1-46

 最初から探していた物はまだ見つかっていない。葉菜子の感動的な話や人見の説教に気を取られて、市籠を刺したという人物はまだ明らかになってはいない。


「ああ、そうそう。先ほど逮捕したと連絡が。太央家のメイド長だそうですよ。旦那さんを狙って侵入したけれど部屋を間違えて、刃物を持っているのを見られてしまったから咄嗟に、だそうです」


 冷汗が噴き出た繁昌は額についていた離婚届を落として真っ青な顔を晒した。


 とんでもない間違いだが、それがなければ自分が刺殺されていたんだ。死体のような顔になるのも無理はない。ただ、家を出る前に今日の夕飯のメニューを伝えるような口調で言うようなものじゃないと思う。無事逮捕できたのはよかったが、もともと狙われていたのが別人だったという事実を合わせても「ああよかった」なんて喜べることではない。


 何て後味が悪い事件なんだろうか。


 いや、事件なのだから後味がいいものなんて存在しないのか。


「凶器も無事見つかりました。解決してよかったですね。では私たちはこれで失礼します」


 よくそのテンションで言えたものだ、メンタルが強靭すぎる。鷹尾の心は鋼でできているんだと思う。


 恨みを込めた深いため息をついた人見が、机の上に置いていた足を下ろして席を立つ。


 人見にとっては本当にいい迷惑だ。楽しみにしていたシチューはお預けで番組も録画予約をされたとはいえそれもお預け状態。豪華な夕食と朝食を用意されたが、好みの乳製品は鷹尾が持ち込んだ牛乳とかろうじて出してもらったロイヤルミルクティーだけだ。約一リットルは毎日摂取しているであろう人見にとってはガス欠状態。そんな中嫌いな推理をしろしろ言われ続けたら悪態もつきたくなる。


 ただ大人げないしやりすぎではあるけれど。


 ぼんやりしていた一実を顎で「早く来い」と言いつけて人見は部屋を出た。これ以上残る必要はない。それならさっさとお暇しようじゃないか。


 めちゃくちゃにかき乱した張本人はもうとっくにいなくなっているわけだし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る