1-30
中途半端に開けた扉から出て部屋を閉めて廊下を歩き出す。
「もういいです。先生があの喫茶店が大好きってことは十分わかりました」
「どこに行く」
「おなかすいたのでご飯を食べに」
「その格好で?」
そうだ、服の話をしていたんだ。とんでもなく脱線したおかげでこの赤い物体のこともすっかり忘れていた。
「しょうがないじゃないですか、他に服がないんです。昨日着ていたドレスに変えようと思いましたけど洗濯されてここにはないし、全裸や下着で過ごして人間として終わりたくはないので我慢します。それとも先生が今から代わりになるものを何か買ってきてくれるんですか?」
「僕はお前のサイズを知らない」
「先生みたいにオーダーメイドのスーツを買おうってんじゃないんですから細かく知らなくても買えますよ。鷹尾さんだって私のサイズ知らないでこれ買ってますからね」
Tシャツとジーンズ両方ともフリーサイズだった。男女関係なく誰でも着れる親切心なんてここにはいらない。
「……ああ、いやそうだ。ちょっと待ってろ」
人見はそう言ってゲストルームに戻っていった。廊下にただ一人残された一実はせめてこのむかつく赤い顔が隠れるようにしゃがみ込む。
白地に赤という配色が悪いと思う。日本人成人女性の平均的な身長の一実が混雑した街中でも悪目立ちして待ち合わせ場所と化してしまえるほどだ。Tシャツの印象が強すぎるせいで、デニムは一度見ただけならそこまで変な物を見るような目を向けられることもない。なら隠すべきはTシャツの方だ。
ガチャ、と戸が開く音がして一実は顔を上げる。方向的に「待ってろ」と言った人見が戻ってきたと思うのが自然だ。
ただ、必ずしも人見とは限らない。
「あーおはよう、一実ちゃん」
「……!!」
覚悟をしていなかった一実は衝撃波を食らったかのようにその場に倒れる。同じ方向に鷹尾が泊っている部屋があることは知っていたはずなのに、すっかり忘れていたのは服の衝撃が強すぎたせいだ。
これ以上ないと思っていた。
一実はまだまだ世界が広いことをこの一瞬で学ぶことになる。
「おおお、おは、おはようございます」
どもって気持ち悪い返答になったのは許してほしい。鷹尾に対する耐性がまだまだ足りないせいだ。けれど今は仕方ないと胸を張って言える。
何故なら、あの忌々しい真っ赤な顔が目の前にあるのだから。
「あ、お揃いだねえ」
お揃い。
世に言うペアルックというものは、誰かと恋人関係になったことがない一実にとって夢に見るほど憧れていたものの一つであった。
それが今、叶っている。
センスの欠片もなくファッション業界に真っ向から喧嘩を売っているような物だが、今この時だけは服のことは忘れてしまおう。どんな物であろうと、一実が今、鷹尾とお揃いの服を着ているという事実は変わらないのだから。
二人の関係性が進展したわけではない。それは天と地がひっくり返っても「ない」とはっきりと宣言できることだ。鷹尾からしたらただ同じ服を着ていてそれを言葉に出しただけ、それだけに過ぎない。
がしかし、一実から言わせてもらえるのなら、同じ服を着ているというだけで世界が変わるレベルだ。現に、いつも輝いて見える鷹尾の顔がさらに眩しくて周りに星が飛んで見える。
顔が火照るのを感じ、生温かい物がポタリと一実の手のひらに滴り落ちた。何かと目で追うとそれは血だった。 なんと間抜けなことか。生きてきた中で今が一番、穴が入ったら入りたい気分だ。
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