5話  吐いた言葉は飲み込めない

七下ななした 莉玖りく



いつの間にか暗くなった部屋の中。私はベッドに横たわりながら、ぶつぶつと考えを拾っていた。


自分がひねくれていることくらい、分かっている。私に別れを告げた兄が正しいのも、それがお互いのための決断だったことも、頭では分かっている。


…………でも、心があの人を許してくれなかった。



「私の、すべてなのに……」



スマホに収めておいた、二人で一緒に撮った写真。乾いた目でその光を見てると、ぽつりとそんな言葉が漏れ出てくる。


自分で思っても不思議なくらい、私は兄を憎んでいた。一生、この火が消えそうになかった。


心が、感情が勝手に魂を取り乱して私を遠いところに連れて行く。入ってはいけないと分かっている禍々しい、沼の底へ……。



「………………」



これからどうすればいいんだろう。


私は上半身を起こして、スマホの画面を消してから俯いた。


兄を許さないと、呪ってやるとは言ったものの、特にこれといった案は浮かんで来ない。ただ兄の幸せを全力で妨げて、自分が望む未来へ………望む未来?


……私は、何を望んでいるのだろう。



「…………………っ」



一瞬、頭の中をよぎって行った兄の顔。なんの可愛げもない私に向かって、何度も大好きだって囁いてくれた兄の声……。


……なんで、出て来るんですか。違います。あなたじゃありませんから。


少なくとも、あなたと一緒にいる未来はもう想像もしたくないんです。そんな未来、もう粉々になって散りましたから。



「………喉乾いた」



私はようやく、4時間も囚われていたベッドから出てリビングに向かう。



「おう、莉玖……って、どうしたんだ!?目元真っ赤じゃないか!」

「あ、いえ……なんでもありません。ちょっと、色々あって」



さっそく、広々としたリビングでテレビを見ていたお義父とうさんと目が合い、私はちょっとぎこちない笑みを浮かべながら台所に向かった。


冷蔵庫の扉を開けて水を取り出そうとすると、まだお皿洗いをしていたお母さんも私に気付く。



「どうしたの!?何かあった?」

「ううん……何でもないから、安心して」

「そんな酷い顔してるのに安心できるわけないでしょ!何かあったの!?」

「そうだぞ、莉玖。苦しいことがあったら相談してくれ」

「本当に、大丈夫です……心配しないでください。お義父さんも、母さんも」



いつの間にか、お義父さんまでテレビを消して問いかけてきて、私は八方塞がりの状態になった。


普通に、家族だなと思った。これが家族なんだって。お母さんはともかく、お義父さんまで真剣に気にかけてくださる姿を見てると、ありがたい気持ちが沸いて来る。


……でも、そんな人たちの前で兄にフラれました、とは言えないじゃないか。


だから、私は水だけを飲んで素早くその場を後にした。



「ふぅう………」



………そっか。もし私が兄と上手く行ってたら、きっとあの方たちも裏切ることになったのかな。


まあ、お互いの初めてを全部奪い合いました、まで言ってもお母さんたちは十分ショックを受けるだろうけど。


そんなことを考えながら2階に繋がる階段にのぼり、自分の部屋に入ってスマホを手に取ったら。



「えっ、通知……」



美紀みきからのメッセージが入っていた。もちろん、クラスで孤立されている私と連絡を取り合う仲といえば、美紀しかいないけれど。


少しばかりの嬉しさを感じながら、私はベッドの縁に座って電話をかけた。



『もしもし、莉玖~?』

「うん、どうしたの?」

『ちょっと心配になっちゃって。大丈夫かな~って』

「………美紀ってさ」

『うん?』

「なんで彼氏いないんだろうね。こんなに優しいのに」

『喧嘩売ってんのか表出ろ!!!!!』

「あははっ、ごめんね」



……そう、たとえみんなに煙たがられているとしても。


美紀が隣にいてくれるなら、ぶっちゃけどうでもいいのかもしれない。



『……まあ、冗談が言えるほどには良くなったってことか』

「……そうかな」

『うん、学校では本当ヤバかったからね。めっちゃ病んでたし』

「病んでなんて………病んでなんて」



……病んでたかもしれない。認めるのは悔しいけど。



『まあ、時間が解決してくれるよ。絶対に』

「……ううん」

『え?』

「……たぶん、忘れられないんじゃないかな。忘れたくもないし……あの人のこと、これからも呪い続けたいから」

『……………………莉玖』

「そして向こうも、受け入れてくれたし」



あの人は私をほっといて、幸せにはならないと言った。私の愛を裏切った罰を、全部受けると言っていた。


その言葉をもらって真っ先に込み上がってきたのは、紛れもない嬉しさ。そしてその嬉しさを抑えなければならないという、酷い現実に対しての絶望。



『ちょっと、向こうも受け入れるって?それ、どういうこと?』

「兄さん、私にどんなことをされても、甘んじて受け入れるんだって」

『…………へぇ、そっか。それは先輩らしいね』

「おかしな人だよね。私を見捨てたくせによくもそんな……って」



その瞬間、頭の中で何かが閃いた。どんな仕打ちを受けても、どんなことをされても。


兄さんは、すべて受けてくれる。受け流して、我慢してくれる。


と言うことは………つまり。



『あれ、莉玖?』

「……ごめん、美紀」

『うん?なんで?』

「私、今から兄に言わなきゃいけないことがあって」

『えっ……感じヤバそうだけど、大丈夫?』

「………何が大丈夫なのか、分からなくなってきたんだよね」

『それがヤバいってことでしょう!?いや………まあ、仕方ないっか。ていうか、せっかく心配して電話したのにこんな反応されるなんて~』

「ごめんね。でも、大好きだよ。美紀」



投げかけた本音を受けて、美紀ちゃんは慌てたのかすぐには答えなかった。



「わたし、美紀のこと本当に大事に思ってるから」

『……………………………莉玖はさ』

「うん?」

『時々、とんでもないこと言うよね』

「……とんでもないことだったの?」

『それを気付けないあたり、やっぱり莉玖に普通は無理だわ』

「むぅ……何が言いたいの?」

『ううん、突っ走ってもいいって言いたかっただけ。隣で応援するからさ』

「………そっか、ありがとう」

『全くもう……』



おやすみの一言もなしに電話が途切れたけど、美紀の気持ちだけはちゃんと伝わった。もし私が女の子が好きな人だったら、きっと美紀に惚れていたかもしれない。


……とはいえ、かつての私が好きだったのは兄だ。



「なんでもするって、言いましたよね……兄さん」



……知ってますよね?吐いた言葉は、飲み込めることができないんですよ?


私はスマホをベッドにおいて、走るようにして兄の部屋に向かった。

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