熱も相まって舞い上がりそうな気分だ。


 竹林の庭を抜けた先に建物が見えた。


 ここまでくると本館はホテルで別館は旅館に思える。庭を境に洋風と和風がきっちり分けられ、ライトアップされている和風の庭はとても落ち着く。


 木造の建物に入り靴を脱いで上がる。指定された梅の間以外に、廊下に沿って菊の間や松の間などが並んでいた。あの家を探せば畳の部屋や中華風の部屋もあるのではないだろうか。


 梅の間のふすまを開けると鷹尾と人見は先に席に着いていた。まだ風呂に入っていないのか二人は正装のままだ。といっても、上着を脱いで仕事終わりのサラリーマンみたいな格好だが。


 一実はほんの少し鷹尾のナイトウェア姿を期待していたが、まだこの姿を見れるのも悪くはない。ただこの畳の部屋には少し合わないけれど。


「修学旅行気分の学生か」


「学生ですけど、修学旅行気分じゃないですよ」


 空いた席に座る。目の前には豪勢な料理が並んでいた。


 木船に乗った新鮮なお刺身に魚や肉を一口サイズに調理した前菜、里芋と油揚げの煮物、タケノコの炊き込みご飯、お吸い物、沢庵ときゅうりの漬物、焼いたホッケ、デザートのミルクレープまである。


 予約をしたわけではなく、鷹尾が急に決めた宿泊なのにこんな豪華な食事を三人分用意できるなんて、どれだけ食材に余裕があるのだろう。


 一実は素直に羨ましかった。決められた予算で栄養バランスを考え、それに加えて好みの乳製品を使ったメニューも組み込まないといけない。それが月に数回ならまだいいが、毎週となるとどうしても似たようなメニューになってしまう。せめて予算が無制限になるか、一週間のうちに最低三日乳製品を使った料理を作ることという規則のどちらかがなくなれば料理の幅が広がるというのに。


 悩みの種である人見というと、目の前の豪華な食事を堪能していた。飲み物である牛乳を豪快に飲み干して白いひげを生やしたまま漬物をポリポリ食べている。味覚異常としか思えない組み合わせだ。


 そもそもこの部屋に用意された飲み物の中に牛乳はない。なのになぜ人見が牛乳を飲んでいるのだろうか。一実が不思議に思っていると、鷹尾が食卓の下から大きな牛乳瓶を取り出して人見が飲み干したコップに牛乳を注いでいる。


「それ、どうしたんですか……」


「ん? ああ、これ? 持って来たんだよ。岩手県産の四季むかしの牛乳、いいものだよー。一実ちゃんも飲んでみる?」


「いえ……遠慮しておきます」


「乳製品はないが料亭みたいでいいな」


「まさか作れなんて言わないですよね?」


「はは、まさか。ここまで求めたらさすがに酷だろ」


「一食で予算オーバーです」


 だろうな、と笑って人見はまた牛乳を飲む。


「一通り見て回ったけど、特に怪しい所はなかったね」


 ミルクレープをそっと人見のそばに置きながら鷹尾が言う。


 その言葉に人見はコップを置いた。

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