22話  穴は埋められない

七下ななした あき



「弁当を作るって?」

「はい。美紀みきとお互い交換しようって話があって」

「へぇ……」



莉玖の手作り弁当か…僕もまだ食べたことないのにな。池田いけだのヤツめ………。



「ぷふふふっ」

「なに?」

「心配しなくても、私は兄さんのものですよ?」

「……まだ何も言ってない」

「目が言ってます。なんで僕より先に美紀に手作り弁当を振る舞うのか、と言いたそうな目をしてます」



スーパーの陳列台を前にして莉玖はクスクスと笑っていた。口元を手で隠して、本当に仕方ないと言わんばかりの笑顔。


笑ってくれるのはいい。莉玖が笑ってくれると、僕まで幸せになるから。でも、やっぱり羞恥心が湧くのは仕方がなかった。



「安心してください。今日は夕食の食材を買いに来たんじゃないですか。兄さんと私の、二人だけの晩ご飯のために」

「あ~~はいはい、左様ですか」

「また拗ねちゃって……ふふふっ、本当に可愛い」

「……家に帰ったら覚悟してよね」

「やぁん、兄さんにまた襲われちゃう」



そんなことを怯みもしないで言うんだから、本当に頭が上がらない。僕は茶目っ気たっぷりの表情をしている莉玖を見ながら、降参するしかなかった。


普段の落ち着いている白のワンピース姿に、白髪。そんな儚げな色合いとはまた違う、真っ赤な瞳。


そのおかげか、周りを行き交う大人たちがチラチラとこちらを見てくるのが分かる。莉玖は相変わらずそんな視線を浴びながらも、僕しか見てなかった。



「兄さん、どうかしたましたか?」

「………ううん」



僕はまともに莉玖と付き合えるのだろうか。この輝かしすぎる妹を覆い隠すほどの包容力が、僕にあるのだろうか。


それを知らない。第一、僕はまだ自分自身を完全に信じれてない。心の中では不安ばかりだ。


でも、莉玖が信じている僕を信じている。莉玖が僕に何を見出したかは分からないけど、それを掘り下げる気にもなれなかった。


ただ、僕には穴がある。自分自身では埋められない、大きくて冷え冷えとした穴がある。


莉玖と一緒にいるために頑張らなきゃ。理由はそれだけでも十分だった。



「……兄、さん」

「うん?」

「……ふふっ。ここ、外ですよ?」

「……そうだね」

「学校の人がいるかもしれませんよ?他の人に、見られちゃいますよ?」

「手を繋ぐことくらい、兄弟にはありきたりのスキンシップじゃない?」

「兄さんはどこまでも、私を狂わせる気ですね」

「……手、離した方がいい?」

「酷い兄さん。私の気持ち、全部分かっているくせに」



繋いでいる手が動いて、莉玖は指先まで僕の手に絡めてくる。公共の場でしてはいけないドロドロな視線が僕に注がれる。


学校であんなことをした後だというのに、莉玖の火が消えることはない。その瞳の色みたいに、僕のすべてを燃やし尽くす勢いで降りかかってくる。


そんな莉玖に、僕は狂っていた。



「……ごめん。ここじゃちょっと」

「……本当に、酷い兄さん」

「…………家に、帰ってからにしよ?」

「…………………………………………」



その言葉が何を意味するのか分かっている莉玖は。


音がするくらい生唾を飲んでから、再び僕の手をぎゅっと握ってくるのだった。






結局、光の速度で買い物を終えてから食材を冷蔵庫にも入れず、僕たちはそのまま玄関で倒れ込んだ。


ずっと下に組み敷かれて、激しく交わって互いに互いを擦り付けた。いつものように、ケダモノ同士になって。


その後、ようやく熱が冷めて一緒に晩ご飯作りに差し掛かった頃に、僕は自分のスマホの通知に気付いた。



「えっ、これって……」

「どうかしましたか?兄さん」



差出人は、江藤志津えとうしづ。僕がこの間カラオケに行った時に何度か話していた、同じクラスの女の子だった。


莉玖は声を出してはいるものの、玉ねぎを切っているせいで視線は僕に向けていない。台所のテーブルの椅子に座っている僕としては、隠そうと思えばいくらでも隠せる位置だった。


