1-5

 一実を恋愛中毒というのなら人見は乳製品中毒だ。


 飲み物は常に牛乳かロイヤルミルクティーに限られる。最近は一実の努力によって飲むヨーグルトとコーヒー牛乳は飲めるようになった。とてもいい傾向である。ただ、お酒やブラックコーヒーはいつまで経っても飲めないまま。


 だというのにおつまみによく用いられるチーズは大好物で、今はスーパーで販売している物で渋々我慢しているが、一実が家政婦で働く前はわざわざスイスからチーズを輸入していたらしい。そのせいで経営が傾いていたほどだ。


「おじゃましてるよ」


 人見と向かい合って座っているもう一方の紳士、フォーマルスーツを着た鷹尾慶太は背後にバラを咲かせながら一実にほほえんだ。


 笑顔の花が咲くという言葉があるが、これは花が咲いたように華やかな笑顔という意味だ。実際に花なんか咲かないし、咲かせられるわけがない。というのが一般的な常識で、一実もそう思っていた。


 それが間違いだと気づかされたのは、鷹尾という存在に出会ってからだった。


 人は花を咲かせられる。マジックでも何でもない、これは事実だ。


「こんにちは……」


 心臓を押さえながら一実は何とか声を返す。


  舞うバラとイケメンムーブにやられそうになるが何とか耐える。大丈夫、耐性はついてきている。降り注ぐバラにだって気を取られなかった。


 正直言って鷹尾のスーツは安物だ。どこでも買えるスーツは人見と比べると見劣りする。「すぐダメになるからねー」と言って高い物は好まない。けれど高級スーツを身にまとう人見と向かい合っても鷹尾が輝かしく見えるのはその持って生まれた尊顔のおかげだろう。


 安物のスーツでもパリコレの舞台のように見える鷹尾は、よく芸能人に間違えられるが立派な刑事だ。ほほえむだけで背後にバラなど様々な花を咲かせるほどの耽美な、いや、国宝級の顔面を持っているが、警察署に勤めて公務員として働く一般人だ。


 それと同時に人見の友人でもある。もしかしたら唯一のかもしれない。


「僕には関係ない。依頼は受けない話も聞かない」


「そんなこというなよ」


 その証拠に人見の必死な剣幕もへらへらとかわした。


「嫌だね、専門外だ」


 もう聞く気はないと腕を組んでそっぽ向く人見。そんな態度を目の当たりにしても鷹尾がめげることはない。


「今月は仕事あったの?」


「心配されなくとも素行調査の依頼があった」


「それと?」


「……」


「あとは?」


「……」


 ない。


 なんてことを人見が言えるはずもなく、長い沈黙が流れる。それ自体答えているようなもんだが、断固として言葉にはしなかった。


「ここの家賃と可愛い助手のお給料は払えるのかなぁ」


 そう。探偵が一人ということは、依頼を受けるのもこなすのも全て人見が担うことになる。その結果過労……とはならず。むしろ仕事を選びすぎて暇を持て余す日々を送っていた。


 浮気調査の依頼をしに来た人を見て「浮気をしているのはあなたの方だ」と言ったり、身の危険を感じて警備を求めた人には「警察に行け」と冷たくあしらったり。それじゃ仕事が減る一方なのは目に見えている。


「助手じゃない。家政婦だ」


「同じようなものじゃないか」


「どこがだ。仕事の手助けは一切受けていない」


「一実ちゃんのおかげでこの生活が保たれているんだ。立派な助手だよ」


「生活を保つ? むしろアイツの生活を保たせてるのは僕の方だぞ」


「働きに対して見合ったお給料を払うのは雇う側の義務だろ?」


「その言い方だと僕の方が世話になってるみたいじゃないか」


「え? うん」


「おいおい」


 いい歳した大人が小学生のような言い合いを続けるのを横目に見つつ、一実はスーパーで買った物を冷蔵庫にしまった。ついでにケトルでお湯を沸かす。


 お友達だからと言ってもお客さんはお客さんだ。お茶ぐらい出せばいいのに。


 一実はここで働き始めてロイヤルミルクティーの作り方がものすごく上達した。


 ミルクティーなんて紅茶に牛乳を入れればいいと思っていたが、その考えは間違っていると即刻叩き直された。納得するまで淹れ直させられ、一時は紅茶の香りが嫌になったほどだ。そのおかげと言いたくはないが、今では寝起きでぼやけた頭でも完璧なロイヤルミルクティーを淹れられる体になった。


 こんな特技、どこにも生かされやしないが。


 お盆にティーカップ二つとポット、ミルクを乗せて言い合いを続ける二人の元へ向かう。互いに返す言葉のボキャブラリーを使い尽くして、小学生の言い合いからもはや猫の喧嘩みたいになっていた。


「やだね」


「まあまあ」


「いや」


「いやいや」


「いやいやいや」


「いやいやいやいや」


 これを放っておいたらどこまでいくんだろうか。


 なんてふつふつと湧き上がる好奇心を押さえて、二つの鳴き声を割るように黄金色の紅茶を注いだカップを鷹尾の前に置く。


「ありがとう」


 鷹尾がほほえみ、咲いたバラが一実の顔に降りかかる。過剰な供給と花びらで窒息しそうになるが、なんとか耐えて「いえ」と返事を返す。命の危険を感じたが、キムチになりかけていた心はすっかり浄化された。


「ミルクは?」


「どうぞ」


 一実はガンを飛ばしながら人見の前に大きなミルクピッチャーをゴンッと置く。


 お客さんがいる時はストレートティーを出すようにと教わった。


 普段は決まってロイヤルミルクティーを求めるが、この時ばかりは依頼内容によってミルクの濃さを変えたいらしい。変なこだわりだと思ったが、雇用主の人見がそうしたいというなら雇われている一実は従うしかない。


 さて、今日はどのくらいの割合になるだろう。

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