31話  狭い視野

<七下 秋>



『ちょっと話したいことがあるから、放課後に来てもらえる?』



そんな江藤さんからのメールを受けて、僕は言われた通りに家に帰らず、待ち合わせ場所の校舎裏をうろついていた。



「来てくれたね、ありがとう」

「ああ、うん」



ちょうどどっかに座ろうかなと思っていたところで、江藤さんが姿を現した。普段の元気で明るい顔には、ちょっとした影があるように見える。


そのせいか、江藤さんはすぐには口を開かなかった。いつも場の空気を調整しながら楽しそうに話を振る彼女にしては、珍しいことだ。緊張しているようにも見えて、考えあぐねているようにも見える。


結局、あまりにも長い沈黙に耐え切れず、僕は苦笑を浮かべながら江藤さんに聞いた。



「えっと、なんで呼び出されたのか聞いてもいいかな」

「あ……………えっとね」

「うん」



まさか、告白するつもりではないだろうな……と思いつつ、江藤さんの答えを待っていると。


すぐに、気を引き締めたように江藤さんは息を整えて、僕をじっと見つめてきた。



「七下君に一つ、聞きたいことがあるの」

「うん」

「前にけっこう話題になってたよね?ウチのクラスでも……その、七下君が義理の妹の、莉玖ちゃんと付き合ってるって噂」

「……そうだね」

「あれって、本当なの?」



前の勉強会の時に聞かれていたのと、内容が少し違った。


あの時は噂のこと、デマだよねと聞かれた。でも、今は本当かどうかを聞かれている。その違いを知って、僕は確信した。


江藤さんが、僕たちのことをある程度知っているということを。



「ああ、本当だよ」



だから、ウソは要らないと思った。


江藤さんは望んでいるのは優しいウソじゃなくて、キリキリとした現実だ。僕もまた、莉玖との関係を自分の口から否定したくはなかった。


いざ知っていた事実でも直に言われてショックを受けたのか、江藤さんは息を呑んでから深くため息をついて、もう一歩僕に近づいてくる。


近くなった江藤さんの顔は、いたって平然のように見えた。



「じゃ、もう一つだけ質問させて。七下君は、妹ちゃんに騙されているんだよね?」

「……莉玖はどこまで話したの?」

「先に質問に答えて欲しいな」

「……騙されてないよ。僕が、自分の意志で莉玖と付き合ったから」

「…………………………そんなの、ウソだよ」

「ごめん、これはウソじゃないよ。僕たち二人とも……ほぼ、一目惚れだったから」



その生々しい答えを聞いて、江藤さんは恨めしそうな視線を送ると同時に、下の唇を強く噛んだ。



「私、これだけは確実に言えるかも。今の七下君、絶対に間違ってるよ」

「……はっ、そっか。なんでそう思うの?」

「だって、どう見ても普通じゃないでしょ!あんな、魔女みたいな子と付き合うなんて!!七下君は洗脳されてるだけだよ!!昨日のあの子がどんな顔をしてたかを七下君が知らないから――――」

