17話 快楽と欲情だけ
<七下 莉玖>
「じゃ、行ってきます」
「うん、気を付けてね!!」
お母さんの明るい声を背にして、私は家を出てからさっそく空を見上げた。雲一つない抜けるような青空に、
紛れもない、デート日和だ。
私は日傘をさしながら、兄さんが待っている駅前へ向かう。やや速足で、今日という大事な時間を一秒たりとも浪費しないために。
「………ごめんなさい、お母さん」
罪悪感が込み上がって来るのは、仕方ないのないことだった。
今日、兄さんは友達の家で泊まることになっていて、私もまた美紀の家でお邪魔することになっている。もちろん、それはお母さんたちに納得してもらうための建前に過ぎず、本当はただの駆け落ちみたいなものだった。
……と言っても、永遠に家を離れるんじゃなくて、ちょっとした火遊び、みたいなものに過ぎないけど。
「………ふぅ」
でも、思い知る。私は明らかに浮ついていた。嬉しくて嬉しくて、どれだけ深呼吸を重ねても胸が落ち着いてくれなかった。
あと数分で、兄さんに会える。今日は付き合っていた頃のようにデートをして、夕飯を食べて、兄さんに甘えた挙句に、ラブホに連れて行かれて。
そして、きっと最後まで抱かれてしまうのだ。
兄さんがその気じゃなくても、私がその気にさせればいいだけの話だ。何があろうとも、私は今日で絶対に兄を堕とすつもりでいるから。私は、自分にできるものすべてを使って、兄さんを溺死させるつもりだった。
……私たちに血のつながりがないことが、せめての救いなのかもしれない。血が繋がっていようがいまいが、きっと私がやろうとすることに変わりはなかったはずだから。
「………本当に、ごめんなさい。お母さん……」
再婚した母が、新しくできたお義父さんとどれくらい幸せな時間を過ごしているのか、私はよく分かっている。
私たちがやろうとしていることは、きっとその真っ白な幸せに泥を塗るような行為だ。
でも、そうしなければ死んでしまいそうだった。
兄さんと愛し合えなければ、愛を注がれなければ、私は枯れて死ぬ。絶対に、死んでしまう。
「あ、莉玖」
「おはようございます、兄さん」
「……うん、おはよう」
……生きるための熱を、この人にもらっているから。
周りの人たちが生み出す喧噪の中、私は大好きな人をジッと見上げた。
今日の兄さんは、白い半袖シャツの上に空色のニットベストを着て、色の濃いグレーのジーンズを穿いていた。高校生というより大学生に近いその服を見て、胸がドクンと鳴り出す。
「莉玖」
「はい、兄さん」
「似合ってるよ。そのスカート」
「……本当ですか?」
「なんで疑われるのかな」
「だって、服に着られている感じがすごいじゃないですか」
今日の私は白い薄手のブラウスの上に、桜色のプリーツスカートを組み合わせていた。下はスニーカーも履いていて……どう考えても、私には似合わない可愛らしいコーデだった。
兄さんはなにが可笑しいのか、ぷふっと噴き出しながら首を振る。
「そんなことないよ?大体、莉玖は何を着ても似合うから」
「……ウソです。本当に可愛いなら、兄さんは何も言えず私に見惚れるはずです」
「まぁ、普段の莉玖はおとなしめな格好が多かったから、ちょっと驚いてはいるかな」
「……やっぱり、似合ってないじゃないですか」
「ううん、莉玖は何を着てもかわいいよ」
…………………また、この人は。
私の心を揺さぶるような声を、こうサラッと………。
「でも、このスカートって
「……よく分かりましたね。はい、
「通りで桜色か。莉玖の好みとはちょっと遠いもんね」
「……………私のこと可愛げのない、ひねくれた女だと言いたいのですか?」
「違う」
周囲の目が集まっているこの状況で、兄さんは濁り一つない綺麗な声色でそう伝えてくる。
「莉玖は、素敵な女の子だよ」
「……………」
「たとえ莉玖本人がそれを否定しようとも、その事実だけは変わらない」
…………………全く、この人は。
妹相手に向かってこんな真剣な顔をして、何を言っているのですか。こんなの、妹に向けていい熱じゃないじゃないですか……。
本当に、この人はいつもこうやって私を振り回して………。
「んじゃ、行くか」
「………はい。行きましょう」
どちらからともなく、私たちは駅の中に入って電車に乗った。
ここから海までは、電車でおおよそ1時間半くらいがかかる。週末のお昼前だからか、車内はすごく混んでいた。
ぎゅうぎゅう詰めになって、こういう人ごみに慣れていない私はちょっと息が苦しくなってしまう。
「莉玖、こっち」
「えっ」
でも、兄さんはそんな私の状態を察したからか、手首を握って私を入口のドアの方へに引っ張ってくれた。
ドアを背にしたら、すぐに私の目の前は兄さんの顔と腕で、塞がれてしまう。
「…………………」
「…………危ないから。痴漢されるかもしれないし」
少しだけ口を開いていた私の耳元に、兄さんがそんな声を囁いてくれる。
ぶるぶると体が震えた。うっかり涙まで滲むほど甘い、兄の声。いつしか電車が走る音と周りの人々が遠くなり、目と頭が兄さんで埋め尽くされる。
すべてを、支配される。
「……………………」
「……………………」
兄さんも私を見ていた。兄弟の視線が混ざって、絡んで、互いを吸い込んでいく。大好きな兄さんの匂いがした。
………そう、これだ。
兄さんから感じられるこのすべてが、私をこの世に縫い留めてくれる。生きるための熱が乏しい私に、兄さんはいつも適切な温度を与えてくれる。
時には暑すぎて火傷しそうなくらい、兄さんは熱い。
……電車に乗って、おおよそ30分。私たちが住んでいる街からはずいぶんとかけ離れた場所に、私たちはいる。
だからここにいる人たちは、全部どうでもいい他人。
「兄さん」
「……………ッ」
「兄さん、兄さん」
行くところまで行くしかない。
いや、行きたかった。兄さんの手を繋いで最後まで突っ走りたかった。この恋の果てが何であろうと、どうでもいい気さえしてきた。
兄さんの耳に唇を近づけている、兄さんが私で震えて、興奮してくれるこの瞬間があまりにも恍惚で、正しさなんてどうでもよくなる。
「愛してます………兄さん、好き。好き、大好き」
「ちょっ………莉玖」
「……覚悟、してくださいね……今日は、何があっても離しませんから」
「こらっ、やめっ…………」
「…………兄さん」
……………………そう。
これが、私の正しさ。
「ホテル、行きたいです」
「………っ!」
「海は、夕方になってから見ることにしましょう。私……我慢、できないんです」
こうすることでしか、私は生きられない。
快楽と激情だけが、私の生きる理由だ。
「お願い、兄さん」
「………………」
「私で、ケダモノになって」
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