僕はややカラカラになった唇を湿らせて、江藤さんとのトーク画面を開く。



『七下君、ちょっといいかな?』



当たり障りのない文章にどう返事するかを悩んでいる間、莉玖がもう一度声を上げてきた。



「なにかありましたか?」

「うん?ああ……」



一瞬迷ったけど、やっぱりこういった出来事はちゃんと教えるべきだろう。



「ちょっと、クラスメイトからメッセが来て」

「なるほど、そうですか」



莉玖は特に不審に思うそぶりは見せなかったけど、明らかに面白くないと言わんばかりの口調を発していた。


あまり長引かせるのはマズいか、と思いながら僕はそそくさと返信を送った。



『いいよ。どうしたの?』

『ようやく返事来た。前にメアド教えた時に連絡くれてもよかったじゃん』

『ごめん、ちょっと色々あってね』

『仕方ないな~~再来週にテストじゃん?だから明日みんなで勉強会はどうかなって』

「えっ」

「…………」



思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


そういやあったな、期末テスト。最近は莉玖のことで頭がいっぱいになってて、テストなんかちっとも気にしていなかった。


なるほど、だから僕を誘おうとしているのか………でも、なんでわざわざ僕を?



『メンバーは?』

『前にカラオケに行った時のメンツ。ちなみに、七下君が来てくれれば全員揃うの』

『そっか……ちょっと待っててね』



暗に来てくれ、という圧を感じる物言いだった。というか、こんな誘いなら一翔かずとを通して連絡してくれてもいいのに、なんで江藤さんが直々に僕に話しているのかわけが分からない。


気があるから………はさすがに違うだろう。江藤さんはそこそこ男子に人気があるから、そんなのは単なる自惚れだ。


とにかく、二つ返事で肯くわけにはいかない。莉玖の許可が必要だ。



「莉玖」

「はい、兄さん」



相変わらず玉ねぎを切りながら背を向けている莉玖に、僕はいいかけた。



「再来週にテストで、明日は土曜日じゃん?だから、クラスの子に勉強会誘われたけど」

「…………そうですか」

「うん、それで……行ってもいいかなって」

「女の人もいるんですか?」

「…………………うん」



さすがに、これはダメだろう。近頃見せてくれた莉玖の行動を考えたら行かせるわけがないと思った。


でも、莉玖は一度だけこちらに振り向いてほんのり笑った後に。



「いいですよ?」



そんな予想外のことを言って、僕はついポカンとしてスマホを落としそうになる。



「えっ……いいって、本当に?」

「当たり前じゃないですか。何をそんなに驚いているんですか?」

「いや、だって女の子も……」

「兄さんは私のものです」



切り捨てるように言い放ちながら、莉玖は玉ねぎを切り終えて手を洗ってからこちらに近づいてきた。


まだ呆けている僕の頬に、莉玖の濡れた指先が届く。



「兄さんの人生には、私しかいません」

「……………………………莉玖」

「その事実を、私は知っています。これから兄さんがどんな人と会ってどんな人と付き合おうが、兄さんの心には私が刻まれていますから。だから、いいんです」



淡々とした顔でそんなことを言う不埒な妹に、吸い寄せられるみたいだった。


神秘的な赤い目に惑わされたかのように、莉玖の言葉は恍惚とした感情を与えてくれる。



「だから、いいですよ?私は兄さんを信じていますから」

「………釘を刺しておくけど、僕が莉玖を裏切るようなことはもう絶対に起こらないよ」

「分かっています。さっきも、教えてくださいましたから」



……………………………たぶん、あの行為のことだろう。


とにかく、これで莉玖の許可も下りた。僕は何とも言えないくすぶりを抱きながら、文字を打つ。



『返事遅くなってごめん。何時に集合すればいいの?』



そして、俯いている僕の耳元に莉玖は囁いた。


それは、まるで言葉に砂糖をまぶされたような甘い呪い。



「他の人じゃ、兄さんの穴は埋められませんから」

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