46話  責任

<七下 秋>



池田に挨拶して、三日ぶりに家への帰り道をたどりながら、僕はぼんやりと考える。


僕は、果たして父さんに許してもらえるのだろうか。


そうとは思えない。そして、今からするお願いを聞いてくれるとも思えなかった。信頼を裏切った上に厚かましくお願いなんて、人間の道理じゃない。


父にどんなことを言われようとも、僕は黙って従うべきだ。



「……あの、葵さん」

「うん?どうしたの、秋君」

「……父さんは、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないわね。私並みに心配していたもんね」

「…………………」

「でも、真面目に謝罪したら許してくれると思うよ?健一さん、何だかんだ言っても親ばかだし」



僕の心を覗き込んだみたいに葵さんがそう言う。苦笑だけ返しながら、僕は深くため息をついた。


産みの母親と離婚してしまった父さんがどれほどつらい思いをしたのか、僕はこの目で見てきた。どんなに僕を信頼してくれたのかも、よく分かっている。


その二つの過去が渦巻いて、自分の中での罪悪感を増幅させる。莉玖と一緒にいた時にうっすらと感じた罪意識が確かな形を持って、目の前に突き付けられた。



「………」

「えっ」



そんな僕を見て心配してくれたのか。


横断歩道の前で目を閉じていた最中、急に莉玖が小指を絡ませてくる。反射的に目を向けると、淡い笑顔だけが返ってきた。


大丈夫ですよと伝えるみたいに、冷たい指先がぎゅっと僕の人差し指を握り締めている。



「……うん」



……そう、今さらぐずぐず考えても仕方がない。やるしかないんだ。ここまで来てしまったから。



「ただいま、健一さん」



たっぷり10分くらいを歩いて、僕たちはついに家にたどり着く。


家の門を開けるなり葵さんは父さんを呼び、瞬く間に父さんが玄関に出てきた。



「……ただいま、父さん」

「ただいまです、お義父さん」

「はあああ……ふぅ、よかった……本当に」



真っ先に飛んでくるのは罵声ではなく、安心したような声だった。一層のこと、大きな声で詰ってくれればよかったのに。



「ひどいことされてなかったか?体に不調は?」

「……ない」

「ふぅう……本当に、まさかとは思ったけどあんな真似を……秋」

「うん」

「話がある。そして、莉玖にも」



鋭い目つきが僕たちに降り注がれ、頷くしかなくなる。お互い無言でリビングに入って、ちょうどさっきと同じように顔を向き合わせることになった。父さんは、葵さんの隣で腕を組んでいる。


先に話を切り出したのは、僕だった。



「本当にごめんなさい、父さん」

「……私も。本当に、申し訳ございません」



ほぼ土下座するみたいに頭を下げてから数十秒経っても、父さんの沈黙は続いていた。僕と莉玖はほぼ同時に顔を上げてから、父さんの言葉を待つ。



「……秋、聞きたいことがある」

「ああ」

「どうして家出なんて無茶な真似をした。お前はそんなヤツじゃなかったぞ」

「……ごめんなさい」

「謝罪を求めているのではない。理由を説明しろと言っている」



心なしか、父さんの口調はいつも以上に鋭かった。僕は正座したまままっすぐ目を合わせて、言い放つ。



「……父さんの提案に、納得できなかったから」

「ふうん、納得できなかった理由は?お前にとっても悪い条件ではなかったはずだが」

「どうして好きなのに離れなければいけないのか、それが納得できなかった」

「……」

「頭では分かってたんだよ。父さんの提案に乗るべきだと、頭では分かってたけど……どうしても、納得できなかった」

「つまり、お前はその提案を受け入れられないと?」

「…………ああ、そうだよ」



どう答えるか一瞬迷ったけど、結局は本音を打ち明かすことにした。


尻込みして適当な返事をもらうのは、僕も莉玖も望んでいない。



「本当、頭が痛いな。お前たちのせいで」

「……………」

「……………」



僕たちが沈黙するのを確認してから、父さんは天井を見上げる。



「無理やり別れろ……と言われてもどうせ別れないだろうし。かといって物理的に突き放そうとしたら、今回のように突発的な事故が起こりかねない。でも、俺たちが二人の関係を許すわけにもいかない。本当に、こんなにもお前に悩まされるとは思わなかったよ、秋」

「……………本当に、ごめん」

「……俺は、この交際に反対だ」



そんな言葉を告げられた途端に、莉玖の手がビクッと震えるのが見えた。



「理由は、葵さんがさっき話し合いをしたと言っていたから、そこで大体聞いたんだろうな。お前たちは兄弟で、家族だ。もし別れたりしたら取り返しがつかないことになるし、そんな歪な恋愛が長く続くとも思えない。今回のように勢い任せで家出したことを踏まえても、健全な関係だとは言い難いだろうな」

