1-37

 寿宏が第一発見者と偽り、口をつぐみ続けた葉菜子。


 嘘をつかなければならなかった理由は寿宏と葉菜子の二人それぞれにあった。


 雇い主家族の手を煩わせたくないのに加え、実の娘とも思える存在を守りたかった寿宏。


 そして葉菜子は、自分が語るとなると出さざるを得ない名前を隠したかったからだ。


 そう、昨日允典の名を出さなかった理由がそこにはあった。


 そこに居る允典は病人に相当するほど顔が真っ青だった。体をガタガタ振るわせて目には涙を溜めている。はらわたが煮えくり返って駄々をこねた子供みたいな姿勢をしていた人見ですら座り直すほど、その姿は異常だった。


「やはりな……」


 ぽつりとこぼした人見の言葉に波留子がハイエナのように食いつく。


「やはりと言いましたね今! じゃあ允典が……!」


「そうなのか! どうなんだ!」


「もうこれは決まりでしょう。そちらさんの執事がやった、さあ刑事さん逮捕してくださいよ」


 物言えない允典はさらに顔を青くし、涙を流した。この状況はまるで犯人が允典で決まりだと物語っているようだった。


 証拠はない。自白もない。


 なのに、人を襲ったところに出くわしたかのように見つめる目全てが、允典を責めていた。


「うるさいなぁ脳みそツルツル民族が」


 その状況を変えうるのは、人見の暴言だ。


「君ィ、さっきから失礼じゃないか? 太央さんにも私達にも。刑事に連れて来られたと言いつつ家のもてなしをしっかり受けて、一体どこに目を付けているんだ」


「あなたこそ眼球が脂肪で埋まっているのでは? 何をどう考えたら執事の息子を責める気になれるんだ。ツルピカ脳みそは今後一切使われることがないのか? かわいそうに、臓器提供も受け取り拒否で、病院から返品されるだろうな」


 脳は臓器提供しないと思うが、口をはさむのはやめておこう。


「アンタがやはりと言ったんだろうが!」


「僕のせいと? はあ、そうですか。その言葉の真意もわからず飛びついて来たのはそちらでしょう。人の物を盗んでおいて文句を言いに来る頭の悪い泥棒と同じですよ。呆れて悪口しか出てこない」


 物も言えないというところなのに、悪口だけは出てくるのかと一実は少し呆れる。それはそれで人見らしいとも言えるが、ここではただ性格の悪い人になってしまう。


「この状況はどう考えても執事の息子が被害者だ。だがそれでは加害者は誰なのかという話になってしまうから言い方を変えよう。……そう、恋人に先立たれ残された者というのが正しい」


 どこでスイッチが入ったのだろうか。もしかしたら入れ替わったのかもしれない。先ほどまで悪態をついていたはずなのに、そんなことなかったかのように雰囲気ががらりと変わり、口から巧みな言葉が流れ出てくる。


「昨日の応接間では自分の存在に気づかれないよう何も言わずただ立っていることに専念していたが、このヘボ刑事が扉のことを聞いたばかりにうろたえてしまった。その時点で何かしら事件に関わっていると見たが、誰とどうつながっているのかはまではわからないから何も言わず流したが、目が充血していることと、助手が見たという掃除用具入れで泣いていたこと、そして今この同様ぶりから亡くなった市籠さんとの関係が深かったと考えられる。ただ、市籠さんは客人であり、専属の執事にはなれない。ならどういう関係かと考え、たどり着いた答えがこれだ。体の震えは遺体を見てしまった恐怖と拭いきれない悲しみから、涙は忘れられない温かな思い出があるから。あなたの悲しみは愛する人を無くしたそれだ」


 膝から崩れ落ちた允典は大粒の涙をこぼした。肯定も否定もしていないが、その姿は答えを言っているようなものだ。


 誰かを想っている熱量は誰にも見えることはない。想いを募らせている本人ですら、その総重量を知らないものだ。けれど、肩を震わせて絨毯にしずくを落とし続ける允典が、どれだけ市籠という存在に恋焦がれ、芽吹いた愛を大切に守ってきたか、過程を一切知らない一実たちでさえ、言葉を無くすほどだった。

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