8話  まだ好きかもしれない

七下ななした あき



僕には、悩みがある時に限って必ずこなすルーチンがある。


それは、フリースロー。人間でいることを諦めて機械のようにボールを投げたり、全力で走りながらレイアップをやったり。


そうすれば体から汗が出て、ごちゃ混ぜになった頭も少しは冷えてくる。バスケ部に入っていた中学時代からやり続けた、僕なりのストレス解消法だった。



「ふぅ……ふぅ……ふうう………」



でも、なくせない。解消できない。どれだけ自分を追い込めても、ボールを触っている瞬間だけ楽になって、それ以外はすべて莉玖に支配される。


いつの間にか、周りが暗くなっていた。スマホで時間を確かめると、このバスケットコートに来てからかれこれ3時間も経っていたことに気付く。



「………くそ」



全身汗だくで、腕も疲れて筋肉がぎしぎしと変な音を立てているようだった。両手を膝に乗せて屈んだまま、僕は考える。


……僕は、間違ってたのか。


どう考えても、別れる以外の選択肢がなかったのに。莉玖が陰口を叩かれるのを見てから悩みに悩んで、本当に断腸の思いで下した結論だというのに……莉玖は、僕が間違っていると言っていた。


常識的に見たら間違っているのは僕じゃなくて、莉玖の方なのに……。



「青春してるな~~お前」



声が出た方向に振り返ると、そこにはなんと爽やかなイケメンが立っていた。ヤツは両手を後ろ頭に組んで、ニヤニヤしながらこちらに近づいてくる。


井上一翔いのうえかずと。明るい茶髪と清々しい性格、目鼻立ちが整った顔のおかげで、女子の間では大人気のイケメンである。


何の前触れもなく現れた一翔を見てため息をついてから、僕はボールを拾い上げた。



「なあ、一翔」

「なんだよ」

「正しさを図る物差しってないのかな」

「いるわけねーだろ?なんだよ急に。例の妹さんか?」



返事の代わりに、僕は右手だけを使ってパスを繋げた。


バスケ部のエースである一翔はボールを取った瞬間、凄まじいスピードで容易くレイアップを成功させる。



「そういえば最近やってないな。お前とのフリースロー勝負」

「勘弁してくれよ。もう3時間もここにいたんだぞ?」

「でも、まだまだやれるだろ?」

「……………………」



その通りだ。腕はもうグダグダになってるけど、心はまだ全然冴えていないから。


そのためらいを見抜いたかのように、一翔はニヤッとしながらボールを投げてくる。



「ほらよ。負けた方がラーメン奢りな?」

「いや、これ実質カツアゲなんじゃ?」

「まあまあ、そこは相談代ということで。ほら、先にやれよ」



首を何度も振りながら、苦笑した。そのまま僕は姿勢を正して、昔何百回もやっていたワンハンドシュートを打つ。


ボールは、綺麗にゴールネットの中に収まった。



「おおっ、やるな」



ニマニマしながら一翔はボールを拾い、僕と同じくワンハンドシュートの姿勢をした。


だけどボールを投げる前に、一翔はニヤッと笑いながら言う。



「妹さんと別れたよな?」



見事な3ポイントシュート決められたけど、僕には一翔の言葉だけが刺さっていた。



「だから、最近辛気臭い顔してたんだろ?」

「……へぇ、気付いてたのか」

「そりゃ気付くだろ。お前はとんでもない変人だけど、感情だけは顔によく出るからな」

「……そうかな」



地面に転がり落ちているボールをもう一度拾って、さっき投げた位置へ。


たん、たんとボールを弾けている途中で僕は言った。



「なぁ、一翔」

「うん?」

「僕は間違ってたのかな」

「………さぁ、分かんないさ。正しさを図る物差しってないからよ」

「状況がさ、もっとヤバくなったかもしれない」

「何かあったのか?」

「……ああ。このままだとたぶん、僕は一生莉玖のしもべになるかもしれない」



言ってからショートを打つ。今度はゴールポストに弾き飛ばされた。



