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今さっきの人見の言葉は普段よりいくらか荒くて棘があった。ただ、その棘が仕込まれた物ではなく剥き出しであることに違和感がある。
結果的に相手をねじ伏せるのは変わらないものの、いつもなら人見はくどいほど遠回りしてじわじわと追いつめる言い方をする。縋る物一つ一つ丁寧に潰し、丸腰になった相手の抵抗する気もなくしてとどめを刺す。それが人見のやり方だ。
ならなぜ今は直球だったのだろうか。
怒りが弱火になった一実がたどり着いた答えは、単純だった。
人見は怒っているんだ。友人を理解されていなかったことに。
確かに、人見と比べたら一実は鷹尾と過ごした時間は圧倒的に少ない。けれど、恋愛中毒者である一実のストーカーギリギリの観察眼を舐めてはいけない。
「先生こそわかってませんね、男と女では見るところが違うんですよ」
「でかい顔するな。丸顔が余計丸く見える」
「ダイエットしても変わらなかったから骨格の問題なんです。生まれつきです」
「で、何だまんまる」
ここで丸に食いついて言い返したら永遠と抜け出せない。そう分かっていた一実は反論したい気持ちをぐっとこらえた。
「鷹尾さんは最近、柔軟剤を石鹸の香り系からフローラル系に変えました」
「気持ち悪いな」
「ちょっと、最後まで聞いてください。鷹尾さんはあの外見なのに香水を付けないのでシャンプーとか柔軟剤の香りがダイレクトなんですよ。あ、わざわざ嗅いでるわけではないですからそこは誤解しないでください。近づいたら自然と香ってくるんです。犯罪じゃないです。それと髪は二ヶ月に一回のペースで切ってます。恐らく一昨日、事務所に来る前に行かれたかと。少し短くなってましたよね、全体の雰囲気は変わってませんが、襟足はすっきりしてたのでわかります」
「最後まで聞いても気持ちが悪い。ストーカーで捕まりたいのか?」
「これは全部先生の事務所内で知りえたことですから、後をつけたりしてないのでセーフです」
「ごりごりアウトだろ。百パーセント訴えたら勝てる」
「論点はそこじゃないですよ。今は私がちゃんと鷹尾さんを見てるって話です」
「ああ、そうだな。今までお前のことはストーカー予備軍だと思っていたが、そんなものはとっくに超えた正真正銘のストーカーそのものだと確信できた。アイツに全て伝えておこう、このヤバさを」
「先生ってなんだかんだ言って鷹尾さんのこと好きですよね」
「はあ? 脳みそに花が咲いたか?」
「いやいや、だってそうじゃないですか。さっき先生怒ってましたし、危機が及びそうになったら事前に知らせようとしてました。まあ、私はストーカーじゃないんで危機は及びませんが。あと、事務所に来るな来るな言うくせに引っ越さないし、絶対入り口で帰したりしないでソファーに座らせますよね。私、毎回お茶出してますから覚えてます。まあ、お土産目当てかもしれませんけど。でもお土産を受け取ってもすぐに帰そうとしてませんし、むしろ鷹尾さんが用事が済んだから帰るねって言ってから帰れって言ってますよね」
「僕はアイツのことが好きなわけではないし、お前に対して怒ってもいない。事務所はあの場所がいいから高い賃料を払ってまで居るんだ。下の喫茶店に行ったことあるか? あそこのクロックムッシュは絶品だ。ハムとチーズを挟んだ食パンにホワイトソースとチーズをかけてカリカリに焼く。簡単そうに思えて奥が深い。ハムの厚さやホワイトソースの量のバランスを徹底的に考え抜いて作られていて、あれはもう作品と言っていい。デザートは看板メニューになっているチーズケーキもいいが、抹茶タルトも美味しい。僕は抹茶が得意ではないがクリームチーズがいい仕事をしていて抹茶独自の苦味は一切感じない。上に乗っている生クリームも上品でしかも植物性ではなく動物性だ。食材にこだわっている姿勢が何より素晴らしい」
話の趣旨がすっかり変わっている。
事務所のことから喫茶店をいかに気に入っているかを語り始めたのはごまかすためなのかどうかはわからない。初めから肯定されると思っていなかったが、まさか喫茶店のプレゼンになるとは予想していなかった。
クロックムッシュとおすすめデザートの話を聞かされた一実は、空腹を感じてこれ以上考えることを放棄した。
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