3話  好きだったくせに

七下ななした 莉玖りく



教室に入った瞬間、まるで魔法にでもかけられたようにクラス全員の視線が私に集まった。


うるさい視線を無視しながら席に着くと、静寂を破るような明るい声が響き渡る。



「おっはよう~莉玖!!」

「……うん、おはよう。美紀みき



池田いけだ美紀。私の第一の親友で、こんな容姿の私に偏見を持たずに接してくれる、私の大切な幼馴染だった。


肩まで伸びる明るい茶髪に茶色の目。性格はとてつもなく明るくて、クラスでは私並みに目を引く女の子。


今こうして話している最中にも、美紀と私に注がれる視線は半端ない。私は少しため息をついてから、美紀の耳元で囁いた。



「……美紀」

「うん?」

「私と距離を置いた方がいいって、前に言ったよね?」



手で口元を隠したまま耳打ちすると、美紀はすぐに顔をしかめて私を睨んでくる。



「私こそ、莉玖がどんな噂されようが関係ないって、前に言ったよね?」

「………………美紀」

「今更なに言ってんだか。ていうか、目の下のクマ酷くない?」

「え?」



その発言に目を丸くしながら、私は自分の手で目の下を撫でてみる。



「もしかして、昨日あんま寝れなかったとか?」

「…………そうかも。ちょっと、寝そびれちゃって」



理由はさすがに言えなかった。兄にフラれたショックでずっとぼうっとしていたなんて、言えるわけがない。


作り笑いで適当に答えた後、私は美紀と雑談をしながら優等生っぽく教科書を机の上に出した。間もなく予冷が鳴って、担任の先生が入ってくる。


酷いな、と思った。


私はこんなにも苦しんでいるのに、世界は今日も平然と回って行く。昨日と何も変わってない風景に、私だけが置き去りにされているようだった。


……きっと、私が間違っているのだろう。


義理とはいえ兄にフラれたからってやけになって、悲しいはずなのに涙一滴零さないでいるから。



「…………兄、さん」



周りには聞こえないように、恋人だった人をぼそっと呼んでみる。心臓がチクチクと痛んで、未だに傷ついている自分が嫌になった。


これからも、私はその人と同じ屋根の下で暮らしていくのだろう。少し考えただけでも心臓が握りつぶされるような、嫌な気持ちになった。


そして、そんな感情がすべて顔に出ていたのか。


学校が終わってからの帰り道、美紀からかけられた言葉に私はビクッとしてしまった。



「別れたんだよね?お兄さんと」

「えっ…………」



どうしてそれを、と言うも前に美紀はニヤッと笑う。


後ろに照らされる日差しのせいで、笑顔が余計に眩しく見えた。



「そりゃ分かるでしょ。莉玖と何年友達やったと思ってるの?」

「……たかが10年くらいでしょ?」

「くらいじゃないよ!!10年って普通に長いじゃん!!」

「それは、そうだけど……」



……認めたくない。美紀に気付かれたってことは、すなわち私がそれほど落ち込んでいたと言うことで。


それはつまり、私がまだあの人のことを引きずっていると言われるようなもんだから。



「どうして別れたの?」

「……どうして、別れたって言い切れるの?」

「人の目はね、時には言葉以上に多くのモノを教えてくれるんだよ?」

「……………………」

「……ごめん、言い方が悪かったかな。教えたくなければ、別に教えなくても―――」

「フラれたの」

「…………え?」

「別れたんじゃない。私が一方的にフラれたんだよ、あの人に」

「………………………ウソ」

「ウソじゃないんだよね、驚くことに」



苦笑を浮かべてから首を振った。だって、昨日わたしの耳にはちゃんと届いてたのだ。


もうこの関係はおしまいだって。これからは普通の兄弟に戻ろうって。


私に指先一つ触れずに、余命宣告でもするみたいに悲痛な顔で、兄がそう言ってたから。



「……やっぱ、例の噂のせい?」

「たぶんね。あの人、臆病だから」

「……お兄さんはさ、莉玖のことを気遣ってたんだと思うよ」

「ううん、違う。それはね、単なる建前だよ。都合のいい逃げ道なの。もし、あの人が本当に私のことが好きだったら」



もしくは、私が抱いていた愛の半分さえ持っていれば。



「別れるなんて言葉、喉から出てくるはずがないもん」

「………………莉玖」

「なに?」

「……大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ?」

「ウソつかないで。私には通用しないからね?」

「………大丈夫だって、言ってるでしょ」



ちょっとだけ語気を強めて、家に行く歩みを止めて親友を見上げた。


美紀は明らかに困った顔をして、目を細めるだけだった。



「私がさっきなんて言ったか覚えてる?」

「大丈夫かって聞いたんでしょ?」

「違う。その前」

「………10年友達やってたって?」

「そう、10年。10年だから分かるんだよ。今の莉玖が無理してるってことくらいは」

「………っ」



静かな住宅街で、私は咄嗟に大声を出してしまう。



「そんなこと、美紀に分かるはず……!」

「他の人には分からないだろうけどさ!」



その後、美紀はすぐに両手を開いて。



「私には、私には分かるんだよ。落ち込んでいる時の莉玖、目から光がなくなるから」



私より頭二つくらい高い体で、私をそっと抱きしめてくる。


急に訪れた温もりに目が大きく見開かれて、積もっていた怒りがちょっとだけ沈んでいく。自分が怒っていたって、諭してくれるような熱だった。



「意地っ張りなのに何気にプライド高いからね、莉玖は」

「………美紀」

「うん?」

「……私、あの人のこと嫌いなの」

「そっか」

「うん、あの人の人生を……めちゃくちゃに、壊したいの。あの人に復讐したい」

「大好きなのに?」

「………うるさい」

「はいはい、分かりました……まぁ、仕方ないから手伝ってあげる。私にできることがあるとするなら、ね」

「…………うん」



好きじゃない。


絶対に好きじゃない。好きになってはいけない。周りの目を気にして、私の愛を断った臆病な兄なんか……絶対に、許せない。


付き合っていた頃に幸せだった分、憎らしさがどんどん募って行く。


届きようのない質問を繰り返した。どうして、どうして?


あなたも、私のこと好きだったくせに。


あなたも狂おしいほど、私だけを見ていたくせに。

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