20話  学校、屋上に続く踊り場で

七下ななした 莉玖りく



人の関係を定義するのは、名前じゃなくて本質だ。


私は兄を愛している。兄も、私を愛している。恋人という単語は過ぎた話になっちゃったけど、それでも構わなかった。


今、私と兄は限りなく近い距離で触れ合っているから。



「んむっ、ちゅっ、れろれろぉ……兄さん、兄さん」

「莉玖……んむっ!?」



校舎の喧噪が遠くなって、お互いの口から出る水音と兄の声だけが私の世界を満たす。


窓に差し込む一筋の光が、私たちの隣の空白を照らしていた。チリが舞っている。綺麗な闇に包まれたまま、私たちはお互いの唇を貪り続けた。


屋上の前にある階段の踊り場で、まだお昼休みも訪れていない2限目の休み時間で、私は兄さんに溺れていた。


兄の上に私が乗っかるような形で、手を握り締めて肌をすり合わせたまま、何度も何度もキスを繰り返していた。


たぶん、見つかったら停学……いや、退学なのかな?それでも、別に気にならないくらいに兄さんの唇は、美味しかった。



「ぷはぁ……莉玖。ちょっと落ち着いて」

「むぅ……」

「拗ねた顔をしない。なんで急に呼び出したの?キスなら昨日からずっとしてたじゃん」

「……兄さんは、私とキスをしたくないのですね?」

「したいよ?時と場合を弁えればね」

「………ふふっ」



そんな意地悪を言いながらも、私の肩に手を回して大切に包んでくれるこの人は、やっぱり優しさの塊だ。


そんな真っ白な人を、私は自分の色に染め上げている。そんなことを思う度に背中がぞくぞくして、エッチな気持ちになってしまう。


……と言っても、私が染め上げたんじゃないけど。私が兄さんに塗りつぶされた、と言った方が正しいかもしれない。



「そんなこと言って、いいんですか?もうすぐ授業始まっちゃいますよ?」

「莉玖が退いてくれないならヤバいかもな」

「……退きませんよ?私は」

「授業に出なかったら、色々と困るけどな」

「何が、そんなに困るんですか?」

「……色々と、ね」



短い答えの中に数えきれないほどの感情を込めて、兄は仕方ないと言わんばかりに苦笑を浮かべる。


私はそんな兄の首元にキスをしてから、顔を埋めた。兄さんの体にはいつだって優しくて繊細な匂いがする。


未だ、普通になることを諦めていない、生真面目さんの匂いだ。



「兄さんはまだ、諦めていないようですね」

「何を?」

「普通になることを。私に普通になって欲しい気持ちも、全然折れていないんですよね?」

「……そうだね。折れては、いないかな」



言い終えると同時に、兄さんも私の首元に顔を埋めてきた。



「でも、普通になること以上に莉玖のことが大事だから」

「……ふふっ、作戦成功です」

「作戦?」

「兄さんを、ある程度とはいえ堕とすことができました。これで兄さんは、完璧に私のものです」

「………昔から莉玖のモノだったけど?」

「それは違います。主導権はずっと兄さんが握っていたじゃないですか」

「ウソつけ。僕が明らかに莉玖に振り回されてたのに」

「兄さんこそ、ウソをつかないでください。兄さんのせいで私がどれだけ悶々としていたのか、もう忘れたのですか?」

「見たことないけどな。莉玖が僕で悶々としているとこ」

「……怒りますよ?」



首元から顔を離して、私は若干頬を膨らませながら兄さんを見下ろした。私の腰に手を回していた兄さんは、すぐにその腕を解いて人差し指で私の頬をツンツンしてくる。


……もう、そんなに幸せそうな顔して。これじゃ、怒るに怒れないじゃないですか。



「この3週間に私がどれほど苦しかったのか、兄さんには分からないでしょうね」



それでも、少しだけあの頃の憎らしさを声に宿して、言い放った。


本当に、本当に大変だったから。身が千切れるかと思うくらい苦しくて、泣いて、大好きな人を嫌いになるために精一杯努力していた。でも嫌いになれなくて、残ったのは刃物でえぐられたようなボロボロの心臓だけで。


