18話  悪い子

<七下 莉玖>



兄さんはきっと、我慢したかったのかもしれない。



「兄さ―――――うむっ!!?!?うっ、ちゅっ―――」



必死に我慢して、彼女じゃない私を大切に扱いながら、二人のほろ苦い思い出だけを作りたかったのかもしれない。


でも、私はわざと爆弾の芯に火をつけた。私は理性が働かないひまわり。肉欲だけに染め上げられた獣。


そんな細胞が唾液で伝染して行くかのように、ホテルの部屋に入った途端、兄さんは私を抱きしめて急にディープキスをしてきた。



「はぁっ、兄さん……兄、さん。待って……」

「……待たないよ。莉玖が先に誘ったんでしょ?」

「シャワー、浴びたいです……電車でちょっと汗をかいてましたから……」

「…………………」

「ちょっ、聞いていますか……?に、兄さん、腕を引っ張らないで……きゃぁっ!」



フカフカなベッドに簡単に組み敷かれて、兄さんは張り詰めた顔を私に向けていた。


室内は、まだ明るい。窓を通して注がれる日差しと、ホテルのきらびやかな照明が部屋中に輝いていた。広くてお洒落な部屋の中で、光が届かないところはなかった。


でも、それを鬱陶しいと言わんばかりに、兄さんは私の手首をぎゅっと握ってから言ってきた。



「……大人しくしててね」

「…………あ」



そして、兄さんは部屋に灯されていた光を一つずつ落として行った。


カーテンを閉めて、照明のスイッチを切ってお互い、顔と体が確認できるくらいの最小限の明かりだけを残して、戻ってくる。


唯一光っている照明の色は、赤だった。



「………兄さん」

「………………」



仄暗い世界の中で、兄さんの顔だけが目に映る。


普通の人ならきっと、外を出歩きながら楽しくデートをしている時間なのに、私たちは暗闇の中で欲望を滾らせている。それが好きだった。


黒ずんだ愛だとしても、愛はちゃんと愛だから。



「私を、どうするつもりですか?」

「……僕、は」

「ふふっ……この期に及んでも、まだ理性を保っているようですね?さすがは私の兄さんです」



今度は、私から。


私を覆い隠している兄さんの逞しい体をそっと抱き寄せる。兄さんの首に腕を回して、兄さんの腰に足を回して、逃げられないように束縛する。


……私たちの触れ合いを邪魔するこの服を、一瞬だけど、八つ裂きにしたいという強い衝動に駆られた。



「私、言いましたよね?」

「…………………」

「この旅行は、この時間は、兄さんを堕とすために作ったものです。なのに、兄さんがここまで来てくれたってことは……ふふっ。そういう意味、なんですよね?」

「……………………莉玖」



私は腕だけを解いてから、ブラウスのボタンを一つずつ外していく。露わになった黒の下着は先日、兄さんを誘惑するためにわざわざ買ったもの。


布の面積が少なくて、肌が透けて見えるような挑発的な下着。



「脱がして……?脱がして、兄さん」

「……………………」

「私が誰のモノなのか、教えて」



まだためらっていたけど、兄さんはやがて心を決めたように私の服を一着ずつ脱がしていく。


ブラウスも、スカートも、靴下も、すべて兄さんの手で乱暴に脱がされて、裸一歩手前の状況になる。



「……ジッとしててください、兄さん」

「えっ………」



そして、今度は私が上半身を起こして、兄さんの上着を脱がして行った。ニットベストも、ジーンズも、シャツも、全部。


兄さんの気持ちを隠しているうざったい布を全部、取り外して。



「すぅ…………はぁあ…………」

「り、莉玖……!」

「………兄さん」



私は、感じる。


私が普通になって欲しかった、憎たらしい兄を。最悪の形でフッてもなお、私に愛情を込めた眼差しを送ってくれる兄を。今も世間と私の間で必死に綱渡りをしている、生真面目な兄を。


私はすべて感じて、噛みしめて、吸い取って行く。


兄さんは間違っていない。兄さんにはたぶん、罪がない。


私が間違い過ぎているだけだ。



「悪い子になっちゃいましょう……?兄さん」

「…………………」

「兄さんは何も悪くありません。悪いのは全部、私です。兄さんを誘惑したのも、変な言いがかりをつけて兄さんを操ろうとしたのも、勝手にヒステリックになっていたのも、全部わたしですから」

「………………………………」

「でも今は、世界で私と兄さんだけなんです。兄さんにどんなことをされても、私は抵抗できないんですよ?兄さんは悪くありません。兄さんはただ、道を踏み外した淫乱で嫉妬深い妹を、ちょっとだけ躾けるだけ。ちょっとしたお仕置きをするだけ―――――――あ」



あっという間だった。


あっという間に、私はまた兄さんにまたもや組み敷かれて何の抵抗もできないまま、見上げることしかできなくなっていた。背筋がぞっとして、体がぶるぶる震えるのが分かる。


そして、私を貫くような兄さんの強烈な視線。



「……莉玖は、悪くないよ」

「…………………兄、さん」

「悪いのは全部、僕なんだ」



その悪行を証明するかのように、兄さんは私の首筋に顔を埋めた。



「兄さん、ちょっ………きゃぁっ!」

「ふぅ、ふぅう………」

「ううっ………い、痛い、兄さん……」

「……ごめん。強く吸い過ぎちゃったかも」

「ここ………ここは、服で隠せない……」

「………だから、言ったじゃん。僕が全部悪いって」



……………………………ああ。


本当に、私はこの人のことが好きだ。


私の常識を超えた優しさと愛を、兄さんはいつも注いでくれるから。



「莉玖」

「………はい」

「一緒に、悪い子になってくれる?」



………当たり前です。



「はい」

「本当に?」

「兄さんが、それを願うのなら」



きっと、めちゃくちゃにされる。


止めてって言っても、今日の兄さんは絶対に止めてくれない。私がダメだと言っても私を抱き続けて、片っ端から私を壊していく。恥ずかしくて嬉しくて涙を流しても、兄さんは私を組み敷く。絶対に許してくれない。


そんなことを分かっていながらも、心をキュンキュンとさせている私は。


きっと、愛に狂ってしまった悪い子なのだろう。



「来て、兄さん」

「ああ」

「……私のこと、躾けて?」



だって私は、そういう人間だから。

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