「やめて」

「…………っ!」



思ってた以上に底冷えするような声が出て、言葉を発した僕さえも驚いてしまった。


啖呵を切っていた江藤さんはハッと口を閉じて、目を見開く。



「それ以上、妹のことを悪く言わないで欲しいな」

「………で、でも!」

「……結局、江藤さんはそんな話をしに来たの?」



江藤さんは、女の子だ。


だから、むやみに胸倉を掴んだりすることはできない。でも、もし相手が男だったら、今頃は殴ったり襲い掛かったりしていたかもしれない。


目の前で、大好きな人が侮辱されているのだ。手は上げなくてもムカッと来るのは当たり前で、そのせいか僕の表情にも、声にも、そんな怒りが滲み出ていた。


それでも、江藤さんは視線を逸らさない。



「……いや、違う。提案をしに来たの」

「提案?なんの提案?」

「こういうことはあまり言いたくないけどね。二人の関係を知ってしまった私は、ある意味では二人の弱みを握っているようなものじゃない?」

「はっ……やっぱり、噂でもばらまかす気?」

「……そんなつもりはない。でも、七下君の返事次第で、変わるかも」



………………………くだらない。


もう帰ってもいいんじゃないかと思ったけれど、噂が立てばそれもそれなりに厄介なことになる。


とりあえず、江藤さんの提案を聞いてみるのも悪くないだろう。立場的には、弱みを握られている僕が圧倒的に不利だけど……まあ、そんなことはどうでもいいことだった。


それくらいには、莉玖に狂っていた。



「……侮辱の次には脅しか。僕が知っている江藤さんじゃないね、これは」

「っ………!私だって……!私だって、必死なのよ!!」

「………………………分かった。それで、どんなことを要求するつもり?」



江藤さんの目元には、もう溢れんばかりに涙が溜まっている。言葉通り、彼女も彼女なりに必死なのだろう。


そしてたぶん、その必死さが向かう先は僕で。僕が冷たい態度を取っているから、江藤さんも悲しくなっているのだ。僕が、江藤さんを拒んでいるから。


……………ふぅ。



「……私に、七下君の3日をちょうだい」

「3日?」

「うん、私とデートして欲しい」

「………………………………デートって、まさか」

「そしてそれが終わった後に、私と莉玖さんのどちらかを選んで欲しいの」



江藤さんが何を言いたいのかは、なんとなく分かる気がした。


つまり、江藤さんはチャンスをくれと言っているのだ。莉玖だけに埋め尽くされている僕の世界に割り込んで、少しは自分にも目を向けてと。


………………本当に、必死なんだなと今更ながら痛感する。僕は江藤さんの思いの丈を知らない。どうして僕が好きなのか、どれだけ僕の傍にいたいのかを……知らない。


ちょっと、心が複雑になった。さっき莉玖が罵られた時に感じた怒りと、江藤さんに対する悲しみと何とも言えない感情が混ざり合って、ぐちゃぐちゃのグレーになって行く。


でも、僕は答えを出さなければいけなかい。



「ごめん、それは無理だよ」

「………っ、なんで!?」

「それは、僕が勝手に決めていいことじゃない。莉玖に聞かなきゃいけないことなんだ」

「ほら、やっぱり……!やっぱり七下君は、あの魔女に束縛されているんでしょ!?」

「…………立場を変えてみてよ。好きな人が自分の許可も取らずに勝手に異性とデートするって言ってるのに、江藤さんなら気安く許せられるの?」

「そ、それは………!」

「ごめん、やっぱ無理かも。じゃ、そういうことで」

「噂ばらまくわよ!!」



背を向たところで、江藤さんの甲高い声が放課後の校舎に鳴り響く。


振り返ると、ついに堪えなかった涙を流しながら、江藤さんが両こぶしを握り締めていた。



「……………江藤さん」

「ばらまくわよ、それでもいいの!?七下君、気持ち悪いって言われるんだよ?妹と付き合っている変人だって、キモイヤツだって言われて蔑まれるんだよ!?それでもいいの!?」

「…………江藤、さん」

「なんでよ………なんで……?あんな女のどこが好きなの!?本当に意味分かんない……!はぁ、くっ………うぅっ………」



泣き顔を見せたくないのか、江藤さんは俯きながら両手で顔を隠す。身を切るような痛みが全身に走って、僕も苦々しい顔でそんな江藤さんをずっと見つめていた。


……きっと、江藤さんは必死なだけなのだ。


好きな人を見逃したくなくて、自分自身のことを醜いと思いつつも、泥沼に足を踏み入れているのだ。


「……江藤さん」

「なによ………なによ」

「ごめん」

「うぅぅ………くっ、くぅう……」

「………本当に、ごめん」



正直、今の段階で江藤さんがどんな提案をして来ようが、受け入れるつもりなんてなかった。


心に莉玖がいるのに他の女性と一緒にいるだなんて、普通に考えられいから。噂のことは確かに気になるが、それで莉玖が不安を覚えるなら本末転倒だ。


僕の視野は、それほど狭くなっている。だから、江藤さんには本当に申し訳ないと思う。



「噂のことは、江藤さんの好きにして。どんなことが起きようが、江藤さんのことを恨んだりはしないから」

「…………………ううっ、うぅうう……」

「ごめん、本当に」



江藤さんは、果たして噂を広められる人間なんだろうか。


その答えを、僕は知らない。ただ、すべてを受け入れようと思う。噂が立ったとしたらそれは江藤さんのせいではなく、自分が抱いた愛と、自分の不器用さへの罰なのだと我慢することにした。


そして、次の日。


予想通りと言ってはおかしいのかもしれないけど、噂はしっかりと全校に広まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る