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 いつもと変わらぬ意味がないパーティに、市籠が偶然訪れたことによって二人は出会った。招待をしたのは誰だったのかは、スポットライトを当てるほどのものではない。


 ただそこに市籠という存在がいて、葉菜子と同じ空間に足を踏み入れた。たったそれだけで、人生という物語は綴られていく。


 両親のつまらない事業自慢を交えた会話から抜け出し、ふらふらと会場内を歩いていた葉菜子は退屈していた。


 開催側であるかぎり招待客から挨拶されるのは仕方ないことだとわかってはいたが、明らかにゴマをすりに来ている者や「どうか援助を」と場をわきまえず縋り付いてくる者には愛想笑いも乾いてしまう。そもそも葉菜子は親の事業に参加していない。親がダメなら子にと思考を変えても関わっていないのならそれも無駄な努力だ。


 なるべく角が立たないように、自分ではどうにもできないことを告げてその場から去る。恨めしい視線が背中に刺さるが慣れたものだ。そんなもの小さいころから浴びてきた。


 両親があんなだから、その言葉が一番しっくりくる。


 壽松木家は先祖代々化粧品会社を経営している。セレブ層に向けた高級化粧品を主流としていたが、喜多彦の代になってからは一般市民向けのいわゆるプチプラブランドなど幅広く手掛けるようになって、それなりに業績も安定していた。代々受け継いできた事業を潰すことなく運用し、新たな路線も開拓出来ているのは尊敬できるところではある。けれど、それ以外に目を向けると眉をひそめざるを得ない。


 両親共々、仕事を優先するせいで参観会や運動会に来るのはいつも執事の寿宏だ。幼少期は親が来ないことに不貞腐れもしたが、そのうち親よりも寿宏の方がよくなる。喜多彦は風船のように膨れ、波留子の顔面が濃くなっていったからだ。


 容姿というものは人が一番先に見るものだ。社会的地位がどんなに高くても、清潔感や身綺麗さを捨ててしまっては見る目が人柄から金銭に変わる。幼いながら葉菜子はそのことを学んだ。


 それでも両親が用意したレールをはみ出ることなくきっちり歩いてきた。それによって得た物はあるが、無くした物や知らない物も多くある。


 友達と恋愛だ。


 家柄関係なく手を取って遊んでいた友人もいつしか離れていってしまった。そうすると自然と異性との交流もなくなり、年頃になっても恋愛のれの字も知らぬまま経験もせずいつの間にか二十代後半になった。ただ、友人や恋人がいないことで苦労したことはない。遊び相手は家の中にいくらでもいたし、同級生が恋にかまけている時間を勉強に当てて成績順位を上げる方がよっぽど有意義な過ごし方だ。趣味がないことだけどうしようもなかったが、空いた時間は本を読めば何とかなった。


 照明が暗くなり、葉菜子は我に返る。クラシックを演奏させながらバーのような暗さにするのは趣味が悪いと思う。けどこの薄暗さなら面倒な挨拶をされずに済む。


 ウェイターが差し出したシャンパンを手に取って、葉菜子は部屋の隅でぼんやり佇む。


 愛想笑いで少し頬が痛い。それにお腹が空いた。誰かの視線が気になるこんな場所では落ち着いて何か口にすることもできない。早く終わらないものかと俯いてため息をつく。


 そこに差し出されたのはレモンタルト。


 不思議に思って顔を上げると、目の前に男性が立っていた。


「レモンはお好きですか?」


 それが、太央市籠が葉菜子に初めて言った言葉だった。

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