兄さんを通じて、初めて気づいたのかもしれない。大好きな人を忌み嫌おうと徹するのは、想像以上に苦しくて息ができないことだ。


自分を支えてきた柱を壊す行為は、自分自身を破壊させる行為に他ならないから。


そんな自殺行為を何度もしていたというのに、結局……私は、最後までこの人の傍からは離れられなかった。



「……ごめんね?莉玖」

「……いいんです。こうして、戻ってきてくれたから」



むしろ、気付かされるばかりだった。私がどれだけ兄を愛していたのか、依存していたのかを痛感する日々だった。


こういうことを危うい、と言えばいいのかな。確かに、兄さんがなんでそこまでして私を普通にさせたかったのか、ちょっとだけ分かる気もする。


でも、この人にはやっぱり、ずっと私の傍にいて欲しかった。



「あ……」



お互い笑顔で見つめ合っていると、静寂を引き裂くような予冷が鳴る。


兄さんは肩をビクッと跳ねらせて、相変わらずの苦笑を浮かべて私を見上げてくる。判断を託されている、と直感で理解した。


もう兄さんの瞳には、私しか映っていなかった。



「……兄さん」

「うん?」

「今日だけ、我儘を言わせてください」

「今日だけなの?」

「………意地悪です、兄さんは」

「あはっ」



……いつもそうやって余裕ぶった顔で、私を虜にして。


……本当に、意地悪な人。



「うむっ……!?!?」



兄さんの体が後ろに倒れて、踊り場の上で体が重なったまま、私は兄さんの唇を強く吸う。


私をたぶらかして、そういう気持ちにさせるこの悪い唇を精一杯吸った。私を気持ちよくさせる舌も、私を狂わせるいけない兄を味わい尽くす勢いで、私は兄さんを貪る。


なのに、唐突なことをされたと言うのに兄さんは、私を大事そうにぎゅっと抱きしめてきて。


……それだけで、私はまた根負けして、そういう気持ちにさせられる。



「…………うううぅっ」

「ぷはぁ……り、莉玖?」

「……酷い」

「え?ちょっ、えぇ……?」

「……兄さんの、エッチ」



……そうでしょうね。理解できないでしょうね。これは完全に私の空振りですから。


仰向けになったまま首を傾げる兄さんの胸板を、私は小さく叩いてみる。恨めしい。すべてが兄さんに支配されて、私が少しだけ身をよじるのも許されない。


恋愛の主導権はすべて、兄さんに握られているから。


そしてそれを取り返す瞬間は、たぶん永遠に来ないだろう。



「莉玖?どうしたの?」

「……兄さんの、バカ」

「えええ……?ちょっと、本当にわけ分からないけど」

「分からなくていいですぅ。どうせ私の方が絶対に好きだから」

「それはちょっと聞き捨てられな……うっ!?」



兄さんの小さな声が聞こえると同時に、外から足音が聞こえて来た。どん、どん、どんと規則正しく鳴り響く、侵入者の足音。


私と兄さんは咄嗟に息を呑んで、どちらからともなく屋上のドアの前に避難して、抱き合ったまま下の方に目を向ける。


靴の音が段々と鮮明に響いてきて、兄さんが私を抱きしめる力も段々と強くなって行った。



「…………………」

「…………………」



そんな中、いつの間にか私は緊張した顔をしている兄さんを見つめていた。


……ほんの一瞬だけど、その部外者の存在がたまらなく忌々しくなっていた。私と兄さんの空間に勝手に侵入して、空気を取り乱した者が許せなくなった。


靴の音は、段々と遠くなって行く。それにつれて兄さんの顔にも少しずつ安堵の色が浮かんでいたけど、私を見てないという事実に変わりはなかった。


……今は、私だけを見て欲しいのに。



「ふぅ、よかった。ただの通りすがり……うぶっ!?!?」

「はむっ、ちゅっ、んむっ………ちゅるるる」

「うむぅぅう!?り……!?うぶっ!?」



……ああ、自分でも分かる。ブレイクが飛んでしまっている。自制することが、できなくなっている。


30秒ほど経ってようやく解放された兄さんの口元には、私の唾液がべったりついていた。


ゆっくり、私は制服のブラウスを脱いでいく。



「り…………………く?」

「……兄さん」



あまりの急展開にぼうっとしている兄さんをほっといて、私はブラウスを完全に脱いでから、兄さんを見つめた。


外で肌を晒すのには、やっぱり快感よりは拒否感の方が強かった。私の肌は兄さんだけに許された特権であって、他の人が見るために作られているわけじゃないから。


でも、今は状況が違う。私だけを見て欲しい時に、兄さんは視線を逸らしていた。幼稚な独占欲だと、兄さんを困らせていると分かっていても、私は自分を律せない。



「抱いて……?」

「………………」

「お願い、欲しいの。抱いて、お願い………」



そして、限りなく優しくて快楽に弱い、私の兄さんは。


そんな不安定な私のことを、どこまでも甘やかしてくれた。

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