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救いを求めて扉を開けた一実の前に立っていたのは、見飽きた顔の─人見だった。
一実の顔を見た人見の視線は下に下がる。これだけ印象が強い服を着ていれば当然のことだった。もしドレスを持っていた使用人だったとしても同じことをしただろう。一実にほんの少しでも予想できる余裕があったのであれば、服装が見えないように顔だけ出すという方法を取れたのかもしれない。
「ハハハハハハ!」
大きな笑い声が響く。遠慮も配慮も気遣いもない声だ。人見は指をさして腹を抱えるだけには飽き足らず、挙句の果てにはひぃひぃ息を切らしながら床に崩れ落ちた。
まだこれが幼い子供なら笑って流せたかもしれないが、残念ながら目の前にいるのは齢三十の男だ。笑い者になっている一実は許せるはずもなく、怒りが積もり積もる。
「似合ってるじゃないか」
散々笑って気が済んだ人見は目に浮かんだ涙を拭いながら、普段見せることない優しい笑顔でそう言った。
「絶対思ってないですよね」
「まあな」
「ひどい!」
「どこがひどい。電話で言われたはずだろ必要最低限の荷物は持って来いと。それをしなかったのはお前で、その結果こうなった。自業自得というやつだ」
一実はふと人見が持っていたスーツケースを思い出す。あれは一泊にしては明らかに大きかった。海外旅行にでも行こうとしてるかのようだ。
改めて人見を見ると、見慣れたスーツに身を包んでいる。一実も事務所でそれを着ているところを見たことがあり、鷹尾が用意した物ではなく人見の私物だとわかる。
しわ一つ寄せずに持ち込むことを考えると、確かにあの大きさのスーツケースが必要だったことはうなずける。
「だから先生の荷物あんなに多かったんですか」
「まあこれくらいは当たり前だろう」
昨日の黒一色に染まっていたのと違い、今日はカラースーツだ。落ち着いた紺に水色の細いストライプ柄のワイシャツ。合わせたネクタイは同じ紺でワンポイントに入っている金の装飾が上品な雰囲気を醸し出している。着慣れた物であるからか、昨日より背筋が伸びている気がした。
「当たり前じゃないんですよ。必要最低限に服が入るとは思わないじゃないですか」
「そうか、ならこれで一つ賢くなったな」
「私の電話番号と予定を勝手に教えるくせに、こういうことは言ってくれないんですね」
「お前が聞かなかったからな」
「いやいや無理ですよ。何を持っていけばいいですか? なんて聞けるわけないじゃないですか幼稚園児じゃないんですし。もし聞いていたとしても先生は自分で考えろって言いますよね?」
「まあ、十中八九そう言うかもしれないが、もしかしたらアドバイス程度で言うこともあったかもしれないな」
「かもしれないじゃあてにならないんですよ。先生の性格から考えて、アドバイスをもらえる確率は通常のゲームで言えばスーパーレアが出る確率と一緒なんですよ。どうするんですかこれ、さすがに恥ずかしいですよ」
「全裸じゃないだけいいじゃないか」
「それはもう人権ないです」
「今は人権あるな」
「ないに等しいですぅ……」
顔を下げると真っ赤な絵文字が目に入る。赤に浮いた白目と垂れた舌が今の一実をバカにしているようにしか見えない。
「こうなるとわかっていたなら教えてくれてもよかったじゃないですか」
「お前、さっき自分で幼稚園児じゃないって言ったのにそんな幼稚なことを言うんだな。普段成人していることを振りかざすくせして、分が悪くなったらすぐ子供を武器にする。これだから学生は甘いんだ。お前のようなオトナコドモがこれから社会を支えていくなんて信じられない。日本の未来は真っ暗だな」
「私のはるか先の未来まで否定しないでくださいよ。どう頑張っても私が鷹尾さんの服のセンスがこうだと知るチャンスなくないですか? 事務所に来る時はいつもスーツだし、先生とお喋りしてお土産か何かを置いていくだけですし。私が鷹尾さんとプライベートな時間を共に過ごせるイベントなんて、今後の人生でどれだけの徳を積んでも起こらないんですよ」
「お前は普段何を見ているんだ。まさか本当に顔しか見てないのか?」
「顔以外も見てますよ」
「外見だけか」
「内面もちゃんと見てますって」
「なら、ほぼ毎日のように来るアイツの私服を見てないということになぜ疑問を抱かない」
「お仕事が忙しいんだなと思ってましたけど……そういえばそうですね」
「普段からおかしいと思わないなら、お前はアイツを見れていないし何もわかっていない。そこら辺の石の様にいる、顔を見るだけでキャアキャア騒ぐうるさい女どもと一緒だ。内面も見てる? 笑わせるな。僕の助手だとほざくならせめてアイツを理解してからにするんだな」
「むかっ」
罵倒にも相当する言われように一実は腹を立てる。言い返してやろうと思った瞬間、ふとあることに気づく。
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