26話  付き合ってる子

七下ななした 莉玖りく



「莉玖~~~ご飯よ~!」

「……はーい」



2階の廊下で響く母さんの声を聞いて、私はようやく兄さんのベッドから起き上がった。


我ながら、危なっかしいことをしていたと思う。親がすぐ下にいるのに、兄さんの部屋に入り浸ってシャツとベッドの匂いを吸うなんて。本当に、バレたらどうするつもりだったのか。


……それより兄さん、遅いな。



「………………………」



さすがに電話……した方がいいのかな。でも、兄さんが束縛されてると思われるのもなんか嫌だし。


ああ……もう分かんない。頭がごちゃごちゃだ。あれだけ兄さんに恥ずかしくて重い言葉をたくさん言ってたくせに、今更引かれるのを怖がるなんて……矛盾の塊じゃない、こんなの。


ため息をつく。何度ため息をついても、兄さんは戻って来ない。会いたいという気持ちだけが積もって、私を飲み込んでいく。



「どうした、莉玖。そんなしんみりした顔して」



キッチンの食卓の前に座ると、お義父さんが心配そうにこちらをジッと見つめてきた。私は両手を振りながら、ちょっとぎこちない顔で返事をする。



「あ……なんでもないです。あはは……」

「そうか、悩みがあるならいつでも言っていいぞ」

「はい、ありがとうございます」



今さらながら、お義父さんは本当にいい人だと改めて思ってしまう。


気配りができて、相手の感情を汲むのが得意で、言葉や行動の端々にそんな優しさが染みついている人だ。私の誕生日に盛大に祝ってもらったことも、よく覚えている。


……だからか、時々辛くなってしまう。


私はもう兄さんナシじゃ、生きていけない身だから。



「いただきます!」

「いただきます」

「はいはい、召し上がれ~」



今日の献立は肉じゃがにわかめ入りの味噌汁、ほうれん草の白和えと、油揚げともやしを入れたポン酢炒め。どれも美味しそうだけど、どうしてかあまり食欲は湧かなかった。


それでも両手を合わせて食事の挨拶をして、食事を始めようとした、正にその時。



「ただいま~~」



玄関から待ち望んでいた声が響いて、私は一瞬手をピタッと止めて後ろへ振り向いてしまった。


ちょうどカバンを手に持っていた兄さんがキッチンに入って、真っ先に私と視線を合わせる。心臓がドクン、と外に漏れちゃうくらいに激しく鳴り出す。


兄さんはその後に食卓に置かれた献立を見て、次にお義父さんと母さんの方を向いた。



「おかえりなさい、秋君。遅かったわね?」

「あ……はい、そうですね。ちょっと話が弾んじゃってて」

「そうかそうか。ほら、早く手洗って来い。夕飯まだだろ?」

「ああ、分かった」



家族の前だからか、兄さんは私にあんまり目をくれずに背を向けた。ちくっと、心臓の端っこに鋭い痛みが走る。


間もなくして、兄さんは私の隣の席に座って両手を合わせた。



「いただきます。へぇ、美味しそう」

「いっぱい作ったから思う存分食べてね。勉強するの大変だったでしょ?」

「いえいえ、そこまででもないんですよ。みんな2~3時間くらい勉強して、後は適当に雑談してましたから」

「はははっ、なるほど。あ、そうだ、秋」

「うん?」



食器を持って咀嚼している兄さんに向かって、お義父さんはニヤニヤしながら、ちょっとだけからかうような口調で聞く。



「お前、付き合ってる子はいないのか?」



その瞬間、周りからすべての音が消えた。


何故だかは分からなかった。兄さんに向けられた質問なのに、なんで私がこんな、体中が軋むような感覚を覚えるのだろう。


両親にバレないために機械的に箸を動かしてはいたけど、もう味はほとんど薄れていた。



「………………あ」

「おう、なんだその反応は!いるんだよな?気になる子が!」

「……………い、いやいや、いるわけないだろ。色恋沙汰とか興味ないし」

「あら、そうなの?秋君、けっこうモテそうなのに」

「散々ですよ。そんなことありませんから……ははっ……」

「早く彼女作れ!!俺は孫の顔が見たいんだよ!」

「まだ高校生の息子になんてこと言うんだ!」

「………………………」



兄さんのぎこちない笑顔が場を和ませている。お義父さんも母さんも楽しそうで、暖かくて家庭的な空気が私たちを取り巻いていた。


私は、その温もりの中で一人隔絶されているみたいだった。手先が震えて、どんどん体が冷えて行くのが分かる。


なんで、こんな気持ちになってしまうんだろう。


兄さんは何も間違っていないのに。兄さんはすべて正しいのに。両親にバレないために、私との関係を維持するために精一杯頑張ってくれてるのに。


なんで、私はこうもモヤモヤしてしまうのだろう。



「莉玖はどうだい?彼氏とかいないか?」

「…………彼氏、ですか」



私は、机の下で冷え切った足指を、そっと兄さんの足の上に乗せる。


ビクッ、と兄さんの体が小さく震えるのが分かった。その反応が愛くるしくて、大好きで、どんどん私は溶けて行く。


愛という一文字が体中に渦巻いて、爆発しそうだった。何とかして、この愛を飛び散らせたかった。


だから、私はちょっとだけ意地悪な答えをしてみる。



「……いましたね、彼氏」

「えっ、本当か!?」

「本当に!?莉玖、彼氏いたの!?」

「あ……うん。6ヶ月くらい付き合ってた」



……そう。


私たちが付き合ってた期間は6ヶ月。お互い思い合っていた時間は、約1年以上。


今の私たちは何なんだろう。家族?兄弟?恋人?


……違う。どれも違う。家族と兄弟という単語はいささか健全過ぎる。恋人という言葉は、私たちの愛を表現するにはいささか小さすぎた。


私たちを保つのは、溢れんばかりの狂った愛と性欲だった。


それだけが、私たちの本質だ。私たちの関係性で……この先の未来に繋げたい、小さな点。



「それで、今もちょっと引きずってる感じかな。あははっ……」

「………………」



……分かってますよね、兄さん?私が何を言いたいのかを。


ご飯を食べ終わったら、すぐに私の部屋に来てくださいね?分かりましたか?


言葉にしなくても分かる程度には、兄さんも私のことを愛しているじゃないですか。

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