「ぷはっ、マジで?」

「笑うなよ。僕もこうなるとは思わなかったから」

「何を言ったのやら~本当変わってるよな、お前たち兄弟」

「僕は全然普通だけど?」

「でも、お前喜んでたじゃねーか」



ボールを拾った後、一翔は片方の手だけを使ってシュートを打った。吸い寄せられるように、ボールがネットに収まる。



「喜んでたって?誰が?」

「お前が。バカが、お前さっき笑ってたんだぞ?」

「……………マジか」

「キモイんだよな~~義理とはいえ、妹のしもべになるってのに何がそんなに嬉しいんだか」

「あはっ、まあ……たぶんだけどさ」



一翔がパスしてくれたボールを受け取って、僕はゴールネットをぼんやり見上げながら呟く。



「僕、やっぱまだ莉玖のこと好きかもしれない」

「たぶんとしれないは要らねぇよ。どう見ても骨抜きにされてるから」



……その通りだ。


莉玖のしもべ、操り人形………確かに、悪くないと思っている自分がいる。


莉玖が勝手に引っ張って押し倒してくれたら、僕は抵抗できないのを免罪符に莉玖に触れることができるから。


なんだかんだ、僕も既に知っているのだ。莉玖が僕相手に酷いことをするはずがないってことを。



「それが困るんだけどな……」



答えてから、もう一度シュートを打つ。さすがに腕に力が入らなかったので、ボールの軌道がめちゃくちゃだった。



「チャーシュー追加してもいいよな?」

「勘弁してくれよマジで」



この3日間、莉玖はいつも目の前から消えてくださいとか、スマホを見せてくださいとか……そんなことしか言って来なかった。いや、それも普通にヤバいかもしれないけど。


でも、莉玖はいつだって一定の線を超えて来なかった。その気になれば学校中に僕と付き合ってたって言いふらして、僕を困らせることだってできたのに………莉玖は未だに、学校では固く口を噤んでいた。


そう、認めざるを得なかった。僕はそんな優しい莉玖が好きで好きで、たまらなくなっていた。



「…………ああ~~またハズレ……」

「ちょっとは入れて見ろよ。こんなヌルゲーを期待してたんじゃねーぞ?」

「お前がやってみろよ。3時間バスケした後に3ポイントシュートとか、そりゃもうプロの域だからな?」

「ははっ、さて………次で決める!」



一翔の、自信満々という文字が埋め込まれたボールは綺麗な曲線を描いて、ネットのど真ん中を通過する。


5対3で、僕の負けだった。僕は肩を竦めた後、首を振りながらゆっくりとベンチに向かう。


その後ろで、ボールを持った一翔がニヤニヤしながら声をかけてきた。



「チャーシュー追加していいよな?」

「あ、そういえば財布持ってきてなかったわ」

「なっ!?お前、騙したな!?」

「いや、バスケやるのに財布持ってくるヤツいるわけないだろ?後でちゃんと返すから、今日はとりあえず奢ってくれよ」

「はぁ……全く。お前ってやつは」

「ははっ、ありがとうな………って」



苦笑しながら、持ってきたジャケットの中に入れておいたスマホを取り出して、通知を確認した瞬間。


僕は文字通り、パニック状態に陥ってしまった。



「うん?どうした、秋?」

「あ………………いや」

「何かあったのか?」



………まあ、こいつ相手なら見せても別にいいか。


スマホを渡すと、メッセージを呼んでいる一翔の顔が直ちにしかめっ面になった。



「お前、別れたのウソだろ?」

「いや?莉玖とは絶賛冷戦中だけど?」



理解できないという表情をされても困るだけだ。だって、僕もめちゃくちゃ困ってるから。


手渡されたスマホをもう一度見て、首を傾げる。画面にはこう映っていた。



『明日、デートをやるんで時間を空けておいてください』



僕はやっぱり、莉玖のことを一生理解できないかもしれない。

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