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「最初は何とも思わなかったこの婚約が神様からのプレゼントだとすら思え始めました。それくらい、三人で過ごす日はとても楽しくて、宝石よりも価値がある充実した時間でした」
「だからあの日第一発見者に」
「……はい。仕事を終えた允典さんが市籠さんの部屋に行くのと同時に私も部屋へ」
「そして市籠さんを見つけたんですね」
鷹尾の問に葉菜子は頷いて涙を流した。
「私は二人が大好きだった。恋も愛も知らない私が互いを想う気持ちがこんな気素晴らしいものなんだと気づかせてくれたことに日々感謝して、あらゆる物からこの愛を守りたいと思った。それなのに、こんな……」
「允典さんは市籠さんを見つけた後どうして厨房へ?」
允典に目を向けるとさっきまで人形のように動かず言葉を発せずだった柳您が寄り添っていた。白くて細い手で允典と寿宏の頭を上げさせ、皆と向かい合わせる。
「……レモネードを置くためです」
「レモネード」
「市籠さんはレモネードがお好きで、お部屋に行く際にはいつもお持ちしてました」
「なるほど、人が集まった時にレモネードを持っていたら不審に思われますもんね。ましてや当番じゃないですし」
「動揺して動けない私に葉菜子お嬢様が厨房に一度戻るよう言ってくださり、その通りにしました。あとはタイミングをうかがって合流を」
允典が涙ながら語り終わると繁昌が深いため息を吐いた。まるで呆れたと言わんばかりに。
「仕事で大した功績も残せないうえに嫁候補も見つけられないから何とか見つけてやったのに、ふたを開けたら男が好きだと? まさにあの女の血だ。わけのわからない趣味に金は費やすくせに育児はメイドに丸投げ、体が弱いから他に跡継ぎも産めないとは母親が出来損ないならそこから生まれる息子も当然出来損ないになる。墓参りなんぞもう二度と行くか」
そう言い終わった瞬間、繁昌の頬に柳您のビンタがお見舞いされた。
葉菜子が母親の波留子を叩いたのとは比べ物にならないくらい、繁昌の頬が真っ赤に腫れあがっている。どうして自分が叩かれたのか当の本人は理解が出来ていないようで目を白黒させながら恐る恐る柳您を見上げた。
「これはあの子の分」
ハープの音色のような綺麗な声だった。
繁昌が疑問の声を出す前にもう一度、破裂音が部屋に響く。
「そしてこれは執事の子の分」
「ゆ……ゆうにゃん?」
まさかの呼び方に驚く一実だったが、こんなタイミングで声をあげるわけにはいかない。繁昌が周りを気にせず「ゆうにゃん」と言った時点で雰囲気も何もないのだが。
「性別がどうこう言う前にあなたは自分の性格の悪さを見直すべきだわ。この世の宝であるBLを否定するあなたとは今後やっていけない。ずっと言ってなかったけど、私BL漫画家なの。代表作は、夕日に染まったカーテンにくるまって話をしよう~キミの玄米茶はボクが作る~よ。来年映画化されることも決まっているの。もし自分の醜さを省みようと思うならまずその映画を見てBLの尊さを学びなさい」
怒りをぶつける勢いのままカバンから取り出した離婚届を繁昌の額に叩きつけると、満足したかのように柳您は部屋を出て行った。
それにしても代表作の題名が長い。しかもなぜ玄米茶なんだろうか。一実もそれなりに漫画は読むが触れたことのないジャンルにはわからないことだらけだ。
「ま、まさか柳谷ネコにゃんにゃん先生!?」
続いて葉菜子も出て行った。まさかここに柳您の別名を知る者がいてしかもそれがファンだとは。世界は狭いものだ。
「やな……?何だ……?」
「ペンネームじゃない?」
さすがの人見も驚きを隠せない。漫画の題名もペンネームも癖が強すぎる。創作の世界は自由だけれどもさすがに自由すぎやしないだろうか。
まるで台風が過ぎた後のように部屋の中はぐちゃぐちゃだった。涙をこらえながら葉菜子が語った大切な思い出を聞いても、萎むことを知らない風船オヤジや宝塚能面は文句をぶつぶつ言い続け、離婚届がキョンシーのお札みたいになっている骸骨は去っていった嫁を追いかけもせず前妻の悪口を言い続ける。
鼻水を垂らしながら聞いていた一実は、その人たちの心境がまるで理解できなかった。葉菜子はおとぎ話ほど立派なものではないと言っていたが、出会いから三人が心を決めるまでの物語は、部外者である一実が嗚咽を漏らすほど感動のエピソードだった。
実の息子や娘がこんなにも心を揺らして懸命に守ろうとした物を「わからない」「理解できない」とその一言で足蹴にしてしまうのはあまりにもひどすぎる。血が繋がっているからこそ寄り添うべきことなのではないだろうか。
今の一実には変わらないが、もしかしたら血が繋がっているからこそ理解しがたいことなのかもしれない。
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