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一実が煮え切らない飲み込めない、何ともいえないモヤモヤした気持ちを抱えていると、突如人見が右足をテーブルの上に勢いよくドンと乗せた。
預金をかき集め、逆立ちしても到底買えないような高級品に何てことをしているんだ。しかも靴を履いたままだ。昨日鷹尾が借りた靴ならまだしも、普段様々な場所を歩いた使い古された靴だ。裏に着いた土や小石がこれもまた高級そうな皿やカップに飛び散っている。品性も尊厳もあったもんじゃない。しつけがなっていない悪ガキに等しい。
慌てた一実が席を立つ前に人見が口を開く。
「人という生き物は知らないことを恐れます。それは別におかしなことじゃない。昔は知らない物を口にするだけで命を落とし、知らない動物に襲われてまた命を落としました。DNAに備わっている信号みたいなものです。危険だと思ったら逃げて遠ざけるのは自然なこと。けれど学習という機能も同時に備わっている。見て聞いて知る。先祖代々そういった機能をフル活用して私たちは繁栄してきた。だから知るということはとても大切なんです。生きている中で培われた知識が物事を判断する材料になるから。経験して理解していく。そんな簡単なことで知識というものは増えていくんです。何も難しいことではない」
そこまで言うと、今度は左足を上げてわざわざ机の上で足を組んだ。
「ではなぜそんな簡単なことをあなた方はしようとしないのか、僕は不思議でしょうがない。時代は固定ではない、流れているんです。流行という言葉ぐらいは知っているでしょう? その言葉通り物事は動いている。古い物でもいい物や素晴らしい物はたしかにある。けれど新しい物を取り入れていくことも大事なんです。最も考え方なんて新しければ新しい方がいい。一昔前では教育だとされていた物が今はセクハラパワハラとなって簡単に訴えられますからね。知るという知識を増やす第一歩ですらできないとこの先どうなるか特別に教えて差し上げましょう。老害ですよ。世間に迷惑しかかけない老害というやつです。幼児でも出来ることを怠った結果、無駄に歳だけ食って人に疎まれ蔑まれ、それにすら気づかず、世の中の中心は自分だと勘違いしたはた迷惑な存在。それを世間では老害と言います。今この瞬間に一つ知れてよかったですね。まあ、それも理解しなければ無駄になりますが。そんなゴミよりも役に立たない物になりたいならどうぞ、ご勝手に」
陽気な音楽が流れた。人見のおかげで取り戻した緊張感が台無した。
何ごとかと周りを見ると原因は鷹尾が携帯を手にしている。「ごめん」と手を上げるが雰囲気というものは取り戻せない。迷惑そうに人見はため息をつく。
「人を愛するということは何よりも素晴らしいことです。そう言った習慣があったからこそ私たちは今も生きているんです。異性でも同性でもそれは変わらない。恋愛は自由なんです。異性でないといけない決まりなんてどこにも存在しない。今や家柄関係なく婚姻関係を認められる時代にもなったんですよ。愛する二人を国が認める制度です。それをしたって戦争は始まらないし物価も上昇しない。何も変わらない日常が続くだけで誰にも迷惑を掛けない素敵な法律だ。それを、話しを聞きつけただけの部外者が変だ病気だ狂っているだ何だと首を突っ込む方がよっぽどおかしい。誰かの趣味嗜好を本人以外の人間が否定するなんてこと、犯罪でない限りあってはならないんですよ」
人見の言葉は文句を言っていた三人にどれだけ響いたかはわからない。今だけ反省したふりをして明日にはまた文句を言い出すかもしれない。床に座る寿宏と允典はいつクビになるか気が気でないだろう。葉菜子が許していたとしても主人の婚約者と恋仲であったことは消せるものではない。
好きな人と一緒にいたいという願いは、形が違うだけで祝福されるものとされないものがある。それはとても悲しいことで、涙を流している人が世の中にはたくさんいる。そのことをこの場にいる者たちが少しでも理解してくれたなら、允典たちの未来に漂う不安要素を少しでも減らせるのではないだろうか。
それはそうと、大切なことを忘れてはいないだろうか。
「……え、犯人は?」
一実の一言に皆はっとした。
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