「……それは」

「なのに、なんで我がままを言うんだ。秋、お前らしくないぞ」

「……はっ、そうだね。確かに僕らしくはないかも」



そう、健全な関係ではない。僕と莉玖は義理とはいえ兄弟で、思いを伝えるよりも先に体を重ねた関係だ。健全という表現が全く当てはまらない。


でも、父さんの言葉には一つだけ間違いがある。


僕が莉玖と長く続かないなんて、永遠に結ばれないなんて、そんなのはありえない。



「確かに、家出までしておいてこんなことを言うのはおかしいと自分でも思ってる。でも、聞いてよ、父さん。僕たちの関係は、父さんが思っているほど緩やかなものじゃない。葵さんは、そのことをちゃんと知っているはずだよ」



父さんは目を見開いた後、さっそく隣にいる葵さんを見た。葵さんはただただ、困った顔をしているだけだった。



「……父さん」

「なんだ?」

「さっき、父さんは長く続かないだろうと言ったけど、はっきり言うとさ。僕はもう、責任を取るつもりでいる」

「――は?」

「まだまだ子供な17歳だし、どうせたわごとだと受け入れられるだろうけど―――これは決して、今作った言葉じゃない。僕はさ、ずっと昔から莉玖のすべてに責任を持つつもりだったんだ」

「……お前」



父さんは何を言われたか分からないという顔で、ただただ目を見開いていた。葵さんも口を開いて驚いていて、莉玖は……莉玖はただ、隣で僕を見上げている。


これは、ずっと前々から思っていたことだった。莉玖とよりを戻したときに……いや、最初から。莉玖と初めて行為に至ったあの日から。


できることなら、僕は自分のすべてを出し尽くして莉玖を幸せにしたいと――そう願っていたから。



「確かに、未来のことは誰にも分からない。父さんの言う通り、最悪な状況になって家族がバラバラになるかもしれない。でもさ、だからといってその未来が今の気持ちを薄めたりはしないんだよ!これもまた、子供の勢いだと見なされるだろうけど……僕は、何度も言えるさ。僕は本気で、責任を持つ覚悟ができていると」

「……お前はまだ、その言葉の重みを分からない」

「だろうね、まだ子供だから。でも、僕は僕なりに本気なんだよ。責任を取る気だから莉玖と付き合ったんだし、だから駆け落ちまでした。それに、僕たちが長く続くかどうかは、父さんにも葵さんにも分からないでしょ?」

「………………」

「………秋くん」

「…………分かっています。今すぐじゃ、僕の言葉は受け入れられませんよね。そんなことくらい、分かっています」



だから、僕は額を床について覚悟を決める。


自分の思いがしっかりと伝わるように、切実にならなきゃいけないから。



「なので―――お願いします。チャンスをください」

「………チャンス、とは?」

「僕の言葉は、莉玖が葵さんに言った言葉は時間がなきゃ証明できない。1年や2年より長い時間を費やさなければ、僕たちの言葉は証明できないんだよ。目に見える形にはならないから……だから、時間をください」

「………………」

「証明して見せるから。この愛が、子供の一時的な気の迷いでないことを。二人が思っている以上に固い絆だということを、これからの行動と言葉で証明するから!だから……お願いします、時間をください」



暴論に近い論理を並べながら、僕はぎゅっと目を閉じる。


今の自分はお願いができるような立場ではなかった。でも、こうでもしなきゃ何も得られない。莉玖との時間を、莉玖と一緒にいた時の幸せを未来の線に繋げることが……できない。


関係を証明するために。


莉玖との未来を手に入れられるなら、僕はなんだってするつもりだった。そして、それは莉玖も同じなのか。


莉玖もすぐに頭を下げて、重々しく口を開いた。



「……お願いします、お義父さん」

「莉玖、お前まで……!」

「私も……兄さん以外の人と付き合う気なんてありませんから。まだ16歳でしかないんですけど、本当のことなんです。私は……私には、兄さんが必要です、お願いします!!」

「………………」



16歳。


そう、莉玖は16歳で僕は17歳だ。人生を決めるには早すぎて、僕たちの前には生きてきた時間よりずっと長い歳月が待っている。


なのに、その人生の入り口付近で、僕たちは自分たちの可能性を制限している。


他の人に会わないということはそういうことで、責任を取るという言葉はお互いを束縛する言葉だ。


その重みが、むしろ気持ちよかった。その束縛が嬉しい。それこそが僕たちにとっての関係の本質で、正しさだった。


莉玖が僕以外の誰かに付き合う気がまったくないのと同じく―――僕も、莉玖以外の人と付き合う気はないから。



「………………ふう」



疲れたようなため息がこぼれて、冷めた胃がもっとキリキリしてくる。それでも、僕たちは最後まで姿勢を崩さなかった。


なん十分も経ってからようやく顔を上げると、父さんは後ろ頭をひっかきながら深くため息をこぼしていた。

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